第7話 人気者の片屋入り

  



 三月場所は十一日深川富岡八幡宮で予定通り開催された。

綾錦に付いて新弟子の政五郎と共に船で深川に向かった。

神田川から大川に出て永代橋を下から眺めながら熊井町大島町へと水路を入って行き、蓬莱橋を潜り抜けて直ぐに船着き場があった。

 

 一行は大鳥居を潜り抜け、永代寺と富岡八幡宮を取り囲む堀に掛かっている橋を渡る。

「師匠、この辺りは広々としてて良いですね」

 と房吉が辺りを見回しながら綾錦に話しかけた。

「此処はよ、元は海で埋め立てた所だわ。だから今は空き地が仰山あるが、その内町屋が建ち並んで門前町と成ろうよ」

 一行は場所入りには間があったので橋を渡って戻ると、近くの茶屋で団子を頬張った。

 新弟子の政吉は十八歳というから房吉より年上であるが、単なる付き人の濱田川を一目置いて居た。

だが房吉も兄弟子気取りは一切なく、綾錦の明け荷を担いでいた。

すると政吉が綾錦に何事か言付かって席を外した時に、

「お前の優しさだろうが、明け荷は政吉に持たせるべきだ。この世界は上下関係がはっきりしてるので、相手が歳が上でも兄弟子として仕事として覚えさせなければならない。全てをお前がしてしまったらそれが当たり前と思い込んで弟弟子への指導が出来なくなってしまうかも知れぬのだ。それは思い遣りや優しさでは決してない」

 綾錦は房吉に諭すように言うのだった。

それ以降明け荷は政吉に任せることになるのだが…。


 お茶を飲んでいると、会所の呼び出しが呼びに来た。

「関取少し早めですがお集まり下さいとの勧進元からのお達しです」

「あい分かった直ぐに参る」

「政吉が戻って居りませんが」

「後で来るだろうから参ろう」

「はい」と言いながら明け荷を担いで後に従う。

その姿を見て江戸の雀達が騒ぐのであった。

濱田川は今や人気者であった。

「頑張れ」の声援に左手で応えるものの出番はないのである。

 橋を改めて渡り、石段を上がって右に行くと二の鳥居があった。

其の先に社殿が見える。

その社殿の左手前に葦簀張よしずばりの仮小屋があり、入り口には木戸番が居た。その横には女人入場お断りの垂れ幕があった。

これが相撲小屋であることに間違いなかった。 その先を裏手に回ると関係者の小屋が数十棟用意されていた。

「関取手筈通り頼みますよ」

 勧進元から頼まれたのは単独での片屋入りで然もそれは綾錦ではなく、無期限出場停止処分を受けてる濱田川で頼むということであったのだ。

そんな密約など濱田川は知らない。

 ほんの四、五日前、濱田川は綾錦から型の稽古を受けた。

攻めと護りを合わせた型であった。

 開始半時前には綾錦も回しを付けて鉄炮や四股で汗をかいていた。

「関取遅くなりました」

 新弟子の政吉が真新しい明け荷を担いで戻ってきた。

「おぉ間に合ったな、ご苦労であった。

此処に置いてくれ」

 と房吉の側に置かせた。

「師匠此れは誰のですか」

 房吉は不思議に思ってそう訊くと、

「お前の化粧まわしだ。それを付けろ」

 直ぐにつけるように言われたので訳も分からず明け荷を開けると、羅紗の布地にかッと目を見開いた龍の絵に濱田川と書かれた化粧まわしが出てきた。

左隅には梅鉢の紋が描かれてあった。

「下帯だけつけて裸になれ」

 綾錦は文字の書かれた側を上にしてその布を縦長に広げると、絵に向かって跨ぐよう指示した。

そして絵、文字の書かれている面を折り返して外側に向けさせると、臍の上辺りで止め、後ろ立てまわしを作る為八つ折にして、横から前に四つ折りにして二度回して締め上げた。この頃の化粧まわしは膝頭が隠れるぐらいの長さであった。

