第18話 イブの日に
そして今日は12月24日 クリスマスイブだ。
帰宅したら涼子とふたりで ささやかなパーティーをするのだ。 だから仕事が終わったら直ぐに帰宅する。早く帰らないと9時には猫になるのだから 楽しむ時間が足りない。プレゼントは先日カシミアのストールを購入して鞄の中に入れている。色は淡いブルー、涼子の好きな色だ。涼子気に入ってくれるかなあ…肩にストールをかけ
微笑む涼子の姿が目に浮かび、思わずニヤケてしまう。
昼休みはいつものように弁当を持ってエレベーターに乗った。ビルの中にいると
分からないが 今日は夜に向かってかなり冷え込んでいくと、テレビでお天気おじさんが言っていた。夜になると雪が降るようだ。
(ホワイトクリスマスなんて ロマンティックじゃないか、)なんてのんきな事を
思いながら屋上のドアを開けると、冷たく強い風が俺の顔に当たった。
「うー寒い!屋上だから やっぱ地上より寒いなあ、」と思わず声が出た。
ここで弁当を食べるのをやめようかと一瞬思ったが、どしゃ降りの日以外はやると
決めたんだ。身体を丸くして小走りに橘が落ちた辺りに行き、座り込んで弁当を食べ始めた。1階の自販機で買ったお茶の缶が温かくて一口飲むと身に沁みる。
「橘は8月の暑い日に死んだんだよな…あれからもう5ヶ月近くになる。もう無理なのかなあ、」と、ちょっと弱気になった。
木村課長が怪しいのは 絶対確かなんだが これ以上何をすればいいのか分からない。俺は思わず声を上げて叫んだ。
「たちばなー!力を貸してくれようー!お前だってこのままじゃ悔しいだろうー!」
辺りは静かだ。ただ、風の音だけが聞こえてくる。
「……なさい……」風の音の中に微かに声が聞こえた様な気がした。
「たちばなかあー?お前今、ここにいるのかぁ?」何の返事もない。
「はあー… 気のせいか…」
ほぼ弁当を食い終わった頃、出入り口のドアが動いた。
「ん?ちゃんと閉めたよな…」
チョットだけ開いたドアは 風が強く吹いても それ以上開く事はなかった。そして
何かが絞り出される様に 木村課長が出て来た。
「課長……」
課長はドアを閉めると 俺の方に大股に歩み寄りながら言った。
「本当に…お前って奴は 人をイライラさせるなあ! なんだってこんな寒い日にここにいる?」
凄い迫力で 怒鳴りながら俺に近づいて来た。
恐怖を感じて逃げたくなったが 平静を装い「どこで食べようと俺の勝手でしょう」と言うと、課長は俺の前にしゃがみ込み「お前は――!」と俺の首に手をかけた。
「お…俺を…殺す気…ですか?」
脳裏にいろいろな考えが浮かぶ。このまま殺されて 課長を殺人犯にするのも悪くない。今なら課長の両腕を掴んで離す事も出来る。どうする?だが苦しい……と、
課長の手の力が緩んだ。
「なぜ抵抗しない?私を殺人犯にしようと思っているのか?」
「ゴホ…ゴホゴホ…何言っているんですか?自分で俺の首を絞めといて…もう立派な殺人未遂ですよ、ゴホゴホ…」
「私は殺人犯なんかにはならない!お前は自分で死ぬんだ。」
そう言って上着のポケットからロープを出した。これで絞めてフェンスにでも結ぶつもりか?俺にロープをかけようとした時だ、
「ええ?」課長は俺の後ろを見て、驚いて怯えている。
(何が起こったんだ?) 俺も後ろを振り返った。
「……い……るい……ずるい……」
「え?」
強い風の中、ボーっと何かが浮かんでいる。何か言っている。
「ずるい……」今度はハッキリ聞こえた。
「よるなあー!」課長が怒鳴っている。橘だ!橘の亡霊だ!
