一の十一 六道、ランペルを見て思う所有り

 役所の隅にある地下牢は、土を掘って作られただけの簡素なものだった。大人が二人並べる程度の幅の通路がまっすぐ延びており、左右にいくつかずつある房とは鉄格子で仕切られている。


 六道は牢への階段を下りていく。日がそれほど高く昇っていない時間であるから、地下はむしろ暖かく感じる。

 土の壁に足音が響く。底まで下りると、奥の壁に燭台と蝋燭が見えた。その手前にスーリ人の若い男がおり、足元にたった今までくるまっていたであろう毛布が落ちている。短剣の柄に手を掛け、いつでも抜けるようにしていた。牢役人よりもよほど修羅場慣れした雰囲気の男だった。


「ここは今貸し切りなんだ。何の用だか知らねえが失せな」

 凄んでくる声が反響する。知ってるよ、と六道は答えた。

「ランペルを引き取りに来た。お前には半日ほど寝ててもらおうか」

 男はふんと鼻を鳴らすと、短剣を抜いて無造作に歩いてきた。だが素人の足運びではない。ドブジンか振り手に鍛えられたのだろう。


 男が鋭く短剣を突き出す。六道はそれを躱し、遙かに鋭い裏拳で顎先をかすめた。ぐにゃりと男の体が崩れ落ちる。

「俺が行くより先に連絡つなぎを取られたかねえんでな。駄目押しさせてもらうぜ」


 六道は息を吸い、体内の陽の氣ではなく陰の氣を滾らせた。体が内臓から冷えていく感覚がし、全身の皮膚がひりひりと痛みだす。しかし構わずに男の肩に手を当て、陽の氣と繋いだ。

 陰の氣を送られた男の体が小さく跳ね、ごろんと床に転がった。これでいいだろう、と短剣を取り上げて奥に進む。


 一番奥の房にランペルはいた。薄暗がりの中、呆然とこちらを見ている。

「すまなかったな、夜のうちに来られなくてよ」

 六道が詫びると、ランペルの口から絞り出すような声が出た。

「旦那……? 本当に……? 生きて……」

「だから方策があるって言ったろ? まあその辺の話は後だ。さっさと出るぞ」


 六道が言うと、ランペルは見張りの方を見た。

「あいつ、鍵持ってるのかな」

 六道は鼻で笑い、探す時間が勿体ねえよと言って曲刀の柄に手を掛けた。


 六道が脚を開き、軽く腰を落とすやいなや、光が二度きらめいてかちりと小さな音がした。体を戻して両手で一本ずつ鉄格子を握ると、それらは音もなくするりと外れた。さらに二本外し、充分に通れる隙間を作る。


 中に入ると、ランペルの姿がはっきりと見えた。今度は右目の周りが腫れ上がっている。ドブジンだけでなく、手下てかどもが連れてくる際につけられた傷が見えない部分にもあるはずだ。六道は気の毒そうにため息をつき、陽の氣を滾らせて怪我を治した。想像通り、衣服の下もずいぶんと殴られ蹴られたようだった。


 ランペルは俯いている。ほら出るぞ、と六道が言うと、ランペルは弱々しく口を開いた。

「どうして……、助けてくれるんですか」

「んん? どうしても何も、最初はなっからそういう話だろうよ。特にお前の家族には、一宿一飯の恩があるしな」

 いったい何を言いだすのかと、六道は首を捻った。頭でも打ったかな。そんな感じはしなかったんだが。


「でも、俺、旦那を殺そうとしたのに……」

 自責の念からか消え入りそうな声になるランペルに、六道は優しく言った。ランペルの目から、大粒の涙がこぼれる。嗚咽を必死にこらえ、荒い呼吸と鼻をすする音が哀れでならなかった。六道はランペルの頭を抱くように腕を回した。


「お前は頑張った。充分戦った。ここから先は、俺に任せとけ」

 堰を切ったように、ランペルが号泣した。ひたすらに詫び続けている間、六道はずっと背中をさすっていた。


 ランペルが落ち着くのを待って、六道は彼を伴い地下牢を出た。

 牢は役所の裏手、外壁の隅近くにある。自分が外から忍び込むだけならともかく、助けた後誰にも見つかることなく内城から出るのは無理だ。そのため、六道は事前に身元引受人として役所へ話を通していた。なにぶん種族すら違う赤の他人であるから、多少の袖の下を渡す必要はあったが。


 門番に軽く手を挙げて内城を出たところで、ランペルが不安そうに口を開いた。

「これから、どうするんです?」

「まずは家に戻らねえとな。皆に無事な顔を見せてやれ」

 六道は労りを込めて言った。


 昨日、六道が九死に一生を得てランペルの家に戻った時、幸いなことに門番は六道の匂いを覚えてくれていた。すぐにイピロスを呼んでもらい、客間で状況を説明したが、門の閉まる時間まで待ってもランペルは戻らなかった。

 ドブジンに捕らえられたと判断した六道は、今夜の宿を捜すべくお暇しようとした。しかし六道の憔悴ぶりはイピロスの目にも見えたようで、強く引き留められた。さらに母親と妹への説明も買って出てくれたとあって、六道は深く感謝した。


 一晩体を休めたことで、六道の氣は体感で六割から七割ほど回復していた。朝になり城門が開くと、イピロスに感謝の言葉を述べてセルードへ向かった。

 途中で、農作業中の老人に絡む二人組を見かけたので割って入った。最初はその辺のごろつきかと思ったのだが、息子の借金がどうこう言っていたことからドブジンの手下てかの可能性が高いと判断した。二人まとめて捻ってから尋ねるとやはりその通りで、聞けば適当な罪をでっちあげてランペルを役所の地下牢へ入れたのだという。

