第二話 ドワーフ娘の仇討

二の一 六道、ドワーフ娘に会う

 ――立てば酒樽座ればお餅、歩く姿は肉団子。

(ある口の悪いゴブリンがドワーフ女を揶揄して曰く)



 セレス三十六国の北東から、五千里(2000km)以上の長きにわたって連なるウルグ・テングリ(大いなる天の意)山脈。急峻な山々の中、比較的平坦な箇所や谷底に沿って大小何本もの交易路が拓かれている。六道がその一つを抜けて西の果ての峠までたどり着くと、下りの山道と北西へ更に延びる支脈の隙間にオアシス農耕地が姿を見せた。

 麓まで下りれば、そこはもうスーリ九ヶ国のうちでも北東に位置するチャージュの統治下に入る。山沿いに南西へ向かえば二日足らずでヤフシャール川の支流に出、それを越えてまた山沿いに南へ四日ほどでチャージュ本国に至る。


 とはいうものの、今の六道には別段行くあてもなく、急ぐ旅ではない。

 セレスの某国で捕り方相手に大立ち回りを演じ、また斬った相手に高官がいたことから近隣の国々にも手配書が回る騒ぎとなった。そこで他の国や東のタブガチに行くよりも、亡き恩師と巡った記憶を追ってスーリへ向かう方を選んだ。それだけのことだった。


 山肌はすっかり雪も溶け、浅い谷に生える草も左右の斜面に立ち並ぶ木々も、瑞々しい緑色に輝いている。空は青く澄みわたり、支脈の遠い峰まで良く見えた。風の冷たさも和らいで、陽の氣は夏へ向けて日一日と強くなっていくだろう。


「しかしまあ、山賊も見ねえしのどかというか平和というか。気持ちよすぎて、お尋ね者の身の上だなんて忘れちまいそうだぜ」

 山道を下ることしばし。背負っていたずだ袋から手を離し、温かい日差しに伸びをした途端、六道の耳に若い娘の声が飛び込んできた。


「危なあい! どいてどいてえ!」

 ぎょっとして声のした方を見ると、すぐ右手、高さ五丈(11.5m)はあろうかという斜面を一人の娘がまさに滑り下りようとしていた。

 娘は筒袖で前開きの上着――カフタンを着て、スカートではなくズボンを穿いていた。小柄で丸っこい体つきをしており、濃い茶色の髪をおさげにしている。まだ十代の半ばくらいだろうか。


 なかなかに急な斜面はところどころ草が生え、目立った石もなさそうだ。しかし高さを考えれば、途中で体勢を崩して怪我をしてしまうかもしれない。

 とっさに六道は駆け寄り、下で受け止めようとした。娘はもう滑り始めている。間に合うか、と見上げた時、大きな勘違いに気がついた。

 ――人間じゃねえ! ドワーフだ!


 齢若く、小柄で丸っこいというだけなら、人間とドワーフの見た目はそう変わりない。ただ、かつての旅暮らしの経験が、直感となって判断を誤らせなかったのだ。

 六道は大急ぎで息を深く吸い、陽の氣を滾らせた。体を頑丈にせず勢いのついたドワーフを受け止めようものなら、こっちが大怪我をしかねない。


 娘は六道の様子に気付くと、目を輝かせ、自分も深く息を吸った。滑る勢いを殺すようなそぶりはない。

 ――馬鹿! お前までそれやってどうする! 殺す気か!

 内心で悲鳴を上げた六道に追い打ちをかけるかのように、娘は地面を蹴ると頭上高く舞い上がり、覆い被さる形で六道の胸へと飛び込んできた。


 みしり。

 抱きとめた六道の腕、胸、腰、脚の骨がきしみを上げる。全身を襲った痛みで泣きそうになりながらも、六道は優しく彼女を下ろした。


 ドワーフの女は、男と違い一見脂肪に包まれているように見える。しかし脂肪があるのは浅い層だけで、ほとんどは男と変わらない鋼の筋肉なのだ。それが勢いを付けて飛び込んできたのだから、六道でなければ大惨事になっていただろう。


