第10話 実力の女相撲

 



 興行主の伊勢谷藤右衛門の本業は札差で金貸しもしていた。

江戸で勧進相撲が行われるようになった頃、蔵前の米蔵で働く女人足が数人居た。

彼女らは引き取りに来た客の米俵を担いで荷車に乗せたり、近くであれば届けたりして駄賃を稼いでいたのである。

 力は並の男以上であったので、其処に目を付けて女ばかりの相撲を考えたのであった。 

藤右衛門は先ず大川橋を渡った本所荒井町の寺と交渉して境内に相撲の稽古場を作り、隣接地にある割長屋と棟割長屋を借りて力士の宿舎としたのである。

その上で回向院えこういんに興行の話を持ちかけたのであった。

 了解が出るまで一年余り、本拠地とする本所の寺で力士たちの育成に力を入れたつもりが指導者の実力もなかったので、当初は女が裸で相撲を取ると言う売込みに客が集まって来たものだった。

 房吉らが回向院で見た女相撲は、当初より少しは真面になっていたが、房吉から見ればまだまだであった。

本所荒井町の長屋には女力業の看板が下げられて、興行主の仕事部屋になっていた。

「濱田川関、隣りに専用の部屋を用意しておきましたので自由にお使い下され」

 井戸端には囲いを付けて女力士らが身体を洗えるようにしてあった。

 流石は商売上手な藤右衛門であった。

女力士も商品であり、環境を整えることには余念がなかった。

「それでは相撲小屋に参りましょう」

 隣りの寺には相撲小屋があり、女たちが思い思いに稽古をしていた。

「みんな集まってくれ」

 藤右衛門の呼びかけに振り向いた一同は、其処に江戸相撲の人気者である濱田川房吉が居ることに気が付いて、

「キャー」と少女のような黄色い声を上げたのであった。

ざわつく女力士たちを制して全員を土俵の回りに座らせた。

「みんな驚いたか、そうか周知の通り此処におわす方は前頭の濱田川関だ。

吾ら女力業の実力向上の為、指導者を引き受けて頂いた。

「わ~」「キャー」と黄色い声があがる。


「おいらは無期限出場停止の濱田川です」

 と砕けた挨拶をすると笑い声とともに更に場は盛り上がって黄色い声が乱れ飛んだ。

「皆さんの取組は先日拝見しました。力は十分だと思いますが残念ながら技に切れがありませんね。四股やすり足鉄炮などしてないでしょうから、先ずはそれからやりましょう」

 先ずは手本を見せる為まわし姿になって土俵に立った。

股割を見せて全員にやらせてみると、身体の柔らかい者堅い者が分かった。

 そこで二人一組にして代わるがわる背中を押させて、身体を解していった。

次に四股の踏み方からすり足の運びをやらせてみる。

そして柱を利用して突く鉄炮を教えたのである。

 こうして全員を見て廻りながらまわしの締め方が可笑しいことに気が付くとその場に座らせて正しい締め方を己のまわしを外して見せた。勿論素っ裸ではない。

こんな場面を想定して下に越中褌えっちゅうふんどしをしておいたのであった。

そして改めてまわしを股に当てて見せる。

女たちはそれをじっと見ていた。

 一人の女に片一方を持ってもらい、房吉は四つ折りを先端部分として二つ折りに広げると跨いで顎に挟んで股間を通して後ろ手で摑むと、自ら右回りしてまわしを重ねながら締めて前垂れを折り込んで最後に補助の女子に立てまわしの下を通すように指示し、結び目を作って強く締めさせた。

