第11話 指導者としての目覚め

   


 翌日朝早くから会所の自分の部屋に入ると直ぐに大山里が来て、演武の稽古を申し出た。全体の流れと緩急の付け方は申し分なかったが、せり上がりながら両掌を上に向けて羽搏く様を見せる手の動きを鋭くするように注文を付けた。

表情はもっと険しく、鼻の動きや口元の結び方にまで注文が付いた。

繰り返し繰り返し稽古をしているうちに様になって来た。

「良くなったね、少し休もう。これ有難う」 と言ってまわしを摑むと、

「それを畳んだのはきみ姉さんです」

 という。きみとは綾錦のことである。

「綾錦が此処へ来たのか」

「はい、丁度お師匠さんのまわしを畳み始めた時に来られて何してるのと叱られまして、きみ姉さんが丁寧に皴を伸ばしながら畳みました」

 図体の割には気弱な一面を見せる多岐(大山里)であった。


 興行主の伊勢谷藤右衛門に、加賀前田家上屋敷邸内での開催要請があった旨話したいのだが、今日に限って遅かった。

 濱田川は希望者相手に稽古を付けていると漸く藤右衛門が顔を見せた。

「会頭、実は頭取から上屋敷で力業を見せて欲しいとの要請がありました。私としてはお受けいただきたいと思います」

「上屋敷とはあの」

「本郷邸です。年間を通して成り立たせる為には巡業も必要かと思います。前田家のように先方からの要望に答えるも善、或いは当方からの働き掛けによって各地で行うも良いのではないかと思うのです。

力士たちが一部の者達のように兼業せずとも成り立って行けるようにせねばなりますまい」

 藤右衛門はこの若い子供のような顔した男の考えに感心して聞き入った。

 確かに女相撲の隆盛は一か所のみの開催では望めなかった。

大坂や京とまではとは言わないまでも、大名家に働きかけるのも一考かも知れなかったのだ。

 大名は参勤交代で多くの家臣が謂わば江戸に単身赴任していた。

自由に出歩けた者は良いが、多くは騒動を避ける為無断の外出は禁止されていたのである。 藤右衛門は札差として少なからず大名家との繋がりはあった。

そうした先に営業をして年間の予定を組んで行くのも一計であった。

「前田様の件はお前さまに任せるので予定を立てて貰いたい」

「畏まった」

 本場所ともいえる回向院での開催は年二回である。その間を大名家等での開催とすれば興行元も楽になった。

 藤右衛門は元々は商人である。

本業とは別に使用人が居たので、それらが営業と運営を任されるようになるのだが、運営については世話役の侏万江道勧(房吉)が居る限りはその意見に従う形をとったのである。賢明であった。

 翌日大山里の片屋入りの稽古を付けているところに、日本橋の呉服屋から化粧まわしが届いた。

房吉は早速大山里に見せた。

「まぁ素敵!」

 肌色の生地に舞い上がる朱雀の赤が艶やかに映え、赤紫青の三本の尾長が躍動感を伝える図柄で大山里と金糸で入れられていた。

 房吉は大山里の腰回りを見ながら、化粧まわしを着けさせることにした。

「まわしを外してこれを着けろ」

 と、越中褌を渡す。

「師匠此れで良いでしょうか」

 見れば後ろ前を逆に着けている。

房吉は苦笑しながら後ろ側に回って、

「ご免」と言って外すと、布地を後ろに当てて垂らし紐を前で結ぶとその布を股間から引き出して前を塞ぐように紐に通して垂らした。その間房吉はしっかり茂みと秘境を見てしまった。

