一の四 六道、昔を思い出す

 賭場を出た六道は、西側の大通りをぶらりぶらりと北に歩いていた。

 太陽はそれなりに傾いているものの、夕方にはまだ間があった。通りは隊商サルトよりもその護衛を含めた旅人向けのバザールになっており、日乾し煉瓦造りに漆喰で固めた白塗りの商店やら露天やらが左右に並んでいる。

 人通りも多く、武装した男たちや六道と同じような旅装束の男女が談笑しながら品物を見つくろっていた。少数ながら異種族の姿も見える。


「ちょいとそこのゴブリンのお嬢さん! かわいい髪飾りはどうだい? 鹿をあしらった、北方はストロキア伝統の金細工だよ!」

「やだぁおじさん、かわいいなんてぇ! 本当のことばっかり!」

「さあさあ見てってちょうだいな。セレス地方の白玉はくぎょくでできた夜光杯、スパーンドラ産の象牙を削った縁起物のナナイア女神像、極めつけはタブガチの絹で織った肩掛けだ。他所じゃあ手に入らないものばっかりだよ!」


 心地良い喧噪を背に、六道はずだ袋をかついで緩やかな坂道を上っていく。途中の屋台で羊肉の串焼きと薄めた葡萄酒を買い、吟遊詩人の弾き語りにおひねりを投げた。

 氣功術者であり、独り身でもある六道にとって、余分な金は必要ない。世間という大河に放流するくらいでちょうどいいのだ。


 バザールを抜け、住宅街を過ぎると、町の北西部の一角は繁華街になっている。

 酒場以外にも、射的場や演芸場といった遊興施設、更にはいかがわしい店――連れ込み宿に曖昧宿(形式上は宿屋だが、食事や飲酒だけでも構わないし、また給仕の女を一定時間もしくは一晩買うこともできる店)、淫売宿が混ざり合って軒を連ねていた。


 昨夜は引き留められるままランペルの家に泊まったが、さすがに続けて泊まるほど図々しくはないつもりだ。

 肉を焼く匂いに酒の匂い、女たちの化粧の匂いがそこかしこから漂ってくる。六道はドブジンとのやりとりを思い出して重いため息をつき、肌着の下に隠した首飾りに上着カフタンの上から触れた。



 十年近く前、六道がまだ生まれ持った名前を名乗っていた頃。あてのない旅の途中で助けたアフラシアという娘と、セレス地方の片隅で所帯を持ったことがあった。

 一年ほどして、二人に子供ができた。それは間違いなく、故郷も恩師も失った当時の六道にとってようやく掴んだ幸せな日々だった。

 その幸せが、地獄へ落とすための丁寧な前振りだとも知らずに。


 彼女の腹が目立って大きくなってきた頃、六道はある家族の仇討ちをした。

 六道の住む村から少し離れた場所に、スーリ人の植民都市があった。そこに店を構えるなにがしという交易商に弟がいたのだが、これが兄一家の財力を背景に十数人の子分を集めて好き放題暴れる鼻つまみ者だった。


 ある時、この弟が近くの集落で農家の娘を手籠めにした。娘の兄が文句をつけに行ったが、その場で斬り殺された。家族は兄妹の仇を討ってくれる者を探したが皆尻込みするばかりで、泣き寝入りしかけたところに話を伝え聞いた六道が手を差し伸べたのだった。


 六道は弟のもとへ赴き、六道対弟と子分全員という条件で仇討ちを申し入れた。弟と子分たちは皆大笑いし、二つ返事で引き受けた。

 当日、六道は立ち会いの役人と見物人が見守る前で、弟と子分を全て斬り捨てた。しかし、話はこれで終わらなかった。


 弟を殺されて激怒した交易商は、金に糸目をつけず殺し屋を雇った。

 六道が半日家を離れているうちに、アフラシアと舅は心の臓を一突きにされていた。交易商の狙いは、六道に自分と同じ苦しみを味わわせることだったのだ。


 六道は怒りのままに店へ忍び込み、交易商が一人になったところを文字通り八つ裂きにした。正面から乗り込めば、目に付いた者全員を斬ってしまいそうだったからだ。

 だが、女房と舅、そして子供の弔いを済ませると、怒りは己自身に向いた。悪党とはいえさんざん命を奪ってきた自分が、なぜ幸せになれると思ったのか。


 その日から、六道は名を傀(カイ)――人にして人にあらざる者の意――と変え、再びあてのない旅に出た。道行きの中で出遭った悪党外道を、一人残らず地獄の道連れとするために。



 ――俺が所帯を持ちさえしなければ、恨みの連鎖に巻き込まれることもなかった。

 六道は、首飾りに触れる手に力を込めた。女房に対する気持ちは今も衰えていないが、それでも思い出せば人肌が恋しくなる。男というものは、まったく度しがたいものだ。


 気がつけば、六道は繁華街の奥にまで来ていた。客の少ない曖昧宿の飯盛女だろう、濃い化粧の娘たちが通りのそこかしこで呼び込みを行っている。中には、店の前を通った旅人の袖を掴んで引き留める女すらいた。


 ふと、近くで呼び込みをしていた女と目が合った。

 二十代半ばくらいだろうか。筒袖で丸首の上着を着て、足首まであるスカートを穿いている。上着の上にもう一枚丸首の胴衣を着て、寒さよけの外套を羽織っていた。

 他の女たちよりも化粧は薄い。美人というよりは愛嬌のある顔だちで、緩やかに波打った駱駝色の髪と大きな緑色の瞳が印象的だった。

 ――あ、これ、捕まったかもしんねえ。


 はたして、女は目を輝かせて小走りに近づいてきた。

「お兄さん、今日の宿はお決まりですか? まだでしたらお安くしときますよ?」

 スーリ人にしては小柄で、六道と並ぶと完全に見上げる形になる。それがなんだか人懐こい犬のようで、六道は波立った心が落ち着くのを感じていた。


「そうなあ。ねえさんが一晩相手してくれんなら、行ってもいいな」

 六道が笑って言うと、女は顔を赤くして両手を振った。

「三十路過ぎの大年増をからかわないでくださいな。他に若いが何人もいますから、大丈夫ですよ」

「いやいや、若い娘とかじゃなくて姐さんがいいんだ……って、三十路!? 二十代半ばにしか見えねえんだが」


 六道は完全に虚を突かれた。一般的に東国人タムガジュの方がセレス人やスーリ人より若く見られるものだが、その逆が起きるとは。

「嬉しいこと言ってくれるじゃないですか。私、今夜はいっぱい頑張っちゃいますね」

 女は満面の笑顔で六道の左腕を抱きかかえ、横歩きのような形で六道を引っ張っていった。


「姐さん? 大きな山がおもいっきり腕に当たってるんだが」

「あててんですよぅ」

 何が面白いのか、女はけらけら笑って六道を連れていく。

 ――しかしこの姐さん、俺を怖がる様子がねえな。見慣れてるからだとすると、客層はあんまり良くなさそうだ。

 自分を棚に上げ、六道は連れられるまま歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る