第13話 純愛のはてに

  



 伊勢谷藤右衛門もそれなりに報酬を頂いて大満足で、本所新井町の会所へと戻って行った。

 翌日力士や行司らに給金が渡された。

臨時の場所で日数が少ないのと先方からの報酬によるもので本場所に比べれば給金は少ないが、余暇の稼ぎとみれば御の字であった。

 その翌日房吉は花川戸町の大川橋の袂で多岐(大山里)と待ち合わせて観音様にお詣りに行った。

 襦袢に黒の掛け襟を付けた浅黄色の小紋の柄の単衣を重ね、やや広めの帯を胸元で締め、髪は根下り兵庫のままであったので町屋の娘と変わりなかった。

女としては大きいが更に大男の房吉が一緒だと大いに目立った。

 雷門から仁王門に向かって歩いて行くと、向こうから四、五人の与太者が広がりながら歩いて来る。

行き交う参拝客らは出店の中や店先に張り付いて通り過ぎるのを待って居た。

「世話役どうします」

 と多岐(大山里)が訊く。

「多岐さんは手出しするんじゃないよ」

「はい、見物して居ります」

 と言って後からついて来る。

連中は広がったままやって来ると、

「おうおうでかいあんちゃんよ、邪魔だから退いてくんな」と粋がる。

「兄さんたちこそ往来の邪魔みたいよ」

「何だと此の餓鬼やぁ、痛い目に合いてぇか」

 与太者がぐるりと房吉を取り囲むと、

「兄さんたち、ちょっとたんま」

 房吉は絽の羽織を脱ぎ、長脇差を腰から抜くと多岐に渡した。

「おめえらは力士か?」

「おらぁ褌担ぎだよ」

 おちょくられたようで益々い切り立つ与太者たち。

匕首あいくちを抜こうとした者を片手で突くと三間ほど後方に吹っ飛んだ。

あっと驚くその横の二人の頭を鷲摑みにして鉢合わせにしてひっくり返すと、飛びかかって来た男を持ち上げて残った男目がけて放り投げたのである。

男達は一目散に逃げて行った。

 房吉は匕首を拾い上げると伝法院の門の横に重ねて置いた。

 多岐は微笑みながら歩み寄ると、房吉に脇差を渡して後ろに回って羽織を掛けた。

傍から見ると正に恋女房の仕草であった。

「茶屋でお茶飲みながら団子でも食べるか」

 多岐は嬉しかった。

房吉を慕う女子が数人いることは承知していたが、自分もその一人であることに気づいたのは極最近のことであった。

まわしを変える時など、お互いの全裸を見ているのだが特に意識することもなく、微妙な箇所に触れても特にどうこうなる訳でもなかった。

 こうして二人っきりで出かけるのは初めてであったので、誰に気兼ねすることもなく自由に振舞えるのだった。

「多岐何処かでゆっくりしようか」

 房吉も同じ思いであったに違いない。

奥手であった房吉が漸く目覚めたのである。

 男も女も何も色気だけで目覚めるわけではなかった。

色々な形で交わった末に己にとってなくてはならない存在になるのである。

そうなると全てに於いて知りたくなるものなのだ。

 多岐の方が一つ上の姉さんである。

何でも承知しているのだろう「はい」とだけ答えた。

 二人は東本願寺前を通って新寺町を抜けて行き、山下へと出て下谷町にある出合い茶屋に入った。

「疲れたか」

「いいえ、世話役こそお疲れでしょうに」