「前袋に収まる物は違っても外れないように締めること。立てみつや横みつは緩くならないように締めること」

 女たちはクスクス笑いながら聞いて居た。

 実際にやらせてみる為二人一組にして、一人がまわしを外して、折直して締め直すのであった。終わると反対の者が外して締め直した。

 力士によっては平気で房吉に曝して見せた。勿論態とである。普通の男なら反応しそうなものだが房吉は腕を組んで平然とそれを見ていた。まわしの下は如何なものか…。


 全員が終わった所で土俵上に先日目に留まった花の山を呼んだ。

蔵前の米蔵で人足をしている一人で、米俵を一俵ずつ両手で運ぶ女傑であった。

見るからに足腰は丈夫で尻もでかく、腕や胸の筋肉(大胸筋)も張っていた。

 濱田川は試しにぶつかり稽古をやってみることにしたのである。

「足を拡げて腰を割り、右足をやや前に踏み出して両手を拡げて相手の当たりを受けるんだよ」

 濱田川は花の山にその姿勢をとらせると、軽く当たって手本を見せた。

「さあ来い」

 濱田川は両手を拡げて花の山の当たりを受ける。

ドスンとかなり重い当たりであった。押しもなかなかである。

米蔵で人足していた者は他にも居た。

花の山を入れて全部で五人。これらを徹底して鍛えた。

 中でも鴫原岩たはらいわという力士は、戸板を腹の上に載せて四斗俵(六十キロ)を六俵重ね上げたという女傑で、濱田川の激しい稽古に耐えて立派な力業ちからわざと言えた。



 年が改まって二月に春場所開催と決まると、番付を濱田川を中心に組んだ。

鴫原岩が関脇で花の山、艶錦を小結とし、前頭十二人で前相撲五人の構成であった。

 藤右衛門は新力業興行と銘打って、読売(瓦版)に大々的に引き札(広告)を入れて宣伝した。

日本橋、京橋、四谷、浅草御門内、両國などであった。

 女相撲興行主は伊勢谷藤右衛門、世話役は侏万江道勧すまえどうかん(房吉)で行司に呼び出しの名を列し、鴫原岩、花の山以下を東西に分けたのである。

 実施場所は本所回向院境内で、前回同様池の先に小屋が組まれた。

前評判は上々で観客席も二階席を作る程であった。

場内警備の若いしは本職は鳶であったから、小屋掛けから土俵づくりまで行った。

 こうして準備の進む中一月末に、伊勢谷藤右衛門は新井町の稽古場のあるお寺に於いて、新女力業興行の成功の為、祈願祭を執り行ったのである。

そして列席関係者や僧侶らを含めてちゃんこ鍋を食す会を設けたのであった。

この準備には同じ長屋の住民らが手伝いに来てくれたので、滞りなく食膳に並べられた。


 冒頭伊勢谷藤右衛門が挨拶に立ち、当寺の住職、僧侶に当地に拠点を置かせて頂いた上諸々ご配慮賜ったことに感謝の意を述べたのであった。

確かに稽古場がなければ観衆の支持を得ることは出来ないのである。

 また世話役として名を連ねる侏万江道勧すまえどうかんこと濱田川房吉の献身的な指導によって、この新しい女相撲の道が確立されたとその功績を称えたのであった。

 次に促されて挨拶に立った房吉は六十名ほど居る聴衆にこう話し始めた。

「私はこれでも前田家の家臣です。元々は漁師の出でありますから本来ならば釣り糸を垂れ、網を投げ込んで漁をしていたに違いないのですが、八つの時に下總は船橋神明の奉納相撲に出たのがこの道に入る切っ掛けとなりました。ですがつい禁じ手を使ってしまう為、相撲会所に於いては出場停止を宣告されてしまったのです。

