翠利剣侠行 六道無法剣(スーリけんきょうこう りくどうむほうけん)
吾妻藤四郎
第一話 喪門剣(そうもんけん)
一の一 六道、面倒ごとに首を突っ込む
地面に突っ伏して号泣する男を、三人の幽霊が慰めている。
およそ三十年の人生で初めて目にする光景に、
交易都市セルードを囲むポプラ林と外壁との間を、六道は独り歩いていた。
砂埃にまみれた羊の毛皮の
いでたちは
日は南からぐっと西に傾き、乾いた初秋の北風は冷たさを増していく。
――ここ何日かで、風から感じる陰の氣が急に強くなりやがったな。今からこれじゃ、今年の冬も早そうだ。
そんなことを考えていた矢先に、若い男の泣き声が意識の中に入ってきた。
――昼間っからどうしたってんだ。まさか追い剥ぎでもねえだろうがよ。
六道は声の元へと足を速め、そして林の中に目を疑うものを見て足が止まった。
号泣していたのは、人間ではなかった。体の大きさや衣服こそスーリ人と変わらないが、頭部と手足は枯葉色の毛並みをした狼か狐のように見える。大地の妖精ニスから分かれた地上種族の一つ、コボルトだ。それが嗚咽しながら前脚で地面を掻きむしっていた。
コボルトの傍らに、人間の男が三人いる。向かって左、頭側にいるのが太っちょとのっぽで、前かがみになってうんうんと頷いていた。右の方では、痩せ型の男がしゃがみ込んで背中をさすっている。
そこまではいい。しかし、三人からは陽の氣が全く感じられないのだ。人の姿をとっていながら陰の氣の塊。幽霊以外の何者でもない。日陰になっているのもあって林の外からでは判りにくいが、近づけばその肌は蝋のように白く見えるだろう。
幽霊を見るのは初めてではない。が、日暮れまで間があるうちから出てくるとは知らなかったし、ましてや生者に対して親身になるなど聞いたこともなかった。
とはいえ、コボルトが嬉しくない理由で泣いているのは確かだ。その中身によっては、一肌脱ぐ用意はある。
「おい、いったい何があった? 大丈夫かそいつ?」
林に足を踏み入れ、六道は三人にスーリ語で声をかけた。低く、落ち着いた声だった。
三人ははっと顔を上げてこちらを向いたが、六道を見ると顔を引きつらせ後ずさった。
六道の背丈はおよそ八尺(184cm)。一般的な
表情は、他人に威圧感を与える体つきとは裏腹に穏やかなものだ。しかし、左の頬や喉元に目立つ
「え、人殺し……? やだ、助けて……」
太っちょの幽霊が泣きそうな声を出す。六道は喉元まで上がってきた言葉を飲み込み、唸るように声を出した。
「そりゃあ事と次第によっちゃそういう仕事もするがよ。別にお前らをやってくれと頼まれた訳じゃねえよ」
それを聞いて、三人がほっと息を吐く。幽霊だという自覚のなさに口元を引きつらせつつ、六道はもう一度尋ねた。
幽霊たちが語ったのは、おおむね次のような話だった。
ここ数日で陰の氣が目立って強くなり、だいぶ過ごしやすくなってきた。なので、街道沿いの酒屋で薄めた葡萄酒や杏酒を買ってここで飲んでいた。やがて酒が回ってきたような心持ちになった頃、若いコボルトが大泣きしながら脇を通ったのでつい声をかけた。
聞けば、
「何だそりゃ。ただの大馬鹿野郎じゃねえか」
六道が顔をしかめて吐き捨てると、痩せの幽霊が首を振った。
「いえ旦那さん、それがですね。最初に大量の賭札を貸した上で、合図したら残り全部
「……抱き落としにかけられたか」
六道の眼が鋭くなった。
何らかの理由で標的と定めた者に対し、いかさまを使って少しずつ負け分を増やしていく。負けが込んできたところで、「搾り取りたい奴がいるから、合図したら全額賭けろ。これだけあればお前さんの借金もチャラだ」と更に賭札を貸し付ける。ところが、いざ賽子を振れば出目は「搾り取りたい奴」の方。実は本当に組んでいたのはそっちで、標的は首どころか頭のてっぺんまで借金漬けにしてしまう。
たちの悪い胴元がときおり使う手口で、これを博打打ちの間では抱き落としと言った。
――博打に嵌まる奴に問題がねえとは言わねえ。だが、根こそぎ奪うだけじゃ飽き足らず、女を身売りさせるほどの借金を背負わせるなんてのは、さすがに度を超えてるぜ。
悪党にも悪党の仁義というものがある。堅気の衆を苦しめ泣かせるような行為は、六道にとって芯から唾棄すべきものだった。特に、女を犠牲にするような手口は、到底許しておけるものではない。
「もう死にたいなんて言うもんだから、死んだっていいことがある訳じゃないよって言ったんですけどね」
のっぽの幽霊がため息をつき、頭を掻いた。
「ええ? 何だよ、酒は美味いし姉ちゃんは綺麗なんじゃねえのかよ。まあいいや。おい若いの、名前と家は?」
コボルトの傍らに片膝をついて尋ねると、涙声でランペルという名前が返ってきた。
「よしランペル、俺を家まで案内しろ。賭場の裏は取るにせよ、親父か誰かに話通しとく必要はあるからな」
ランペルが初めて顔を上げた。口元には乾いた血がこびりつき、左のまぶたは紫色に腫れ上がっている。涙で濡れた、子犬のようにつぶらな瞳が、この人間は何を言っているんだろうと戸惑っていた。
「あぁ、こりゃ手ひどく殴られたな。待ってろ、今治してやる」
六道はずだ袋を下ろすと深く息を吸い、陽の氣が全身を巡る速度を一気に速めた。体中がかっと熱くなる。これを六道たちは「氣を滾らせる」という。
痛まないよう傷の隣に手を触れ、自身の氣とランペルの陽の氣を繋いだ。そこから氣を送り込むと、切れた唇と腫れたまぶたがみるみる治っていく。
「どうだ? まだ痛むか?」
微笑を浮かべて尋ねると、ランペルの両眼が大きく見開かれた。
「全然痛くないです! すごいや! 旦那は魔法使いなんですか!?」
興奮して尻尾を大きく振るランペルに、六道は豪快に笑った。
「期待に応えられなくて悪いが、魔法使いなんぞ滅多にいるもんじゃねえや。こいつは氣功術よ。そのかわり、使える奴は魔法使いよりゃ多いがな」
六道がランペルに手を貸して立たせると、痩せの幽霊が呆れた顔でこちらを見た。
「自分から面倒ごとに首を突っ込んでくとはね。奇特なお人もいたもんだが、このスーリじゃ長生きできませんよ」
「家族が一つ破滅しようかって瀬戸際に、素通りもできねえだろうよ。それとも、お前らが助けてやれるか?」
「うぅん、そう言われると弱いですが……」
六道が睨むと、幽霊は青白いを通り越して真白い頬を掻いた。
「それじゃまあ、この子のことは旦那さんにお願いしましたよ。あたしらはお開きにさせてもらいます」
痩せの幽霊は
太っちょの姿はすでになかった。
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