第18話 合併相撲
翌年二月に両國橋の両側で盲人対女の相撲興行と題した引き札(広告)が配られた。
三月場所は回向院境内で行われるが、女力士の四股名と盲人力士の四股名がその下の段に東西に分けて載せてあった。
「こいつはおもしれぇ」
多くの相撲好きはこう思ったに違いない。
この事は房吉らにも知れ渡った。
同じ長屋に住む大工の仙蔵が引き札(広告)を持って来たのであった。
「到頭やったか、でも知らない四股名ばかりじゃないか」
「お前さん、ほら花の山も載ってるよ」
と多岐は嘗ての同僚の四股名を口にした。
これに出ている者は新人たちなのか或は名を変えての出場なのか見てみないことには何とも言えなかった。
「見に行くの?」
「見たくないよそんなの」
房吉は取組の様子が想像できたのだ。
最早力業とは言えない代物で、単なる悪趣味な見世物と言えた。
男女の取組が悪いのではない。
真に力と力、技と技のぶつかり合いであるならば相撲好きな人々を裏切ることはないが、趣旨の外れた物だとすると見るに堪えられないものに違いないと考えるのだった。
多岐の姉はまが回向院に用事があって中を覗いたらしく、異様な雰囲気であったと感想を漏らした。
「寅吉は?」
「冗談じゃない。あの子には見せられる訳ないじゃないか」
「そうだねご免」
はまは力士の一人に用事があったので片屋に居る力士に会いに行ったのだ。
女は東溜まりで薄い腰巻のようなまわしを膝辺りまで垂らして居て、盲人がしているまわしに比べると生地の厚みが薄いように感じたというのである。
そこで多岐は明け荷の中から使っていたまわしを出して見せた。
「前垂れのようなものだってこんな厚くはなかったのよ。腰巻より薄い感じだったよ」
と言うのだ。
「すると何、手拭いみたいに薄いってこと」
極端に言えばそんなとこであった。
「其れじゃ見えちゃうよ」
多分その下のまわしも薄い生地であるに違いなかった。
「そうなんだよ。横から見るとさ、肌も布地も白っぽいからさぁ目立って見えちゃうのさ。そりゃぁ野郎は良いよ、大喜びだよ」
如何やら亭主の言う通りのようだ。
勤めを終えて帰って来た夫に姉のはまがした話を聞かせると、
「結局女は勝ちたいが為真っ向勝負はしないだろう。すると男は相手の動きを感じながら手探りすることになる。摑まらなければ女が優勢だが、摑まえたら男の方が有利となるに違いない」
「そりゃそうだろうね力士には違いないだろうから…。でもさ後ろに回り込んで押せば勝てるじゃない」
多岐は至極当たり前の戦法を述べたのだが、
「それでは直ぐに終わってしまうだろ。誰がそんな詰まらない相撲を百文も払って見るかね。多岐はどうよ?」
「見ないわ」
「だろう。すると土俵上で鬼ごっこか」
これは極論だが、実際のところそれに近いものであった。
だが鴫原岩のように力のある力士は堂々と組み合った。
花の山も実力者だけに四つに組んでから投げ技を多用して見せた。
これらの本格派が居なかったら正しく鬼ごっこであったろう。
この場所は盛況のうちに終わった。
唯現在の会頭の曲淵善兵衛は元々は金貸しで財を成しただけに、無駄な支出と思えばびた一文出さなかった。
女相撲も一応勧進相撲である。
札銭の上りの一割程を上納するのだが、善兵衛は勘定役にある指示を出していた。
木戸番には三ツ矢も居たが入場が終わる頃になると、梅吉と佐太と言う奉公人が札銭と半切を取りに来たのである。
その時には必ず二人の周りに浪人や
先代の伊勢谷藤右衛門の時はこの様に怪しげな者たちは居なかった。
回向院側から秋の開催を断られたのである。
曲渕善兵衛は慌ててその理由を訊きに出かけて行った。
脇の冠木門から入ると直ぐ横に
「これは会頭の曲淵さまではありませぬか、ご用向きは何でござりましょうか」
中々の狸である。
執務室の椅子に座ると小坊主がお茶を持って来た。
「秋場所開催の不許可は如何なる理由を以て下されたかをお伺いしたい」
単刀直入に詰め寄る。
