一の三 六道、賭場を探る

 ガラス窓から午後の光が差し込む五丈(11.5m)四方ほどの大部屋は、諸肌脱ぎになった男たちの熱気と汗の臭いに満ちていた。


 部屋の中央からやや奥寄りに、だいたい六寸(13.8cm)四方の布きれが置かれている。そこには高さ五寸(11.5cm)あまりの円筒が伏せられ、顔にいくつもの金瘡きんそうを刻んだゴブリンの“振り手”が陰気な仏頂面で上から押さえていた。


 振り手の前には大きな絨毯が敷かれ、彼のいる長辺以外の三方を人間のむくつけき男たちが片膝立ちになって囲んでいる。彼らは中指を二本並べたくらいの大きさの賭札が入った小箱を握りしめ、中よ見えろとばかりに円筒を睨みつけていた。それをまた数人の男たちが数歩離れて眺めている。


 ここで行われているのは、マシュカーズラという賽子さいころ博打の一種。筒の中にある二つの賽子の出目の和が、奇数になるか偶数になるかを予想して賭けるというものだ。


「さあ張ったり張ったり、筒の中はアーセマーンザミーンか。当てれば天国、外せば地獄への一里塚だ」

 振り手の背後に立つ恰幅のいいスーリ人の差配役が、よく通る低い声で呼びかける。

「よおし、アーセマーンに四枚だ!」「俺はザミーンに三枚!」「……アーセマーンに五枚、いこう」

 男たちが次々に決断し、賭札を絨毯の上に置いていく。奇数――アーセマーンに賭ける者は札の白く塗られた面を上にし、偶数――ザミーンに賭けた者は反対側の黒い面を上にする。


 場の参加者が一通り賭けた時点で、差配役が素早く絨毯に目を走らせて白黒双方の札を数える。

ザミーン方足りないよ! 誰かもっと出せないか!」

 声を上げて場を見渡すが、黒い面を出した参加者は一様に渋い表情を見せていた。

けんに回ってる客人衆でもいい! 誰かいないか!」

 差配役が舌打ちし、若干苛立った顔で今度は見物している男たちを見た。


 マシュカーズラは、基本的に双方の枚数が等しくならなければ場が成立しない。どうしても無理そうなら胴元の判断になるが、それは賭場側からすれば勝負の回転が遅くなるだけであり、差配役個人に至っては胴元から場を仕切れない奴と思われる危険がある。


 ――このまま時間が過ぎればドブジンが出てくるだろうが、機嫌は間違いなく悪くなってるからな。探るにはよろしくねえ。

 振り手と差配役から見て右手の壁際にいた六道は、ふうと息を吐くと一歩進み出た。

「俺がやろう。何枚出せばいい」


 その場にいた全員の視線が、六道に注がれた。東国人タムガジュでありながらスーリ人を凌ぐ体躯、そして左の頬と喉元だけではなく上半身に刻まれた無数の古傷は、賭場に入った当初から周囲の目をひいた。

 加えて、深い青色をした宝石を三日月の形に削って紐を通した首飾りが強い印象を与える。本来紐に通っていたであろうビーズは外されているが、それでも見る者が見れば女物と判るだろう。


 差配役の顔に、安堵の色が見えた。振り手の方は、相も変わらずゴブリンらしからぬ仏頂面のままだ。

「ありがてえ。足りねえのは四枚ですが、出せやすかい」

 ああ、と六道は頷き、男たちの隙間に入ると黒い面を上にして賭札を置いた。


 勝負! と差配役の声に合わせ、振り手がさっと筒を外す。賽子の出目は三と五。偶数――ザミーンだ。参加者の半分から雄叫びが上がり、半分からため息が漏れた。

 アーセマーンに賭けた側は、速やかに一歩下がった。即座に手下てかたちの一人が機敏な動きで絨毯に乗り、白い札を回収していく。それが終わると、六道を含む残った側は札を手元に戻した。


 場に賭けられていた札は十九枚ずつ。残っているのは五人。十九を五で割って、一人につき三枚の札が配られていく。余った四枚は賭場側へ戻るという寸法だ。


 ――さて、次はまたけんに回るとしてだ。札はまだ充分あるが、時間ばっかり過ぎられてもな。いい加減奴に出てきてもらわねえと困るんだが。

 六道は立ち上がり、壁際に戻った。一勝負ごとに、参加するかけんに回るかは自由に決められる。だから続けて参加してもいいのだが、途中で出てこられては動きが取れない。そのため六道は参加とけんを交互に繰り返していた。