「何でおいらがこれを付けるんですか」

「濱田川の名が番付表に載ってないので観客が騒ぐといかんで、房吉の片屋入り(土俵入り)で納得させようとの考えのようだ。攻防の型は忘れてはいまいな」

「はい覚えています」

 房吉は親方の前で流れを見せると、

「相手を想定して演舞することだ」

「はい」

 親方に急に教えられた型の意味が漸く分かった。


 勧進元から顔を出すようにとの声が掛かったので、綾錦爲衛門は濱田川を連れて挨拶に行く。

 身の丈六尺、目方は三十八貫目と少し増えただけで殆ど変わってはいなかったが、綾錦と並んでみると見劣りしないほど立派な体躯であった。

「濱田川関の人気は大したものだね…。そこであんたには初っ端に片屋入り(土俵入り)をして貰おうと思う。関取にとっては本分ではなかろうが、さりとて片屋入りを披露するなどはまず無いことなので確りと演舞して貰いたい。よろしくお願いしますよ」

 にっこり笑ってそう言うのだった。

「承知しました。一つお訊ねして宜しいでしょうか」

 房吉は畏まって訊く。

「何なりと申されるが良い」

「おいらは単なる付け人に過ぎませぬのに、先程から何度となく関取と申されるは何故でしょうか。若しかして人違いされては居りませぬか」

「では逆に訊ねるが、何故そのように思うのかね…」

 房吉は己の受けた処遇以前の問題で、幕下付け出しとしても、関取ではないと思ったからだと素直に話した。

「これはわれらの落ち度と言えるな。無期限の出場停止処分は周知の理由に因るものだから承知して置いて貰いたいが、濱田川関の人気は今や急上昇で、相撲が見られないのなら顔だけでも拝ませろと言う意見が殺到したのだ。そこで役員協議の上濱田川に顔見世片屋入りをやらせてみようとなったのだよ。就いては幕下付け出しの片屋入りは可笑しいとなって、実力からしても前頭以上なので、いろんな考えを調整して前頭格で決着したのだよ。それで関取と呼んだのさ」

 確かに番付表の中央の下方に、片屋入り加賀前田、前頭濱田川房吉とあった。

うっかりと見落としそうな大きさで書かれてあった。

房吉が納得したとみるや、綾錦は役員の方々に化粧まわしを披露するよう告げると、房吉は綿入れを脱いで皆の前で雄姿を見せるのだった。

 一同はその前垂れに描かれた龍の絵に見入った。

狩野探幽かのうたんゆうの弟子の一人で、楠本探霊くすもとたんれいの筆によるものという。

片屋入りの話が決まってから今日までひと月足らずであったが、幸にして頭取中郷の知り合いの絵師に楠本探霊が居たので事情を話して羅紗の布地に天に駆け上る龍を描いて欲しいと頼むと天を見上げる龍を描き上げたのだというのである。

 それを本郷邸出入りの呉服商に頼み、下部に付ける紫の総に手間取った為間に合わない事態になったのだが、新弟子の政吉が日本橋のお店に取りに行くことで間に合わせたのであった。

 綾錦は政吉が戻るまで内心落ち着かなかった。

 開幕まであと四半時ほどである。

場内を覗くと、土俵際から桟敷席までぐるり見渡してみると満席の様でそれだけでも熱気で溢れていた。

全て観客は男であった。


 愈々春場所が始まった。

力士らは東西に分かれて出番を待つが、その前に拍子木を打ち鳴らす呼び出しを先頭に立行司が続き、最後に濱田川が化粧まわしをつけて入場して来た。

「待ってました濱田川」

 と声が掛かる。

まるで千両役者を見るようであった。

場内は一気に盛り上がる。

 行司に続いて濱田川が土俵に上がると、式守矢之介が、


「此れより春場所の開催となりまするが、取組の前に前頭力士の濱田川に依ります片屋入り(土俵入り)をご披露させて頂きまする」

 行司の口上の後に拍子木がチョンチョンと鳴り響くと、濱田川は内側の俵の中に入って、蹲踞そんきょの姿勢から拍手を二度打つと、両手をゆっくり拡げて足を高く上げての四股しこを踏む。

 体が柔らかいのと、その体を一本で支える足腰の強靭さは見応えあった。

四股を踏むたび、場内からヨイショの声が上がった。

 身体を沈ませた位置から摺り足で両手を繰り出しながら迫り上がって行く。

この時の濱田川の形相が普段と違って鳥肌が立つ程恐ろしく見えた。

 中腰の姿勢から仮想の相手をもろ手突きし、ドンとぶつかる形から左手を下手に右手を上手への四つ身の体制を取ると、身体を反らして禁じ手のような抱え投げを演じて見せた。

 この時の形相は普段の可愛らしい童顔からは決して想像できぬ程恐ろしい夜叉の面であった。

 その時の脹脛ふくらはぎや上腕の筋肉の動きが実際の取組のように見えて迫力満点であった。

観客は感嘆の声を上げた。

 綾錦や政吉の居るところからでは濱田川の表情は見えなかったが、切れのある力強い重厚な演武は遠目にも伝わって、容易に出来るものではないことをその場に居合わせた連中に知らしめたのである。

