第12話 本郷場所

 



 濱田川は屋敷に戻ると綾錦と太刀川と共に中郷頭取の部屋を訪れて女相撲招致の日取りについて話し合った。

 

 三月にとの話もあったが、重教公の四月初めの参勤上府の受け入れ準備等四月一杯は邸内は大忙しであったのだ。

落ち着くのは五月の中頃なので十六日から二十日までの五日間と決まった。

 土俵の設営場所は何処が良いかいろいろ意見が出たが、表御殿の領域内にするのが望ましいとの上役の意見もあったが領主御上覧となると奥方様からお付きの者の数から言っても育徳園よりの奥御殿側が良いのではと意見が出て、御家老や奥向きお年寄りの御意向を伺うなどして、育徳園出入り口側から東側に突き出している離れの間には長い広縁があり、その建物と掛塀との間には十分な空間があったので土俵を造って周りに茣蓙を敷きつめ、上級者には長椅子や床几が用意された。

 開催は五日間で、これで在府の家臣四千人からが交代で観戦出来るよう配慮したものであった。

 土俵については手木衆が回向院の七日目の取組終了後会場にて造りを見ていたので、後は作事方に頼んである荒木田土二百七十貫(約一トン)と小俵が業者から到着するのを待つだけであった。

 常設でないので土俵は終了後には解体され育徳園かその他の庭園の土として使用されることになる。

これらの作業は全て手木足軽衆が担うが、力士の控え小屋やその他の小屋掛けは上屋敷のとび衆が受け持った。


 土俵や小屋掛けなどは三日前に出来上がり、二日前には丸に梅鉢の紋の入った幕が掛けられた。

 その翌日、伊勢谷藤右衛門が役員二人と女力士二人をを伴って挨拶にやって来た。

濱田川は角力頭取補佐濱田三郎房吉として五人を南門で出迎えると中御門から表御殿へと入り、表式薹に出向えた太刀川と綾錦らの後に付いて玄関先の客間に入った。

「間もなく御家老さまがお見えになりますのでお待ちください」

 女中がお茶を運んで来てそう告げた。

来客側に座る房吉にお茶を出したのは紗代であった。

「熱う御座いますゆえ、お気をつけなさいませ」

 紗代は下を向いたまま囁くように小声で告げた。

 房吉の隣には美人力士の艶錦が座っていた所為もあって、快く思わなかったのである。

綾錦は離れた位置から紗代の様子を感じ取っていた。

「お待たせした」

 家老の津田玄蕃であった。

家老と一緒に入って来たのは相撲頭取の中郷源四郎である。

「其の方が女相撲の会頭殿か」

「左様でございます」

 伊勢谷藤右衛門は深々と頭を下げると、

「この度は女相撲の発展にお力添え頂きまして誠に有難く厚く御礼申し上げます。

それと開催の準備までして下さりまして有難く存じます。

 本日は人気力士の前頭艶錦と片屋入り(土俵入り)で評判となりました大山里を連れて参りました。これらの人気力士を育てて下さったのはこちらに居られます濱田様のお陰で御座います。今暫くはお力添い頂きたくお願い申し上げます」

 藤右衛門は丁重に挨拶した。

「何の何のこちらこそ御礼申し上げる。

この江戸詰めの者達は一年の間家族とも離れ離れに暮らし、余程の用事がない限りは屋敷から出ることも叶わず、御貸小屋でのドンチャン騒ぎも禁じられて酒すら満足に食らうことも出来ぬのだ。何か楽しみがあって生きがいや遣り甲斐が出るというもの。皆心待ちにして居るでよろしく頼む」

 家老は用事があるからと退出した。

お女中衆がお膳に酒と摘まみを載せて運んで来た。

「お酒を飲むことは禁じられているのではありませぬか」

 と藤右衛門が中郷源四郎に訊ねると、

「そんな事ありゃせん。ドンチャン騒ぎせず静かに飲んでる分にゃ、お咎めは無いのよ。

第一通り(中山道)の向こう側に酒屋があるんだから飲むなと言う方が無理というものだ」 とカラカラと笑って大きめの杯を飲み干すと手酌を始めた。

 お女中が三人端に居たが決してお酌などしなかった。

其々隣りの者に注ぐ位で手酌で飲んでいた。

飲めない筈の房吉は艶錦の勧めを断りながらも飲んでいた。

 入り口近くに居た紗代がそれをやきもきしながら見ていた。

飲めないことを知って居る上に美人のお酌にに止めることも出来ず、きりきりしていたのである。

 さてこの後相撲場の確認の為そこそこにして切り上げると、中御門から東御門、作事御門近くを通って東側通用門から育徳園入り、掛け塀越しに歩いて会場のある出入り口から中に入った。

