一の二 六道、事情を聞く
ポプラ林を西へ抜けると、視界が一気に広くなった。
セルードの北、およそ二十五里(10km)あまり。東西に長く連なるカンクァ山脈の麓から、南へとゆるやかな下り坂が続いている。傾斜はセルードを少し下ったあたりでやや急になり、谷底を東西に流れるスーリ中部の大動脈、ウムヌ川の手前に達する。
丘は、山肌と丈の短い草によって茶色く染められていた。三里(1200m)ほど西を南北に流れる川と、そこから引いてきた水路の周辺だけは、胡楊の緑が立ち並んでいる。
ここからでは見えないが、東側も同じように数里先を川が流れ、水路を引き込んでいる。セルードとは、文字通り三本の(セ)川(ルード)に囲まれた町だった。
町の周囲は水路で潤されて耕地が広がり、北西には最も近い集落でもある異種族街、通称ドワーフ街の高い壁が見える。金色の西陽が一帯を照らし、北風が麦の穂を揺らす中を、人間やコボルトの小作人が動き回っていた。折り重なって見える丘の向こうに陽が沈む前の、最後の一働きといったところだろう。
ドワーフ街へ先導していたランペルが、不意に足を止めて振り返った。
「……旦那。旦那は、どうして助けてくれるんですか? 何か利益がある訳でもないのに」
ランペルの表情には、不信よりも困惑が強く見えた。
スーリ人の価値基準の一つは、「財産をより多く持っている者、より儲けられる者が偉い」というものだ。言い方を変えれば、利益の出ない行動に価値はない。その点においては、彼の疑問も無理からぬものといえる。
六道はランペルの隣に立ち、肩に手を置くとじっと顔を見て言った。
「強い奴が戦うのは、私利私欲のためじゃねえ。弱い奴を守るためだ。本当はな。金と暴力で勝手放題しやがる奴を、そのままにしておいていい道理はねえだろ」
呆けたように見返すランペルから視線を外し、六道は夕闇に包まれつつある東の空に目をやった。
だが、ここは大陸の中央、スーリ九ヶ国。生まれ育った
ドワーフ街の規模は、ざっと一里(400m)四方。セルードが一里半(600m)四方であるから、半分足らずの面積だ。
南門をくぐると、日乾し煉瓦造りに漆喰で固めた平屋や二階建ての家屋が大通りの左右に整然と並んでいた。
ドワーフ街の特徴は、町並みの規則正しさだ。人間の作った都市は多かれ少なかれ道が曲がりくねって雑然としているのに対し、こちらは綺麗な格子状に整えられている。市街戦を想定していないのか、それとも単にドワーフの性分なのだろうか。
建物の前には、屋根あるいは幕を張った販売用の台や地面に絨毯を敷いただけの露天が並んでいる。バザールだ。もう少し早ければ夕食の材料を買いに来る主婦なり使用人なりで混雑していたのだろうが、今はそれもまばらになっている。
びょう、と音を立てて北風が吹き抜けた。日暮れ前の風は身を切るほどに冷たく、六道はいくらか前屈みになって
バザールを過ぎた先の四つ辻で、何者かが楽器を鳴らして歌い出す声が聞こえた。目をやれば、そこには六尺(138cm)足らずの身長に灰白色の肌、吊り上がった目と大きく裂けた口の割には愛嬌を感じさせる地上種族――ゴブリンの吟遊詩人がいた。舟に似た形の胴体に大きなくびれを持つラバーブという弦楽器を爪弾き、その乾いた響きに乗せてスーリ語で歌っている。
黒い瞳の素敵な娘
貴女の美しい瞳はこの世界の他にどこにありましょうか?