観客は大喜びであった。


 この事は場外の参詣者や女人たちにも伝わり、小屋の周りに集まって来たのである。

 歓声の中控室に戻ると、また場内から歓声が起こった。如何やら顔見世も終わって取り組みが始まったようだった。

木戸口から入らせて貰えない女人や溢れた人らは、葦簀の繋ぎ目や穴を開けたりして覗き見ていた。

 無論濱田川の演武の時にもこのような覗き見をした者は大勢いて小屋の周りに居た警備の若いしらもそれをとがめることなく、黙認していたのだ。


 演武を終えて控室に戻って一息ついて居た濱田川のもとに相撲会所の年寄りが二人やって来て、演武の成功を絶賛しながらも中身について注文を付けたのである。

 一部に相応しくない型が含まれているとしてその部分の変更を要望して来たのである。

元々は此度の片屋入りの為に綾錦と濱田川が創作した演武なので変更できないことはなかったが、余りにも勝手な言い草なので困らせてやろうと一計を案じるのだった。

 濱田川はこの型が、東西南北四方を護る四神のひとつ東の青龍の荒々しさを表現したものであることを説き、その一部を変えるとなると流れが遮断若しくは寸断されて意味をなさなくなるので、変更は承諾出来ないと言い切ったのである。

 演武の型が好ましくないと言うのであれば、今後演武は行わないと断言までした。

房吉の立場からすれば何方でも良いことで、仮に永久追放となっても構わなかったのだ。

 興行側としては困ったことになった。

人気者の取組が出来ない為考え着いたもので、苦肉の策の片屋入りであったのだ。

もし其れすら行われないとしたなら、観客が騒ぎ出す懸念があった。

 そこで親方の綾錦に頼み込むが、濱田川の意思を曲げることは無理と断言され、仕方なく思い通りに演武することを容認したのであった。

 二日目、三日目と日を追うごとに濱田川の片屋入りの演武は凄みを増して、観る者達を唸らせた。


 この場所に限って十日めがあった。

前頭以上の取組は八日目で終わった。

九日目は休みで十日目に幕下以下の取組を行い、女人の見物を許したのである。

 通常なら観客は疎らだが、この日の入りは満席であった。

観客のお目当ては勿論濱田川で、最大の出し物、片屋入りの青龍の演武を楽しみに集まっていた。

 演武に於ける濱田川の表情と少年とは思えぬ体の律動が魅力であったのだろう。

それと有名絵師の弟子の筆による膝が隠れる程度の龍の化粧まわしが評判でもあったのだ。

 この場所は好評のうちに終えることが出来て関係者一同はホッと胸を撫で下ろしたものだった。

だがそのことは濱田川の片屋入りが大いに貢献してのことなのに、勧進元や会所からは報酬として五両を濱田川に渡したに過ぎなかった。


 勧進相撲とは言うものの、この頃になると本義から逸れて営利追及の興行に代わりつつあった。

客寄せも人気者を使って余興をしたり、女人の入場を認める日を設けるなど相撲人気に拍車をかけた。

 こうして十月の冬場所、翌年三月の春場所と興行が続いて掛かるが、どの場所にも濱田川の姿を見ることは無かった。

 この十月(冬)場所は芝神明社で開催されて、小結の綾錦爲衛門が七勝一敗で優勝者となった。

 本郷邸に戻ると留守居役からお声がかかったり、奥向きからも祝いの料理などが届けられたりして邸内の家臣たちからも祝福されたのである。

 だが一番喜んだのは房吉であった。

房吉は普段中郷源四郎の護衛として付き、時に手木足軽頭の諸見十郎兵の補いをする傍ら、新弟子の指導もしていたのである。

力士としての未曾有の力を秘めながら、敢えて地味な役回りに付いていたのだが、巡業等では進んで綾錦の明け荷を担いだ。


 


