一の九 六道、“ドワーフ殺し”に抗う
役所を出た後、六道はドブジンの屋敷の周囲を歩いて逃走経路になりそうな道を探っていた。しかし路地がなかなかに入り組んでおり、一度見失ったら発見は困難に思えた。
――失敗できねえ一発勝負じゃ無理だな。やっぱり逃がさねえのが前提だ。
そう判断してからは、目に付いた
背もたれ付きの長椅子に座って薄い葡萄酒をすすりながら、昨日のことを振り返る。賭場を出る前、あの振り手の様子は明らかにそれまでと違っていた。
理由は? 十中八九いかさまだろう。しかし、それだけでもないような気がする。抜き身の剣にも似たあの気は、いかさまという“技”に対する彼の誇りではなかろうか。
――だとしたら、そこに付け入る隙がありそうだな。
ならばどうやっていかさまを使う状況、すなわちさいころ勝負に持ち込むか。それを考えていると、誰かが後ろに立つ気配を感じた。
振り向くと、ランペルが立っていた。申し訳なさそうに俯いて、何やら声を出しかねている様子だ。
「どうした、何があった」
六道は杯を置いて声をかけた。まさか、ドブジンの気が変わってすぐに借金を払えとでも言われたのだろうか。
「……旦那」
絞り出すようにランペルは言った。
「一緒に、来てもらってもいいですか」
支払いを済ませて店を出た六道は、ランペルの後について歩き出した。ランペルは人目を避けるように路地を選んで進み、西門を出た。途中、付かず離れずの距離を保ってつけてくる何者かに気付いたが、六道はそれを無視した。
西門を出ると、ランペルは町を囲むポプラ林に沿って北に向かった。この辺りは、ほとんど人影も見えない。
ランペルの歩みは徐々に遅くなり、やがて止まった。のろのろと六道を振り返ったが、その顔は苦しそうに歪んでいた。
「旦那、俺、いったいどうしたらいいのか……」
ランペルに事情を話させると、六道は大きく息を吐いて舌打ちをした。まさか、役所での
スーリ語や氣功術を教えてくれた恩師をはじめ、六道が出会ってきたドワーフたちは敵も味方も皆おおらかで細かいことを気にしなかった。陰険などという言葉とは無縁の、気持ちのいい連中ばかりだった。だから六道は、時に肩を並べて戦い、時に命を賭けて殺し合った彼らに対して強い敬意を抱いていたのだ。
しかし、何事にも例外はある。ドブジンにそれを見せつけられたようだった。
――まさか、ドワーフが
六道の胸に、これまでとはまた違う新たな怒りが湧いてきた。だが、今はまずランペルのことだ。“ドワーフ殺し”とでも言うべき猛毒の短剣で人殺しをするか、払えるはずもない借金を払うかの二者択一を迫られている。追い詰められたランペルの心情を考えれば不憫でならなかったし、またそんな選択をさせる悪辣さに反吐が出る。
――俺がどっちもさせねえよ。させてたまるか。
六道の腹は決まっていた。
懐から短剣を出させると、六道は力強く言った。
「ランペル。そいつで俺を刺せ」
「旦那!? そんなの、死んじゃうじゃないですか!」
ランペルが震える声で叫ぶように言った。六道は首を振り、諭すように続ける。
「なあランペル、お前の大事なものは何だ?」
「……俺の、大事なもの?」
「そうだ。俺のことなんぞ気にすんな。お前は家族を守ることだけ考えろ」
それでもなおランペルはためらっていたが、ついに心を決めたようで、目を強く閉じて短剣を引き抜いた。
「それでいい。やれ」
六道は腹筋を引き締めた。ランペルがごめんなさいと叫びながら短剣を突き出す。腹に入ってくる刃の冷たさと燃えるような熱さに、六道は顔をしかめた。
半分ほど刺さった短剣を引き抜くと同時に、強いめまいのような感覚が六道を襲った。倒れそうになるのを踏ん張り、脇腹にある経穴(体に氣を巡らせる経脈の要所にあるツボ)を左手の親指で突く。本来はこれによって出血と毒の回りを一時的に止め、その間に対処をするのだが、ドワーフすら殺せる毒ともなると大して時間稼ぎもできないだろう。
顔を上げると、ランペルが泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「早く行け! どうせあいつが見てるんだ、刺したかどうか疑う余地なんてねえ」
六道は木の陰でこちらをうかがっている男を指差し、ランペルの背を叩いた。
「安心しろ。俺は氣功術者だ、助かる方策もなしにこんな真似しねえよ」
傷口の灼けるような痛みに耐えて笑ってみせると、ランペルも短剣をしまって走り出した。ランペルと
