一の十五 六道、後始末をする

 上着カフタンを開いてドブジンの首を見せると、領主ディフカーンは小躍りせんばかりに喜び、護衛の男は顔を青ざめさせた。

「約束通り、持ってきやしたぜ」

 護衛の顔を見て見ぬふりして、大儀そうに六道は言った。役所に来る前に返り血にまみれた上着カフタンとズボンは買い替えたものの、全身の痛みはいかんともしがたい。しかし、話はきっちりつけなければ。それまでは倒れる訳にいかなかった。


「それと、これを」

 左腕に抱えていた紙の束を領主ディフカーンに差し出す。ランペルとオパチ父子の分を除いた、借金の証文やらいかがわしい店の経営許可証やらが揃っていた。

「うむ、よくやってくれた。これからすぐに奴の財産を回収するとしよう」

 書類を改め、領主ディフカーンは満足げに頷いた。手を叩いて部屋の外の兵士を呼び、指示を出していく。兵士は一瞬暗い喜びに満ちた笑顔を浮かべたが、すぐ元に戻ると六道に感謝の一礼をして出て行った。


「さすがに辛そうだな。部屋を用意させるゆえ、今日はゆっくり休んでいけ」

 六道に向き直ると、領主ディフカーンは労りを込めた声で言った。六道は薄く笑った。

「お心遣いはありがてえんですが、行かなきゃならねえ所があるもんで。お気持ちだけ頂いておきやす」

 痛む体に鞭打って立ち上がり、六道は領主ディフカーンに念押しした。

「証文に名前のある人たちのこと、くれぐれもお願いしやすよ。しばらくしたら、またこの町に来やすんでね。もしその時、身請けが進んでいなかったら……」

「皆まで言うな。安心せい」


 領主ディフカーンはきっぱりと頷いた。直後、何かを思い出したような顔になってにんまりと笑う。

「そういえば、昨日の帰り際に何やら言っておったな。お主も存外隅におけんのう」


 役所の門を出ると、雑踏のなかで右手から聞き覚えのある声がした。

「あ、来た! 旦那! こっちです!」

 声のした方を向くと、すぐ先でランペルが手を振っていた。驚くべきことに、その隣には定方がいるではないか。


 六道と目が合い、ランペルが深々と頭を下げた。

「本当に、本当にありがとうございました!」

「いや、それはいいんだけどよ……。 なんでお前ら一緒に……?」

 二人の目前まで歩きながら、少しばかり間の抜けた力のない声が六道の口から出た。もはや見慣れた仏頂面で定方が答える。

「あんたと別れた後、ランペルに会いに行ってな。詫びを入れさせてもらった。親分の指示だろうが、俺が片棒を担いだのは間違いないからな」

「律儀な奴だな……。で? 一緒にいるのは?」


 呆れ混じりに六道が言うと、ランペルが恥ずかしそうに頬を掻いた。

「旦那が戻ってきたら、一緒についてくつもりで準備してたんですよ。でも、その話をしたら定方さんに言われちゃって」

 苦笑いしながら、ちらりと定方を見る。定方もランペルを見てから後を続けた。

「今のお前では六道の足手まといにしかならん。その前に、旅に出て見聞を広めながら俺が鍛えてやる、とな」


 六道の口が半開きになり、驚きの息が出た。自分が知らないところで、まさかこんな関係が生まれていたとは。

「じゃあお前、家を出るつもりか」

「ええ。この次旦那に会う時は、強くなって堂々と胸を張れるように」

 ランペルは真っ直ぐに六道を見ている。六道の口元がほころんだ。

「まあでも、出るのは旦那の具合が良くなってからかなって。妹だけじゃなくて、俺も他の国の話とかもっと聞きたいですし」


 弟分ができたような感覚を覚え、六道はこういうのも悪くないかと思った。今すぐに徒党を組むことはないにせよ、近い将来そうなるかもという楽しみが生まれたようだった。

「だから、とりあえず戻りましょうよ。早く休んでもらわないと」

 帰ろうと促すランペルにすまんと言って、六道は町の西側を指差した。

「もう一ヶ所、今すぐ行っときてえ場所があるんだ。終わったらすぐに行く」


「え? いやでも、体……」

 心配そうに引き止めようとするランペルの腕を、定方が掴んだ。

「行かせてやれ。大事な相手がいるんだろ。……途中で倒れたりするんじゃないぞ」


 解ってるよ、と定方に応え、六道はオパチのいる曖昧宿を目指した。



 役所から真っ直ぐ西へ向かい、中央の大通りを越えて少し進むと、住宅街から繁華街へ入る。六道はそこから西の大通りへ出たが、まだ陽の高い現在は人通りも少なく、客を引く娘たちの姿も見えなかった。