 取組が出来ない中、は師匠の明け荷を担いでお世話をさせて頂くことでこの道を歩き続けていられるのです。

 此処に居ります女子衆はもう立派な相撲取りでして男とて敵わぬほどの力と技を具えてくれました。

女相撲と言うと多分に興味本位な見方をされるかもしれませぬが、見世物と違って本物の力のぶつかり合いであることが証明され、理解されるものと信じて居ります。

その為にも女子衆は日頃の鍛錬と怪我をせぬ為の稽古を怠らぬことです。

 興行主様の女相撲発展の夢実現は其々に掛かっていると自覚し、精進して頂きたいと思います」

 濱田川がゆっくりとお辞儀すると会場に拍手が鳴り響くのだった。

取り分け力士らの中には感涙にむせぶ者も居たのであった。

 この頃に於いて女相撲は、その存在価値が認められるように人気が高まっていた。

 挨拶が長くなったが、それらの話を聞きながら参列者は舌鼓を打っていたのである。

鶏肉に野菜やキノコに貝など栄養満点の具材が沢山入っていて体が温まった。

 昼八ツ(十四時)ごろ散会となって弟子たちに誘われて長屋へと行った。

其処で花の山の部屋で酒を飲んだことまでは覚えていたが何時しか酔いつぶれてしまったようで、気が付くと布団の上に女ものの着物を着て寝転がっていた。

「お目覚めですか」

 と声をかけたのは小結の艶錦つやにしきという女であった。

何時なんどきだ」

「五つ半(二十一時)ですよ」

 と意味あり気に笑う。

「いかん戻らねば」

 と着物を脱いですっぽんぽんに気付く。

「越中はどうした?」

「嫌ですよご自分で外されましたのに…」

 房吉は全く覚えていなかった。

何で外したのか等分かる筈もなかった。

「何処にある?」

「まわしと一緒に洗って干してありますよ。

それとお屋敷にはお知らせして貰いましたのでご了解済みですわ」

 戻らなくても大丈夫と分かってそのまま又横になった。

「艶錦、おいら何かしたか」

「覚えてないのですか」

「全く、何かあったのなら教えてくれ」

「お茶でもお飲みになりますか」

 と話題を反らす。


 房吉は稽古場で最初にまわしの付け方を教えた時、開けた部分を隠しもしないで房吉を見ていた女が艶錦であったことを思い出していた。

「本名は何と言う」

「きみです」

「きみか、いい名前だ」

 女力士の中では若くて美人であった。

体つきも細い方であったが、この部屋に房吉を独りで担いできたと言い、それが真であれば馬力があることに間違いなかった。

 房吉はうっかり寝てしまうと碌なことにならぬと思い、気の進まぬまま夜通し話し込んで朝を迎えた。

 きみは房吉を立たせたまま前で膝をついて、紐を結ぶと、垂れ下がる筒を慈しむように布越しに触れて前垂れを紐に通した。

「それじゃまた」

「はい、其処まで送らせて下さい」

 房吉はきみが寄り添って来るのをそのままに、大川橋の手前まで並んで歩いた。

「気を付けて戻りな」

 橋の途中で振り返って見ると、きみは未だ橋の袂から手を振って見送って居た。



 追分御門の門番が嫌味を言って迎えたが、一朱銀を握らせると急に態度が変わって通すのだった。

綾錦に謝罪をしに行くと、

「外泊は感心しないな」

 先ずそう言った。

「お前が前田家の家臣でいる為には、約束事を破ってはならない。こうしたことを度々起こすようだと上司の儂がお前を処断しなくてはならないのだ。そのことを肝に銘じて置く様に…」

 温厚な師匠の顔が厳しさを強調していた。

「畏まって御座います」

「ところで房吉外泊とはお安くないな。相手は水茶屋の娘かな…」

 綾錦はけじめを付けると、砕けた口調で訊く。

「親方そんなんじゃありませんよ」

「それじゃあ何なんだい」

「不覚にも飲めない酒に潰れただけですよ」

 房吉の顔には別の理由が示されていた。

「紗代が心配してた通りになったんだな」

 と他人事だけに愉快そうに言うのだった。

勿論紗代が傍に居たらそんなことを言う程人は悪くない。飽くまでも弟子との冗談であった。

「親方私らが所帯を持つとしたら何処で暮らすことになるのでしょうか」

「お出でなすったな、基本的には江戸の屋敷は単身赴任という形なので金澤に住むことになるのだろう。青山様や萩原様園田様のような定府家臣は屋敷内に敷地を拝領されて住まわれているがこれは特別よ。足軽や小物には屋敷外の長屋に住んでる者も居るらしいが、月に数回帰宅出来ればいいそうだ。


強いて言えば蔵屋敷詰なら通いも可能かもしれぬが、上の方に訊いてみぬことには分らぬよ」

 具体的な話もないのに房吉はふとそんな質問をしたのであった。

「所で最初の興行は何日からやるんだ?」

「二月の八日からです」

「直ぐじゃないか」

「はい、親方もいらっしゃいますか」

 多分駄目だろうが念の為訊いてみた。

「会所との兼ね合いで関われないので遠慮しておく」

 との返答であった。

 二月に入ると試合形式の稽古を行った。

その稽古も三日前には止めて、場所入りまで思い思いに過ごさせた。

何もしないでゴロゴロする者や擦り足や鉄炮などの稽古に励む者など様々に過ごして居た。 房吉が部屋で取組表を作っていると、肥田桜と言う二十歳そこそこの前頭格の力士が顔を出した。