 酔ったらしく房吉はみんなより遅れて歩いていると大山里が戻って房吉の身体を支えるように付き添った。

それを見て男達は笑っていたが、一人艶錦だけは快く思っていなかったのである。

 大山里と房吉の関係は飽くまでも師匠と弟子であり、特に片屋入りでの世話の焼き方は、割り込むことの出来ないほど親密であった。

 会場の確認を終えると一行は東門から出て上野浅草と通って大川橋を渡って新井町の長屋へと帰った。

途中艶錦が独り言のように文句を言っていたが、大山里は知らぬふりを通したのだった。



 初日は五月晴れで朝から暑かった。

九つ半(十三時)の開始だが、四つ半には本所荒井町を出て大川橋で浅草に渡り上野不忍池の畔を通って緩やかな坂道を上がって行き、左に折た先の作事御門から中に入った。

 一行は東側通用門から育徳園に入ると、その広大な庭園に見とれて立ち止まって見ていると、役員らが手招きして呼んで居たので、慌てて追いかけるのだった。

 住居との境界にある掛塀越しに歩いて行くと会場への出入り口があり、そこから中に入って奥にある控え小屋の入り口の名札に従って中に入る。

 関脇小結には個別の小屋があり、前頭は三人部屋に幕下以下は其々五人部屋に入った。

ただ大山里だけは師匠の濱田三郎の控えに入ったのであった。

大概の者は何時ものことで気にもかけなかったが、肥田桜と艶錦は快く思っていなかった。特に美貌に自信のある艶錦は承知できなかったのである。

 南側建物内は領主とその家族並びに近習衆が並び、一段下がって人持組や御馬廻組御用番支配や定番御馬廻組に平士らが会場を埋め、足軽小者も観戦を許されたのであった

無論一角には表御殿や奥御殿のお女中もいた。

 五日間の開催では中屋敷や下屋敷、深川蔵屋敷の者まで含めて、一度は見られるように等配分しての観戦であった。

 定刻を少しばかり過ぎて領主重教公が着座すると、相撲頭取の中郷源四郎が土俵に上がって当主への開催挨拶をした。

 続いて女相撲会所の会頭伊勢谷藤右衛門が御礼の挨拶をすると、東から土俵真横に作られた花道を呼び出しを先頭にして行司に従って力士が入場して来た。

 全員上半身裸で下はまわしのみであったので、場内に怒涛の如く歓声が巻き起こった。

女がまわし一本で出てきたのだから驚くのも無理はないし、大喜びする者も居たのである。奥女中らはそれを見て俯いてしまう者も居れば、まるで穢れ汚れ物を見るように蔑んだ表情の者も居た。

 呼び出しが女力士を四股名で紹介し挨拶が済むと、花道を引き揚げて行った。

 続いて西側から対戦相手の力士たち西の花道から土俵に上がって挨拶した。

男達は大喜びであった。

 東西の力士紹介が済むと、続いて東より化粧まわしを着けた大山里が入場して来た。

先導の拍子木を打つは呼び出しの豊苹、軍配を捧げ持つは女行司の志麻太夫であった。

呼び出しの豊苹の口上で、朱雀の舞なる片屋入りの開始を告げる。


 身の丈五尺四寸(百六十三センチ)目方は二十八貫(百五キロ)の巨漢が着けたまわしには、肌色の生地に舞い上がる朱雀の赤が艶やかに描かれていて、赤青紫の三本の尾長が躍動感を伝えていた。