 ドブジンについては、午前中のうちにチャイハナ(屋根や庇の付いた屋外式の茶店)などを回ってある程度の下調べをしてある。

 元々セレス三十六国の北西地域で山賊をしており、“青い雄牛(グフ・ブカ)”の異名を持つ大親分だったこと。セルードには数年前に現れ、ある商人の屋敷を買い取って離れの片方を賭場に改装したこと。二年ほど前、領主ディフカーンが百人以上の兵士とともに屋敷を攻めたが、それを返り討ちにしたこと。


 ――まあ、あんな顔もするわな。

 六道は、話してくれた老人の忌々しげな表情を思い出して苦笑した。

 賭場などというものは、早くても夕暮れ時以降にこっそりと開かれるのが当たり前だ。もちろん、領主ディフカーンや地主への定期的な付け届けも忘れてはいけない。胴元がいくら儲けようと、彼らには何の得もないのだから。

 それがこうして白昼堂々と開かれている時点で、ドブジンと領主ディフカーンの力関係が察せられるというものだ。


 不意に、強烈な気配を感じて六道は振り向いた。

 大部屋の奥には、客のための食堂が併設されている。珍しいを通り越してそんな賭場は六道も初めて見たのだが、ちょうどそこから服を着た二人連れが出てきたところだった。

 一人は、鋭い眼をしたスーリ人の青年。ドブジンの手下てかの一人だろう。もう一人は、六尺半(150cm弱)程度の背丈ながら全身ことごとく筋肉という風情で、暗褐色の短い髪と同じ色の豊かな髭を蓄えた地上種族――ドワーフだった。


 気配は、そのドワーフからのものだった。佇まいを見ただけで、並外れた強さの持ち主と判る。

 だがそれだけではない。男は、生きとし生けるものが生来持っている陰陽の氣とはまた別の、どす黒く濁った気を放っていた。


 ――ここに他のドワーフがいたとしても判るぜ。あれがドブジンだ。

 六道は唇の端をわずかに歪めて笑った。

 十五年以上にわたって悪党どもと関わり続け、戦い続けてきた。手下てかも含めれば、何十人、何百人と斬った。人並みの幸せなど遠く離れた日々を重ねる中で、気がつけば「真っ当な人間が関わってはいけない者」を直感的に見抜けるようになっていた。


 ドブジンがゆっくりと六道の方を見た。互いに同じものを感じたのだろう、修羅場慣れしていない者なら腰を抜かしかねない凶悪な笑顔を向けてくる。

 しかし、六道はそれを見慣れたものさとばかりに受け流した。ほほう、とドブジンの唇が動き、笑顔は人懐こいものに変わっていく。


 笑顔のまま、ドブジンがこちらに近づいてくる。その様は、まるで大地にそそり立つ大岩が迫ってくるようだった。

 ドブジンの歩みは六道の隣で止まった。体格的には大人と子供の差があるはずだが、歴戦の猛者の貫禄がそうは思わせない。そればかりか、気の弱いドワーフ娘なら隣にいるだけで妊娠するのではないか、と錯覚するほどの雄臭を溢れさせていた。


「名前くれえはもう聞いてるかもしれんが、名乗っておこう。俺が“ここ”を仕切ってるドブジンだ」

「親分さんですな。六道、と今は名乗っておりやす」

 六道も名乗り、軽く頭を下げた。すると、ドブジンの顔が愉快そうに歪んだ。六道を見る目が、きんぎょく珍宝ちんぽうを値踏みするものに変わっていく。


自分てめえから偽名――お尋ね者だと明かすたあ、いい度胸だ。だが、俺の近くに賞金稼ぎがいたらどうするよ」

 ドブジンの挑戦的な視線を、六道は鼻で笑った。

「どうもしねえ。好きなときにかかってくりゃあいい」


 六道が答えると、ドブジンは体をのけぞらせて大笑いした。

「本当にいい度胸してやがる。惚れそうだぜ。お前さん、東国人タムガジュなのは見りゃ判るが、タブガチのどの辺の出だね」

「タブガチというよりはエジナの一番西、セレスとの境目あたりでさ」


 周辺諸国にも多大な影響を与える、東の超大国タブガチ。その最北西部に位置する、南西のイェンシ山脈と北東のバダジリン砂漠に挟まれた狭い廊下のような地域をエジナといった。