貴女を求めて山から山へ、砂漠から砂漠へ
貴女の保護者はどこですか
歌詞は叙情的な恋愛詩だが、しっとり聞かせるのではなく軽快に歌い上げているせいでどうにもちぐはぐな印象を受ける。しかし立ち止まって聴いているゴブリンやドワーフたちも陽気に合いの手を入れているので、これはこれでいいのだろう。
四つ辻を西へ折れて住宅街へ入り、少し進むと、周囲の家より二回りは大きな二階建ての屋敷が見えた。ランペルが振り返り、あれが俺の家です、と言った。
門の前には、焦げ茶色の毛並みをしたコボルトが立っていた。自身の背丈より長い八尺棒を地面に突いているが、六道の見る限り腕前は素人に毛が生えた程度か。
近づく二人に気付いた門番が、顔をほころばせたように見えた。背筋を正し、棒を体に引き寄せてランペルを待つ。
二人が到達すると、門番が丁寧に頭を下げた。
「ランペル坊ちゃま、お帰りなさいませ。いや、お帰りが遅いので心配しておりましたよ。お客様もご一緒だったんですね」
六道の外見にも動じた様子はなく、いらっしゃいませと頭を下げる。教育が行き届いているのか、それとも人間がコボルトを見る時と同じようにに細かい区別はつかないのか。
安堵した様子の門番に、ランペルが声を落として言った。
「客間に案内お願い。大事なお客さんなんだ。それと、皆家にいる?」
「かしこまりました。奥様もお嬢様も戻っておいでですよ」
「よかった。旦那、すみませんが少し待っててください。兄貴を呼んできますんで」
「兄貴? 親父はいねえのか?」
六道が尋ねると、ランペルは困ったように前脚の指で頬を掻いた。
「親父と上の兄貴は、
なるほど交易商だったか、と六道は頷き、門番の案内に従った。
玄関から細い廊下を通って客間に入るまで、壁面は多色の壁画で彩られていた。獅子や虎、鷲などの動物、また
「こんな色彩豊かな壁画が、左右にずっと並んでるたあ恐れ入ったぜ。儲かってるんだな」
「それはもう。旦那様はやり手ですから」
六道としては、あくどい真似してんじゃねえだろうな? と若干の皮肉を込めたつもりだったが、門番は誇らしげに胸を張った。
客間の入り口脇には六道の腰くらいまでの高さの台座が据えられており、上に虎が伏した形のランプが乗っていた。門番はランプを手に取って背中の注油口から補充すると、頭頂部の穴から灯心を挿して火を付けた。そのまま部屋を一周し、四隅のランプにも灯を点していく。途中で、奥の暖炉にも火を入れていた。
四方の壁も壁画で彩られており、こちらでは様々な地上種族の戦士たちが地竜や巨人に立ち向かっている。
部屋の中央には、大きな四つ脚の卓と椅子が設えられていた。勧められた椅子に座ってしばし待つと、ランペルと他に二人、黒い毛並みと焦げ茶色の毛並みをしたコボルトが入ってきた。焦げ茶色の方は、伏せた金色の高脚杯が三つと急須に似た吊り手付きの水差しが乗った盆を持っている。先程の門番かと思ったが、足首までの長いスカートを履いている。どうやら別の使用人のようだ。
六道が立ち上がると、黒いコボルトは鷹揚に会釈をし、焦げ茶色の方は深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。当家の留守を預かる、イピロスと申します。弟がお世話になったようで」
イピロスは六道とランペルに座るよう促した。二人が座るのを見て、イピロスも席に着く。使用人が三人の前に杯を置き、水差しの中身を注いで出て行った。
六道は、何の気なしに杯を手に取って驚いた。予想だにしていなかった重量感が伝わってくる。この重さは青銅でもなければ鍍金でもない。明らかに純金製の杯だった。
――黄金杯なんてお前、王侯貴族が使う物だろうが。商品として持つならともかく、気軽に客に出していいもんじゃねえだろ。傷ついたらどうすんだ。
内心舌を巻きつつも、口に運んでまた驚いた。葡萄酒の香りがはっきりと鼻を刺激してくる。
もちろん水で割ったものではあるのだが、その辺の飲食店や屋台で出てくる薄く引き延ばしたような代物ではない。単なる飲料水ではなく、美酒として味わうのに充分な濃さを保っている。
――家の外観といい壁画といい、これがスーリ独特の商人貴族って奴か。抱き落としの標的になったのも納得だぜ。
軽く一服したところで、イピロスが口を開いた。
「弟の話では、とんでもないやらかしをしたそうですね。それで貴方が来たと。ランペル、私にも解るよう説明してくれるか」
