第5話 奇跡

11月23日(火)

AM7:00 

 起床。朝方一度目が覚めたけど、また眠った。夢も見なかった。悪夢を見ないだけ、ましかな。

 ベッドから出て歩こうとしたら、ふらついた。股関節がユルユルした感じ。運動不足か、長時間足を組んでパソコンを見ているせいかな?

 夫も起きてきた。朝食を作る。今朝の私は、味噌汁と、おかずを少し食べた。

 今朝も、ハルにラインする。ハルの携帯は家にあるのに。何でも良いから、気持ちが届きます様にと。思いつく事はすべてやりたい。


『ハル、おはよう。脳低温療法をやってもらってから約76時間が経過しましたよ。ハルは、起き始めたかな? たっぷり眠ったよ。そろそろ起きてね。今、外は曇り。少し青空が見えています。今日こそは、ハルに会いたいよ。今日もお互いに頑張ろうね』


 今日こそは、病院から電話が来て、良い報告をもらって、面会できます様に、と思う。

 腰痛が酷くなっているので、ユーチューブを見ながら、ストレッチをする。こんな時に、こんな事をしていて良いんだろうか? と思いながら。でも、もしかしたら、今後、ハルには介護が必要になるかも知れない。ハルの今後の為に、健康を維持しておかないと、と思い直す。ポジティブに。

 その後は、ずっとネット検索。

 今、ネットで知りたい事は、「同じ様な経験をされた方で回復された方の体験談・家族のつぶやき」「脳低温療法をした人の家族が、病院から何時間後に連絡が来て、面会ができたのか?」「家族がHCUで治療されている人のつぶやき」等だ。でも、そういうプログや記事は、あまりなかった。


 医療従事者の方々が、ハルの為に懸命に最善を尽くして下さっているのは解っている。皆さん、治療に集中されていて、小さな事でいちいち連絡は出来ないだろうし、ぬか喜びさせないと言う趣旨もあるだろう。それが普通なら良いんだけど、ハルの状態が悪すぎて、我が家だけ特別に連絡をくれないのかな? と言う不安な気持ちに、苛立ちも出てきた。

 気を紛らわす為に、検索をする。昨日は「脳低温療法」というワードを主に検索をかけていたが、今日は「低体温療法」で検索してみたら、たくさんヒットした。いくつか、励ましになるプログがあり、萎えてきた希望が復活したりもした。

 今は、ハルの現状が全く解らないので、最後の姿が頭のスクリーンに映し出され、希望を持っては、すぐに打ち消され・・・・と、気持ちの浮き沈みが激しい私。


AM11:00

 夫が

「3時になっても連絡がこなかったら、こちらから電話してみようか」

 と言ったので、嬉しく思った。夫は、規則は真面目に守るタイプだし、電話がないって事は家族に報告できる材料がないって事なのだから、かける意味がないと思っていたんだろう。でも、私は、ダメと解っていても、入院した翌日に、検査結果のコピーを持参し「もしかしたら会わせてもらえるかも」と強行するタイプ。明日、夫は出勤するから、こっそり病院に電話をかけちゃおうかな・・・・なんて思っていた。これって、父親と母親の違いだろうか。でも、3時になったら、何か解る。「3時」という目標が出来た。


 知人からラインがきた。占い師に、ハルの事を聞いてくれたらしい。その内容。

知:原因はなんだと思いますか?

占:ワクチンではないでしょうか

知:ワクチン接種をしてからだいぶたっていると思います

占:後からでもワクチン反応が出たりしますからね

今のハルの状態を聞いたら

占:処置でおおわれていて、眠っている感じの様です

と言ったそうだ。

 知人が、占い師に、ハルの状況をどれだけ伝えたか解らないけれど「ワクチン?」と思った。ハルがワクチン接種をしたのは、9月4日と25日だ。二ヶ月は経過している。もしワクチンが原因でも、それを証明する事は、難しいだろうな。

そこで「ワクチン接種 心肺停止」「ワクチン接種 副反応」「ワクチン接種 死亡」等のワードで検索してみたら、いろいろな情報が出てきた。けれども、やはり「ハルの心肺停止の原因はワクチン接種」と断言はできないだろう。

 人それぞれ、生活環境が違うし、持病や体質などがある。大まかに考えると、ワクチンという異種を故意に身体の中に入れるのだから、その後の生活を充分気を付けて、不摂生をしないで健康管理をし、それらを継続する事が大事、なのではないだろうか。ハルと、親の私が、それをしっかり管理していたかと言うと、NOだ。ハルは、2回目接種の翌日に微熱が出たけれど、解熱剤を一回飲んで、治まった。ワクチン接種の1回目も2回目も、打った後は普通の生活をしていた。つまり、いつも通り、あまり健康に気を付けないで、夜遅くまで起きていて、朝ご飯を食べないで、小食で、偏食で、不摂生な生活をしていたのだ。でも、多くの若者が、同じ様な感じだったのではないだろうか?