 多岐は房吉の着物や羽織、帯を畳んで乱れ盆に入れると、自らも小袖を脱いで乱れ盆に入れてお盆を重ねて端に置く。

そして台の上に置いてある水桶で手拭いを浸すと、房吉の体を丁寧に拭き、代わって多岐の体を拭いてあげた。

 房吉は横になると慣れぬ手つきで多岐を愛撫し身体を重ねるのだった。

房吉には経験の無い筈だが、この感覚を極最近味わったように思うのだった。

それは多岐も同じであった。

それもその筈で、本郷場所の最終日に大山里(多岐)の戯れで偶然味わったのである。

偶然と言えば偶然だが、本能の赴くままというのが正しいのかも知れない。

 二人はお互いの相性を十分堪能すると、いつも一緒に居たいと思うようになった。

だがそろそろ雪氷の将軍家への献上準備に掛からねばならず、これまでのように頻繁には本所に通えなくなるのだった。

「多岐おいらはお前と一緒に暮らしたいと思ってる。何とか外で所帯が持てればと思うので、良い方法を考えてみるよ。多岐の裸を他人に曝すのは嫌だもの」

 房吉と多岐は愛を確かめ合うように重なるのであった。



 濱田川房吉は綾錦の指導補佐を務める傍ら、相撲会頭中郷源四郎の護衛の役も担っていた。更には手木衆組頭の補佐でもあったのだ。

手当ても三十俵二人扶持となった。


 後六日で氷献上である。

今年の冬は全般的に暖かであった為、雪がやや少なく江戸でも殆ど積る雪はなかった。

 それでも金澤からの雪は質量ともに問題なく、送られて来ていた。

「親方準備は出来てるんか」

「出来てますとも」

 路地奉行中郷源四郎は補佐の濱田房吉を伴って、手木衆の頭諸見十郎兵と共に不二の氷室に入った。

氷室の表戸を開けて冷気が体に触れると、

「さぶっ(寒い)」

 と言いながら中郷源四郎も氷室に入った。

手木足軽衆は既に氷室の中で作業をして居た。 

地中十三尺ばかりの所の間口三間奥行き二間、高さは六尺半の穴倉だが、十名程が一度に入っても作業などに支障がないほどの広さと言えた

「ところで濱田、今日はオッショさんは居るかね」

「師匠(綾錦)は、ご自分の部屋に居られる筈です」

「寒いから出よう」

 中郷源四郎は外に出ると、育徳園の中を抜けて御貸小屋へと向かった。

 中郷頭取は部屋に入ると改まって、

「実は御家老が松江松平家から女相撲に付いて話を聞きたいとの申し出を受け、この私と世話役のその方と師匠の綾錦とで話に行くように言われたのだよ」

 付き人の政吉が冷やしたお茶を出す。

「そうだ其方たちが優遇されたお礼に御氷さまを手土産に持って行こう」

「では氷を布で包んで挟み箱に入れて担いで参りましょう」

「献上もありましょうから何時参りますか」

 と綾錦が訊く。

「あぁホーケ(そうか)、ほんなら朔日以降にしよう。御家老に話して置こう」

 どうやら前田家で催された女相撲が大名の間で話題となっているようだった。

だが招聘するとなるとそれなりに負担が生じる為簡単には出来ないが、松江松平家では家臣の気晴らしに、娯楽として考えて居たのである。



 六月朔日氷室の日の氷献上の儀が無事済んで、松江松平家への訪問を前に、濱田房吉は本所新井町にある会所を訪ね、伊勢谷藤右衛門に松江松平家でも女相撲に関心を示していて、近いうちに説明しに行くことを知らせた。

