二の二 六道、押しかけ用心棒

 山道から北へ向かって小高い丘を二つ三つ越え、ひときわ大きな丘が前方に現れると、六道の目はその中腹に小さな村落を見つけていた。

 村落は木の柵で囲まれており、その周囲と浅い谷を挟んだこちら側の斜面には麦や野菜の畑が広がっている。集落の先、丘の上の方では、羊飼いが家畜を追っていた。陽はそろそろ中天にさしかかろうとしている。


「あれがチャトの村か?」

 六道が尋ねると、チャトはそうだよと答えた。六道を見上げ、不意に歯を見せて笑う。

「でもさ、おじさんほんとすごかったねえ。三人が刀を抜いたのに、相手にもならないんだもん。しかも素手で」


「鍛えてるからな」

 冗談めかして六道が言うと、チャトはそうだね、と深く頷いた。

「やっぱり筋肉だね。筋肉は全てを解決する」

「しねえよ。筋肉教の信者かお前は」


 六道は呆れながらチャトに続いて斜面を下り、右手向こうの森から谷を流れてくる沢を越えて集落に入った。足を止め、ざっと周囲を見渡す。

 青楊の木陰に絨毯を敷き、茶らしきものを飲みながら老人たちが談笑していた。その近くでは、少年たちが木剣を振り回して英雄ごっこに興じている。少なくとも暗い雰囲気は感じられず、入ってくるこちらに注意を向けるそぶりもない。ということは、チャトが攫われかけたことは誰も知らないのだろう。


 そうしているうちに、チャトはまっすぐ、ひときわ目立つ立派な土作りの家に向かっていった。

「こりゃまたでけえ家だな。……もしかして、村長むらおさの娘だったりするのか?」

 六道が感心しつつもわずかに警戒を含んだ声音で言うと、チャトは振り返って違う違うと手を振った。

「うち、元々は父ちゃんの師匠の家と工房なんだって。師匠は独り身だったから、父ちゃんが跡を継いだんだってさ」


 六道はなるほどねと答えた。いいところの坊ちゃん嬢ちゃんという連中には、碌な記憶がない。しかしチャトなら、仮にお嬢様育ちでも家柄を鼻にかけたりはしないのではないか。なんとはなしにそう思うのは、ドワーフという種族への贔屓目だろうか。


 チャトが表玄関の扉を開け、ただいまあと声を掛ける。ずだ袋を右腕で抱えるようにして六道も入ると、薄暗い廊下の奥から顎髭を短く刈り込んだ中年のドワーフが姿を見せた。

「おお、帰ったか。もう昼だぞ。……おや、そちらはお客さんかな?」


 父親の問いに、チャトが違うよ、と答えた。用心棒だってさ、と言いながら奥へ向かう。事情を説明すると、父親は小走りにやって来て両手で六道の左手を掴んだ。

「かたじけない。貴殿のおかげで、娘がひどい目に遭わずに済んだ。この通り、礼を言いますぞ」

「いやなに、娘さんに何事もなくて良かった。乗りかかった舟じゃねえですが、俺にも事情を聞かせちゃくれませんか」

 深く頭を下げる父親に、少々面はゆい気持ちで六道は尋ねた。父親は頭を上げ、では客間で、と言って近くの部屋を仕切る幕を上げた。


 親子に促されて部屋に入る。客間だけあってそれなりの広さがあり、床には赤地に緑で唐草文様の織られた大きな絨毯が敷かれていた。

 出入口すぐ左と右奥の壁に、よく似た構図の絵が掛けられている。すぐ左に掛かっている絵は、巨人・虎・ドラゴン・燕・鯉・鯨が互いに争っているというものだ。一方で右奥の絵は、獅子・鷹・猛牛に三人の戦士たちが相争っていた。