 ――てことは、店の中かな。入れ違いにさえならなきゃいいか。


 通りを北上して首なし美人亭にたどり着き、中に入ると、はたしてそこにオパチがいた。客はまだおらず、一人で卓を拭いている。

「いらっしゃ……、え!? 六道さん!? 嘘!?」


 六道の姿を見たオパチの顔が、ぱっと明るくなった。拭き掃除の途中にもかかわらず駆け寄ってくるが、その足は途中で止まった。

「……顔色、ひどいですよ……? もしかして、私のせい、とか……」


 明るかった表情が、みるみるかげっていく。違うって、と六道は笑って手を振ったが、自分でも判るほど力のないものだった。

「今日は、姐さんと親父さんの証文持ってきたのさ。店の亭主おやじは奥かい?」


 オパチは急なことに理解が追いついていないようで、え? え? と目を白黒させている。それから慌てて、はいそうですと何度も首を縦に振った。

「そいつぁよかった。待っててくれな、もうすぐだから」

 六道は彼女を安心させようと笑いかけ、店の奥へと足を踏み入れた。


 普段は客が通ることのない、厨房脇の通路に堂々と入る。仕切り布の隣にある扉を開けると、二丈(4.6m)四方ほどの部屋になっていた。

 扉があったのは部屋の左隅で、右前方の床に敷かれた絨毯に三人のスーリ人が座っていた。一人は頭の薄くなった細身の老人。これが亭主だろう。他の二人は壮年と見え、隣に長剣を置いている。三人とも昼間から酒を飲みながら、干し葡萄か何かをつまんでいた。


「おやお客さん、厠はこっちじゃありませんよ」

 老人が人の良さそうな微笑を浮かべて言う。しかしドブジンと繋がりのある男、ただの好々爺ではあるまい。

「今日は客じゃねえんだ。オパチ姐さんの証文を持ってきた」


 ずだ袋から証文を取り出し、亭主に見せた。亭主の目が一瞬にして鋭いものに変わる。しかし一通り眺めると、まあいいでしょうとあっさり返してきた。

「格別売れっでもなし、親分さんと話がついてるならあたしが口を挟むことじゃない」

 そう言ってよっこらしょと立ち上がり、部屋を出て行った。残った二人は六道を気にすることなく談笑を続けている。


 ややあって、亭主が最初と同じ微笑を浮かべて戻ってきた。

「今、本人に話をしてきましたんでね。おっつけ私物の整理をして戻ってきますから、食堂の方でお待ちください。その間、何か注文していただければありがたいですが」


 悶着が起きなかったことに、六道は胸を撫で下ろした。暴走とも言えるほどに陰の氣を滾らせたせいで、体は陰陽の均衡を大きく崩し、もはや限界に近い。あの不幸せな女を少しでも早く自由の身にしてやりたい、ただその一念だけが今の六道を動かしていた。


「さっさと済ませてくれた礼に、いいことを教えてやるよ。そっちの二人も聞いときな」

「おや、何でしょうね」

 亭主に続けて、用心棒とおぼしき二人もこちらを見た。六道はにやりと笑って続ける。

「昼前にドブジンを斬った。今頃、領主ディフカーンの手勢が家捜ししてるだろうぜ。奴が金出してたこの店も領主ディフカーンの手に渡るだろうから、捕まる前にとんずらした方がいい」


 何を馬鹿な、と言いながらも、用心棒の腰が浮き、手が長剣に伸びる。亭主はやめなさい、と二人を止め、値踏みをする目で六道を見た。

「親分さんの屋敷で斬り合いがあったという報告は受けていますが、そうですか、あんたさんが。しかし、なぜそれをあたしらに言います? 黙って捕まえてお上に突き出せば、もっと金になるでしょうに」


 見損なってもらっちゃ困るぜ、と六道は厭な顔をした。

「理由は三つあるが、まず一つ。姐さんからは、この店に対する文句は聞いてねえ」

「ふむ」

「二つ。剣を向けられりゃ別として、俺が斬るつもりだったのはドブジンだけだ。奴と繋がりがあるからって、それだけで捕まえやしねえよ」

「……」

「三つ。何より、俺はお上のいぬになった覚えはねえし、なるつもりもねえ」


 六道は語気を強めて言った。亭主はふっと笑い、ゆっくり頷く。ただそれだけの動作だったが、六道よりも遙かに長い間世間の裏道を歩いてきた者の凄みがあった。

「よく解りました。幸い今は客もいない。看板を下ろして、さっさと逃げさせてもらうとしましょうか」

「元締、娘たちは……」

 用心棒の片方が尋ねた。亭主は顎をなで、仕方ないと呟いた。

「あの子たちには、お役人が来るという話をして、それまで部屋にいてもらいましょう。まさか彼女らを放置して、あたしらを追いかけはしますまい」


 亭主が用心棒に指示を出すと、二人は急ぎ足に部屋を出て行った。それからゆっくりと六道を振り返る。

「あんたさんには、借りができてしまいましたな。今後生きて会うことがあったら、今日の礼はさせてもらいますよ」

 期待してるぜ、と左手を上げて亭主に答え、六道も部屋を出た。


 片付けに追われる厨房を横目に食堂に戻ると、ちょうど背嚢を背負ったオパチが階段を下りてくるところだった。

「荷物は、それで全部かい?」

 オパチが頷くと、じゃあ後は実家だな、これで最後だ、と言って六道は閉じられた入口の扉を開けた。


 オパチの実家は、バザールの東、商店の建ち並ぶ区域にあるという。彼女は緊張の面持ちで隣を歩いていたが、途中で何度も心配そうに六道の顔色を窺った。六道はそのたび、大丈夫だから心配するなと空元気で頷いた。


