一の七 六道、領主(ディフカーン)に会う

 翌朝、六道はうらぶれ果てた敗残者の顔で通りを歩いていた。


 膝が震える。腰から下に力が入らない。宿を出る際に買った護身用の八尺棒にすがりつき、どうにか歩いている有様だった。

 周囲からの視線が痛い。宿の前で掃き掃除をしている娘たちはちらちらとこちらを見ながら興奮気味に何やら喋り、行き交う男たちからは哀れみやら羨みやらの目で見られているのが解る。

 ――サキュバスに噛まれたと思って諦めろ、とは言うけどよお。……死ぬかと思った。

 まず、何か精の付く物食わねえと。とりあえず視界に入った茶店チャイハナにでも寄ろうと、ぼやけた頭で六道は考えた。



 セルード北東の隅から西と南にそれぞれ四十丈(92m)と少し。壁に囲まれた内城の中に、三階建ての役所や兵士の屯所がある。

 南側にある門の前には数人が桶を担いで並んでおり、二人の門番に何かを見せて中に入っていく。水汲みの許可証だな、と熱い薬草酒を飲んで人心地のついた六道は思った。八尺棒は、捨てるのも勿体ないので腰帯の背中側に挿している。


 セルードを含むスーリ東部は、いくつもの山脈が縦横に走っている。そのため、地下水路カレーズに頼らざるを得ない中部や西部よりは豊かな水を確保できた。

 とは言っても、もちろん使いたい放題にできるほど多くはない。そのため、最初に町を築いた集団内の実力者たちが井戸を掘り、他の者や後から来た住民から水代を徴収するというやり方が生まれた。


 そのうち、実力者同士が水の利権を巡って争うようになり、最終的に勝利した者が領主ディフカーンとなった。その家系は今日まで代々続いている。

 また、飲食店や宿屋の中には、自前の井戸を持っているところもある。それらは元々敗れた実力者たちが管理していたもので、経営を許される代わり定期的に使用料を払っている。このあたりの流れは、セルードに限らずどこも同じようなものだ。


 しばらくして、六道の順番が回ってきた。門番は二人とも中年のスーリ人で、長槍と木製の大盾を構えている。

「初めて見る顔だな。旅人か? それとも新しい住民か?」

「旅の者だよ。ちょいと領主さんディフカーンに買ってもらいてえブツがあってね」


 六道は掘り出し物を見つけた、という顔を作って言った。最初に訊いてきた右の門番が続けて尋ねてくる。

「品物は何だ。まずそれを言え」

「いやあ、こんなところじゃ言えねえ代物さ。会って直接言うから先方に伝えてくれ」

 言いながら、事前に用意していた物を素早く二人の袖に入れる。それを取り出すと、二人とも目を丸くした。


 六道が入れたのは、西方の大国ファルシス製の銀貨だった。スーリ九ヶ国の物よりも高値で扱われており、門番の臨時収入としては相場を明らかに上回る。

 ――渡した意味は解るよな? 受け取るならその分の仕事はしてもらおうか。


 はたして門番は顔を見合わせた。左の門番が言いにくそうに口を開く。

「そうは言ってもだな、どこの馬の骨とも知れん者を簡単に案内など……」

 六道は手を上げて遮った。

「解ってる。俺も解ってるんだ、そんくれえのことは。けどな、こいつは今の領主さんディフカーンには喉から手が出るほど欲しい物のはずだ。そう伝えてくれ。……それでも会わねえってんなら、無理にでも会いに行く」


 六道は語気を強めて言った。銀貨を受け取った手前もあってか、左の門番が渋々役所に戻っていく。六道は満足そうに頷き、列を外れて待った。

 門を出入りする人数が十人を超えたところで、六道は数えるのをやめた。更に数人が通り過ぎる頃、ようやく門番が戻ってきた。


「お会いくださるそうだ。ただし、武器は入口で預けてもらうぞ」

「ああ。会ってくれるならそれでいい」

 六道は内心安堵した。本当に強引に通った場合、後々どれほど面倒になるか。それを考えると、頭が痛くなってくる。


 門をくぐると、左手に東屋のような建物があった。地下へ下りる階段があり、桶を担いだ人たちはそこを出入りしている。建物の脇には、役人が一人立っていた。

 役所内に入り、曲刀と八尺棒を預けるのを見届けると、門番は持ち場へ戻っていった。話は通っているようで、六道は別の役人に案内されて領主ディフカーンの執務室に向かった。