「じゃ、あたいはお昼の支度してくるから。お腹空いたかもしれないけど、少し待っててね」

 六道と父親が座ると、チャトはそう言って部屋を出ようとした。

「お? チャトが飯作るのか」

「そうだよ。母ちゃんしばらく留守にしてるから、あたいが父ちゃんの面倒見ないと」

 六道の問いに、チャトは屈託なく笑う。親孝行だな、と六道が微笑むと、当然のことでしょと返してチャトは出て行った。


 ――そうだ。親孝行はできるうちにしておけ。後で後悔しねえようにな。

 六道は苦い顔で目を閉じた。


 六道が十三歳の夏。生まれ育った村が、南のイェンシ山脈を越えて来た騎馬民族アシャの一団に襲われた。

 成人前ながら大人に見劣りしない体格だった六道は、礫を投げ棍棒を振るって、女子供が逃げる時間を稼ごうとした。馬は元来おとなしい性質であるから、六道の殺気に怯え乗り手の指示に逆らったことを覚えている。怖がらせるのは可哀想だったが、それでも棍棒で殴られるよりはいいだろう。


 しかし、それも一団が馬を下りるまでだった。騎馬民族の剽悍さは、馬がないからといって失われるものではない。

 六道は囮となって挑発し、少なくない人数を引きつけた。村から離れつつ無我夢中で打ち殺したものの、最後の一人を殺した時には精も根も尽き果て倒れ込んだ。


 陽が沈む頃、這いずるようにして六道が村へと戻った時。子供を産めそうな年齢の女は攫われ、それ以外の者はほとんどが殺されていた。六道の母も父も、その中にいたのだ。


 一瞬のうちに、そこまでが脳裏に浮かぶ。

 その後、最も近い大交易都市であるトゥルワーンへと向かう生き残りを護衛した。そこで彼らと別れてアシャの地へ赴き、心を折られて帰る途上で、氣功術の恩師と出会ったのだった。


 知らず知らずのうちに目を強く閉じていたのだろう。チャトの父ジランタイがお疲れですかと声をかけてきた。

「ああいや失礼。そんなことは」

「では、娘が来る前に少々お話させていただいても?」

 もちろんですよと六道は促す。ジランタイは訥々と語りだした。


 しばらく話を聞いた限りでは、ストロコイの男が話したことと比較して明らかに矛盾するような点はなかった。そして新たに判ったこともある。

 マンツィの傍らには、人間とは異なる地上種族の護衛が二人いる。一人は人間よりやや小柄で細身ながら、魔法の扱いにかけては他の追随を許さない北方エルフ。

 もう一人は、身の丈は一丈(230cm)あまりで肌は黄土色、筋骨隆々、唇の外に飛び出すほどの牙を生やしたオーガ。彼らは肉体の頑丈さこそドワーフに譲るものの、膂力においては地上種族中でも随一だった。


 正面から敵を叩き潰すことにかけては右に出る者のないオーガと、魔法で護衛対象を守る北方エルフ。策もなく同時に相手取ろうとすれば、六道といえど不覚を取りかねない。

 ――金持ちの護衛なら、両方とも一流以上と考えるべきだろう。厄介どころじゃねえ。

 六道は苦虫を噛み潰したような顔で天を仰ぐ。そこへチャトが入ってきた。


「お待たせ。ナンと野菜にエールだけど、いいかな? いいよね?」

 見ればチャトは上着カフタンの上に赤い前掛けを締め、両手で抱えるほどの大きさの盆を持っている。盆の上には、焼きたてのナンを何枚も乗せた皿と細切りにして炒めた人参や玉葱の乗った皿、そして把手とっての付いた硬質土器の杯が三人分乗っていた。ずいぶんと重そうに見えるが、チャトは平然としている。