 藤右衛門は条件が同じであればお受けしたいと濱田に答えるのだった。

日程は九月が望ましいとのことで、そのような話になった場合の詳細については世話役に一任するとのことであった。

房吉は己の部屋で書き物をしていると、艶錦が顔を出した。

「いらっしたんですか世話役」

 と艶錦は浴衣姿で側に座ると色香を漂わせて団扇うちわで扇ぐ。

態と大きく胸元を開けて、帯の下見ごろに描かれた真鯉と緋鯉は互いに開けたその口を合わさんとする図柄であった。

「お師匠さんがいらっしゃらないと張りがありませんわ」

 と胸元を広げて見せる。

おかしなもので、まわし一丁のときに上半身の裸を存分に見ている筈が、こうして一旦着物で隠れてしまうと、覗いてみたくなるのは如何したものであろうか…。

「きみさん、大山里を呼んでくれないか」

「あらぁきみではいけませぬか、ほんに冷たいお方ですこと」

 きみはつれなくされることを承知で戯れに寄るのだった。

 入れ替わりに大山里が来た。

「房吉さん…」というなり大柄な体が抱き着いて来たのだ。

「どうした多岐」

 机毎飛ばされそうな勢いであった。

「だって寂しかったの」

 二人の間に遠慮はなかった。

急に腰障子が開いても中断することなど無いに違いないが、幸にして邪魔は入らなかったので、普段の空白を存分に埋め尽くすことが出来たのである。

「今度ひょっとしたら松平出羽守様の屋敷で御前試合をやるかも知れぬぞ」

「前田様と同じように?」

「そうだ。御家老の朝日丹波様から話を聞きたいとの要望があったらしい」

「多岐の朱雀の舞が評判のようだ」

「稽古しなくては」

「そうだ演武に緩急とキレがないといかん。まぁそれはさて置いて、多岐これからちょっと出かけよう。会頭には断っておいたから心配はない」

 房吉は浴衣姿の多岐を連れて両國橋を渡って浜町川に架かる汐見橋を渡ると冨澤町にある呉服屋に入った。

「おやじ殿これに単衣と袷を仕立ててやって呉れ」

「承知しました。お内儀寸法を採らして頂きますよ。おちよや採寸を頼みますよ」

 小柄なおちよさん、背のびしながら測っていた。

 主人の喜三郎が色柄違いの反物を並べて見せる。多岐は細かい柄の淡紅藤(うすべにふじ)という、やや赤みをふくんだ薄い紫色を選び、今一つは青竹色(あおたけいろ)で、青竹の幹のような青みの冴えた明るく濃い緑色を選んだ。

後は襦袢や帯等一揃い頼むと八日後には届けてくれると言うので房吉は前金で支払うと、届け先を書いて渡した。

 帰り際多岐は反物だったら奥方様から頂いた反物があったのにと言ったが、喜んで貰いたいので黙って居たのだと明かした。

 松江松平家の場所が行われるとしたら九月頃と教えて本郷に帰って行った。


 屋敷に戻ると直ぐに頭取の住まいに赴き、

「会頭の内諾を得ました。時期は九月が望ましいとのことでした」

 と報告した。

「左様か、ご苦労であった」


 結局松江松平家の要望で六日から十日の間にとのことと、その際興行主と片屋入りの大山里に是非同席を願いたいとのことであった。ところが六日から八日にかけては浅草蔵前の天王祭で氏子代表として抜ける訳には行かなかったので、三者の都合の良い日として十日と決めたのであった。


 訪問前日房吉は大山里に会いに行くと、丁度冨澤町の呉服屋が仕立て上がりの着物を届けにやって来た。

そこで世話役部屋に肥田桜を呼んで着付けを手伝わせると快く引き受けてくれて、明日の着付けも手伝ってくれると申し出てくれたのである。

そこで大山里はこの部屋に預けて置いた奥方様よりの拝領の反物を一反渡したのである。

「いいよ、これはあなたが頂いたご褒美じゃないの高価な物で頂けないわよ」

 と受け取らない。

そこで世話役房吉は、

「大山里の気持ちだから遠慮しなさんな」

 と言って受け取らせた。

「嬉しい、高価な物をあんやとー」

 と金澤弁を使ったのである。

「お前さんは金澤の人か」

 と訊ねると、

「違います。何時か師匠が言った言葉を真似ただけですよ」

 舌を出して茶目っ気を見せるのだった。

房吉は万が一のことを考えて化粧まわしとまわしを預かって風呂敷で包むと、腰に巻いて帰った。

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