ランペルは小さく頷いた。六道も、二度説明させる手間を嫌ってあえて話を聞いていなかった。したがって、詳しい事情はこれから初めて聞くことになる。
三ヶ月ほど前のことだった。セルードの繁華街にいたランペルは、酔っ払いが通りの真ん中で若い男女の二人連れにしつこく絡んでいるのを見た。やめさせようと割って入ったところ、激昂してこちらに暴言を吐いた上に殴りかかってきたため、やむなく力づくでおとなしくさせることになった。
その直後、あまり人相の良くない男が、見世物の礼に一杯奢らせてくれと声をかけてきた。男はセルード南西部の一角に屋敷を構えるドブジンというドワーフの子分だと言い、飲みながら世間話をするうちに賭場に誘われた。
ドブジンが胴元であるその賭場で、ランペルは大きく勝った。だが、それがいけなかった。大勝ちした高揚が忘れられず何度も通ったが、負けて帰る日の方が多かった。最初の勝ち分も少しずつ消えていき、一ヶ月も経つ頃にはなくなっていた。
「初心者の馬鹿ヅキって奴だな。お得意様になってくれた上に勝ち分も返してくれるんじゃ、向こうも笑いが止まらねえだろうよ」
六道は痛々しげにため息をついた。ランペルが申し訳なさそうに頷く。
勝ち分を一切合切吐き出してなお負けた夜、ツケにしてやろうかとドブジンが囁いた。そしてランペルはそれに乗った。一度大きく勝てばいい、そんな錯覚に囚われていた。
だが、そんな機会が来ることはなく、ツケは少しずつ増えていった。
戻るに戻れなくなったまま二ヶ月が過ぎ、ツケがどれくらいになったのかも判らなくなった頃、ドブジンが再び囁いた。ある客を大負けさせる予定があるんだが乗らないか、勝てばお前のツケもなくなるほどの金が入るぞ、と。
そこから先は、ポプラ林で聞いたとおりだった。今日、更に多額の借金をしてまで臨んだ大一番で、
現れたドブジンに話が違うとくってかかったが、たまにはこういうこともあると笑い飛ばされただけだった。
「じゃ、そろそろツケを払ってもらおうか。一応三日後の日没までは待ってやるが、なに、土地財産を処分して、お袋と妹に体売らせりゃ作れるだろ」
拇印以外は仕上げられた証文を手にドブジンが嗤った時、ランペルは絶叫とともに殴りかかった。だが、逆に何度も殴られ、床に倒れたところで前脚を掴まれ拇印を押された。
「貴様……!」
そこまで話したところで、イピロスが拳を握りしめて立ち上がった。六道は慌てて立ち上がり、イピロスを抑えながら抱き落としについての説明をした。
「最初は、本当に嵌められたのか疑う気持ちもあったんですがね。事前に証文作ってたんなら、完全にそのつもりだったって話ですな」
適当なところで退かなかったのはランペルが悪いが、骨までしゃぶり尽くされるほどのことでは絶対にない。
なんとか理解はしてもらえたようで、イピロスは拳を下ろして再び席に着いた。しかしその目ははっきりとランペルを睨み付けている。
消え入りそうな声で、ランペルは話を続ける。
賭場を出た後は、悪い夢でも見てるんだと思った。夢なら覚めてくれと思った。
しかしまぎれもない現実で、町を出た時には絶望と後悔で死にたくなった。耐えきれずあふれた涙を拭う気力もないまま歩いているうち、三人の幽霊に呼び止められた。
そう言うと、イピロスが右手を上げて話を遮った。
「待て。お前、ふざけてるのか? 幽霊なぞいるわけないだろうが」
「え? いやいや兄さん、幽霊はいますぜ? 実際、その場に俺が通りかかったんだし」
六道が助け船を出すと、イピロスは胡散臭い山師を見る目を向けてきた。
「あのね六道さん、私だって暇じゃないんですよ。つまらない作り話につきあう時間なんかないんです。何が幽霊ですか。本当にいるなら連れてきてくださいよ」
六道の頬が引きつった。こうまで言われては、引き下がる訳にはいかない。
「よぉし、だったら今すぐ行こうじゃねえか。会わせてやるからよ」
「はぁ? 今から出たら、向こうに着く頃には門が閉まって帰れないでしょうが。まさか林の中で野宿しろと?」
「……むむむ」
六道は唸った。このままでは、借金まで全てが与太話扱いされかねない。いったいどうすれば信じてもらえるか。
頭を悩ませていると、失礼致しますと女の声がした。振り向けば、入り口に小柄で赤茶色の毛並みをしたコボルトが立っている。その後ろには、同じくらい小柄なコボルトがいた。こちらの毛並みは薄茶色だ。二人とも、長袖の赤い
「そろそろお夕食の準備を致しますが、お客様、何かご希望はございますでしょうか」
