一の十二 六道、賭場へ乗り込む(前)

 ドブジンの屋敷の門は閉ざされており、八尺棒を持った恰幅のいい中年のスーリ人が門番として立っていた。まだ賭場は開かれていないが、壁越しに背の高い木が何本も見える庭からは人の足音と声がいくつも聞こえてくる。


 六道は門番に歩み寄り、声を掛けた。

「そっちの親分とサシで勝負する予定なんだよ。開けてくれや」

「親分と? そんな話は聞いてねえんだがなぁ」

 門番が一瞬戸惑い、すぐに胡乱な目を向けてきた。

「そりゃそうだ。昨日俺が決めたんだからな。許可を求めるつもりもねえ」

「あぁ? 馬鹿かこの野郎、見逃してやるからさっさと消えろ」


 舌打ちをして、門番が六道の肩を突く。六道は腕が戻る前に手首を掴んだ。

「お前がさっさと開けろ。あの野郎の手下てかに手加減してやる義理なんぞねえんだよ」

 握る手首に力と殺気を込めて六道が言う。少しばかり荒々しい気持ちになっていた。


 門番の顔が歪み、苦痛の呻きが漏れる。慌てて反対の手から八尺棒を離し、握られている部分を叩いた。

「わかった、わかったから手を離せ。開けてやるから」

 手を離すと、門番は忌々しげに舌打ちをして門を押し開けた。体を張って怪しい奴を防ごうとするほどの忠誠心はないようだ、と六道は思った。


 六道が敷地に入ると、ちょうど近くをまだ若い手下てかが通った。門番は彼に親分の客人だとさと告げると、再び門を閉めた。閉まる直前、何やらほくそ笑んだように見えたが、六道は気付かないふりをした。

 若い手下てかに案内され、六道は賭場へと歩いていく。庭の木々が風に吹かれ、さわさわと葉ずれの音を立てた。

「親分は、もう賭場の方に来てるのかい」

「ええ。朝からそりゃもうご機嫌で」


 口数の少ない男と見えて、六道の問いに振り向いてそれだけ言うとまた前を向いて歩いていく。ドブジンの機嫌がいいというのは、ランペルの家の財産と母娘が手に入るからだろう。しかしこの手下てかに警戒する様子が見えないことから察するに、彼はその理由を客人、つまり六道が来るからだと思ったようだった。


 賭場の入口まで来ると、若い手下てかはそのまま入っていった。六道も距離を置いて入る。五丈(11.5m)四方ほどの大部屋の中には準備をしている手下てかが数人いるだけで、一昨日よりもはるかに広く見えた。

 部屋の中央にはすでに大きな絨毯が敷かれており、その向こう、反対側の壁際に敷かれた絨毯の上にドブジンが座っていた。隣に置いた酒壺から手酌で脚付杯に注ぐ様子は、ここからでも楽しそうに見える。