「お多岐さん化粧まわしは直ではなく、必ず下穿きを着けるんだよ。越中ならかさばらなくて良いから」

 愈々化粧まわしである。

「其処に跨ぐように足を開いて立って」

 大山里は言われた通り跨ぐと、房吉が房が膝頭に掛かるように持ち上げて朱雀の図柄の位置を合わせてまわしの幅を調整しながら着けた。

「良いじゃないか。待って居な」

 房吉は藤右衛門を呼びに行った。

「どうです」

「おぅおぅいいじゃないですか」

 大山里の演武は絵になった。



 初日は曇天ではあったが先ず先ずの日よりであった。

会場は既に満員となっていた。

濱田川房吉は此処では徹底して裏方であった。 土俵上に女行司に従った女力士が大山里を除く十九名が居並び、順番に紹介されると東西土俵下、片屋に分かれて出番を待つ。

取組前の演目、大山里による片屋入りで朱雀の舞が紹介された。

 東の花道から呼び出しが拍子木を打ちながら先導して、女行司が続き、巨漢の大山里が朱雀が描かれた化粧まわしを着けて現れた。会場はやんやの喝さいで、大いに盛り上がる。

 向こう正面から、

「いよー大山里日本一」と声が掛かる。

 土俵上の大山里の巨体は更に大きく見えるほど力強く、まさに朱雀が空を舞って悪霊や邪気をその強烈な羽で勢い良く払い飛ばす壮麗な演武である。

 式目には片入り(土俵入り)と書かれているだけであった。

女相撲の熱狂的支援者である江戸っ子らは、大いに喜び盛り上がった。

 濱田川の待つ控え小屋に戻ると、大山里は声を上げて泣いた。

「良かったよ多岐。素晴らしい演武だった」

 大山里は濱田川の胸に顔を埋めて泣き続けるのだった。

 小さい頃から体が大きいばかりで何の役にも立たない子と言われ続けてきたのである。

女相撲に入ったのも口減らしのようなものだった。

家族から追い出されたのである。

 此処に来てからも真面な指導者が居なかった為荷物運びや姉さんたちの雑用係に使われていた。

身体は一番大きく山のようなので大山里の四股名が付けられたのだという。

 濱田川が指導者となった折、その大きな体を恥じるように何時も隅っこに居たので、或る時、

「卑屈になることはない、自信を持って稽古するんだよ」

 と声をかけると、大山里の姿勢が徐々に変わってゆき、稽古にも積極的に取り組むようになったのだ。

 そして今日場内を沸かすほどの演武が演じられるようになったのである。

「さぁまわしを付け替えて行かねば」

 濱田川はさっさと化粧まわしを外すと、まわしを手にして待った。

「それも外して」

「あっ、はい」

 化粧まわしの時以外は直に回しを締めればよかったのだが、慣れてない為つい忘れがちであった。

大山里も濱田川も二人だけの時には素っ裸になって相手に見られても平気であった。

故に肌に手が触れても気にならなかったのである。

 濱田川は大山里を後ろ向きにして二つ折りにした前袋部分を掌に挟んで滑らすように後ろから前へと出すと、大山里は引き上げて落ちないように顎で挟んで右手で支えて止めた。立てまわしを中心にして右回りに身体を回し、前まわしを垂らしてもう一度身体を回してから前垂れを二つに折って横まわしに挟むと、

立てまわしと横まわしの下を通してきつく締めた。

二十八貫(百五キロ)の体が浮く位濱田川はきつく締めた。

「突き押しで良いから頑張って来い」

 濱田川は両肩に手を置くと、優しくポンと弾いて送り出すのだった。

場内で歓声が上がった。

大山里の入場に湧いたようだった。

 伊勢谷藤右衛門やその他の役員は会場に居たので、房吉はひとり今後の構想を練った。将来的には女力士も相撲部屋所属とすべきで本場所数も少なくとも四場所開催出来たらと考えるのだった。