赤茶色のコボルトが言った。声は中年の女の物だが、所作も含めて気品というものが感じられる。家族かな、と六道が考えた時、ランペルとイピロスがほぼ同時に大声を出した。
「おふくろ! 話が終わるまで来ないでくれって言ったろ!」
「ピリンも一緒か! 向こうへ行ってなさい!」
二人の母親という女性は、息子の文句に気にした風もなく穏やかに言った。
「でも、準備するのにも時間がかかるし。今のうちに聞いておかないと、遅くなったらお客様がお腹をすかせちゃうじゃない?」
「ああいや奥さん、お構いなく。もうすぐ終わって帰りますから」
六道が手で制しようとすると、イピロスの矛先がこちらに向いた。
「それは困りますな。夕食
「そうだよ! お客さん、外国の人なんでしょ? お兄ちゃんたちばっかりずるいよ! 私もお話聞きたいんだから!」
「おい待てピリン、私たちは大事な話をしているんだ。茶飲み話じゃないんだぞ」
割って入ってきたピリンと、体毛に覆われていても判るほど眉間に皺を寄せたイピロスの姿に、六道の口元はほころんだ。賑やかな家族、大いに結構じゃねえか。これを壊させてたまるかよ。
「わかったわかった。飯食いながら聞かせてやるから。どうせこっちの言いたいことはもう終わってんだ。という訳で奥さん、晩飯は何か肉物でお願いします」
「すみません、わがままな妹で」
謝るランペルに、六道は気にすんなと微笑んでみせた。
「どうせなら五人皆で食おうや。お袋さん一人で食わせるのも悪いからよ」
しばらくして使用人が運んできたのは、茹でた平打ち麺に野菜と薄切りの肉を炒めて載せたラグマンという麺料理だった。続けて、口のやや広い透明な脚付杯と、同じく透明な円筒型で取っ手付きの水瓶が運ばれてきた。水瓶には、おそらく酒なのだろうが葡萄酒よりも赤みが強い半透明の液体が入っている。
「夜光杯――
六道は懐かしさにしみじみと呟いた。スーリ語ではなく
「この辺りでは珍しくもないガラス杯ですが、喜んでいただけたようで何よりです。ラグマンの方もどうぞ」
とイピロスが促す。用意してくれた箸で麺と野菜をまとめて口に運ぶと、熱々の麺に人参と玉葱の濃厚な風味が口の中に広がった。続けて肉を頬張る。羊の肉とはまた違った甘味があり、なかなか噛み応えもあった。
「馬……じゃねえな。ロバかよ。まさかスーリでロバ麺が食えるたあ思わなかったぜ」
「普通のロバ肉は、我々には少々臭みが強いのですがね。幸い今日は、脚を折って動けなくなった若ロバの肉が手に入りましたので」
「なるほど。そのロバは気の毒だが、その分感謝して食わせてもらおうか」
上機嫌で、赤い液体の満たされた玻璃杯に手を伸ばす。一口飲むと、葡萄酒よりも強い甘味と、いくらかの酸味が感じられた。
「これは……、
六道が首を捻ると、イピロスが胸を張ったように見えた。
「ファルシス国中南部の高原地帯で採れる最高級品を使っていますからね。これ以上に甘くまろやかな石榴酒は、大陸のどこにもありませんよ」
声の響きは完全に自慢げだ。心なしか、最高級品の部分に力を込めたようにも聞こえる。
「いいんですかい、そんな上等な酒をほいほい出しちまって」
六道が冗談めかして言うと、イピロスは真面目な顔で答えた。
「弟は、直情的ではありますが人を騙して喜ぶ奴ではありません。話は本当なのでしょう。となれば、このままでは連中に奪われるだけ。しかし解決してもらえるなら、恩人への礼には少なすぎます。ごく一部を前払いしたとでも捉えてください」
六道は微かに笑った。兄貴は兄貴で理屈っぽいが、当主の留守を守るにはそういう部分も必要なのだろう。貴族には貴族の苦労があるようだ。
食事が一段落すると、六道はピリンの希望に応えて様々な魔獣や幻獣の話をした。
険しい山奥に棲み、しばしば旅人の災となる
金銀宝石の鉱山を守護者のごとく見守る
大平原から天空に羽ばたく
紺碧の海原に歌う海の
遙か西南の大砂漠、五百年に一度聖なる炎に焼かれて蘇る
自身で出遭った相手もいれば伝聞もあるが、ピリンは目を輝かせて話に聞き入っていた。
――俺のガキも、生きてりゃこうして……。いや、未練だな。
六道の顔に一瞬、深い郷愁が浮かんで消えた。十三の齢から大事な者を失い続け、それでも生き方は変えなかった。そのことを間違いと思いはしないが、無邪気な子供を見ると心のどこかが小さく痛む。
――何の罪もねえ
身振り手振りを交えて語りながら、明日は賭場の探りからだなと六道は考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます