第17話 登校・リハビリテーション・新年
12月21日(火)
ハルが退院してから、4日経過。
この4日間で、ハルは、床屋に行ったり、友達と遊びに出かけたり、今までと変わりない生活を送っていた。
日常生活で、何か心配になる様な、麻痺や記憶喪失、言語障害、テンカンの様な発作も、今の所ない。11月19日に「行ってきます」と言って、家を出た時と同じ状態で、戻ってきてくれたと思う。
休んでいた分の、授業の遅れを取り戻そうと、猛勉強すると言う事もなく、相変わらず、際限なくスマホでゲームをしたり、ユーチューブを見ている所も、今まで通りだ。
私は・・・・と言うと、「毎日、ハルの心臓がまた止りません様に」と、ドキドキしながら過ごしている。ハルが外出すれば、無事に帰宅するまで、心配で、居場所確認アプリから目が離せず、家から出る事も出来ない。
夜も、目が覚める度に、ハルの所に行き、息をしているか確認している。
アブレーション治療で、余分な電線を焼灼して頂き、正常になった。手術後には医師から「もう大丈夫」と大小判を頂いている。でも、最初にWPW症候群が発覚し、診て頂いた医師から「自覚症状がないWPW症候群の方で、この病気で死に至る事は、あまりない」と言われて安心していたのに、死に至ってしまった事実を考えると、100%の安心は出来なかった。
2日程前、ハルの耳掃除をした。耳掃除は、倒れる2日前にもやった。救急処理室のベッドの上で、脳死状態で横たわっているハルを見た時「もし、これが最後だったら、あの時耳掃除をしておいて良かった」と思ったなあ。朝、喧嘩しないで送り出した事も、お弁当のおかずが全部好物を入れていた事も、良かったなあと思った事を、思い出した。
耳掃除中、ハルの左足のくるぶしに、マジックで書かれた×印があるのに気が付いた。「これ、何?」と聞くと、「ああ、入院している時に、書かれた。何の検査の時か、忘れたけど」との事。右側にも書いてあった。いろんな所を、注射針で刺されたんだろうなあ。
入院中の数少ない面会の時、ハルの身体についていた、検査や治療の後、数々の絆創膏。首の血管からも管や針を入れていたので、そういった傷跡を、直視する事ができなかった。アブレーション治療の時は、足の付け根からカテーテルを入れた。場所が場所なので、ハルはその傷跡を見せたくないだろうし、私も、悲しい気持ちになるから見たくないけれど、きっと、痛々しい跡が残っているだろう。たくさんの痛みに耐え、良く頑張ったなあと、耳掃除をしながら、涙がこみ上げそうになるのをこらえていた。
そして、今日は、二学期の終業式。
「無理に、行かなくても良いよ」と思っていたけれど、入院中から、本人が、早く登校したがっていたので、学校に連絡をして「本人の強い希望で、終業式には登校したいと思っていますが、良いですか?」と尋ね、快諾を頂いていた。終業式は、午前中だけで授業はないので、病み上がりには、丁度良いだろう。
予定では、私が、車で学校まで送り、ハルを下ろしたら、私は、ハルが救急車で搬送された市民病院へ行き、リハビリテーションに提出する紹介状と資料を受け取り、また学校に向かいハルの下校を待つ、と言う流れで、その予定は、担任にも報告していた。担任は、「学校の駐車場に、車を止めて下さい」と言って下さっていた。けれど、昨夜、ハルが「友達と駅で待ち合わせをしたから、行きは一人で行く」と言い出した。心配だ。もし、具合が悪くなって、駅のホームの線路側に倒れたら・・・・とか、誰も見ていない所で倒れたら・・・・と、怖い事を想像してしまう。
一人で登校させる事に迷いがあったが、ハルが脳低温療法をして頂いている間、いろいろな事を後悔した。「あんな事言わなきゃ良かった、しなきゃ良かった、あれもさせてあげていれば良かった」と。もう、そういう後悔はしたくない。オギャーと生まれた時に「生まれて来てくれてありがとう」と感謝したあの日に戻ろう、と決意した事を思い返す。なので、今日は、地元の最寄り駅まで車で送り、そこからは、ハルは一人で登校した。私は、そのまま、市民病院へ向かった。