「どうした?」

 房吉は手を止めて訊く。

「師匠かけ投げを教えて下さい」

「よしゃ上れ」

 肥田桜は細身であったが下半身が確りしていて四股を踏んだ時の足の上げ方も高くてかけ投げは肥田桜に向いていそうであった。

着物を脱ぐとまわしだけの姿になった。

 房吉も朝稽古のままなのでまわしを付けたままでいた。

「組んでも組まなくても良いが左足を相手の右内側に入れて高く持ち上げると同時に相手の体は右側に転がすのだ。この様に」

 肥田桜の体がきれいに持ち上がって転がった。

「どうだ分かったか、やって見な」

 肥田桜の左足は房吉の右足の付根と前袋を擦りはしたが倒すことは出来ず、逆に突き落とされてしまうのだった。

「いいかこのように四つになってもならなくても左足をこじ入れると同時に相手の体を右に引くと足も上がって相手の体は前のめりに転がるという寸法さ」

 と簡単に肥田桜の体を浮かせて転がすのだった。

「良いか重たい軽いではないんだ。足を入れて体がのめる瞬間に掛かるかどうかだ」

 房吉は態と左上手に巻き替えにいつた瞬間左肩を引かれ、右足が肥田桜の左足と腰に乗っかって転がされていた。

「うまいうまい、それでいいんだ」

「有難うございました」

 二人とも汗びっしょりであった。

肥田桜は洗い場の桶に水を汲み、手拭いを浸して固く絞ると房吉の背中の筋肉に沿って汗を拭きとっていく。

内腿から向う脛の固い筋肉を拭き終わると前に回って厚い胸板から鏡餅のように膨らんだお腹を拭き、やや下がって前袋の両脇からギリギリ差し込んで拭く。

 腿やすねが拭き終わったので、

「気持ち良かった。背中を拭いてやろう」

 房吉は女の体に真面に触れるのは初めてであった。

稽古の時は男を相手にしているのと同じようなものなので意識はしなかったが、こうして改めて女体に触れてみると、男のごつごつした感じとは違って弾力が感じられた。

「前も拭いてやろう」

 房吉が手拭いをきつく絞って胸を拭き乳房を拭くと少し体をねじった。

「ご免痛かったかな」

 奥手の房吉には分らぬ反応であった。

目の当たりにする女体は霊力を漂わせてまさに神秘と言えるのだった。

 房吉は更にお腹からまわしの内側をなぞる様にして拭き、腿すねが拭き終わると肥田桜はヘタヘタと腰を落として座り込んでしまった。

若い女の体は敏感になっていた。

肥田桜は我に帰ると慌てて着物を着てお辞儀をして出て行った。

 