入場数を増やすには客席数を増やせばよいのだがそれには小屋掛に工夫が要った。


 如何やら興行初日は大入り満員であった。新井町の長屋に戻ると真っ先に肥田桜がやって来てかけ投げで勝てたことを報告したのである。

「良かったな」

 誰と対戦したなどは敢えて聞かなかった。

教えたことの結果を知るだけで良かったのである。

其処へ艶錦がやって来て肥田桜を見ると、

「どうしたの、何か用事でも」

 まるで自分の部屋にでも来たような口ぶりで追い返してしまった。

「きみさんこそ何か用かね」

 と態と邪険にすると、

「なんて冷たい人かしら」

 房吉と何かあったようなことを言っていたがどうも眉唾で作りごととして信じていなかったのだ。

綾錦がプリプリと怒って出て行くと代わって大山里が入って来た。

 先の二人みたいに美人で細身ではないが、何となく落ち着ける女子であった。

「疲れたかね多岐」」

 房吉は一つ年上の大山里を本名で呼び捨てにした。

男と女と言うより兄妹の感じであったのだ。

「明日も控え小屋に居るからお出で」

 角火鉢の中の五徳の上で鉄瓶が湯気を立てていた。

「お茶入れましょうか」

「あぁ頼む、多岐も飲め」

 湯呑は余分に置いてあった。

 二人が囲むと火鉢も玩具のように小さく見えた。

「おいらは下總は馬加の産だが、多岐は何処の出だ」

「あたしは豊島村の出です。田舎ですよ。小さい時から体が大きくて十四五で今位の大きさになってましたよ」

「略同じだな、それじゃ口減らしの口か?」

「そうですね」

 と明るく答えて暗さは微塵もなかった。

「でもおいらは小さいうちから働いて食い扶持以上は稼いでいたけどな」

「私は女郎にもなれず飯炊きをしてました」

 こうして向き合って話してみると多岐は整った顔立ちであった。

大体大造りなだけである。

 房吉は横になって多喜を下から見てみた。

「恥ずかしい」

 と言ってすり寄ると、その頑丈な膝を頭の下に入れて来た。

思わぬ膝枕に気持ち良くなって目を瞑る。

「なぁ多岐、観客の前で裸で居る訳だが何とも思わないか」

 と言いながら左手で右膝を摑むと身体がピクリと動いた。

どうも房吉の尖った髷が微妙な箇所に当たったようで、小さく声も上げたのであった。

「最初は恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ありませんでした」 

 衆人環視の中でのことである。正直な気持に違いない。

「今はどうなの」

「今だって恥ずかしいです」

 大柄な割には女らしかった。

此処にいる力士の中には、まるで男のような体つきの者も居て、歩き方まで蟹股で頂けなかった。

 房吉は体を起こすと胡坐をかいて、多岐を抱き寄せた。

 興行主の発案によって片屋入りの適任者として大山里の存在が視界を埋めると、急速に濱田川の意識を支配し変えて行ったのである。

 場所中濱田川の控小屋に出入りするのは大山里だけであった。

大山里の化粧まわしとまわしを換えるのは濱田川の専任となってしまったが、二人ともそれを楽しんでいるようだった。

 髷は大概は島田髷の変形であったが、特にこれと言った決まりはないので根下り兵庫に似た髷を結っていた。

綺麗な富士額であった。

「場所が終わったら何処かに行こう」

「はい」

 女子に自ら誘うのは初めてで、多岐にしても無論初めてのことであった。

 七日目の取組後、小屋に来客があった。

手木衆の頭諸見十郎兵とその一党であった。

「何時来られましたか」

「最初から」

「いやぁ驚いたね、色気ばかりと思ってたが違ったよ。流石濱田殿の指導は大したものだね」

「うちの幕下当たりでは敵わないんじゃないのかね」

 諸見十郎兵らは口々にそう言って、女力士たちの実力を評価した。

「四斗俵を軽々と持ち上げる者が数人居りますので良い勝負でしょうね」

 会場は片付けが入って居たのでお茶を飲んで少し待って貰った。

「今の女子おなごは片屋入りの大山田だっけ?」

 十郎兵は大山里のことを言ったのだが、名前をいい加減に憶えていたようだ。

「大山里です。あの身体ですから強くなりますよ」

 会場係が片付けが終わったことを知らせに来た。

「行きましょう」

 入れ違いに大山里が控え小屋に入って行くのを十郎兵は確と見た。

 観客の居ない相撲場は意外に広かった。

土俵周りを見て、土の固め方などを見ていた。十三尺の円い二重の土俵は、高さは一尺ばかりであった。

「此れと同じに造ればいいか」


 こうして八日目の千秋楽を迎えた。