 春の訪れを随所にみられるようになった或る日、綾錦に誘われて浅草寺へと出かけた。

 雷門から仁王門に向かって歩いて行くと伝法院表門の前でこちらに手を振るお女中二人が見えた。よく観ると一人は紗代と分かったが今一人はその紗代の上役の様だった。

「待たれたか」

 綾錦から声をかけると、女は嬉しそうに頭を振った。侍女の紗代も嬉しそうに房吉にそれとなく合図を送る。

「親方おいらたちは蕎麦食べに行ってきますが宜しいでしょうか」

 房吉も少しは大人になったようで二人に気兼ねしてそう言うと、

「八つ半(十五時)にここで会おう」

 と言って一朱銀一枚と百文、合わせて三百五十文(七千円)を握らせるのだった。

「師匠この間会所から頂いた褒美がありますので要らねえです」

 と銀貨を返そうとすると、

「良いから取って置け。釣は良いからな」

 そう言って花川戸町の方に消えて行った。

「私たちはどうするの?」

 紗代は房吉の手を取って甘えるように手を振った。

蕎麦そば食べようや」

 色気より食い気の房吉に従って馬道の蕎麦屋に入った。

紗代が一杯食べる間に三杯食べた。

 蕎麦屋を出ると、鐘楼脇の石台に腰を下ろして、二年ぶりの再会に話が弾んだ。

「板橋の池近くで転寝うたたねして面白い夢を見たって言ってたけど何か良いことあったの?」

 房吉は忘れていたが紗代は細かいことを覚えていた。

「あの後赤坂御門側の松江松平家で初めて土俵に上がったが負けてしまい、冬十月に浅草蔵前の八幡宮に出たんだけどこれも負けちゃったんだ。その時使った手が禁じ手とされて、永久出場停止にされちゃったのも、あの時の夢に繋がってしまうんだよ」

「そうか実力が有るのに使えないと言う訳」

「まぁそんなとこ」

 悪びれずに素直に答えるのだった。

「房ちゃん富岡八幡宮で何とか入りしたって聞いたんだけど何のこと?」

「それは片屋入りと言って土俵入りのことで、決まり手を組み合わせた組み手演武のことだよ」

「それって偉い人がやるんでしょ。房ちゃんって凄いんだね、見たかったな」

「十日目の千秋楽は女の人も入れたんだけど師匠から連絡はなかったの?」

「十日目って何時?」

「三月二十日だよ」

「二十日は日本橋にお芝居を見に行ったのよ、お多美さまは深川に行きたかったに違いないけど、御中臈おちゅうろうの富坂様のお供でどうしても外せなかったの。富坂様も御前様(重教公)が不在の時位しか羽を伸ばせないので、下役を引き連れてお出かけするのよ」

「姉ちゃんも一緒に行ったんだろう」

「お芝居は見せて貰えないわよ」

「それじゃどうしてたの?」

「お茶屋で休んでたり、髪結いに行って暇を潰したわ」

「その髪なんだけど、井戸端で初めて声をかけてくれた時の髪型と違うような気がするんだけど気の所為かな」

「ふ~ん、房ちゃんも一応興味があるんだ。これは嶋田と言って町家の娘の髪型なの。普段はちょんぼりたぼに結ってるの。そうね房ちゃんの女房になったら丸髷か嶋田かな」

 紗代は悪戯っぽく笑って房吉の顔を覗き込む。

「おいらのような俸禄じゃ所帯は無理だよ」

 と一端いっぱしなことを言う。

「幾ら貰ってるの?」

「今は二十俵二人扶持だよ」

「凄いじゃない。あたしなんか三両だよ。金切符壱分かねきっぷいちぶよりはましだけど…」

「そんな子も居るんだ。食えないだろう」

「御飯は只だし金一分一人扶持だから支給される時に札差ふださしでお金に換えて貰うの。でもさっきの話だけど二十俵有れば暮らして行けるわよ。その他に二人扶持あるんだから…」