 土俵上の大山里の巨体が更に大きく見えるほど力強い、まさに朱雀が空を羽搏いて悪霊や邪気をその強烈な羽で勢い良く払い飛ばすような壮麗な演武であった。

 横合いから観ていた房吉は伊勢谷藤右衛門から頼まれて力士たちの指導を始めたころの大山里は体の堅い方で、柔軟にする為の運動を人一倍させたものだった。

 ヨイショの掛け声とともにせり上がり、拡げた両の手に見る姿はまさに天空を護る朱雀の姿といえた。

 土俵を囲む前田家の家来衆から雷鳴のような歓声が巻き起こり、見世物とは言えぬ武術の演武を見た時の感慨と興奮を覚えたものだ。 重教公も大喜びで拍手を送った。


大山里の姿が東の花道に消えると、暫しの休憩となった。

 世話役房吉の小屋では大忙しで、新弟子のキセが大山里のまわしの交換を手伝っていた。準備が整うと東方に入って再び力士の入場となった。

 東西の力士が土俵を囲むように片屋に座ると、呼び出しが独特の節回しで対戦する東西力士の名を告げた。

 先ずは幕下同士、細身の鶴ヶ島と小太りな内海の登場である。

蹲踞の姿勢から仕切に入り、相手と呼吸を合わせる。

立ち合い内海が思い切りぶつかろうとしたが鶴ヶ島はひらりと横に変化してその一撃をかわすと、突き出た内海の尻をポンと押して内海を押し出すと、鶴ヶ島の勝ちが宣せられた。まともにぶつかれば内海が勝ったに違いないが、相手の奇策に押し出されて負けた。

 この鶴ヶ島の勝ち方に場内から色々な声が上がっていた。

上手いというものやずるいというもの、堂々と戦えとか逃げるな等々である。

 所詮見世物としての女相撲とみて楽しむばかりであったが、近場で見ていた綾錦(房吉の親方)は、鶴ヶ島の変化を一つの技と見て感心したものだった。

 一般の者から見れば単なる逃げの変化でしかないのだが、綾錦は鶴ヶ島が立ち合い僅か一足左に動いてかわす姿を捉えていたのだ。

一瞬のことながら、上半身を折り曲げてそれをまさに鶴のように一本足で支え、降ろす足で踏み込んで尻を押して勝ったので間違いなく技であった。

 細身だからといって簡単に使える技ではなかった。

強靭な足腰が要ったので、これも濱田川の指導によるものであろう。

 いつまでも無邪気な少年と思っていた者が此処へ来て急激に成長した模様だ。

童顔には違いないが、依然とは違って表情に変化が見られたのだ。

 房吉のことは一先ず置いて、土俵上を見ると熱戦が繰り広げられていた。

今度は小結艶錦と前頭の大山里が土俵に上がった。

大山里は片屋入りで人気を博し、片や女郎であったという美人の相撲取りである。

侍も足軽小者も大喜びであった。

そんな中に在って無表情なと言うより澄ました一群があった。お女中の面々であった。

いやいや澄まし顔の者ばかりではない。

中にはキャッキャと喜んでいる者も居た。

 さて大山里とに対して艶錦が仕切で火花を散らす。

二度三度と仕切るが艶錦の気迫が場内にも伝わって行った。

 志麻太夫の軍配が返った。

立ち合い行き成り艶錦が大山里の顔を張った。

それも二度三度と思いっきり叩いたのであった。

大山里は咄嗟に抱え込むと肩越しに持ち上げた。

「やめろ下ろせ」と何処からか声がかかった。大山里はハッとしたように艶錦を下ろすと、艶錦は一瞬棒立ちとなった巨漢の足を咄嗟に払うと、その巨体は土俵上に転がった。

「艶錦ー」と志麻太夫が勝ち名乗りをを上げた。

 艶錦は勝ち名乗りを受けながら、項垂れて土俵を下りる大山里の後姿を見てにんまりとするのだった。


 読者諸氏はお解りだろうか艶錦は勝手に世話役の濱田川を慕い、大山里に横恋慕されたと怨んで居たのである。

それで立ち合いから叩いて掛かったのである。一方の大山里も三度も叩かれて腹が立ってつい力が入って持ち上げたのだが、その時「やめろ」と止めたのは房吉の声であった。

 房吉に止められた瞬間力が抜けて負けてしまったのだ。

この声を房吉と分かった者がもう一人いた。

偶々この日の見学に割り当てられた女中の紗代である。

 怒声ではあったがここ数年の間に馴染んだ声であったのだ。

紗代はその瞬間土俵から目を逸らして当たりを見回したが何処にもその姿はなかった。

 房吉への思いは艶錦と違って純粋で、回向院に房吉を誘って以降会ってはいなかったのである。

自分が女相撲を見せたばかりに愛しい男をその世界に放り込んでしまい、悔やまれてならなかったのだ。

上司のお多美様に綾錦を通じて取り繕うてもらおうとしたのだが叶わなかった。

 紗代は席を外して、幕の後ろに設営されている相撲関係の仮小屋に行って名札に世話役濱田房吉の文字を確認すると声をかけた。

「房吉さん、房吉さん」と二度呼んだが応答なく、

「房ちゃんあたし紗代です」

 と今一度呼んでみると引き戸が開いて懐かしい童顔が顔出した。

「姉ちゃん暫く、まぁ中に入ってよ」

 招き入れと、

「どうして会って呉れなかったの」

 と紗代は抗議する。

「ご免忙しくて機会がなかったんだよ、姉ちゃん飲んで」

 房吉は冷やしたお茶を勧める。

「私後悔したわ、回向院なんかに連れて行かなければよかった」

「おいらは姉ちゃんに感謝してるよ」

 とにっこり笑う。

「何が感謝よ。聞いたわよ外泊したことを…。お相手が沢山いていい気なものよ」

 と非難するように言い放って出て行った。

 