 執務室の中は、真向かいにある窓から朝の光が充分に入って明るかった。床に敷かれた絨毯の上に、豊かな髭を蓄えた壮年の男が胡座をかいて座っている。男の左右には木簡が積み上げられ、筆で何事か書いている様子だった。

 男の左隣には、護衛とおぼしき帯剣した男が控えている。茶色の髪にも髭にもだいぶ白いものが混じっているが、歴戦の戦士の風格があった。


 六道が足を踏み入れ、ずだ袋を床に下ろすと、男は手を止めて顔を上げた。

「私が欲しがる物を売りに来たというのは、お主か」

領主どのディフカーンにはご機嫌うるわしく。六道、と申しやす」

 六道も胡座をかいて挨拶したが、領主ディフカーンは名乗らず、値踏みするような鋭い目で真っ向から六道を見てくる。少なくとも、ただ世襲で地位を継いだだけの盆暗ではなさそうだ。


「私も暇ではない。早速その品物とやらを見せてもらおう」

 領主ディフカーンが催促すると、六道はにやりと笑った。

「いや、今はまだありやせん。早けりゃ今日、遅くとも明日には手に入れますんで、そいつを買っていただきてえんでさ」


 あまりな物言いに、領主ディフカーンは露骨に顔をしかめた。

「話にならんな。手に入れてから持ってこんか馬鹿者が」

「俺はそれでもいいんですがね? 手に入れたら、さあ誰に売りつけようかって話になる。高く買ってくれそうな相手は、他に何人も見当がついてますからな。それでもこの町が気に入ったから、先に領主さんディフカーンのところに話を通しに来たんですよ」


 六道はふふんと鼻を鳴らし、わずかに領主ディフカーンの優越感をくすぐる言い方をした。実際、領主ディフカーンも興味を持ったようで、表情をいくらか和らげた。

「それほどの物か。一応、何なのかだけは聞いてやろう」

 六道は恐ろしい笑顔を作り、ゆっくりと言った。


「……ドブジンの首」


 同時に、上着カフタンの右袖に左手を差し込み、素早く引き抜いた。正面を向いたまま、左の壁を指さす。そこには、長さ七寸(16.1cm)ばかりの飛針とばりが親指の爪ほどの小さな虫を貫いて突き立っていた。


 二人が同時に息をのみ、感嘆のため息をついた。スーリ人の価値基準の一つは「利」だが、一方で「武」という基準も存在する。少なくともこの二人は、六道の力量をある程度は見定める眼力を持っていたようだ。


「……勝てるかな、この男は。あのドブジンに」

「どうでしょうな。向こうには手下てしたもいれば、あの“振り手”もいますから」

 期待を込めた声で領主ディフカーンは言ったが、護衛に返されると手を額に当てて呻いた。


 領主ディフカーンは苦しげに息を吐くと、顔を上げて六道を見た。

「恥をさらすが、二年前に奴の屋敷を攻めたことがあってな」

「その辺は聞いてますよ。百人以上で攻めて、返り討ちにあったんでしょ」

 六道が言うと、領主ディフカーンはその通りだと答えた。

「奴の強さはいろいろと聞いていたからな。チャカルを動かしたのだが、ほとんど奴とゴブリンの振り手に倒されてしまった」


 六道は眉をひそめた。

 チャカルとは、常備の兵と異なり、スーリ諸国の国王アフシンや貴族、領主ディフカーンが独自に抱える私兵集団を指す。優れた剣の腕と強い忠誠心を評価されて抜擢される、スーリの腕自慢にとっての憧れだった。

 ――それが、あいつら二人に蹂躙されたってか。


 返り討ちとはいうが、全員殺された訳でもあるまい。重傷者を含めて半数以上の損害、というところだろう。仮に振り手の腕前をドブジンと同等と考えたとして、それぞれ約三十人ずつといったところか。


