一の十 ランペル、再びドブジンの屋敷へ

 ドブジンの屋敷に駆け込んで再び離れに通される頃には、ランペルの興奮はすっかり冷め切っていた。代わりに、親身になってくれた相手を自分は殺してしまったのではないかという後悔が胸を押しつぶしている。


(安心しろ。俺は氣功術者だ、助かる方策もなしにこんな真似しねえよ)

 六道の言葉が脳裏に蘇る。だが、あれは背中を押すための方便だったんじゃないのか。方策なんて、そんなもの最初からありはしないんじゃないのか。

 そう思えてならず、ランペルは胡座のまま己の無力さに唇を噛んだ。


 目の前には、午前中と同様にドブジンが床に腰を下ろしている。周囲には、やはり同じように手下てしたの人間が四人くつろいでいた。


「聞いたぜ。おめえ、あの野郎と知り合いだったのか」

 ドブジンが嫌味な笑いを浮かべて言う。ランペルは無言で頷いた。今更とぼけたところで意味などないし、それだけの気力もなかった。

「てことは、怪我を治したのもあいつか?」

 ランペルはまた頷いた。

「そうか。野郎、氣功術者だったか。殺したのは勿体なかったな」


 ドブジンが真顔になって舌打ちをすると、手下てしたの一人が体を起こして尋ねた。

「親分。ってことは、毒を盛っても親分みてえに自力で治されちまうんじゃあねえんですかい?」

 ドブジンは首を振り、にやりと笑った。

「おめえの認識は間違っちゃいねえが、まだ理解が足りねえな」


「と、言いますと?」

「毒に限らず、怪我や病気も自分てめえで治せはするが、他人を治すほど簡単にゃいかねえ。それなりに時間はかかっちまう。それがたとえ、風や水の流れから天地の氣の変化を察するほどに優れた術者でもな」


 ドブジンは鞘に収められた短剣をぽんと叩いた。笑顔が凶悪なものに変わる。

「万が一、奴が俺と同等の術者だったとしても、人間じゃ治るよりくたばる方が先だ」

「やっぱり、そうなのか」

 ランペルは呟いた。それが聞こえたのだろう、ドブジンは面白くなさそうな顔をした。


「ま、助かる方法がなくもねえぞ。万が一どころか億が一だがな」

 ランペルは目を見開き、立ち上がらんばかりの勢いで食いついた。

「本当か!? どうすればいいんだ!?」

「天地を巡る膨大な氣を、自分てめえの氣と繋ぐんだよ。そのあまりにも馬鹿でけえ力で、強引に体を浄化するのさ」

 ドブジンは両腕を大きく広げて言った。ランペルの口から安堵の息が漏れる。

「そっか。方法あるんだ……。よかった……」


 安心して涙声になったランペルを、ドブジンが小馬鹿にしたように嗤った。

「億が一って言ったろうが。そいつはな、俺ぐれえ優秀な術者ではじめて挑戦を許されるような、危ねえ代物だ。俺は繋いだ瞬間やべえと思って止めたから助かったが、無理に耐えて操ろうとした連中は、俺の知る限り全員廃人になっちまった」

「そんな……」

「なにせ、制御して多少なりとも扱うことができりゃ、それこそ氣功術者の歴史に名前が残るってくれえのもんだからな」


 ランペルの体から力が抜けていく。やはり、あの旦那は身を捨てて俺たちを助けようとしてくれたのだ。もはやその恩を返す術もないことに、胸が激しく痛んだ。


「さて、俺に楯突く奴も消えたことだし、約束通り返済は明日まで待ってやるぜ」

 ランペルは耳を疑った。この男の言うことを鵜呑みにしてはいなかったが、ここまで来て結局は振り出しに戻ってしまうのか。ならば、あの旦那の気持ちはどうなるのか。

「話が違う! さっきは、借金をチャラにって言ってただろ!」

「あぁ? そうだったか? 

 耳をほじりながら、面倒くさそうにドブジンは言う。ランペルは拳を握りしめた。不穏な気配を察し、手下てしたたちが腰を浮かせる。


「ところでランペル、おめえのお袋、ありゃいい女だよな」

 急に、ドブジンが顔をにやけさせて言った。ランペルの背中に、冷たい汗が流れる。

「お袋!? 俺の家族なんていつ知った!?」

「おめえが勝ち分を戻してくれてた頃さ。もし金回りのよさそうな家なら、いい鴨にできそうだと思ってな」


 ――そんな前から、準備していたのか。

 ランペルは自分の顔が青ざめていくのがわかった。ドブジンの下衆なにやけ笑いがますます歪んでいく。

「俺はああいうお上品な熟女をかせるのが大好きでな。売り飛ばすまで、しばらくの間はかわいがってやってもいい。娘の方は小便臭えが、それがいいって奴もいるからな。需要と供給、まったくありがてえこった」


 ――駄目だ。そんなの絶対駄目だ。もう旦那はいない、俺が守らなきゃいけないんだ。

 ランペルは吼え、ドブジンに飛びかかった。手下てしたたちが割って入り、ランペルを押さえつけようとする。

 ランペルはそれを力で振りほどいた。ほう、とドブジンの口から感嘆の声が出る。歯を食いしばり、荒い息を吐きながら、再び殴りかかった。


 しかし、その拳はあっさりとドブジンの手に捉えられた。ドワーフの馬鹿力で握られ、ランペルは苦悶の声を上げた。

 ぐいと引き寄せられ、ランペルの上体が泳ぐ。無防備な腹に、ドブジンの拳が突き刺さった。ランペルは空いている手を口に当て、胃の中身が逆流するのをこらえる。


「そうだ。吐くんじゃねえぞ。加減してやってんだからよ」

 ドブジンが愉快そうに笑った。ランペルは振りほどこうとするが、食い込んだように離れない。今度は横っ面を殴られた。その一発で腰が落ちる。胸板に蹴りを入れられ、ランペルは部屋の入り口近くまで転がった。


 手下てした連中の笑い声が聞こえる。まだ起き上がれないランペルの傍までドブジンがやって来て、先程殴ろうとした右手を踏まれた。

「おめえはこの土地生まれのくせに理解してねえようだから、俺が教えてやるよ」

 少しずつ体重をかけられ、ランペルは苦痛に唸った。

「このスーリで物を言うのは、金の力と暴力だ。持たざる者は白いエルフも黒にされ、持てる者なら黒いトロルも白になる」


 ドブジンはランペルの手から足を離し、襟首を掴んでむりやり立たせた。

「おい犬っころ。家族を守りたけりゃ、俺を殺せる奴を連れてこい。……ふん、そんな奴がいればだがな」

 体が宙に浮き、回転して背中から床に叩きつけられる。まともに受け身も取れず、ランペルは痛みと苦しさにのたうち回った。


「おめえら、このワン公を役所の地下牢にでもぶち込んどけ。こいつにゃ似合いの犬小屋だ」

 ドブジンに言われ、手下てしたたちが半笑いで小突きながらランペルを立たせた。引きずられるようにして連れて行かれる間、申し訳なさと情けなさとで涙が止まらなかった。

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