 二つ三つの取組の間に休憩を入れた。

長いと四半時以上であったが茣蓙の上に座る者にとっては脚を延ばせてありがたかった。

 土俵に前頭の肥田桜と前頭の蕗ヶ岳が上がった。

肥田桜が色白美人であるのに対して、蕗ヶ岳は浅黒く、筋肉が張っていていかにも強そうであった。

 この女はとある大名の蔵屋敷で人足をしていたが上役の度重なる嫌がらせに業を煮やし、投げ飛ばしてしまった為お払い箱となってしまったのだが、運よく女力業の募集を知って、本所荒井町のお寺にある会所を訪ねたのであった。

会頭は本業札差の伊勢谷藤右衛門で既に七名の応募者が居た。

「ふきさんもろ肌脱いで見せてくれ」

 と言われて躊躇していると、

「相撲はまわし一本でやるものなので嫌ならお帰り」

 と言われ仕方なく上半身を曝して見せた。

「いい躰だ」

 この時の応募者の中で一番の適格者であったようだ。

 その蕗ヶ岳の対戦相手の肥田桜ひだざくら(とみ)は水茶屋の女であったが、女将からある客の妾話を薦められたの嫌って飛び出し、下働きの女中らが話題にしていた女力業の募集に応募したのだった。

 藤右衛門は一目見るなり力業は無理と判断して、雑用係として採用したのだが、とみは雑務を熟しながら筋力の付くよう工夫して居たのだった。そして濱田川が新たに指導者となると、雑用をしながら基本を身に付けてゆき、かけ投げという技を濱田川に教えて貰ったのである。


 だがこうして土俵上で向き合う二人を見ると、どう贔屓目に見ても肥田桜に勝ち目はなかった。

声援は肥田桜にばかり送られ、蕗ヶ岳にはなかった。所謂判官贔屓というやつである。

 志麻太夫の軍配が返ると両者がっぷり四つになって蕗ヶ谷が左右に振るが、肥田桜の上半身が左右に揺れるばかりで腰から下は盤石であった。

 観客はやんやの喝采を送る。

そこで蕗ヶ岳は腰を落として肥田桜を押してみると以外に軽く動いたのでそのまま土俵際へと追詰めて行くと、両手を回しから離して小ぶりの乳房を掴むようにして仰け反らせる。 

観客の誰もが肥田桜の絶体絶命を思い、中にはか弱き乙女力士の負けを見るに忍びないと目を瞑った瞬間歓声とともに勝負はついていた。

 軍配は西の肥田桜に上がっていた。

土俵の外には蕗ヶ岳が転がって居たのである。

目を閉じた者も見開いていた者でも蕗ヶ岳の投げ飛ばされ方を確と解説できる者は居なかった。強いて言えば綾錦ぐらいであろうか…。

 絶体絶命の逆転劇は決して偶然に因るものではなく、肥田桜の戦略勝ちであったのだ。

唯一つ反省することは四つに組んだことであった。

 蕗ヶ岳が余裕を噛まさず直ぐに投げにいってれば肥田桜の勝ちはなかった。

それを余裕を見せるように土俵際まで押して行き、仰け反らせて土俵の外へ転がして己の力を誇示しようとしたところ、肥田桜は右足一本で踏ん張って左足を蕗ヶ岳の股間に入れて持ち上げて右に転がしたのであった。