 チャトは右手を盆の中央にあてがい、左手で軽々と皿そして杯を置いていく。見た目こそ小柄な娘でも、この辺は人間との決定的な差異だろう。

 六道は杯を手に取った。エールは黒に近いような茶色で、鼻に近づければどことなく甘い香りがする。口に含むと、よく焙煎された麦の甘味と馬乳酒を思わせる酸味が広がった。

 続けてナンを適当な大きさに千切って頬張ると、もっちりとした歯ごたえの中に麦の甘味がまた広がる。


 ――チャトが焼いたのか。いや、いい仕事してるぜ。

 久方ぶりのまともな食事とあって、六道の顔がついついほころぶ。それを見たチャトが、どんなもんだいと胸を張った。


 昼食が一段落したところで、六道はジランタイに尋ねた。

「で、連中が次いつ来るのかみたいなことは判るんですかい?」

 ジランタイは顎髭を撫で、物憂げな表情になった。

「一昨日来た帰り、次は数日中に来ると言っていました。明日か明後日には来てもおかしくないでしょうな」


 ふむ、と六道も顎の無精髭を撫でる。

「なら、その時は俺も同席させちゃもらえませんかね。用心棒として」

 申し出にジランタイがそのつもりですと強く頷き、話はすんなりまとまった。


 その後は六道の旅の話を中心にした雑談に興じていたが、酒が回るうちに口が緩んで六道はジランタイに言った。

「本当は最初に訊くべきだったんでしょうが、どうして独占契約が嫌なんです? 契約したいんなら……って高く売りつけたっていいでしょうに。欲深い手合いってのは、欲のない相手ほど警戒するもんですから」


 ジランタイは六道をじっと見て、それはできないと首を振った。

「マンツィが売るのは、金持ちの客ばかり。儂は、もっと幅広い層に使って欲しいのですよ。収入も、家族が暮らしに困らなければ充分。それ以上はいらんのです」

「言いたいことは解りますが、しかしなあ……」


 六道は難しい顔で頬を掻く。大至急金が必要になるような不測の事態というものは、常に起こり得るからだ。言葉を続けようとするのを、ジランタイは再び首を振って遮った。

「ドワーフが金勘定などするものじゃない。金は魔物だ。臭いに囚われれば魂が腐る」


 強い意思の込められた瞳で、真正面から六道を見据える。六道は苦笑いする一方で、彼の潔癖とすら言える精神を好ましく思った。

「無粋なことを言っちまいました。勘弁しておくんなさい」

「いや、こちらこそ。好意で言ってくださったのに」


 互いに詫び、その後は再びの雑談となった。杯を重ねるうち、ジランタイがそういえばと言ってチャトに向き直った。

「お前、ダシュリの倅とはどうなっとるんだ。来年は十五、そろそろ鍛練だけでなく結婚も考えねばいかんだろう」

 言われてチャトは唇を尖らせた。だってさ、と不満げに答える。

「あの人ちょっと細いじゃん。腕見た? おじさんと同じくらいの太さなんだよ? 男はもっと逞しくないと」


 唐突に流れ矢が飛んできて、六道はあやうくエールを吹き出しそうになった。

 六道も、人間としては相当に逞しい肉体の持ち主だ。それが「ちょっと細い」になってしまうのだから、普通の人間や南方エルフはさぞかし線が細く感じられることだろう。北方エルフに至っては、塚の中の白骨も同然かもしれない。


 次の矢が飛んでくる前にと、六道は急いでチャトに水を向けた。

「ところでよ。お前のお袋さん、しばらく留守にしてるって言ってたけど、何やってる人なんだ?」

「母ちゃん? 今は父ちゃんの仕事を手伝ってるよ。この辺は時々北方騎馬民族ストロコイが略奪に来たりもするから、村の人に護身術を教えたりもしてる。独身の頃は徒党を組んで廃墟や遺跡へ宝探しに行ったりしてて、腕利きの男が二十人がかりでも敵わない武勇と“紅の獅子シーレ・ケルメズ”の異名を轟かせてたんだって。で、今はその人たちに頼まれて出かけてるんだ」


「……そうですか」

 目を輝かせて説明するチャトとは対照的に、六道の頭がゆっくりと垂れていった。武勇と異名、いったいどれほどの女傑なのか。恐ろしい想像しか浮かんでこない。

 ――チャトは間違いなく、母親似だろうなぁ……。

 この脳味噌まで筋肉でできていそうな可愛らしい子も、やはり将来は母同様の女傑に育つのだろうか。

 なんとも複雑な思いで、六道は杯を置いた。

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