 エジナは一千年近い昔から今日こんにちまで、セレス三十六国と東方を結ぶ交易路として、セレスやスーリの商人たちが行き交ってきた。東に巨大な統一王朝ができればその利を求めて征服され、王朝が崩壊して国が乱立すれば独立するという歴史を繰り返しながら。


 エジナに旧くからあった都市や集落。スーリ商人たちが築いたいくつもの植民都市。そして、数百年前の東方大帝国ティーナイによって築かれた五つの軍事都市。時の流れとともに、東西の血は混ざっていく。

 肌の色は黄色と白。髪の色は黒と茶系統。瞳の色は黒、茶、琥珀、まれに青。住民の外見においては、スーリ以上に国際色豊かな地域になっていった。


「そうかそうか。今のエジナはタブガチの一部だからな。で、今日の調子はどうだね」

「今んとこ、勝ったり負けたりですな。良くもなし悪くもなし」

 六道は肩をすくめて答えた。ふむと頷いたドブジンは、六道が持つ小箱に目を止め、何枚あるんだと尋ねてきた。

「今さっき勝って、ちょうど二十枚で」

「勝ったり負けたりでそれってことは、最初に買ったのは十五枚くらいか?」

「最初も二十枚で」


 ドブジンは吹き出し、気安げに六道の背中を何度も叩いた。当人は軽く叩いているのだろうが、ドワーフの馬鹿力でやられるとさすがに痛い。

「なんだよ、それじゃあもう一度勝たなきゃいけねえじゃねえか」

「まあ、そうですな。ここの手数料は?」


 賭札一枚あたりの金額は、賭場によって異なる。そして遊びを終えて帰る者は、手持ちの札を換金しなくてはならない。その際、やはり賭場によって異なるが、二十分の一から十分の一(最低一枚)を手数料として支払う必要がある。最初の枚数に戻しただけではまだ負けなのだ。

「うちの手数料は十分の一だ。高くはねえよ」

「いやあ、高い方でしょ」


 六道が渋い顔を作ると、ドブジンは大げさにため息をついた。

「解ってねえなあ。まったく解ってねえ。おい、客人にうちの石榴酒を味見してもらいな」

 ドブジンは振り返り、顎で食堂を指した。一歩下がっていた青年が、短く返事をして駆けていく。


 間もなく、青年は玻璃ガラスの高脚杯を持って戻ってきた。中には、石榴酒と言うのだから石榴酒なのだろう、赤色半透明の液体が半分ほど入っている。しかし、それはランペルの家で飲んだものよりもいくらか濁って見えた。

「まずは飲んでみねえ。金は取らねえからよ」


 ドブジンに促され、液体を飲んだ六道はぎょっとした。

 美味いが甘い。いや、石榴酒本来の味を考えれば甘ったるくすらある。

「……蜂蜜入りの石榴酒なんて初めて飲んだぜ」

「西の方じゃ、葡萄酒に蜂蜜入れて飲むこともあるって聞いたからな。石榴酒に入れても案外いけるだろ。滋養強壮にもいいって話だしよ」

 ドブジンは得意満面で胸を張った。


「西の川沿いに土地を買って、石榴林やら養蜂場やら作ってな。設備投資はそれなりにかかったが、それももう回収済みだ。それでまた土地を買って、今度は野菜畑と漁場。料理の上手い奴隷も買って、客人用の食堂も建て増しした。値段はそこらの飯屋や屋台より多少高えが、味の方は比べものにならねえ」