PM2:00

 脳低温療法を始めてから、約92時間経過。今のハルの体温は何度くらいかなあ。まだ脳の反応は確認できないのかな・・・・。


PM3:00

 病院に電話をする。ハルが入院した時に、「今夜の夜勤担当の看護師です」と言っていた男性の看護師さんが対応して下さった。

 規則違反で電話をした事を怒られるかな、と思っていたけれど、

「こちらから電話できなくて、すみません。実は、これから、ハルくんの管を抜く作業をする予定でして、それから病状を確認して、医師からお電話を入れる予定でした。昨夜、脳低温療法が終わり、声かけにも反応し、意識もあります」

と言って下さった。思いがけない吉報に、呼吸が止まりそうなくらい安堵した。隣で会話を聞いていた夫は、号泣していた。もう、それだけでも十分なくらいだ。その瞬間、いろいろな方々に感謝した。医療従事者の方々、学校の先生方、友達、救急隊の方、タクシーの運転手さん、家族、友達、ハルの為に祈って下さった皆さん。そして、ハルに。ハルの生きる力に感謝した。


ハルにライン

『ハル、頑張ったね。(ワーイというスタンプ)』


PM3:40

 担当の医師から、直接お電話を頂く。開口一番「とっても、うれしいお知らせです」と。

《内容》

 今日の昼過ぎから、意識の確認をし「グーにして、パーにして、チョキにして、手を握って」と言う言葉に反応し、正確に出来た。午後3時15分に口のチューブを抜いた。「何故、今、自分がここにいるのか」と言う質問には「解らない」と反応し、「学校にはまた行きたい?」と言う質問には「行きたい」と反応した。

恐らく、ほぼほぼリカバリーできていると思います。今夜、もう一晩ここで様子を見て、良かったら、循環器内科へ移動する事になります。

 医師が、電話をハルの耳元に当てて下さった。「ハルくん、聞こえる? よかったね。頑張ったね」と言ったら、かすれた声で「はーい」と言う返事が聞こえた。夫は、また、号泣していた。

 まさか、ハルの声まで聞けるとは思っていなくて、感涙する。録音しておけば良かった。

 今の所、まだ、ハルには会えない。病院からの連絡があるまで、手続きや、面会は出来ないけれど、もう、安心だ。悲しい涙は、おしまい!


 その後、心配してくれた妹達、両親、友人、ハルの親友のママ、会社の同僚にラインをする。直ぐに、妹から電話がきた。妹も、泣いていた。


PM4:00

 担任に電話をする。私からの電話と解った瞬間、心臓がドキッとしたんだろう。声が震えていた。それで、始めに「先生、吉報です」と言って、容態をお伝えした。先生、泣いていた。「先生方や、クラスの皆さんにも、お伝えください。ご心配をおかけ致しました」と言って、電話を切った。


PM4:08

 体育の先生から、電話がきた。「良かったです。本当に、良かったです」と、泣きながらおっしゃって下さった。私も、感謝の気持ちを伝える。


 妹や友人から、続々と「良かったね」と言うラインが届く。

外は、夕焼けが始まっていた。キレイな夕焼けを見ながら思い出した。さっき、妹が言った「今日が、ハルくんの、2回目の誕生日だね」と言う言葉を。本当に、そうだな。夕陽に向かって「神様、ありがとうございます」と感謝する。


PM4:45

 担任の先生から電話。ハルの吉報を、クラスの皆に報告しても良いですか? と聞かれたので、「はい、お願いします」と言う。

 

 吉報を頂いてから私がやった事。まず、ハルが倒れたその日、病院から帰宅した私は、ハルが脱ぎ散らかしていた衣類を、畳んで枕元に置いておいた。それを、全部、洗濯カゴに入れた。倒れる寸前に着ていた体操着と靴下とパンツは、まだそのままにしておく。それから、ハルの机の上をキレイに整理整頓した。埃も拭いて、床に掃除機をかけた。とにかく、ハルの為に、何かしたかった。身体も動かしたかった。


PM5:00

 病院から電話。再度、看護師さんから、ハルの状況報告だった。

《内容》

 昨日の夜7時30分に72時間が終わったので、睡眠薬をきった。徐々に覚睡した。その後、手の動きの確認、両足の動きの確認、「何か聞きたい曲があるか?」と言う質問には「あいみょん」と言ったので、看護師さんの携帯で曲を流した。時々笑顔も見られた。まだ、記憶が曖昧な点があるので、これから、徐々に確認していく。

 そして「ハル君の身の回りのモノを持ってきて頂けますか?」と言われた。シャンプー、メガネ、運動靴、携帯。あと、入院した日に売店で買って渡した、「簡易清拭剤」にアルコール成分が入っているのでノンアルコールのモノを持って来て下さい、と。

「解りました。後ほど、持参致します」と答える。やったー! ハルの近くに行ける!