気温が急激に下がっていく。いや、自分の体温が上がっているのだ。体が震え、力が入らない。目を開ければ、木々も隙間から見える空もぐるぐると回っている。
呼吸をするだけでも苦しい。それでも六道は肺の強烈な痛みに抗って深く息を吸い、陽の氣を滾らせて毒を体外に排出しようと試みる。
傷口から、黒い血が飛び出した。が、体が楽になったかといえば、熱砂に水を撒く程度のものでしかない。それほど人間の体には強すぎる毒なのだ。
――これでも無理か。だったらもう、手段は一つしかねえな。今の体じゃ危険極まりねえが、試しもしなけりゃ死ぬだけだ。
六道は途切れそうになる意識を集中し、滾らせた陽の氣を天地を巡る氣と繋いだ。ふっと体が軽くなる感覚とともに、倒れている自分を前後左右上下から見た図が木々や空に重なって見える。そのかわり、視界の回転は止まっていた。
――やべえ、氣の調整がきかねえ。こいつぁ毒を吹っ飛ばすのが先か、それとも俺の意識が消し飛ぶのが先か……。
焦る間にも意識の中で体はどんどん軽くなり、ついに宙に浮いた。目線は林を越え、北のカンクァ山脈がはっきりと見える。
六道の意識が上昇するにつれ、見える範囲が少しずつ広がっていく。
山脈の向こうにはスーリ北東部の大河であるヤフシャール川が北へと流れ、草原地帯とオアシス農耕地域が平行している。その東には、セレス地方から続く長大なウルグ・テングリ(
ヤフシャール川はやがて北西へ進路を変え、イェガン海という巨大な湖に注ぐ。イェガン海の北は、
そこまで見えたところで、不意に猛烈な風が吹き荒れた。いや、これは風ではない。あまりにも膨大な天地の氣は、人間という小さな器などいともたやすく粉々にしてしまう。その前兆だった。
――本気でまずいぜこいつは……。まだか、まだ毒は消えねえか……。
何度となく意識が飛びそうになりながらも、六道は必死に体を通る天地の氣を制御しようとする。どれくらいの時間が過ぎたのだろう、目の前が暗くなっていくと思った次の瞬間、六道は再び地面に転がっていた。
ひどい疲労感に包まれてはいたが、痛みも息苦しさも感じなくなっていた。腹を触ってみると、刺し傷も消え去っている。
――なんとか賭けに勝った、か。そいつはいいんだが……。
六道は手で額の大汗を拭った。額だけではなく、全身汗まみれになっている。それは六道の氣が尽きたことを示していた。
――くそ、これじゃ今日は動けねえ。結果的にだが、完全に先手を打たれちまった。
せめて呼吸だけでも整えようとした六道は、隣に誰かが立っているのに気がついた。重い首を動かして目をやると、そこにいたのは一昨日会った痩せの幽霊だった。
「なんだ、あんたか。幽霊ってのは、気配も足音もしねえからわかんねえや」
「旦那さんとランペル坊やの声が聞こえたもので、木の陰から様子をうかがっていたんですが、どうなってるんです?」
六道が状況を説明すると、幽霊は腕を組んで唸った。
「期限は明日ですよね。あたしにも何か手伝えることがあれば……」
「なぁに、明日の夕方までは丸一日以上ある。休む場所と時間があればなんとかなるさ」
「そうですか? ならいいんですが」
幽霊はほっとしたように見えた。六道は真剣な顔で幽霊に尋ねた。
「なあ、あんた、一昨日の二人もだが、交易商の若旦那だったのか?」
「……どこでそれを?」
幽霊の表情が消えた。やはりそうだったかと六道は思った。
「偶然妹さんに会ってな。ちっとばかり身の上話を聞かせてもらった」
六道が答えると、幽霊は唇を噛んだ。
「あたしら兄弟が親父を止められなかったせいで、妹には辛い思いをさせてしまっています。助けてやりたくても、できるのは誰かいい人が身請けしてくれればと願うことだけ。歯痒いやら情けないやらですよ」
六道は八尺棒を杖ついて立ち上がり、ずだ袋を拾った。
「安心しな、って言い方も変だけどよ。ドブジンの野郎さえ潰せば、ランペルたち以外の苦しんでる人らも皆助けてやれる。そうすりゃ妹さんも自由の身だ」
幽霊ははっとして六道を見た。
「だから、明日まで待っててくれ。あんたら家族の無念も、他の人たちの恨みも、全部まとめて俺が晴らす」
六道が精一杯の力強さを込めて言うと、幽霊は深々と頭を下げた。
「頭上げてくんな。俺にはこんな事しかできねえんだ」
六道はずだ袋を背負い、林の向こうを見た。
「もう一度ランペルの家に行ってくる。戻ってきてれば良し、日暮れ時になっても戻らなければ……、なるべく早く対処する」
決意を新たにして、六道は一歩踏み出した。
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