「すごいねえおじさん。あたいの飛翔落鵬破ひしょうらくほうはを受け止めるんだもん。びっくりしちゃったよ。おじさん人間だよね?」

「人間だよ。あのなお嬢ちゃん、山遊びは結構なんだが、もう少し考えて……」

 娘は無邪気に感心し、スーリ語で言った。六道が震える声で言いかけたところで、斜面の上に三人の男たちが現れた。下にいる二人に気がつくと、慣れた様子で滑り下りてくる。

 彼らはいずれも人間だった。白い肌に明るい茶色の髪と髭。カフタンを着てズボンを穿き、腰帯に反りの強い曲刀を提げている。齢の頃は三十代から四十代といったところか。


 北方騎馬民族ストロコイか、と六道は思った。この辺りで彼らの姿を見ることはままある。しかし、目の前の男たちは人数も少なければ馬も連れていない。何らかの事情があって部族を離れ、山賊にでもなったのだろうか。

 男たちを見た娘が後ずさる。六道がかばうように間に入ると、最も近くにいた年かさの男が険しい顔で何事か言った。


「あぁ、そっちの言葉は解んねえんだ。スーリ語ができる奴ぁいねえかい」

 警戒を隠さず低い声で六道は言う。男は舌打ちをして言い直した。

「黙ってその娘から離れろ。通りすがりが余計な面倒ごとに首を突っ込んで、命を粗末にすることもなかろう」


 六道の顔も険しくなった。脚を開いて腰に手を当て、はっきりと娘を自分の後ろに隠そうとする。

「なんでえ、喋れるんじゃねえか。最初っからそうしろよめんどくせえ。その上理由も言わずに命令形か」

「我らは誇り高きストロコイの末裔だ。使えなければ不便だから覚えはしたが、軟弱な農耕民の言葉なぞ、言われなければ自分から使うものか」

 半分呆れたような六道の言葉に、男は忌々しげに吐き捨てた。後ろの二人も頷いている。


 ストロコイは、元々北方草原地帯に割拠する騎馬民族の部族の一つだった。それが千年以上前に最も強大な勢力となり、当時の西方世界の中心だったヘラスやその植民都市群と活発に交易を行うようになった。そこから、騎馬民族全体の代名詞として西国人ヘレネスひいてはファルシス人やスーリ人に広まっていったという歴史がある。

 もっとも、その後台頭してきた別の部族に敗れて四散し、今では細々と血を残しているにすぎないのだが。


「それと理由か。言ったぞ、余計な詮索をする必要はない」

 舐めてくれるぜ、と六道は思った。もし娘が金や食料を盗んだのなら、捕まえるのもいいだろう。だが男の言い草からは、後ろ暗い理由しか察せられない。こんな恫喝におとなしく従うような人間なら、今ここに立ってなどいなかった。


 六道の口元が吊り上がった。騎馬民族にしばしば見られる、農耕民族への根拠なき見下し。こいつらもそうだ。気にくわねえ。

「笑わせんじゃねえや、この唐変木のコンコンチキが。小娘一人を大の男が三人がかりで追っかけ回して、何が誇り高きストロコイだ。スットコドッコイの間違いじゃねえのかてめえら」

「貴様あっ、我々を愚弄するかあっ」


 後ろにいた、三人の中で最も若そうな――それでも六道より年長だろうが――男が、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「愚弄したらどうする? 胡旋舞こせんぶでも踊ってくれるのか?」

 間髪入れず、六道は追い打ちをかけた。胡旋舞は、体を巻くほどの細長い布を両手で持ち、小さな円形の絨毯の上で右に左に激しく旋回しながら踊るスーリの舞踊である。


 若い男の口から、こ、か、き、と声にならない音が漏れた。怒りのあまり呂律が回っていない。ばろう、とひと声吼えて曲刀を抜き、絶叫とともに斬りかかってきた。

「おじさん!」

 娘が叫ぶ。六道は振り下ろされる曲刀を躱すことなく、刀身を挟むように右拳と左掌を叩きつけた。乾いた音とともに曲刀が真っ二つに折れ、前半分が回転しながら飛んでいった。あっけにとられる男を、六道は胸元への掌底で吹き飛ばす。


