百鬼夜行の夜に

宵待昴

第1話





「散歩に行こうぜ、透子とうこ

「おーけー」

橘透子たちばなとうこ笑介しょうすけは、連れ立って透子の家を出る。

時間は深夜。丑三つ時、というやつだ。

辺りは静まり返り、車も自転車も通行がない。もちろん人の通りもなかった。

二人はぶらぶらと、のんびり気ままに歩いている。毎回、行き先も決めず、気になった場所は外から眺め、良いと思った景色は写真を撮る。それくらいの緩い散歩。

「この前、土手から川撮ったじゃん?」

唐突に、透子が口を開く。

「撮ってたな。改めて見てねぇけど」

興味が無さそうな笑介に頷きながら、透子は盛大な溜息をつく。

「川からさ、白い半透明の手が伸びて来てるのががっつり写ってた。他はめちゃくちゃ良い感じだったのに……」

「編集ソフトで消せば?」

何てことの無いように言う笑介に、透子は唸る。

「そりゃあんたは妖怪だから、そういう思考で気にならないんだろうけど……心霊写真じゃん……」

笑介は愉快そうに笑う。

「手だけだろ?後で見てやるから、問題無さそうなら消せ消せ。その方が面白いし」

「笑介だけでしょ、面白いの……」

透子はまた溜息をつく。笑介の正体は、妖怪「苦笑にがわらい」。毒舌を吐き、人間に嫌われることを好むのが特徴の、得体が知れない、とされている妖怪である。会社員で一人暮らし中の透子に助けられたのが縁で、彼女の家に居候中だ。

人に化け、笑介という名を名乗っている。

「今日も何か写真撮ったらどうだ?また何か写るかもしれんし」

「やめてよねー……なら、笑介が撮れば良いじゃん」

「写真の腕無いから無理」

「面倒なだけでしょ」

小声でやいやい言いながら、二人は住宅街を抜けて進んで行く。満月の出ている空はよく晴れ渡っていて、空気も澄んでいる。

声を出して、空気を揺らすのも憚られるような静かさ。

街灯の明かりがあっても、何となく心細いような闇が、直ぐ側にある。

「あ。この上、廃神社だっけ」

道は、気付くとコンクリートから土になっている。雑木林に囲まれたこの坂道の上には、

今はもう誰も立ち入らない廃神社があるのだ。

「行くのか?勇気あるねぇ」

「行かない行かない!」

からかうように笑う笑介に、透子は必死で首を横に振る。

「土手の方に行こう。話してたら、写真リベンジしたくなってきた」

方向を変えようとして、笑介はぴたりと足を止める。

「どうしたの?」

尋ねる透子に、笑介は自分の人差し指を口の前で立てる。透子は慌てて口を閉じた。


りん、りんーー


微かな鈴の音が聞こえる。坂道の上の、廃神社から。笑介は、固まる透子の手を引いて、雑木林の茂みに隠れる。

「声出すなよ?」

「うん……」

上から、鈴の音が少しずつ降りて来る。鈴の音も怖いが、透子は背後に広がる闇も同じくらい怖かった。

飲み込まれそうで。傍らにいる笑介の服をぎゅっと握る。更に、歌も聞こえて来た。


楽しや楽しや 列成し進むは 夜こそ我が春

妖の 百に舞いて鬼になり 惑いし人の子

見つければ 攫いて さてさて 如何にしようか この夜行くは 楽しや楽しや 朝日の昇るまで


近付いたり遠ざかったり、声が変な聞こえ方だが、こんな風に歌っている。

透子は生きた心地がせず、ずっと下を向いていたが、笑介はじっと道の先を窺っていて、にやりと笑った。

「百鬼夜行だ」

透子は顔を上げる。

真っ暗な坂道の上から、欠けた食器に足が生えた何か、扇子で顔を隠し、空に浮く着物姿の女、角の生えた赤や青の鬼、足の生えた唐傘、髑髏、炎を纏う車輪、よく分からない様々なモノたちが列を成し、青白くぼんやり光りながら降りてくる。