 そこまで一気に喋るとふうと息を吐き、再び六道を挑戦的な目で見た。

「維持費は必要だからな。どうだい、これでもまだ十分の一は高えかい」


「いやあ参った。これなら文句はありやせんや」

 六道は両手を挙げて首を振った。単なる無法者の親分だと思っていたが、ここまでされては笑うしかない。

 ドブジンは満足そうに頷いたが、すぐに真顔になった。

「ただの腕っ節自慢なんぞ、ここじゃ商人どもの食い物にされるだけだからな。手下てかどもを養うためにも、金はいくらあったって困らねえ」


 ごもっとも、と六道は相槌を打った。が、表面は平静を装いつつも、腸は煮えくりかえっていた。

 金はいくらあったって困らねえだと? 設備投資は回収済みだと? 賭場の儲けだけで短期間にできるわきゃねえだろうが。どうやってその金作ったか言ってみろ。


 怒りが伝わったのかいないのか、ドブジンはにたりと笑うと、六道が掛けている三日月の首飾りを舐めるように見た。

「ところでよ、その青い首飾り、ヴィルーリヤだよな」

「ええ。瑠璃ヴィルーリヤですが、それが?」

 六道は余計な感情を追い払って答えた。今うかつな態度を取って、怪しまれる訳にはいかない。

「それ、元々女物だよな? どこで手に入れた」

「……女房の形見でさ」

 六道は内心で舌打ちをした。まさかこれに食いついてくるとは。この野郎、予想を超えて豊富な知識を持っていやがる。


「ヴィルーリヤの鉱山なんぞ、片手で数えられるほどしか見つかってねえ。しかも、ご丁寧に鷲頭獅子グリフォンが見張ってるときたもんだ。どうやって原石を手に入れたんだよ?」

「女房が生まれた時、親戚が細工師に頼んで作ってもらったとだけ。詳しい事情は、当人に聞くしかありやせんな」

「しょうがねえな。その親戚ってのはどこにいるんだ」


 ドブジンは面倒臭げな顔で顎をしゃくった。六道は微かに笑って答える。

「ずっと西ですよ」

「そうか。……ずっとってことは、ファルシスじゃねえな。ヘラスか、それとも昔ルカニアが栄えたあたりか……」

 ドブジンは、天井を見上げながら西の大国やかつて存在した超大国の名前を挙げた。が、六道は反応しない。


「違うのか? じゃあどこだよ」

 不機嫌を隠そうともしないドブジンに、六道は自嘲気味に言った。

「西は西でも西方浄土ですよ。あんたや俺じゃ、行けねえところだ」

 ドブジンの顔に、一瞬怒りの形相が浮かぶ。だが、それは意外にもすっと引いていった。


「くだらねえ。余計な手間かけさせやがって。もういいからちょっと見せてくれ」

 ドブジンが顔をしかめて手を差し出す。六道は、半歩下がって拒否の意思を見せた。

「お断りしやす。こいつは誰にも触らせたかねえんで」

 きっぱりと言って相手を見る。ドブジンは鼻を鳴らして顔をしかめると、きびすを返し大股に去って行った。


「別に減るもんでもねえだろうに。でけえ図体してけちくせえ野郎だよ」

 聞こえるように舌打ちをして、大声で文句を言っている。六道は、ドブジンの背中に内心で唾を吐いた。

 ――てめえらに触られたら減るんだよ。死んでまで汚え手で撫で回されてたまるか。


 食堂入り口の近くにある扉からドブジンが外に出たのを確認した六道は、部屋の中央を見た。

 既に次の勝負が始まっている。あの仏頂面をした振り手が右手の指に賽子さいころを挟み、左手に筒を持って内側を客に向け、上半身ごとゆっくりと左右に動かしていた。


 ――違うな。

 六道は振り手を注視した。今までの勝負とは、彼のまとう気が明らかに違う。それまで木剣を使っていた達人がついに真剣を抜く、そんな風にすら思えた。


 振り手の両手が素早く交差し、乾いた音を立てて筒が鳴った。間髪入れずに伏せられる。六道をして背筋に冷たいものが走るほどの、鋭くあざやかな手並みだった。


 ――野郎、サマを使いやがった!

 六道は直感した。いかさまを直接目で捉えてはいないが、使っていないなら何のために全力を出すのか。

 ――あいつもいるとなると、この件、一筋縄じゃいかねえな。

 油断ならねえ奴がもう一人いる、それが知れたのは大きい。六道はそう考え、出入口に足を向けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「マシュカーズラ」の名称は、『クロちゃんのRPG千夜一夜 1』(黒田幸弘・著 富士見文庫)より拝借させていただきました。

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