 六道は彼らにも深く感謝し、失神させてから先程の見張りと同じように陰の氣を送って茂みの奥に転がした。


「いやあ、あいつらのおかげで時間を無駄にしなくて良かったぜ」

 北門へ向かう通りを歩きながら六道は笑ったが、ランペルの表情は晴れない。まだ気にしてんのか、と言おうとした矢先、ランペルが通りの左手を見ていることに気がついた。


 視線を追うと、ミフル神の神殿がそこに建っていた。ミフル神はファルシスからスーリ周辺にかけて信仰されている神々の一柱で、光と法をつかさどっている。

「何だよ、あれが気になんのか?」

 六道が言うと、ランペルは唇を噛んだ。

「旦那、少しだけ時間を貰えませんか。帰る前に懺悔させてください」


 あまりに突拍子もない申し出に、はぁ!? と間の抜けた声が六道の口から出た。

「懺悔ってお前……、なんでまたいきなり」

「だって、旦那は善意で助けてくれてるのに、俺は足引っ張ってばっかりで……。これじゃ、旦那にも家族にも合わせる顔がないですよ」


 ――俺は気にしてねえんだけどな。だが、家族に対してはそうかもしれん。

 そう考えた六道は、わかったよ、行ってきな、と言った。ランペルが深々と頭を下げてミフル神殿へと向かう。その背中を見ながら、六道は小さなため息をついた。


 ――迂闊さがあったとはいえ、あいつは被害者だ。本当に懺悔しなけりゃならねえ奴は誰だよ。それこそドブジンや俺みてえな、生きてても仕方のねえろくでなしだろうが。なのに被害者が懺悔して、ろくでなしがのうのうと生きてやがる。おかしいじゃねえか。


 六道は顔をしかめて長い息を吐いた。世の中は理不尽であふれている。神々がこの世を創ったのなら、この理不尽も彼らの意図したものなのか。だとしたらなぜ?


 頭の中の問いを打ち消そうと、ゆっくり首を振る。今はそんなことを考えている場合ではない。

 地下牢の見張り役はともかく、町の外で会った方は遅かれ早かれ戻らないのを不審に思われるだろう。なんなら、二人を捜すにあたって牢の方に誰かが呼び戻しに行くこともあり得る。そうなれば、間違いなくランペルの家に押しかけられるだろう。だからそうなる前、警戒される前に乗り込まねばならない。


 考えていると、ランペルが戻ってきた。晴れ晴れとした表情とまではいかないが、鬱々としたものはなくなっている。自分の中である程度気持ちの整理はついたようだった。

「もういいか?」

 六道が訊くと、ランペルははっきりと頷いた。


 足早にセルードを出てドワーフ街へ戻り、家に帰ると、イピロスがすぐに出てきた。一発くらい叩かれるかと思ったが、ただ黙ってランペルを抱きしめただけだった。

「……いろいろ言いたいことはあるが、無事で良かった」

「旦那のおかげだよ、全部」

「そうか。……六道さん、弟を無事に連れ帰ってくださったこと、心から感謝します」

 ランペルから手を離し、深く頭を下げるイピロスの目尻に、涙が見えた気がした。


 六道はイピロスの頭を上げさせると、諭すように言った。

「兄さん、ドブジンの野郎はまだ生きてる。もたもたしてたら、ここに来ちまうかもしれやせん。俺はこれから奴のところに行ってきます。感謝は戻ってからってことで」

 イピロスは微笑し、よろしくお願いしますとまた頭を下げた。


 六道が玄関を出ようとすると、ランペルが尋ねてきた。

「旦那、具合は大丈夫なんですか? あんな猛毒、いくらなんでも……」

「大丈夫だよ。心配すんなって」

 ランペルに気を遣わせないよう六道は努めて明るく言ったが、ランペルはそれで退かなかった。

「旦那は、氣を送って俺の怪我を治してくれましたよね。逆に、俺の氣を使って旦那を元気にすることってできないんですか?」


 予想もしていなかった質問を受け、六道は目を丸くした。

「そいつぁ……、考えたこともなかったな。昔から今まで、氣功術者なんて何千何万といたんだろうし、試した奴もそりゃあいるんだろうが……」

「なら、旦那も試してください。俺だって、何か役に立ちたいんです」

 ランペルは真剣な目でこちらを見てくる。その気持ちを無下にはできないと六道は思った。


「わかったよ。お前の気持ち、ありがたく受け取らせてもらう」

 六道は息を吸って陽の氣を滾らせ、ランペルの氣と繋いだ。本来であれば自分の氣を送って相手を癒やすのだが、今回は流れを調節して逆に氣を貰うことになる。

 ――やるつもりになれば、そう難しくもねえが……。あまり効率は良くなさそうだ。


 六道はほんの少しだけ、ランペルからの氣を受け取った。

 もしもこのやり方が「使える」ものなら、氣功術者の間でとっくに広まっていたはず。これまで噂に聞いたことすらなかったというのは、結局はそういうことなのだろう。


「旦那、もういいんですか? 俺、全然疲れてませんけど」

「ああ。充分受け取った。これで百人力だ」

 六道は力強く微笑んでみせた。ずだ袋を担いで玄関を出ると、ドブジンの屋敷を目指し翔ぶように駆けていった。

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