「先輩、ごめんなさい……」俺に向かって橘は言った。課長に向かっては手招きを始めた。
「よせ!あの時はお前が勝手に落ちたんだ!私のせいじゃない!」
「私はあなたが飛び降りようとするのを 止めようとしただけなのに……最後は私を
押したわ、そして私はバランスを崩して落ちた…」
橘は再び手招きをした。彼女は空中に浮かんでいる。傍に行くと言う事は 屋上から
落ちると言う事だ。課長は身を翻して逃げようとした。俺は思わず課長の足を掴んで
逃がさない様にした。
「離せ!私は子供をおろしてくれと言ったんだ。おろしてくれないと ここから飛び降りると言ったんだ!おろすと言ってくれれば こんな事は起きなかった。」
「何言ってるんだ!命を何だと思っているんだ!」俺は怒鳴った。
「あなたは奥さんと別れると言いながら、本当はそんな気は全然無かったのよね。でも私は父が幼い頃に亡くなって、母が一人で育ててくれたから、私もあなたが何もしてくれなくても一人で育てるつもりだった。迷惑かけるつもりはなかったわ。」
「子供の存在が迷惑なんだようー!」
課長が理不尽な言葉を発するや否や、課長の身体が浮き上がり始めた。
「わあ~!」
そして俺は掴んでいた足を離したのだが 今度は逆に 課長に手首をつかまれてしまった。課長が浮くと俺も浮きそうになった。橘だ、橘が怒って課長を空中に浮かばせている。橘が怖い顔で 髪は風によって舞い上げられ まるでメドゥーサのようだ。
「た、…たちばな…」俺は腕をつかまれて、課長と一緒に浮きそうになっていた。
「先輩の手を放しなさい!」放すわけがない。一人になったら恐らく屋上から落とされて死んでしまうと、課長も分かっているだろう。
「たちばなぁ――! 俺の事はいいから、恨みをはらせ!お前も知っているんだろう?俺はもう死んでいるんだから、ここで一緒に落ちてもいいんだ!」
「ええ? 何を言ってるんだ!バカな――!」
「課長!俺を盾にしようとしても無駄ですよ!」
「噓だ!騙されないぞ!」
「たちばなぁ~! 行け――っ!」
「先輩…ありがとう、ごめんなさい。」 浮いた、課長に手首をつかまれて俺も浮いた。
「わあ~、やめてくれ~! 悪かった!謝るから許してくれ――やめてくれ――!」
「やれ――っ!たちばなぁ!落とせ――っ」
その時、風が急におさまった。橘のメドゥーサの様な髪もおさまり、ゾッとする怖い顔も悲しげな表情に変わった。それと同時に俺と課長も屋上の床に叩き付けられた。
俺の上に課長が被さる形になってしまった。
「痛いじゃないか!どいてくれ!」そう言って橘の方を見ると もういなかった。
消えていた……「たちばなぁー!いいのかぁ!落とさなくていいのかぁ!」
返事はなかった。死んでも橘は優しい娘だった。殺してやりたいくらい憎い課長だろうに 実際、課長が押したから、バランスを崩して落ちたのなら 課長に殺されたんじゃないか、なのに復讐を思いとどまった。決して課長に未練があったと言う事では
ないだろう。
「くそう!なんで一気にやらないんだ!こんな奴は殺せば良いんだ!」
課長はコソコソと俺から離れて行こうとしている。
「許さない!こんな奴!許さない!」
ムラムラと怒りがこみ上げてきて 何かしないではいられない。俺は思いっ切りの
大声で叫んだ。
「やめてくれ――っ!課長――っ!やめてくれ――っ!」
叫びながら屋上のフェンスを飛び越え、躊躇なく落下した。心の中で「涼子ごめん、」と言いながら……ふと、俺は自分が落ちていくのを眺めている自分に気が付いた。 「あっ、俺もう、離脱している。」
ドサッ!と鈍い音がして 地面に伏せている俺の身体……そして、その身体のそばから猫が現れた。あの猫だ!元気そうだ。あの猫と飛んだ日から24日目の事だった。
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