 濱田川直伝のかけ投げであった。


 こうして見応えのある女相撲は消化され、重教公はもとより、前田家の重役たちも満足して千秋楽を迎えた。

 この日の観衆は大半が二度目であったが下士や足軽小者も結構居た。

紗代もお多美に付いて二度目の見学をした。

最終日は大山里の朱雀の舞の片屋入りの後に重教公の要望に従って、濱田川の片屋入りが披露された。青龍の舞である。


 濱田川が土俵に上がるとそれまでざわついて居た観客席が嘘のように静まり返ったのである。

 蹲踞の姿勢から拍手を二度打つと、両手をゆっくり拡げて足を高く上げての四股を踏む。 その柔らかい身体を一本の足で支える足腰の強靭さは見応えあった。

四股を踏むたび、場内からヨイショの声が上がる。

 身体を沈ませた位置から摺り足で両手を繰り出しながら迫り上がって行く。

この時の濱田川の形相は普段と違って鳥肌が立つ程恐ろしく見える。

 中腰の姿勢から仮想の相手をもろ手突きし、ドンとぶつかる形から左手を下手に右手を上手への四つ身の体制を取ると、身体を反らして禁じ手のような抱え投げを演じて見せた。

 この時の形相は普段の可愛らしい童顔からは決して想像できぬ程恐ろしい夜叉の面に変わるのが不思議であった。

迫力満点の演武といえた。

 会場で見ていた紗代は房吉への思いが益々募るばかりであった。

 この日の見どころは関脇鴫原岩と大山里の一番である。

戦績は三勝一敗同士であるから、どちらかが優勝であった。

無論結びの一番となった。

 この日の力士の入場は取組二番前に土俵下に着座することになっていた。

大山里は出蕃前は濱田川の小屋に居た。

此処には殆ど人が来ないので二人は寛ぐことが出来た。

 化粧まわしを着ける時もお互いに補助に回って手伝い、他の者の手を煩わすことは殆どなかった。

「多岐、鴫原岩は足払いの得意な力士だ。

足払いに来たら瞬間に下へ巻き込んで下敷きにして倒せ」

「そんなことが出来るかしら」

 多岐は不安がった。

「大山里の力なら左手一本で出来る筈だ」

「世話役実際に見せて下さい」

 とせがんだが、

「自分で考えてご覧」

 と素っ気ない返事であった。

教えるのは簡単だが自分で工夫することも大事と思い態と考えさせるというものであった。此れも日頃の稽古の仕方に因って得られるものと持論であった。


 胡坐をかいて座る房吉の上に大山里は向かい合わせに腰を下ろすと、房吉は戯れるようにその突端に鼻先を擦りつける。

大山里は堪らず腰を浮かすと、空洞を埋め尽くすように棍棒が闖入ちんにゅうした。

「動くな」

 二人とも抱き合ったままじっとして居た。

そんな好い時に、

「大山里関、出番ですそろそろお願いします」

 と外から声が掛かった。

「はい、参ります」

 房吉は大山里の身体を拭いてまわしを締め直すと浴衣をかけ直して、

「思いっきりやれ」

 と背中を押して送り出した。

 西の入り口で浴衣を付き人に渡すと、花道を入って行った。

 土俵上では時雨山と泪川の取組で、次が小結花の山と澤の谷であった。

澤の谷はどちらかというと大型の力士でそれに比べると花の山は小型と言えた。

上背で見ると頭一つの差で、その分身体も小さかったが中々の業師であった。

 大山里は一勝二敗一分けの小結が二勝二敗の澤の谷とどう取り組むのか楽しみに見ていた。

軍配が返ると澤乃谷が花の山を抑え込もうとしたが花の山は避けるようにして横に回り込むと、澤乃谷の胸に頭をつけて左下手を取ったが、右上手は返されたので頭を軸にして身体を反らすと左右の手を左上腕に絡ませて引き倒したのである。

見たことの無い技であったが見事に決まった。決まり手は襷反たすきぞりと言った。

 此処で休憩となった。

大山里は濱田川の所へ行きたかったが我慢した。

東には鴫原岩が瞑想するように座っているのが見えた。

最早じたばたしても始まらないのである。

最善を尽くすのみであった。



 殿上に重教公や奥方、近習の者達が着座すると結びの一番となった。

東から関脇鴫原岩が上がり、西から前頭の大山里が上がった。

三勝一敗同士なので勝った方が優勝と成る一戦であった。

 巨漢大山里に比べると少しばかり小型だが、その体つきはまるで男のようで、胸も小さくて腹筋や腕腿の筋肉は男のそれであった。

 大山里は立ち合い思い切りぶつかったが僅かにかわされ、続いて足払いされたが堪えると四つに組んで来た。

この体のどこにこのような力が隠されているのかと思うぐらい力強いのである。

四つになったまま膠着状態となった。

大山里は待ちきれず押して出た瞬間足を払われて掬い投げを食らって負けてしまった。

 この後優勝の鴫原岩と準優勝の大山里に褒美が渡された。

重教公から報奨金と奥方法梁院様より反物二反ずつが下されたのである。

この催しで江戸詰め家臣らは又とない楽しみを味わった。

 この日は会場を片付ける為手木衆の他、力士衆も動員し、鳶衆と共に小屋を壊し、茣蓙ござ床几しょうぎに縁台などを土蔵に仕舞った。


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