向こうからは二人が見えないようだが、あまりの光景に透子は声も出ない。

妖たちはぞろぞろと坂道を下り、静かな路地の向こうへ歌いながら消えて行く。どれくらいの妖を見送ったか。

ようやく、最後尾になった。

最後に二人の前を通り過ぎたのは、古い小さな釣鐘だった。土で少し汚れたそれは、ふらふらと宙を浮きながら、

「女房の朝寝と無間の鐘は 朝のごはんがひるになる」と小さな声で歌っていた。その鐘を見えなくなるまで見送り、ようやく全ての妖が去った。辺りは、いつもの夜に戻る。笑介が呟いた。

「あの歌……。あの釣鐘は、無間むげんかねか」

まだ路地の方を見ている透子に気付き、その肩を、笑介は笑って叩く。

「もう口開いて大丈夫だぜ。また会っても面倒だ。さっさと土手に行こうや」

二人は素早く立ち上がり、土手へと歩き出す。

透子がようやく話し出した。

「笑介。さっき言ってた、無間の鐘、って何?」

「ん?ああ。ーー俺は、昔日本中ぶらぶらしてたんだけどな。静岡の粟ヶ岳に行った時、『無間の鐘』って鐘を見たのさ。

その鐘は、ある仙人が、信仰している不動明王に供える為に作った釣鐘で、つけばつくほどご利益のある有り難い鐘だった。

七度つくと長者になれるって聞いたかな。あんまり興味なかったから、何回ついたらどうなるとかは覚えてないが。

鐘をつきに来る人間で溢れ返ってすごかったね、あの頃は。でも、山は道が悪くてな。鐘をつきに来て、怪我したり谷底に落ちて死ぬ人間も多かった」

思わぬ昔話に、透子はすっかり聞き入っている。笑介は続けた。

「悪い長者が鐘をついて、三度の飯が皆蛭になって苦しんだとか、それで「女房の朝寝と無間の鐘は 朝のごはんが蛭(昼)になる」

って歌が出来たりとか、そんなこともあったな」

「さっき鐘が歌ってたやつ……!そんな話があるんだ……。その鐘は今もあるの?」

笑介は首を振る。

「いいや。大勢の人間が己の欲の為にその鐘をつこうと山に来て、死んだり苦しむことになって恐れられた。

だが、そんなことを起こす為に作られた鐘じゃないからな。だから、作られて二百年以上経った後に、山の頂上の井戸に埋められてる。今は掛川って地の伝説になってる話だぜ」

いつの間にか、二人は土手に着いていた。

「ふうん……せっかくお供えしたのに、死人が出るのも、埋められちゃうのも、可哀想だね。釣鐘が」

川を見下ろしたまま、複雑な顔で透子が言う。

笑介は少しだけ笑った。

土手を下りて、透子はその場に屈んだ。笑介も倣って、隣に屈む。並んで、月光が揺らめく川の水面を眺めた。

「でもここ、東京だよ?何で静岡の釣鐘が、百鬼夜行してるの?」

「さっき思い出したけど」

笑介はにやりと笑う。

「あの廃神社の側。使われてない井戸もあったろ」

「あ、あー……そういえば。……ん?」

透子は、ゆっくり笑介を見る。

「井戸同士、繋がってたりしてな」

いたずらっ子のように、笑介は笑った。

透子は笑うことが出来ず、息を吐き出す。

「さて。写真撮るんだろ?」

「そうだった。リベンジだ……!」

笑介の言葉で思い出した透子は、スマホを川へ向けた。


次の日。