「常備兵は動かせん。パンジカート本国に報告などできんからな。かといって、チャカルもそう簡単に増やせるものではない。業腹だが、現状手出しができんのだ」

 この一帯は、スーリ九ヶ国の一つであるパンジカートの勢力下にある。常備兵は本国の管理下にあるため、損害が出たら報告して補充しなければならない。しかし馬鹿正直に言おうものなら、町に巣くう無法者も排除できないのかと厳しく責められるだろう。理由をごまかそうにも、動かした時点で旅人の顔をした密偵から連絡が行く。


「いや、別に動かしてもらわなくていいんですよ」

 六道はさらりと言った。ここに来た目的は、領主ディフカーンの立ち位置を探ることだ。そしてそれは達成された。

「あいつらの腕はだいたい解ってる。二人同時でなけりゃ、まあなんとかできる。万が一失敗したって、領主さんディフカーンが損することもない。どうです? 乗る気はありやせんか?」


 損をすることはない、という部分が琴線に触れたのだろう。領主ディフカーンは口元をほころばせた。

「片が付くまで動かなければ、奴に気取られる心配もないか。よかろう、乗った。で、奴の首、いくらで買えばいい」

二月ふたつき三月みつき、余裕を持って旅ができるくらい貰えれば充分でさ」


 六道が答えると、領主ディフカーンは渋い顔をした。

「奴を消せるなら高くはないのだろうが、しかしなあ……」

「いやいや、領主さんディフカーンは出す必要ありませんて」

 六道は吹き出した。領主ディフカーンが首をかしげ、どういうことだと尋ねる。

「野郎の屋敷には、ずいぶんとお宝が貯まっているはず。そこから出してくれりゃあ、ね?」

「なるほど! それなら私の懐は痛まんか」

 領主ディフカーンははたと膝を打った。しかしすぐに、待てよ、と真顔になった。


「それではお主の取り分が少なすぎる。何か私に隠してはおらんか?」

 領主ディフカーンが目を細めて六道を見る。六道は歯を見せて笑った。

「鋭いですな。いや、別に隠しちゃいないんですがね。領主さんディフカーンには、俺にできねえことをして貰いてえんで」

「というと?」


 六道は、ここで初めて真剣な顔になった。

「奴のために身を売らされた女たち。ばらばらになった家族。そういった人たちの証文も屋敷に置いてあるはず。だから、その人らを身請けしてやってほしいんでさ。俺じゃ一人ずつしかできねえが、領主さんディフカーンなら一度にできる」


 領主ディフカーンはしばし目を閉じ、やがて目を開けると苦笑いを漏らした。

「それが狙いだったか。となると、私の下には大して残らんな。まあ、住民のためなら致し方あるまい」

「……と、思うでしょ」


 六道は、打って変わって得意顔をする少年のように笑った。

「まだ何か隠しているのか。見た目の割に勿体ぶる奴だな」

 領主ディフカーンは呆れたように言ったが、嫌悪は感じられない。むしろ面白がっている節すら見える。六道は続けた。

「野郎の賭場には食堂があるんですが、厨房のための奴隷も買ったそうで。さすがに一人ってこたぁねえでしょう。買った時の証文もあるはずだから、そいつをお譲りしますよ。そうすりゃ、所有権はそちらに移る。後は、家内奴隷を欲しがってる人に相場よりいくらか安く売ればいい」


 領主ディフカーンは意外そうに六道を見た。転がり込んできた奴隷の所有権を簡単に手放すのが信じられないのだろう。

「良いのか? さすがにそれは欲がなさすぎるだろう」

「どんなに財産があっても、あの世まで持って行けはしませんからな。旅暮らしに困りさえしなけりゃ俺はいいんでさ」

「ふむ……。ならばせめて、証文のある者たちを身請けするにあたって、お主の功績を何らかの形で……」


 領主ディフカーンが髭をしごいて考える。六道はいやそうに手を振った。

「よしておくんなさい。人に褒められたくてやってる訳じゃありやせんや。話はついたんだ、この辺でおいとまさせていただきやす」

 領主ディフカーンはゆっくりと首を振り、珍しいものを見る顔で六道を見た。

「金もいらない。賞賛も求めない。ならば、お主はなぜわざわざ危険に首を突っ込むような真似を?」


 六道は立ち上がり、決まってら、とばかりに領主ディフカーンに向かって言った。

「いい女が泣いてんだ。男が首突っ込むにゃ充分すぎる理由だろ」

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