 若い手下てかはドブジンの前まで行くと、片膝を付いて頭を下げた。

「親分、お客人がお見えになりやした」

「……客人? 俺にか?」

 ドブジンが訝しむ。手下てかの方も、ええ……と歯切れ悪く答えた。振り返った顔に、困惑の色がありありと見える。


「俺だよ、俺俺。なんつってな」

 唇の端を歪めて笑い、六道は大股に近づいていった。さすがのドブジンも、驚愕に目を見開く。しかしそれはすぐに、怒りの表情へと変わった。

「てめえ! 昼間っから化けて出やがったか!」

「馬鹿言え。ちゃんと足音するだろうが」

 六道は大きく床を踏み鳴らした。


「どういうこった……。実は刺さってなかったとでもいうのか……」

 理解できないという顔をするドブジンに、六道はゆっくりと首を振った。

「いや、間違いなく刺さったさ。見張りがいる以上、何か細工できるような時間もなかったからな」

「だったら、なんで生きてやがるんだよてめえはよ」


 ドブジンの声に、自身の理解を超える出来事に対する怒りが混じってきた。六道はふふんと微笑して胸を張る。

「お前も氣功術者だってのは聞いたが、お前にゃできねえ奥の手ってのがあるんだよ」

「まさか……? いや、そんな訳がねえ。そうそう都合よくいてたまるか」


 自分に言い聞かせるようにドブジンが言う。六道はひらひらと手を振った。

「生きてた理由なんぞ、どうでもいいじゃねえか。それよりよ、俺とサシの勝負しようや」

「あぁ? サシの勝負だと?」

「そうさ。お前のところにある証文全部、それと奴隷たちの権利書を賭けてな」


 ついにドブジンの顔が真っ赤になった。残っている酒が飛び散るのも構わず、杯を床に叩きつける。

「舐めた口利くのも大概にしやがれ! 全部合わせりゃいくらになると思ってんだ! てめえの首がいくつあったって足んねえぞ!」

 そうだろうな、と六道は言った。だからまずはこいつだ、と曲刀の鞘を叩く。

「こいつは、バベイラの大荒山こうざんの奥深く、シャンドゥートの隠れ里で鍛えられた逸品だ。負けたら、俺の首と一緒にくれてやるよ」


 六道は曲刀を半分ほど抜いた。刀身の輝きを見たドブジンの目の色が変わる。

「てめえ、なんだってそんなもん……」

「それとだ。瑠璃ヴィルーリヤの首飾り、こいつもくれてやる。売る相手は間違えんなよ」

 ドブジンの問いかけを無視して六道は続けた。死んだ女房の形見である首飾り。瑠璃ヴィルーリヤは希少な宝石であり、多少の金を使って再びビーズで飾れば交易商や好事家に高く売れることだろう。


「まだ足りねえか? だったら……」

「いや、もういい」

 続けようとする六道を、ドブジンが手で制した。怒りは収まりきっていないようだが、頭に上った血は下がっているように見える。


「俺が勝ったら、おめえ、俺の手下てかになれ。もちろん刀と首飾りは貰うがな」

「んだと? そんな真似が……」

 できる訳ねえだろうが、と言いかけて六道は止めた。

 負けて悪党に膝を屈するくらいなら、即座に自害した方がましだ。しかし、立場はこちらが明らかに弱い。勝負の場に引っ張り出すためには、今は認めるしかないだろう。


「……いや、わかった。負けたら手下てかになってやるよ」

 六道が承知すると、ドブジンは満足げに頷き、隣の食堂に向かって声を張り上げた。

定方ていほう! こっち来い! おめえが賽子さいころ振れ!」

 それはスーリ語ではなく、東方騎馬民族トゥルグスたちが使う言葉の一つ、ガルハ語だった。考えてみりゃドブジンて名前からしてガルハ系だったか、と六道は顎を撫でた。


 やがて食堂の出入口から、一人のゴブリンが姿を見せた。見覚えのある傷だらけの仏頂面は、紛れもなくあの振り手だった。

 ――ゴブリンで名前がていほう……。はて、昔どっかで聞いたような……?

 思い出そうとする六道には目もくれず、定方はドブジンに尋ねた。

「どうしたってんです親分。あっしの出番どころか、まだ始まってさえいねえでしょう」


 外見同様、ゴブリンとは思えないほどに野太くまた冷静さを感じさせる声だった。

 ドブジンが説明すると、定方は六道を見てかすかに眉を動かした。

「……そうですかい。こちらのお客人が。……なら、手を抜けば死ぬな」

 定方は、六道に向けて凄まじいまでの剣気を放ってきた。それは、真剣を抜いた達人のものと全く変わらなかった。そこに邪念の類は一切見えない。


 ――やっぱり、俺の見立てに間違いはなかったな。なら、受け流すのは失礼ってもんだ。

 六道も、定方に勝るとも劣らぬ剣気を真っ向からぶつけた。どちらからともなく、凶暴な微笑みが口元に浮かぶ。

 剣呑な空気に周囲が凍りつく中、ドブジンだけが愉快そうに手を叩いていた。

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