休日だからと、遅くに起きた透子は、寝室の窓辺を見て仰天した。

「しょっ笑介!!鐘!鐘が!!」

「朝から元気だな、どうした」

叫ぶ透子は、やって来た笑介に指を指して示す。透子の指の先には、古い小さな釣鐘。

「おや。昨日の、無間の鐘か」

「何で!?」

「俺が知るか」

二人で言い合っていると、鐘がふわりと浮いた。

「あのう。私をご存知なんですよね……?」

「鐘が喋った!」

「……透子は少し黙ってろよ」

笑介が呆れたように言って溜息をつく。

「すみません。助けていただきたく、参りました。苦笑殿が、私が歌った歌をご存知だったのを聞いていたもので」

「聞こえてたのか」

笑介は、鐘が自分の正体を知っていること、昨夜の呟きを聞かれていたことに、顔を顰める。

「助けていただきたく、って?」

透子は、鐘をじっと見つめて尋ねた。

「その……百鬼夜行とはぐれてしまいまして。帰り方が分からないのです……」

鐘から聞こえて来る声は、どんどんか細く消え入りそうになっている。

「帰り方……」

透子と笑介は、顔を見合わせた。



昨夜に百鬼夜行に出くわした坂道。その上にある廃神社に、透子と笑介、鐘はやって来た。

真っ昼間に見る廃神社は、朽ちた小さな本殿、賽銭箱があるだけの場所だ。周囲は雑木林、竹林に囲まれ、風に草葉が揺れている。

「何で俺まで……」

「井戸のこと言ったのは笑介でしょ」

むすっとした顔の笑介に、透子は当然のように言った。鐘は、すみません、と言いながら小さくなっている。

笑介が昨夜言った通り、本当に百鬼夜行は廃神社の井戸からやって来ていたのだ。

昼間に行って帰れるか分からないが、とりあえず皆で来てみたのである。

「あ、あったあった!井戸!」

本殿の裏に回った透子が、声を上げた。

石の蓋がされた古い井戸。

やって来た笑介がゆっくり蓋をずらす。水は枯れているが、意外と浅い底が見える。

「うっすら、道の軌跡は感じるが……ただの井戸だな、今のとこ」

「確かに私が来た井戸です!が、“道”は見えませぬ……」

顔がついている訳ではないが、鐘はしょんぼりしているように見えた。

「……なら。また喚ぶか、百鬼夜行」

思案顔で、笑介は言う。透子は目を丸くした。

「そんなこと出来るの?」

「分からん。物は試しだ。……お前、帰りたいんだろう?手は貸せよ?」

「?……はい?」


夜。日付が変わってしばらく経った頃。

また、透子たちは廃神社にやって来た。雑木林に入り、井戸が見える位置に身を潜める。

雰囲気が、やはり昼間とまるで違う。

「……やはり、私が鳴るのは良くないのでは」

無間の鐘は、宙で動揺するようにくるくる回る。笑介は、それを面倒くさそうに見ていた。

「別に、ご利益を寄越せなんて話じゃないだろ」

「そうそう!百鬼夜行を喚ぶ為なんだし」

透子、笑介に言われても、鐘は納得しかねているようだった。

昨夜は、鈴の音が聞こえた。鈴の音には、霊や妖を呼び寄せる作用もある。井戸の前でやかましく鈴を鳴らせば、運が良ければ百鬼夜行が再び来るかもしれない。その際、鐘も鳴らそうと、笑介が言ったのだ。鐘は承諾したものの、今現在も不安に駆られている。