押し相撲の大山里は四勝三敗と好成績である。今日勝てば五勝三敗となって、来場所は間違いなく前頭の上位に行くだろう。

 昼四つ(十時)には場所入りが済んで各々支度小屋に居た。

大山里は明け荷を持って濱田川の小屋にやって来ると綿入れの着物を開けて明け荷から越中褌を取り出すと濱田川に渡した。

濱田川は綿入れを広げて、尻に布地が掛かるようにして紐を兩側から引いて前で結ぶと、足の間から布を引いて紐の間に通して前に垂らした時白い地が赤く染まったのである。

「何だこれは?」

「嫌だぁ月のものです」

 そう言われても濱田川には解からなかった。その時女行司が段取り確認の為顔を出したのだが、其処に大山里が居たことと、在らぬ姿の二人に驚いたが、事態を察知すると、

「世話役、大山里は休ませましょう。此れでは無理です。始まったばかりでしょ」

 大山里は残念そうに頷いた。

「男には分らないでしょうが、辛いものなんですよ。とても取り組みなど出来ませぬ」

「左様か、志麻太夫(行司)の言われるように休みなさい」

「はい」

 大山里は志麻太夫から手拭いを貰うと、其処に挟んで止めた。

「最後はどうしますか」

「勝者の表彰の後は会頭の(伊勢谷藤右衛門)の挨拶で締め、そなたの誘導のもと、土俵にて力士全員が観客にお辞儀して終わるでいいだろう」

「御世話役はどうされます?」

「私は飽くまでも裏方よ、表に出ることはない」

 行司の志麻太夫は大山里をちらりと見て出て行った。

「多岐大丈夫か」

「はい大丈夫です」

「此処にいて構わぬから」

 役力士には個別に小屋が宛がわれていたが前頭、幕下は其々支度部屋に居たのである。

 千秋楽の取組は既に組まれて発表されていたので、取組相手には不戦勝が知らされた。

「お多岐はどうしたの」

「世話役のとこじゃないの。朝明け荷を持って出て行ったがネ」

 肥田桜は大山里の姿を見ていたのでそう言った。

対戦相手は不戦勝でも一勝は一勝であった。一勝するごとに給金に反映されたのである。

対戦相手はそれで良かったが、観客は欠場の理由がハッキリしない為不満であった。

 騒ぎが大きくならないうちに何とかせねばと会頭は世話役に打開策を求めた。

「やってみます」

 堪りかねた大山里は出血を覚悟しての出場を申し出る。

「良いよわしが出るよ、まわしを借りるよ」

 化粧まわしは幸いにして締める前だったので汚れてはいなかった。

「会頭濱田川が演舞する旨公表してください。それで治めましょう」

「頼みます」

 藤右衛門は急いで土俵に向って行った。

化粧まわしを着け終わる頃会場で歓声と拍手が起こっていた。

 呼び出しの角弥と行司の志麻太夫の後に付いて東の花道を歩き出すと、観客の割れんばかりの歓声、拍手と声援に気持ちが昂った。

「偶々遊びに来られて居りました濱田川関に事情を話しましたところ、本家の演武を披露して下さることを快く承知してくださいました。お蔵の奥深くに仕舞われて二度と拝むことの出来ない筈の“青龍の舞”を演舞して頂きます。尚化粧まわしは大山里の物を使用して居りますことご了解下さい」


 濱田川は呼吸を整えると内側の俵の中に入って、蹲踞の姿勢から拍手を二度打つと、両手をゆっくり拡げて足を高く上げての四股しこを踏む。体の柔らかさは実践から遠のいたとはいえ変わりなく、その体を一本で支える足腰の強靭さは相変わらず見応えあった。

四股を踏むたび、場内からヨイショの声が上がるのは当初と変わらなかった。

 身体を沈ませた位置から摺り足で両手を繰り出しながら迫り上がって行く。

この時の濱田川の形相が鳥肌が立つ程恐ろしく見えるのであった。

 中腰の姿勢から仮想の相手をもろ手突きし、ドンとぶつかる形から左手を下手に右手を上手への四つ身の体制を取ると、身体を反らして禁じ手のような抱え投げを演じて見せた。

 この時の形相はまさに夜叉の面であった。この濱田川の演武は緩急で見事に表現され、芸術の域であった。

 会場は男も女も侍も町人も居て大いに盛り上がった。

芝居ではないが土俵目がけておひねりが飛ぶ。拾えただけでも五両三分あったと言う。

打ち上げ後、関係者全員にご祝儀として四百文当たりを配った。

 回向院には勧進料を納め、新井町のお寺には無事に本場所を終えることが出来た御礼として境内使用料を納めたのである。

役員の報酬と力士の給金に使用人のお手当などを差し引いても十分儲かったようだ。

 濱田川は世話役としての報酬五両を貰った。後に聞いた話では、力士らへの給金は勝ち負けの数によって増減して支払われたとのことであった。



   

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