第16話 堕落の迷路

  



 力士希望者は多かったが適格者となるとそうは居なかった。

新弟子といえる者は七名。

前歴は女郎であったりきこりや人足であったので相撲の経験はなかった。

 総勢三十名程になった所で、伊勢谷藤右衛門は分割して、相撲部屋創設を考えていた。

その為に相撲部屋を引き受けてくれる経営者を募ることになった。

 経営というより道楽である。

道楽と言えば金持ちである。

少なくとも二人は必要であり、三人なら尚良かった。

 このあたりの話は会所の役員しか知らず、世話役で力士の指導者である房吉には知らされなかった。

実施は再来年とし、先ずは金持ち即ち商人に話を持ち掛けた。

 そこで藤右衛門は十一月(冬)場所にそれらを招待し、打ち上げに主だった力士のお披露目を兼ねて接待したのである。


 本堂の左手にある方丈の一角を借りて出張料理人による軍鶏しゃも(鍋)料理で接待したのであった。

 料理人の名は鐵右衛門てつえもんと言ったが、これはその者の実名ではなかった。

訳あって、本名を明かす訳にはいかなかったのである。

 昨年開業したばかりで、主に大名、旗本への出張料理を請け負っていたのである。

藤右衛門との繋がりは開業資金を借りた事から始まったようで、今回特別に出張って呉れたのであった。

 招待に応じた商人の商売は呉服商、廻船問屋、酒屋に材木商、金貸し等十二名であった。

 居並ぶ力士の顔触れはというと、関脇鴫原岩を筆頭に美人力士の艶錦や肥田桜など十八名が着物に身を包んで並び出た。

「これは又土俵上とは打って変わって美しき姿、驚きましたぞ」

 一人がお世辞を言うと、一同ほくそ笑むように頷くのであった。

「本日は鶏料理の名人鐵右衛門の料理をご堪能頂きます」

客たちは女力士の酌を受け、暖かい軍鶏料理に舌鼓を打ってご機嫌であった。

「御前様のお宅でこうした料理を頂いたり、おいしいお酒が飲めるなんて思ってもみませんでしたよ」

 この男の言わんとすることが分かったのであろう、住職は笑いながら一言。

「生き物にはそれぞれ役割が御座ってな。くらうものがあれば食われるものもいる。

人もその一角にあって諸物の恵みを頂戴するに、感謝の心で頂き、酒はけがれを清め、肉を食ろうては美味しく頂く。これまた供養と言うものよ」

 そう言って手を合わせると、冷酒入りの杯を取って静かに口元に運んだ。

 力士の六割が此処に居る訳だが、片屋入りで人気の大山里が欠席して居なかったのは単純に連絡漏れであったのだが、世話役の濱田三郎が緊急な用事で本郷邸に戻ってしまったので、出場者の表彰が済むと、付き人の千佳と共に回向院を後にし、途中飯屋に寄って腹拵して宿舎に戻った。


 一方回向院では一部の客を残して解散となった。

残った者達は相撲部屋設立について具体的な話を聞く為であったが、結局資金面での問題もあって、最終的に残ったのは二人であった。一人は深川の材木商で、今一人は如何やら油問屋の元締めのようであった。

無論伊勢谷藤右衛門はその正体を知っているのだが、設立後もそれを公表しなかった。

 来年の春場所には新規体制で望みたいとして準備に掛かった。

材木商の相撲部屋は深川は木置き塲の一角に造り、宿舎も同敷地内に用意され、油問屋の相撲小屋は新井町のお寺の土俵をそのまま借りて使用したのである。

宿舎もその隣の敷地にある長屋を使用した。また会頭の藤右衛門は力士の指導者として元相撲取りであった者に声をかけ、親方として其々の相撲部屋の運営に当たらせたのである。