「当寺は御公儀の御意向により万民万物の御供養を司っておりますが、維持する為にはそれなりの係が必要となります故、皆様方にお願いして御尽力を賜ってる次第なのですが、境内の使用につきましてはその筋から公平であるべきとのお達しが改めてありましたので、これまで幾度となくお断りして参りました江戸会所への許可を下さざるを得なくなったのです。出し物の内容に付いても検査方の調査があるとか聞いて居りますので、人寄せとは申せ行き過ぎた内容にならぬよう気をつけなければなりますまい」
男と女の合併相撲についての注文でもあった。
曲渕は売り上げの減少が不正申告に因るものと疑ってのことかと案じたが、制裁と思えることはなかったので、如何やらそれは杞憂であったと安堵した。
だが曲渕が会頭となって以来、年々売り上げを減らしたことは事実であり、入場者が減って上納金が著しく減ったのも事実であった。 そこで寺側は知り合いに頼んで入場者数の確認を行ったのである。
厳密には誤差があるかも知れないがある方法を以て毎日調べたのである。
結果八日間で三千二百ほど少なく計上されていることが分かった。
誤差を二百としても一日分の売り上げが少ないことになる。
住職にこのことを報告すると、先代の恩顧に鑑みて不問に付し、以後利用させなければ良かろうとの裁可であった。
あからさまにするは己の恥でもあったのだ。
こうして回向院での江戸相撲が始まった。
九月秋場所が最初であった。
この頃は未だ深川富岡八幡宮での開催が多かった。
回向院での初の興行に江戸会所は力を入れて臨む。何しろ本所も両國橋の側であり、反対側の繁華街に集まる人々の足をこちらに向けさせても敷地は十分広く、人の出は期待出来た。
それと女相撲で人気も博した場所でもあり、相撲人気はうなぎのぼりに高まっていた。
房吉は多岐と一緒に両國橋を渡った。
表門を潜るのは半年ぶりであった。
門の側には寅吉らが声をかけた火の見櫓があったので思わず仰ぎ見る。
「坊主どうしているかな」
寅吉の褌担ぎのおじちゃんが懐かしく思い出された。
その奥には天神様があり池を挟んで観音堂があった。
正面本堂の右手に釈迦堂があって、その間の空き地に相撲小屋が建てられるのである。
女力業の相撲小屋とほぼ同じ位置だが規模は全く違う。
収容人員は一万人というが、どのように造るのか興味津々であったのだ。
「多岐女相撲も奇を
房吉が指導した力士たちもそれらの中心的存在になっていた。
だが新しく力士となった者達は指導者に恵まれず、技を覚えることが出来なかった。
その為抱き合って押し合うことしか出来なかったのだ。
房吉も多岐も強くなる為の努力を決して惜しまなかった。
基本をしっかり身に付けて厳しい稽古を積み、色々な技を覚えたものだった。
今のままの女力業では単なる見世物で終わってしまうと危惧するがどうすることも出来なかった。
自分に与えられた仕事は師匠綾錦の護衛であった。
その為これまでにない程の注意を以て境内を観て廻ったのである。
次に訪れた時には小屋掛けが始まっていた。女力業の小屋掛けに比べると遥かに大掛かりである。
参道を歩いて行くと、
「関取、関取~と呼ぶ者がいた。
声の方を見ると三ツ矢が手を振っていた。
「その節は世話になったな」
「こちらこそお世話になりやした」
三ツ矢は鳶で本所の町火消でもあった。
本所十一番組だというから、竪川から北側南下水までの間にある町屋が担当地区ということなので大して多くはなかった。
そのうちの半分若しくは十人位が建築現場の足場掛をしたり、芝居小屋や相撲小屋などの臨時の小屋掛けなどをする鳶職で、火災発生時には火消しとして出動もした。
「こんどはお出になるんですかい」
と三ツ矢は訊く。
三ツ矢は濱田川の取組を実際に見たことがなかった。
一度はその雄姿を見てみたいと思うのだが、
「師匠の褌担ぎだよ」
と愛嬌のある童顔でにっこりと笑って見せた。
「寅吉が喜びますぜ」
長居しては作業の邪魔になるので房吉はその場を離れた。
三ツ矢の話では七、八千人程収容できる小屋を造っているとのことだった。
土間の他に桟敷席を設けることによって収容可能となるようだが、それにしても余程しっかりしたものでないと崩れる危険性もあり、使用する木材の選定には慎重であったと聞いた。