「私は恐れられ、長いことつかれることなく過ごしていました……鳴っても良いのでしょうか……」

「鐘さん……」

「鐘が鳴らんでどうする。ーーやるぞ」

笑介の言葉で、透子が恐る恐る、手に持つ鈴を鳴らす。


りんーー


と涼やかな音が、異様に場に響く。

ただ一度鳴らしただけなのに、もう怖い。

透子は、やってはいけないことをしてしまった時のような、じんわりとした後悔を感じる。

笑介も、手に持つ鈴を鳴らす。更に、鐘をついた。



ごーん



鐘の音も、この静かな空間において存外響いた。鈴を鳴らし続け、鐘も何回かつき、いいくらい経った頃。

「待て。何か聞こえる」

笑介に止められて、透子も鐘も、息を殺して井戸を見る。


ずっ、ずっ……ずっ


井戸の蓋が、触れるものも無いのに、少しずつ動いて行く。半分以上開いた時、井戸の縁を、中から伸びた手が掴んだ。

透子は叫びそうになる口を手で押さえる。手の主は、ゆっくり井戸を這い上がり、縁に腰掛けた。

それは、髭が長く伸び、古いがきちんとした着物を身に着けた老人。

髪も長く、一つに結わえているが、前髪は伸ばしっぱなしで、顔がさっぱり分からない。鐘が息を呑む。

「もしや……あの方は、」

現れたのは老人だけで、他に何かが現れる様子は無い。鐘がもう我慢出来なくなった様子で、茂みを飛び出した。

「仙人殿!仙人殿ですか!?」

「鐘さん!?」

透子と笑介も茂みを出て、鐘を追う。

老人は鐘を見、ほう、と息を吐き出した。僅かに髪が動き、光有る目が覗く。

「……久方振りに懐かしい音が聞こえたから、井戸を通じて来てしまったが……やはりお前の音か」

透子はぽかんと、鐘と老人を見比べる。

笑介は手をポンと打つ。

「あんた、この鐘を作った仙人か」

「え!?」

うむ、と、老人、もとい仙人は頷いた。

「井戸の底に埋められたことは、風の噂に聞いていたが……」

仙人は、空に浮く鐘を懐かしそうに眺める。その口元には、微かに笑みが浮かんでいた。

「またこのを聞けて嬉しいよ……」

すすり泣く声が、夜の廃神社に響く。

鐘が、泣いているのだ。

「私はずっと、人々に恐れられ、最後には井戸の底に埋められました。付喪神として力を得ても、この鐘の音が良いものと思えず……ずっと苦しく思っておりました……だからずっと、井戸の底にて眠っていたのです。

鬼に誘われ、昨晩初めて百鬼夜行に加わりましたが、帰り道を見失う体たらくですし……その私が、まさか生み出していただいた仙人殿にお会い出来て、更にはそのように言っていただけるとは……」

「随分苦しい思いをさせてしまった……」

仙人は鐘を一度、労うような手付きで撫でる。

「長い間、よくやってくれたね」

優しい笑みを、鐘へ向けた。

「僥倖……」

鐘が一瞬光ると、そのまま輝く粒子となり井戸へと消えた。

透子が後を追って井戸を覗き込むと、井戸の中は底の見えない闇となっている。

そこへ鐘の光が吸い込まれたのを、一瞬だけ見た。後はそれきり。

「……良い夜だ。あの鐘の分も、礼を申し上げよう」

仙人も一礼すると、その姿はふわりと消えた。

後には、透子と笑介、蓋の開いた井戸、いつもの夜。

「……帰りは閉めていかないんだ、蓋」

「怠いもんな。俺も怠かったわ……」

鐘が帰った今、百鬼夜行が来たら面倒、という訳で。今度は二人で蓋を閉めて、さっさと廃神社を後にした。


帰り道。


日課の散歩のノリに戻り、二人はまた土手に向かった。

月明かりが、キラキラと揺れる水面が見える。

透子が歩調を緩め、立ち止まった。笑介も歩みを止める。

「仙人に、自分を作ってくれた人に、会えて良かったねぇ……」

「まさか、仙人が来るとは思わなかったけどな。……心残りはあったってことか」

「……物に転生なんてあるか分からないけど……もしまた釣鐘になったら、大事に長くつかれる鐘になれればいいね」

「人間がいる限り、難しい願いかもねぇ……」

くつくつと、笑介は笑う。

月明かりに照らされて生まれた笑介の影が、人型ではなく、その正体の輪郭を取っている。

(笑介って、本当に長い時間生きてるんだなあ……)

透子は、傍らにいる妖怪の影をぼんやり眺めながら、改めて実感していた。

(私のことも、いつか昔話として何処かの誰かに語るのかしら)

そう考えて。はたと透子は気付く。

(インパクトある思い出やエピソードが無いわね……)

「透子?」

「やっぱり心霊写真は、たくさんある方が良いかも……」

途端に、笑介は呆れたような表情になる。

「何を言ってんの?お前は」

「一日一心霊写真を目指すわ!」

張り切って、透子はスマホを構え出す。

そんな透子を、最初は心底呆れて見ていた笑介だったが。やがて優しい目になって、撮影に夢中になる彼女を見守ったのだった。


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