 年かさの男ともう一人が、慌てて刀を抜いた。

「遅えんだよやることが」

 若い男が抜いた時点で、斬り合いは始まっているのだ。六道は二人が構える前に、稲妻のような動きで蹴り倒した。


「くっ……、殺せ!」

 地面に転がった年かさの男が叫ぶ。やなこった、と六道は顔をしかめて吐き捨てた。

「考えなしに殺して、後々旅人がここで野宿でもしたらどうすんだ。動く屍体ローロンになったお前らに襲われでもしてみろ、申し訳が立たねえだろうが」


 旅人であれば、時には野宿しなければならないこともある。もしその時、弔われず野晒しになっている死体が近くにあったら、それは生者の陽の氣恋しさからローロンとなって分けてもらいにやってくるのだ。


「とりあえずは、危ねえものをぽい、だ」

 六道は二人の刀を取り上げ、娘の後ろへ放り投げた。年かさの男の隣にしゃがみ、肩を掴む。他の二人は呻くばかりで動けそうにない。

「じゃあもう一度訊くぞ。この嬢ちゃんを追ってた理由は何だ?」

 男はうつむき、唇を固く結んでいる。それは何かを恐れているように見えた。


 ふうむ、と六道は頭を掻いた。

「こういう時に魔法使いがいればな。魔法でこいつの考えなり記憶なり読むことができるんだろうが……」

 男が小さく笑う。六道は肩を掴む手に力を込めた。

「だからよ、俺のやり方で教えてもらうわ。いねえんだから仕方ねえよな?」

 わざとらしくため息をつき、反対の手で男の小指を握る。静かな山道に絶叫が響いた。



 年かさの男が語ったところでは、チャージュに拠点を構えるマンツィという交易商の指示で娘を攫おうとしたのだという。

 娘の父親は腕のいい装身具職人で、安く買っては各地の貴族や金持ちに高値で売って儲けさせてもらっていた。しかし最近になって人気に火が付き、マンツィ以外の交易商たちもこぞって彼の装身具を買い付けに来るようになった。


 せっかく掘り出し物の職人を見つけたというのに、これでは自分の儲けが減ってしまう。危機感を覚えたマンツィは独占契約を結ぼうとしたのだが、父親はどうしてもうんと言わない。そこで選んだ方法が、娘を人質にして契約を結ばせることだった。彼ら三人はそのために雇われたのだ。


「ふざけた野郎だ。他人をなんだと思ってやがる」

 六道は地面に唾を吐いた。今回失敗したからといって、それで諦めるようなたまでもないだろう。放っておく気にはなれなかった。


 六道は陽の氣を滾らせ、男の折れた右手の指五本を治した。顎をしゃくり、行けよと促す。

「……行っていいのか?」

 左手で右手をさすりながら、意外そうに男が言う。六道は頷いた。

「どう報告するかは好きにしな。ただし、お前らの刀と鞘は置いていってもらうぞ。スーリじゃ金が命綱だからな」

 それはつまり、武器を扱っている店があれば売り飛ばすということだ。男は泣きそうな顔になったが、六道が睨むと二人を起こして山道を登っていった。


 三人が充分離れると、六道は刀と鞘を回収してずだ袋に入れた。それから娘のところへ戻る。肝っ玉の太いドワーフといえどまだ若い娘、彼女が不安を隠して笑顔を作っているのがよくわかった。

「おじさん、ありがとね。じゃあ、あたいは戻るから」

 背を向けようとする娘に、六道は待ちなよと声をかけた。

「家に戻るんなら、案内してくれねえか。親父さんに話が聞きてえ」


 娘はきょとんとして六道を見上げた。

「え、でもおじさん、チャージュの方に行くんじゃないの?」

「なにも急ぎの旅じゃねえさ。例のマンツィって野郎、どうせまた仕掛けてくるだろう。だから俺を用心棒に雇いな」


 これは見過ごせないと思った六道が頼りがいのある声で言うと、娘の顔がぱっと明るくなった。じゃあよろしくね、と言って両手で六道の手を握る。

「あたいはね、ジオロイ村のドグトゴーンチ。チャトでもいいよ」

「ああ。よろしくな、チャト」

 それから六道も名乗ったが、チャトには言いにくいようで口の中で転がしている。

「リク? リックド? ……むぅ」

「なんだったらおじさんで構わねえぞ」


 これはおじさん呼びから逃れられないと悟った六道が無駄に優しい声で言うと、チャトは苦笑いでごめんねと言った。

「じゃ、村まで案内するからね」

 チャトの後について山道を下りながら、六道はこの土地でも悪党外道を斬ることになるだろうという昏い予感を抱いていた。

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