 この辺りは本来世話役である濱田房吉に相談して進めるべき事柄であったが、房吉の方から手を引き始めたことを切っ掛けに、事業の一切に関わらせなくなった。

 藤右衛門は己の描く女力業の世界を創ろうとしていた。

当初は単なる見世物に過ぎなかった興行も力や技を具えた相撲になったことで飽きられることなく評判を呼び、大山里のような人気力士が出現したのである。

 女も裸で相撲を取ることに抵抗なく、見る側も男相撲とは違って、老若男女が理屈抜きに楽しむことが出来たのであった。



 翌年二月には準備も整って、三月中旬の興行に漕ぎ着けた。

相撲部屋のひとつは深川の川並部屋で関脇艶錦に小結肥田桜、前頭は蕗ヶ岳、内海に時雨山らが所属していた。

一方の本所新井町は妙典部屋と言って、関脇鴫原岩、小結花の山、前頭は鶴ヶ島、泪川、澤乃谷らが居た。その他に前頭格と幕下や二段目の前相撲達であった。

 此処で無所属の形で居たのが大山里でありその付き人の千佳ちかであった。

大山里は春場所を以て引退するが、付き人の千佳は細身の美形でどう見ても力業士には似つかわしくなかった。

 千佳は浦和宿から少し離れた下木崎新田の百姓の出で、女郎に売られるところを逃げて来たと言うので所属替えになった時房吉に相談して引き取ったものだった。

 房吉は二人の為に一の鳥居側の永代寺門前町の裏店を借りてやったのである。

相撲場のある富岡八幡宮には近いが、房吉にしろ大山里にしろ無用の筈で、寧ろ回向院に近い方が好かったであろうが、敢えて此処を選んだのには訳があった。

 実を言うとそのすぐ後ろには加賀前田家の蔵屋敷が在ったのだ。

房吉としては多岐と所帯を持つには住まいが必要であり、屋敷外から通う為には下屋敷詰の方が好く、近くが良いのでそこを選んだのであった。

 ところが一旦は蔵屋敷詰で許可されたのだが、綾錦が相撲頭取と路地奉行の兼務を拝命した為、その補佐を命じられ、深川蔵屋敷詰は取り消しとなったのだった。

 濱田房吉は綾錦の補佐となってから月のうち半分は本郷邸の御貸小屋に寝泊まりして深川の家には帰らなくなり、終いには数えるばかりとなってしまった。

 そこで多岐(大山里)は千佳と一緒に暮らし、会頭の勧めに応える形で残ったのであるが、本当の理由は別にあった。

 とも角大山里は深川にある川並部屋かわなみべやに所属することになって千佳を連れて挨拶に行っての帰りに、雇い主の川並喜重郎に呼び止められて永代寺前の茶屋に入った。

用意されていたように都合良く奥の間へと案内された。

すると女将おかみが出て来て挨拶をし、千佳をまじまじと見ていた。

「幾つだえ」

「数えの十七です」

「何か習い事したことある?」

 と訊くと、

「習い事って?」

「御三味線とか太鼓のこと」

「あたしんちは百姓だから鍬や鎌しか持ったことがねえです」

 女将は苦笑する。

「千佳さんはこちらの付け人と聞いたんだけどとても勤まるような体つきじゃないが…。良かったらこの茶屋で働かない」

 女将はこの若くて美人の娘に芸を仕込み芸者として育てたら看板になると踏んだのであった。

 この辺りの茶屋は材木商相手に繁盛し、辰巳芸者たつみげいしゃが幅を利かせていたのである。

この日から千佳は此処に住み込み、大山里は裏店を引き払って川並部屋に移った。


 一方の房吉だが、この間に頭取の大江爲衛門(綾錦)のお供で上野に二回ほど出かけていた。当然お相手は奥女中のお多美様であり、勿論紗代が一緒であった。

 何時ものように二組に分かれて房吉が特に話すこともなく黙って居ると、房吉の脇腹を指で二度ほど突いた。

「何だよ痛いじゃないか」

 と怒った振りをすると

「ネエネエ」と体を寄せて来る。

「どうしたんだよ姉ちゃん」


 房吉が二十歳だから紗代は二十四であった。二人が相撲小屋の井戸端で初めて会ってから十年経っていたが、房吉は外見は少年の頃とそんなに変わって見えなかったが、紗代はすっかり大人になっていた。

「房ちゃん所帯を持つって本当?」

 紗代は目の前に見る房吉がいつまで経っても子供に見えるので思わずそう訊くと、

「逃げられちゃったよ」

 正直その直前と言って良かった。

「放って置いたのね、莫迦ねぇ」

 ズバリだが、房吉には女の気持ちは解からなかった。

「勿体ないから行こう」

 紗代は房吉の手を引くと躊躇することなく茶屋の暖簾を潜り、階段を上がった。

「逃がさないからね」

 紗代はサッサと着物を脱ぐと横になった。

房吉は職業柄女の裸には慣れていたが、これまでの見慣れた裸体と、細くて華奢ともいえる紗代のものはまるっきり違って見えた。

 二つの小高い山の先に丘があり草叢に隠れるように渓谷が見えた。面積は極めて狭かった。

 房吉も部分的には大人になって居たので紗代の横に寝そべると、紗代は房吉を見つめてにっこり微笑み、そっと握って恭しくお迎えと相成った。

 房吉も紗代も汗が吹き出て体中の水分を飛ばし蒸発させた。

二人は綾錦たちとの待ち合わせ時間に遅れないよう気に掛けながら目一杯楽しんだ。

 紗代は待ち合わせ場所に向かいながらまたの逢瀬をお強請りすると房吉も異存なく肯いて見せた。



 この二人一緒になる気はないというより、房吉にその気がなかったし、紗代も奉公しながらの所帯は難しいと分かって、今の形のままの付き合いの方が気楽に愉しめると割り切ったのである。