 房吉は黙って聞いて居たがうんともすんとも答えなかった。

紗代はそんな優柔不断で煮え切らない態度に業を煮やしたが、今の房吉には全く興味の無いことと理解すると、この事に触れないようにしたのである。

 房吉は決して紗代のことを嫌いではなかったが、所帯を持つだけの稼ぎがないので、そうした夢を見ることもなかったのである。

それどころか軽輩の身で屋敷内にしろ屋敷外にしろ、所帯を持つこと自体が認められるとは思わなかったのである。

仮に許されたとしても、紗代が御奉公を続ける訳にはいかなくなるに違いないと思うのだった。

「姉ちゃんお多美さまと親方は外で良く会ってるのかな」

 そう訊く房吉自身は二度目であった。

綾錦は良く一人で出かけて行くことがあった。以前のように綾錦にべったり付いて居る訳ではないので、用件などは知らなかったのだ。

「四、五回お会いしてるわ。羨ましい」

 最後の言葉の意味など、房吉には伝わらなかった。

 二人は飴を舐めながら大川の土手沿いを歩いていた。

すると今戸橋の方から破落戸共ごろつきどもが大声で話しながらやって来た。

紗代は房吉の後ろに隠れるようにして歩いた

「図体のでけえあんちゃんよ、ねえちゃんとお出かけかい」

 と言って道を塞ぐ。

「兄さんたち退けて下さい。それでは通れませんから」

「皆図体のでかいあんちゃんが通れないとよ。どうするよ」

 兄い株の悪人面の男が愉快そうに皆に問う。紗代は恐ろしさのあまり房吉にしがみ付いて居た。

「そんじゃ兄い、あんちゃん達には股座またぐらを潜って貰おうか」

 と言って全員が尻端折ると、足を開いて一列に並んで待った。

「あんちゃん達もっと開いてよ」

「このがきゃサッサと潜れ、アマっ娘もあとに続け」

 と意味深に笑う。

「房ちゃん…」

 紗代は怖くて堪らなかった。

強いと思っていた房吉が言いなりになって這いつくばる姿など見ようとは思いもしなかったのである。

「姉ちゃん心配ねえよ。其処で見て居な」

 房吉が土手に膝を着く頃になると、大勢の人が遠巻きに見ていたのである。

「行くよ」

 声をかけるや否や、先頭の男の股座を頭で思いっきり打ち付けると、口から泡を吹きながらその男の頭が二番手の胸倉に当たり、三番手が四番手を、四番手が五番手の腹部を強く撃って将棋倒しに倒れて行ったというより飛ばされたのであった。

 先頭の男は股間を強く打たれて悶絶してしまった。

「小父さんたち今のは失敗だからもう一度並んでよ」

「小僧嘗めるんじゃねえ」

 三人目の与太が匕首を抜いて襲いかかる。

野次馬の誰もが小僧さん危うしと思ったその時、匕首を持ったその手首を摑んで右手一本で与太の帯を摑むとその体を頭上に高々と持ち上げていた。

 これがまさに禁じ手であったが相手は破落戸である。存分に痛い目に合わせても構わないだろうと頭上で揺すって見せた。

「ヒャー助けて」

 与太は地上から七尺ばかりの空間に持ち上げられて恐怖に慄いて居た。

「降ろしてくれー」

「あいよ」

 と言うなり向きを変えて悶絶した男の上に滑り落した。

頭から落ちたが腹か胸のあたりに落ちたので顔を打ち付けて伸びてしまった。

後の三人は土手を駆け下りて逃げて行った。

 野次馬の中に侍が居た。

気絶している二人を活法を以て蘇生させると

「相手が悪かったな」

 それは南町の定廻り同心で破落戸ごろつきどもに教えるのだった。


「房ちゃんはやっぱり強いわ」

 少し離れた所に二人は居た。

どうやら紗代は惚れ直したようだった。

 落ち合う時間となって伝法院の門前に急いで行くと、

「何かあったのか」

 と房吉の裾の汚れに気づいてそう訊かれたが、ひと暴れしたことなど喋らなかった。

 街中での騒ぎは戒められていたので決して明かさなかった。

五人を相手にして一瞬のうちに片を付けるなどは早々出来るものではないが、図体の大きな子供と侮った絡み方が悪かったのである。

 この件は一般に広まることはなかったので、本郷邸まで届くことはなかった。



 話は前後するが、三月の初めに金澤より雪氷が届いた。

この年はある計画の為に貯蔵量を増やした為、貯蔵時には下屋敷と中屋敷から手木衆の応援を得た。

 濱田川は中郷源四郎の護衛に就いて居たので、氷室には一度も入ることはなかった。

 貯蔵を増やした理由と計画については邸内でも内密に進められている為、極一部の者しか知らなかった。

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