 伊勢谷藤右衛門や鴫原岩に花の山、艶錦らは、この日蔵前の米蔵で仕事をしていたのである。

肥田桜は朝稽古に蔵前組五人が居ないことを確認すると教えを請いに部屋を訪ねたのであった。

 この日伊勢谷藤右衛門が早めに戻って来ると濱田川の部屋を覗いた。

「関取相談したいことがあるのだけれど宜しいかな」

「どうぞお入りください」

 二人が膝を突き合わせて雑談を始めると、肥田桜がお茶を運んで来た。

「おっおっおっこれは済まないね、あんたなんて言ったかな」

「肥田桜です」

 藤右衛門は男のような力士の多い中で、この様に若くて美しい女子が居ることにご満悦であった。

「思いつきなんだがねえ、初日の頭で関取の片屋入り(土俵入り)を入れたらどうかと思ってね」

「それでしたら女相撲ですから、誰かにやらせましょう」

「誰かいるかね」

「前頭格の大山里は如何でしょうか」

 前頭格大山里は身の丈五尺四寸(百六十三センチ)目方は二十八貫目(百五キロ)の巨漢であった。

身体が大きい割には動きは敏捷で直に大関を張るだろうとみている。

 大山里は呼ばれると直ぐに来た。

見るからに逞しいその姿に、房吉は片屋入りの型を即座に組み立てた。

 房吉は己の部屋に大山里を連れて行くと畳を取り外して隅に重ねて置いた。

元々は板の間なので、その上で片屋入りの構成と技の解説をしながら流れを見せる。

「朱雀は四神のひとつで、大きな翼を広げて禍を払い除け、平安を齎してくれる朱鳥をいうのだが、その大きな姿を思い浮かべて演武するといい」

 大山里は濱田川考案の“朱雀の舞い”を一生懸命稽古した。

 房吉はあることを思い浮かべて、行き成り大山里を引き寄せると腰を摑んで身体を合わせるように密着させた。

 大山里は行き成り男の体に触れたものだから心の臓がバクバクいって息が詰まりそうになった。

「大きく息を吸え」

 と言いながら大山里の直ぐ横でまわしをはずすと裸のまま声をかける。

「後で片付けて置いてくれ」

 と頼むもので、

「はい」と返事をしながら初めて目にするその持ち物に驚くように目が点になっていた。

「明日は全員揃っているだろうから此処でまた型の稽古をしよう」

 息抜きしながら稽古を続けるよう指示すると、興行主に訳を話して日本橋へと向かった。

 大川を新大橋で対岸へと渡り、川口橋、汐留橋を越えて小網町で思案橋、荒布橋あらめばしを通って、日本橋川北岸の一石橋を渡ると呉服橋先の呉服町にそのお店はあった。

「いらっしゃい」

 顔見知りの手代が店先に居たので事情を話すと、

「関取どうぞお入り下さい」

 と招き入れた。

「番頭さん、加賀前田様のところの濱田川関です」

 と紹介すると、番頭は如才なく対応した。

「女力士の化粧まわしですか、明後日の昼迄か…。少し値が張りますが宜しいでしょうか、明日一日で作らせますので」

「朱雀の絵と大山里の四股名を入れて貰いたいのだが」

 濱田川は筆と紙を所望すると、大山里と漢字で書き、朱雀の絵と小書きして番頭に渡した。

見事な筆遣いであった。それを眺めながら、

「手習いは何処ぞの寺子屋で?」

「おいらは漁師の倅、読み書きは親方から教わり申した」

「これは失礼しました。とても美しく読みやすい文字ですよ」

 角力取りは文字は読めても字は碌に書けまいと思っていたのだろうか…。褒めちぎるのだった。

 一応本所荒井町の女角力会所の住所を書き足して置いた。

「生地と色はお任せください。寸法も分かりました。間違いなく仕上させて頂きます」

 番頭の言葉を信じて手付金を置いて本郷のお屋敷に戻った。

戻ると直ぐに綾錦に呼ばれたので部屋に行くと、頭取の中郷もニコニコしながら待って居た。

「濱田川女相撲は如何か」

「順調にいっております」と答えると、

「其の方に相談だが」

 と切り出したのは、女相撲の本郷邸での開催要請であった。

「そなたも存じおろうが、江戸詰めの連中は矢鱈と外出も出来ず、屋敷内に娯楽もないので退屈して居る。そこで御家老のお許しの下そなたに一肌脱いで貰って女相撲を見せて貰いたいのだが…勿論只とは謂わぬよ」

 どうであろうかと言葉は続くところだが、御家老の許可を貰ったとなれば、最早強制であった。

「興行主と話を致しますので、お時間を頂き等ございます」

最早承諾したのと同じであった。

「よろしく頼むよ」

 と中郷源四郎は機嫌よく部屋を出て行った。

「無理言って済まぬ」

 と綾錦は詫びるが、

「とんでもありません。却って会所にとっては良い話です」

 房吉は最早女相撲べったりであったが、前田家の家臣であることの自覚は忘れてはいなかった。

自分が今のように自由に出歩けるのも綾錦や中郷源四郎のお陰であることは間違いなかったのだから、屋敷の為になることであったら

どんな苦労も骨折りも惜しみはしないつもりであった。



   

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