病院で、手続きをしていると、携帯がなった。学校からだ。「また、何かあったのだろうか・・・・」と、心臓がギュと縮まる。恐る恐る出ると、担任からで、ハルが一人で、電車登校する事を連絡しなかったので、ビックリして連絡を下さった様だ。
「連絡しないで、すみません。本人の希望だったので。今、私は、市民病院にいます。帰りは、迎えに行きますので」
「では、学校に来ましたら、職員室に声をかけて下さい」
と、言われた。あ~、失敗。担任と体育の先生が、門の所で、ハルが来るのを、今か今かと、待っていて下さった様だ。そうとは知らないハルは、電車で行ったので、違う門から登校してしまった様だ。申し訳ない事をしてしまったなあ・・・・と反省する。
病院での手続きがすみ、学校へ向かう。
また、応接室に通される。校長先生、担任、体育の先生、養護の先生、ハル、私で、今の体調の事や、今後の話をした。
知らなかった事なんだけど、ハルは、倒れる前に、生徒会の役員に任命されていて、その任命書を、校長先生から頂いた。先生方の目が、涙で潤んでいた。ホントに、いろいろとご心配をおかけしてしまった。
帰宅し、ハルから、二学期の成績通知表を渡された。ガクンと落ちていて、ガッカリしていた。期末テストを受けていないので、仕方ないだろう。私が気になっていたのは、欠席日数。13日だった。実際は、一ヶ月以上休んだけれど、テスト前後の休校などがあり、思ったより欠席日数が少なくて安心した。
ハルは、夕方まで、ずっとベッドに寝転んで、スマホを見ていた。久しぶりの登校で、疲れたんだろうな。
12月23日(木)
AM7:00
ハルを起こして、ご飯を食べさせて、リハビリテーションに向かう。
9時頃、到着。受付をすませ、診察のフロアーに案内される。待っている間に、いろいろな人が診察に訪れていた。ハルがここにいるのが申し訳なく思うくらい、障害がある方々が来ていた。麻痺がある人、車椅子の人、杖の人。大人から子供まで。
しばらくして、名前を呼ばれ、診察室に入る。広い。学校の教室くらいある。担当医は、若い女性の医師だった。
問診中、医師が、ハルにいろいろと話題をもちかけ、会話から病状を確認している感じだった。でも、特に、指摘される所はなかった。「これから、学校生活をしていく上で、前と違うなとか、違和感を感じる事があるかも知れない。なので、もう少し経過観察をして行きましょう」と言う判断だった。
次回は、春休み中に予約をとった。
会計を済ませて、建物の中の食堂でランチを食べる。私は、日替わり定食500円。ハルは、カツカレー700円。学食の様な食堂だった。
帰りに、百貨店で、ハルの買い物に付き合う。彼女への、クリスマスプレゼントらしい。私へのプレゼントじゃなくても、こんなふうに、一緒に買い物が出来る事が、嬉しかった。
2022年1月8日(土)
無事に、家族3人で、新しい年を迎える事が出来た。当たり前の様に思っていた毎日を、今は、一日一日、噛みしめる様に、丁寧に過ごしている。
ハルは、今日から新学期だ。「いってらっしゃい」と送り出し、その背中に「無事に帰って来てよ」と心の中で語りかける。
家の中に戻ると、AppleWatchが置きっぱなしになっていた。忘れたんだ・・・・。毎日、身につけて、心電図を計っていたのは、最初の数日だけだった。親の安心の為に買った様な物だけど、常に身につけて、定期的に心電図をチェックしてくれ~と、また、心の中で思う。
1月24日(月)
カテーテルアブレーション治療をして頂いた、大学病院へ、術後の検診に行く。心電図検査をして、カテーテルをいれた傷口の様子を診て頂き、その後、問診。
I医師の「学校に通い始めて、何か困っている事や、前と違うなと思う事はありましたか?」という質問に対して、ハルは「特に変わった事はなく、体育の授業も普通に参加しています」と告げていた。私は「疲れる様で、学校から帰宅してからは、横になっている時間が多いです。水泳をしたいと言っていますが、どうでしょうか?」と聞く。
「術後の後遺症で、疲れるのは、仕方ないでしょう。水泳は、2・3年はやめておいて下さい」との事だった。今後は、倒れて搬送された病院で、定期的に検診を受けて下さいと言われた。
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