「ずっと考えてたんですけど、今住んでいるのって、どういう人たちなんでしょう? 普通の家族だったりしたら……」

 目と鼻の先まで来て、オパチがぽつりと呟く。その可能性は六道も考えた。父親の証文が残っていたということは、売り飛ばすより貸して家賃を取っている可能性が高い。いずれにしても、その相手がドブジンと直接の繋がりはない一般人だとしたら。六道たちは、いきなりやって来て住む家を奪うことになってしまう。

「その時は、俺が憎まれ役になるさ。姐さんは心配いらねえ」

 自分に言い聞かせるように、六道は強く言った。


 幸いなことに、懸念は現実にはならなかった。玄関は開け放たれ、中から人の気配もしない。中に入ってみたが、客間とおぼしき部屋の暖炉には薪が残されていた。

 ――俺が奴を斬った後、この短時間で荷造りしたとしか思えねえな。


 ドブジンの手下てかで生き残っているのは、賭場の差配役以外にも何人かはいるはずだ。おそらくそのうちの誰かが使っていたのだろう。身一つならまだしも、家族と住んでいたのなら、相当な手際の良さだ。


「ま、何事もなくて良かったじゃねえか」

 六道が言うと、オパチもそうですねと安堵の息を吐いた。

「でも……」

「どうした? 何か気になるか?」


 オパチが口ごもり、下を向く。六道は首をかしげた。

「この家に私一人だと、ちょっと広すぎます。それに、いろいろと思い出して、辛くなっちゃいそうで」

 振り絞るように言い、オパチは顔を上げ六道を見た。その瞳が一緒に住んでと訴えている。


 六道も、俺だって気持ちは同じだと目で語った。その上でゆっくりと首を振る。

 死んだ女房アフラシアとよく似た、癒しの気をまとった女。彼女と所帯を持てるならきっと幸せに違いない。しかし、悪党どもを地獄の道連れにするという生き方を変えるつもりはない。ならば、いつか再び恨みの連鎖に巻き込まれる日が来るだろう。


 どうして、と彼女は訊かなかった。顔を背け、指で目尻を拭う。陰の氣を滾らせた時よりもよほど胸が痛んだ。

 オパチはすぐに顔を戻し、寂しげに微笑んだ。

「じゃあ、土地を半分売って、それで新しく小料理屋やります。本当は、この家で二人でしたかったんですけど」


 六道は内心ですまねえと詫びた。重い息を吐き、ずだ袋から小さい布の袋を取り出す。そのまた中から、赤青緑三つの宝石を取り出した。

「解体費用に新築費用。それから商売の元手。土地半分の値段じゃ足りねえだろ。いい値で売れるはずだから、こいつで足しにしてくれ」

 オパチは目を丸くして、慌てて手を振った。

「そんな。ここまでしていただいた上に、これ以上なんていただけませんよ」

「いいから。店始めたって、すぐ繁盛するとは限らねえんだし、あって困るもんじゃねえだろ?」


 六道はオパチの手を取り、強引に宝石を握らせた。さすがに彼女もそれ以上は言わず、受け取ると深く頭を下げた。

「またこの町に来る時は、私のお店にも寄ってくださいね。腕によりをかけてごちそうしますから」

「ああ。いずれ適当なところで様子を見に来るつもりだから、その時にな」


 六道が答えると、オパチは六道の袖を握って不満そうに唇をとがらせた。

「まさかとは思いますけど、その一度だけで終わりにはしませんよね? できれば半年、せめて年に一度は顔を見せてくれないと」

 六道は強引さに苦笑いして、努力はするよと言った。年に一度、墓参りのためにセレスへ戻っているのだが、これからは道中の余裕が少し減るかもしれない。

 ――ま、全部自分で選んだことだからな。


「名残は惜しいが、ひとまずはこれで、だな。……達者でな」

「はい。六道さんもお元気で」

 湿っぽい別れにはしたくない。相手に笑顔の記憶を残してもらうために、六道は力強く笑った。彼女もきっと同じ気持ちだったろう。



 六道はオパチの家を出て、町の西門をくぐった。ポプラ林を通り抜けると、収穫前の麦畑が傾きかけた太陽に照らされて輝いて見える。失い、捨ててきたものたちへの懐かしさが、胸の奥で少しだけ痛んだ。

 北の山々から吹き下ろす冷たい風が、音を立てて通り過ぎる。六道は長衣デールの襟を立て、残された力で一歩々々ドワーフ街へと歩いていった。


 畑の脇を、人間とコボルト、それからゴブリンの子供たちがはしゃぎながら走っていく。

 どこか遠くで、鳶が鳴いていた。

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