一の十三 六道、賭場へ乗り込む(後)

 中央の絨毯を挟み、奥側の長辺に片肌脱ぎになった定方、出入口側に六道が共に片膝立ちで座っている。定方の肌があらわになった部分は筋肉が大きく盛り上がり、またいくつもの金瘡が浮かび上がっていた。つくづくゴブリンの異端といえる男である。

 定方の背後には、いかにも頑丈そうな鉄製の金庫と、六道の曲刀および首飾りが並べられていた。その隣には先日の差配役が立っており、ドブジンは先刻同様奥の壁際に座っている。


「証文はこの中に全部ある。神かけてごまかしはしねえ」

 ドブジンはそう言ったが、六道は鵜呑みにしていない。もっとも、勝負が終わってドブジンを斬った後に役人が家捜しをするのだから、その時真面目にやってさえもらえばいいことだ。


 定方は右手の人差し指と中指の間に賽子さいころを挟み、左手に円筒を持っている。右手の薬指と小指は折り畳まれ、六道の位置からは陰になって見えない。

 ――奴のいかさまは、おそらくすり替えだ。あの裏側に、もう一組仕込んであるはず。

 六道はそう見当をつけていた。


「お客人、準備はよござんすか」

 低い声で定方が尋ねる。ああと六道が頷くと、定方は両腕を水平に上げた。右の掌と筒の内側が見えるように向け、ゆっくりと左右に動かす。これは、いかさまはしておりません、お疑いならどうぞご覧くださいという振り手からの意思表示である。

 しかし腕利きのいかさま師は素人に見破られるような仕込み方はしないし、動かし方ひとつで客の視線を筒に誘導して右掌から意識を逸らさせる業に長けている。


 だから六道はあえて定方の手に乗りに行った。目で筒の動きを追い、引っ掛かったと思わせるために。

 両者の間の空気に、徐々に緊張が満ちていく。それを察したか、周囲で賭場の準備をしていた手下てかたちも足を止めて見入っていた。

 六道の額に、背中に汗が流れる。呼吸がわずかに乱れ、半ば無意識に唾を飲み込む。真正面の定方も同様と見えて、額から顎へと汗が一筋伝って落ちた。


 長い。

 普段の勝負なら到底あり得ない長い時間、定方は腕を動かし続けていた。そして六道はそれを追い続けている。まさに達人同士の睨み合いだった。勝負は一瞬、先に気の緩んだ方が負ける。


 ついに定方が動いた。両腕をやや広げ、一瞬で交差させる。

 その瞬間こそ、六道が待っていたものだった。床が爆発したかのような轟音とともに、六道は猛烈な砂嵐カラ・ブランのように飛びかかった。


 筒がからからと乾いた音を立てるのと同時に、目にもとまらぬ六道の手刀が定方の右腕を叩き折った。さしもの定方も、ぐわっと叫んで腕を抱える。右手から賽子が二つこぼれ落ち、遅れて落ちた筒からも賽子が転がり出た。


「野郎! 何て真似しやがる!」

 あまりのことに誰一人動けない中、ドブジンがいち早く立ち上がって叫んだ。しかし六道は悠然と四つの賽子を拾い、両手に二個ずつ持って見せつけた。


「マシュカーズラは、いったいいつから賽子を四つ使うようになったんだ? え?」

 どすを効かせて六道が言うと、ドブジンは言葉に詰まった。むき出しの歯を食いしばり、六道を睨みつけているのみである。

「親分、みっともねえ真似はおよしなせえ」

 定方が立ち上がり、ドブジンに向かって言った。額には脂汗が浮き、声も力を失っていた。

「仕掛けたサマを見破られたら負け。それがあっしら博打打ちの掟でしょう」


 ドブジンは何も言えず、ただ唸るばかりである。

「親分の任せた振り手が負けを認めたんだ。証文は約束通り貰ってくぜ」

「……くそが! 勝手にしやがれ!」

 六道が言うと、ドブジンは獅子が吼えるような声で吐き捨てた。


 差配役に金庫を開けさせ、中身をずだ袋の中に放り込んだ六道が帰ろうとすると、背中で定方の声がした。

「お客人、お待ちなせえ。まだ片はついちゃおりやせんぜ」

 振り向くと、片膝立ちの定方が床に右手を広げていた。前腕の折れた箇所が痛々しく腫れ上がっている。


「いかさま師がサマ使って負けたんだ、けじめはつけなきゃいけねえでしょう」

 見破られたいかさま師は、けじめとして利き手の指を詰められるものだ。定方は、六道にもそうしろと言っているのだった。


 定方は、折れていない左手で一本の短刀を体の前に置いた。

「さ、あっしの右手、お好きなようにしてやっておくんなさい」

 六道は一瞬ためらった。標的はあくまでもドブジン一人である。手下てかどもは、言ってみれば凶手の振るう刃にすぎない。必要以上に痛めつける気はなかった。


 しかし定方は六道の事情など知らない。せいぜい、ランペルに同情して挑戦しに来た程度の認識だろう。彼からすれば、今日のことは負ける訳にいかない勝負の一つであって、それ以上でも以下でもないのだ。

 ならば、自分はその気持ちを汲むべきではないか。何もしないのはかえって侮辱になるのではないかと思った。


 六道は引き返し、短刀を手に取ると引き抜いた。よく手入れされているが、消しきれない血の曇りが亡霊のごとく絡みついているようにも感じられた。

「……お前さんの場合、どの指が肝なんだ?」

「あっしにゃどの指も大事ですが、あえて言うなら薬指でしょうか」

 そうか、と六道は呟き、逆手に握った短刀を薬指の第一関節に押し当てた。即座に拳槌で柄頭を打ち抜く。


 薬指の先が飛んだ。定方が呻き、右手を抱きかかえるように体を丸める。すぐに六道は陽の氣を滾らせ、定方の出血と骨折を同時に治した。

「この暖かさは……、魔法、いや氣功術? しかしなぜあっしを?」

 珍しく意外そうな顔を見せた定方に、六道は笑って答えた。

「ランペルが証文作らされた時に賽子を振ったのはお前さんなんだろうが、それはドブジンの指示だろ? なら恨む筋合いはねえやな」


 定方は目を閉じ、深く頭を下げた。

「……かっちけねえ。この石震せきしんあざなを定方、以後旦那に刃を向けることはねえと誓いやしょう」

 大げさだな、と苦笑いした六道の脳裏に、ふとひらめく名前があった。

「思い出したぜ。“寒骨魔手かんこつましゅ”の石定方か。セレスじゃ音に聞こえた凄腕だ」


 いくらか呆然として六道が言うと、定方は口の中で含むように笑った。

「向こうでいろいろありやしてね。セレスからどこへ行こうかと思っていたところ、“青い雄牛グフ・ブカ”の親分がスーリへ行くと聞いてご一緒させて貰ったんでさ」


 なるほどな、と六道は言った。

「それなりに長い付き合いってのは解ったが、それも今日までにした方がいいな」

「え? そいつぁなぜです?」

「お前さんとこの親分は、指を詰められたいかさま師を温情で飼っておいてくれるようなお人かい?」


 定方ははっとなって振り向いた。ドブジンは口こそ閉じているものの、眉は吊り上がっている。

「俺の許しもなく勝手な真似しやがって。そんなに博打打ちの矜持が大事か。だったら詰めた指と一緒に持ってここから失せろ」


 呪うような声だった。定方は短刀を懐にしまって立ち上がり、お世話になりやしたと頭を下げた。六道はふんと鼻を鳴らし、ずだ袋を担いで出入口へと向かった。

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