 こうした付き合いを始めて三年ほど経った或る日、久しぶりに大山里から連絡があった。お会いしたいというのである。

一緒になる心算が房吉の都合で離散してしまい、お互いに連絡をしなかったのだが、何か相談でもあるのだろうか…。

 とに角深川の門前町にある指定の茶屋に出かけて行った。

店先で名を告げると奥座敷に通された。

 女中が中に声をかけると、

「どうぞ」

 懐かしい声が聞こえた。

中に入ると、多岐があの細かい柄の淡紅藤という、やや赤みをふくんだ薄い紫色の思い出の着物を着て待って居た。

少し痩せたように見える。

「痩せたか?」

 多岐はただ笑うだけで答えなかった。

「師匠ご無沙汰しました。ご壮健で何よりです。また本日は態々お出かけ下さり有難く存じます。

女相撲も一時は隆盛を極めましたが、最近は飽きられてしまいましたようで入場者も減少して参りました。

こうした中で持ち上がって参りましたのが男の力士との取組なんです」

 多岐は冷静に話して居たが、気が昂って来たらしく徐々に泪声になって行き成り房吉に抱き着いて泣き出した。

「多岐ご免辛かったか?」

 房吉はしっかり受け止めて抱いた。

久しぶりであった。

四年間会わずに我慢したものだから、堰を切ったように激しかった。

 横になったまま房吉は四年前の会所内での議論を思い出していた。

ある役員が男を交えての取り組みを考えたらどうかと提案したのである。

そのことについて様々な意見が出たが、房吉は力士を増やして男相撲に負けない組織を作ればいいと提案したのだった。

その為には力と技を具えた力士を育てて相撲部屋を分割して更に大きく伸ばせばいいのではと説いたのである。

 丁度その時、前田家内で人事異動があったので、この事を会頭に託して女力業から手を引くことになったのである。

そして多岐に会所に残って暫し女相撲の更なる発展のため尽力を託したのであった。

結果三年間放ったらかしにしてしまったのである。

 その間に相撲部屋も四部屋に増えたという。これも大山里ら古株力士の努力の賜物であったが、昨年の初めに会頭の伊勢谷藤右衛門が突然死去すると、新会頭の独断で札銭の値上げを断行し、年四場所をぶち上げたのである。

本場所が増えることによって会所の収入も増える筈だったが、実際には入場者数が減ってしまったようだ。

 そこで再び浮上したのが男力士との対戦でであった。

「幾らお前たちが強くとも男力士と対戦するのは無理だろう」

「えぇそうだけど、ちょっと違うのよ」

 多岐は言葉を選ぶように話す。

「新会頭は盲人との対戦を考えているの」

「めしいとかね…。仕切を同じようにするのだろう」

「そうよ」

「展開が何となく想像つくがそのようなものは相撲とは言えない。戯言だよ」

 房吉は普通なら一笑に付すところだが、自分が関わって来た女相撲が妙な形に歪められて行くのが残念でならなかった。


 既に盲人同士の相撲は行われていた。

それはそれで手に汗を握るような対戦が多くあったことは承知していた。

それらと合体することで更なる人気を得ようという腹積もりだろうが果たしてうまくいくだろうか…疑問であった。

 力と力、技と技のぶつかり合いではなくなってしまうのは目に見えていて、最早相撲とは言えなかった。

 そんな中に多岐を入れておくわけにはいかなかった。

房吉は多岐に引退するよう促した。

多岐もこの辺りが潮時と思っていたので房吉に相談したのである。

 部屋の渡良瀬親方に引退を表明すると、

「未だ早い」

 と引き留めて承知しなかった。

そこで房吉は川並部屋に出かけて行き、渡良瀬親方と相対で話した。

「多岐と所帯を持つ約束は三年前の部屋独立前に遡る。親方はご存じではないかも知れないが、直後の春場所を以て引退を表明して居たのだが部屋を割ってどうなるか気になったもので、儂は大山里 (多岐)に軌道に乗るまで居るように説得して残したのです。

 女力業の人気も大したものです。

此処まで尽くせば伊勢谷会頭もお許し下さるものと存じますが如何ですかな」

 青龍の舞の時のような顔つきで話されては不承知などとは到底言えなかった。

「但し明後日の初日の片屋入りだけはやらせましょう。それを以て引退ということを公表して下され」

「承知しました」

 不承不承承知したものだった。



   


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