 言われたモノを、ハルのリュックに入れる。夫は「言われたモノ意外は、やめときなさい」と言うが、タオルと、除菌ウェットティッシュも入れた。何なら、ハルのお気に入りの、タコの縫いぐるみもしのばせたいくらいだった。

 それにしても、ハルの回復振りに驚いた。私は、ハルの意識が戻っても、脳には何らかの損害はあるだろうと、覚悟していた。知的な障害、手足の麻痺、不随なども想定していた。今住んでいるマンションは、エレベーターが止まらない階なので、もしかしたらここでは暮らせないかも知れない。引っ越す事も、想定していた。学校も無理だろうな、って言うか、もう、行かなくて良いよ。ずっと家にいて欲しい、と思っていた。


PM6:30

 夫と、簡単に夕食をすませ、ハルの所に向かう。こんなに明るい気持ちで行けるなんて、神様ありがとう。でも、浮かれすぎたらダメだ。安全運転で、と自分と夫に言い聞かせる。

 途中、ドラックストアーに寄って、シャンプーとノンアルコールの簡易清拭剤を買う。

 病院の夜間受付で、ハルの名前と、来館理由を言うと、内線で確認して下さり、OKが出たので、中に入れてもうら。厳重だ。

 HCUのインターフォンを押すと、看護師さんが出てきて下さったので、指示された身の回り品を入れたリュックを渡す。すると「携帯お持ちでしたら、ビデオ電話でハル君とお話しできますよ」と言って下さり、感激しながらお願いする。夫の携帯を看護師さんに渡し、私の携帯でLINEを繋ぎ、映像を見る。久しぶりにハルの姿を見る事が出来た。まだ、ボーっとしている感じだったけれど、生きていた。

「ハル、頑張ったね。ゆっくり休んでね」と言うと、かすれた声で「はーい」と返事が聞こえて、小さく手を振ってくれていた。悪夢から覚めた様な瞬間だった。


 帰り道、バイク用品のお店があったので、夫のバイク用のグローブを買い、ついでに、ドンキホーテにも寄って日用品を買った。夫と二人きりで買い物をするのは、七年ぶりくらいかも知れない。

 今回の試練は、私達夫婦への警告もあったのかな? と思った。喧嘩している訳ではないけれど、心は冷めていて、家庭内別居みたいな距離だった。神様は、ハルを犠牲にして、私達に何かを教えようとしたのかも知れない。


PM9:00

 帰宅して、パスタを茹でて、夫と食べた。その後、入浴して、洗濯をする。今夜は、久しぶりに大量。ハルの香りがすると思って、洗わずに畳んでおいた衣服も洗ったので。

 今夜も、なかなか眠れなかった。人は、悲しすぎても眠れないけれど、嬉しすぎても眠れないものなんだな、と思った。


 ハルが、回復してきたから言えるが、ハルにとっては、一泊約十数万円の、あの世への旅行だったのかも。何か、特別なパワーをお土産にもたされて来たかも知れない。退院してから、聞くのが、楽しみだ。

 

 ハルが倒れた日に「一つだけ、気になる事があったけれど、それは、今は書けない。あまりにも、怖すぎて」と書いた。それは、ハルが倒れる前日の夜の事だった。

台所で洗い物をしていたら、ハル(白いトレーナーを着ていた)が洗面所から出てきて、奥の部屋に入って行った。「ん?」と思った。ハルは自分の部屋で宿題をしていたはずだったので。奥の部屋を見に行くと、誰もいない。おかしいな? と思い、ハルの部屋に行くと、ハルはそこにいて、勉強をしていた。しかも、黒いトレーナーを着ていた。「ハル、今、洗面所に行った?」と聞くと、「ううん」との答え。「マジ? 一瞬だけど、しっかり目が合ったのに。幽体離脱?」なんて言って終わったんだけど、救急処理室のベッドで横になっていたハルを見た時、白いトレーナーを着て洗面所から出てきたハルの姿が浮かび「この事は、もう決まっていた事だったのかも。ハルの魂が、もう、こっちの世界に興味がなくなって、天国へ行こうとしていたのかも」と思ってしまった。なので、ハルがHCUで治療して頂いている間、「戻ってきて」「連れて行かないで」と言う思いが強かった。亡くなった、夫の両親や、私の祖父母にも、「戻るように言って下さい」とお願いしていた。

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