未だ周りを囲っていないので土俵塲は未だ出来ていないが、工事現場の隅には土が山盛りに積まれていて、砂を入れる俵や屋根を支える四本の柱が置いてあった。
本郷邸に戻って稽古場に顔を出すと、綾錦が政吉相手に稽古をしていた。
そこで房吉は急いで部屋に戻ると、木綿の稽古まわしを付けて稽古場に戻った。
「どうだった?」
綾錦は房吉に気が付くと、様子を知りたがった。
「豪く大掛かりな相撲小屋でした」
「そんなに入るかなぁ」
房吉は聞いた通りのことを話したのだが、綾錦は話半分と観て、後日現場を訪れてみて間違いないと確信した。
九月初めの長雨で工事が遅れた為初日を二十八日と変更した。
そのお陰で房吉相手に十分稽古が出来た。
初日の朝綾錦は房吉を従えて場所入りする。政吉には新弟子の吉次が付いていた。
四人は神田川から船に乗って大川を渡ると尾上町に着けて貰うとそこから上陸し真っ直ぐ回向院に向かって行くと、参詣者やら見物者やらが道端に立ち止まって一行を見ていた。
「褌担ぎのおじさん」
その声に振り向くと寅吉が母親と共に手を振って見送って居たのである。
「親方直ぐ追いかけますので」
と断って寅吉のもとへ明け荷を担いだまま歩み寄ると、
「おじちゃん今日も褌担ぎかい」
と言って屈託のない笑顔を見せる。
周りの人々は明け荷を担いでいるのが濱田川と分かって首を傾げたり、微笑んだりと様々な反応を見せていた。
「そうだよ。おじちゃんは褌担ぎだからな」
房吉は母親のはまに相撲を見せるからと言って寅吉を預からせてもらった。
「走るぞ」
「いいよー」
房吉は右手で明け荷を担ぎ、左手で寅吉の手を引いて親方の後を追った。
六尺の上背に三十八貫目の巨体が肩に明け荷を担いで片手に子供を連れて駆け出すさまは相撲絵に出てきてもよさそうな構図であった。
綾錦達は既に控えの小屋に入って待って居た。
「親方済みません。この子は女房の姉さんの子でして、相撲好きなもので是非見せてやりたいと思いまして連れて参りました」
寅吉はぺこりと頭を下げる。
「儂がお前を預かったのは八歳ぐらいだったかな」
「そうです。寅吉も八歳ですから…」
房吉はその時の自分と寅吉を重ねていた。体格は違うが性格が何となく似ているように思えるのだった。
「関取そろそろお願いします」
呼び出しが声をかけて行く。
先ずは東の花道から、呼び出しを先導に行司続いて大関以下前頭が連なって順次土俵に上がって下った。
西も同様にして顔見世が終わると取組順に片屋(土俵下)に座った。
其処に座って場内を見渡してみると、土間の他に桟敷席の設けられた、これまでにない大規模な会場であった。
この事は東の花道入り口に陣取った褌担ぎの房吉も寅吉を肩車しながら感慨深げに眺めていたのである。
此処回向院には女力業(相撲)で随分と世話になったものだった。
扨てこうして小結綾錦は初日に勝ちはしたが後は振るわず、二勝四敗二休の成績で引退を決意したのである。
この日房吉は船着き場に親方一行を送ると、寅吉を母親の元に送り届ける為川並部屋に行った。
丁度艶錦が新弟子に稽古を付けていたが、見た限りでは基本が出来ていなかった。
「きみ(艶錦)、四股や摺り足などの基本を教えなきゃ駄目だ」
嘗ての弟子たちは解かっていたが、親方や会頭らは技能など問題にしなかったようだ。
特に盲人との合併相撲に於いては、取組の在り方が全く本義から外れてしまっていたようだ。そうなると最早
どうかすると単に色気の強調で見る者も
「寅吉またな」
と帰りかけたその時、艶錦が房吉の袖を摑んで止めるのだった。
「師匠、源四郎さまはもう江戸にいらっしゃらないのかしら」
としおらしく訊ねた。
「あると思うが何時とは分からない」
「未だ独り身でいらっしゃるかしら」
と色目を使ってすり寄って来るのだ。
こうなるときみの目的がどこにあるのか分からない。
房吉は寅吉の視線を感じてきみの手を振り解くと川並部屋を後にした。
金澤町の家に戻ると、多岐に親方の引退を話した。
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