第3話 大人の秘密
房吉が本郷邸に来て三年が過ぎた。
身の丈六尺、目方は三十貫程になっていた。丈が伸びた分見た目とバランスは良くなったと言って良い。
唯童顔であることに変わりがない為、相対した者はその表情に惑わされるようだった。
或る日綾錦は頭取に外出許可を貰って房吉を連れ出した。
用件と行先の書かれた外出証明であったが、
この証明書がない者は邸外に出ることは許されなかったのだ。
二人は追分御門から中山道に出ると、御先手組屋敷前を通ってご住居表御門前を過ぎ、本郷邸の正門ともいえる黒い大御門が門前を拡げるように中仙道から少し引っ込んであった。
「親方この門は凄く大きいですね」
房吉は改めて感心して見入っていた。
「お偉い方々やお客様をお迎えする表門なので立派なのは当然だ。間口三間の薬医門といって国持大名の門構えなのだそうだ。
吾らが通常出入りする門とは豪い違いだろ」
一般の家臣が使用する門は長屋門であったり、住居地域や表御殿等の出入り口に設けられている通用門などは棟門であったり、これに支柱の付いた四脚門であったのだ。
馬加から連れて来られた時にもこの門を見た筈であったが、田舎者にとっては、見る物全て驚きであり、記憶に残って居なかったのであろう。
「房、これから柳原通り(神田川沿い)に行ってお前の為に浴衣や袷を買ってやる。身体にあったものを見つけるが良い。今日は気晴らしの心算で付いて参れ」
「はい親方」
房吉は
「早く来い」とどやされるのだった。
筋違い御門から神田川の土手沿いに古着屋が並んであった。
古着屋と言えば新冨町だが、柳原通りの方が安かったのだ。
品物は落ちるが、時に上物も混じっていることがあった。それは恐らく盗品と思われるが、買い手からすれば掘り出し物であった。
大男向け専門店とでも言えるのが二、三店あった。
その内の一店を覗くと、愛想のいい親仁が房吉に似合いそうな浴衣や袷を出してきて、上から当てがってみる。
「親仁着けて見て良いかい」
「へ~いよーがす」
浴衣はとも角、小袖は丈も抱き幅も上手い具合に合った。
何れも木綿だが、一着は上物である。
「綿入れはないか」
時期的に早いとは分かったが、出来れば一度で済ませたかったのだ。
「旦那いくら何でも早えでしょう。うむそうだ上っ張りならあるけどそれでどうですか、この方にはちょうどいいかも」
少し大きめだが良いだろう、帯を二本付けて呉れ」
締めて四百文を払って店を出た。
「親方ごっつあんです」
房吉はそれらを風呂敷に包んで肩口に背負った。
房吉は嬉しかった。これまでは兄弟子からのお下がりを着て居たので、古着とは言え、自分の物が漸く持てたのである。
筋違い御門を抜けると、通ったことの無い道に入って行った。
房吉がキョロキョロと辺りを見回すもので、綾錦はこれから不忍池に行くと教えてくれた。
今歩いている道は下谷御成街道といって上野のお山に向かっている道だとも教えてくれたのだ。
路地を右手に折れると広い道に出た。
下谷廣小路である。
綾錦は池の畔を池之端仲町へと歩いて行った。丁度その時寛永寺の鐘が昼八つ(十四時)を告げた。
「房吉夕七つ(十六時)に此処へ戻って来い。それまで近くで遊んでて良いから。七つだぞ」 と言って房吉の大きな手に五十文握らせるのであった。
好きに使えというのだった。
この辺りは水茶屋や出合い茶屋が多くあった。
子供の房吉には綾錦がどこへ行ったのか等知る由もなかった。
自由な時間が一時(二時間)もあるのだ。
何か食べ物でも買おうと思い、池の中の島に渡る道沿いに露店が見えたので弁天島へと渡った。
御堂の手前に田楽を売る屋台があり、十文と言うので一串買って食べた。
短冊形の豆腐に赤味噌を塗って焼いたものだが、結構うまかったのである。
御堂の横に蕎麦屋が居るのを見つけたが混んで居たので待って居ると、
「房吉さん?」
と声をかける娘が居た。
見ると奥女中付きの下女の紗代であった。
「姉ちゃん何してんの」
「多美様のお供でお帰りまで待ってるところ、房ちゃんは?」
「おらは親方の用事が済むまで自由にして待ってるところだよ。お腹が空いて田楽(豆腐)食べて、
「おごろうか」
紗代は巾着袋を探る。
「いいよおらが奢るよ」
房吉は二杯分として三十二文を置いた。
二人は切株に座って蕎麦を食べながら、偶然の出会いを楽しんでいた。
「姉ちゃんたちはどこかに行って来たの?」
房吉は何げなくそう訊いたのだが、
「お屋敷から出て来たばかりよ」という。
「房ちゃんの親方は何時戻るの」
「御寺の鐘が夕七つを告げたらあの辺りに来いと言われたんだ」
対岸の水茶屋辺りを示した。
「多美さまの戻りと同じだわ。えぇひょっとして」
房吉は思いつかなかったが紗代はあることを想像していた。
「ねえ房ちゃん、親方って綾錦爲衛門様のことだよねー」
「そうだよ、どうしたの」
房吉は
「何でもないわ」
と
房吉はそれで済んだが紗代は汁を飲みながら〈怪しい〉と呟いたのだ。
その独り言が房吉の耳に届く。
「えぇ何か言った?」
「何も」と
「あそこで何かやってるよ」
房吉は対岸の仲町辺りに人だかりを見つけると好奇心に駆られて、紗代の手を引っぱるようにして見に行った。
大道芸人がすだれを持ってシャカシャカと鳴らしながら口上を述べているところだった。
「御集りの皆々様にこれより、これなる四角い南京玉すだれが魚になったり釣竿になったり、はたまた瀬戸の唐橋に北前船と変化する様をとくとお目に掛けたいと存じまする。
このすだれの竹の数は三十と六本にて結び目なるは七十とふた結びに御座りて、両端をこの様に持ちて変幻自在に操りますれば…」
調子を取るようにすだれをチョンチョンチョンチョンと振ってから、
「あさてー、あさてー、あさてさてさてさてー、さては南京玉すだれ。ちょいと伸ばせば、ちょいと伸ばせば浦島太郎の釣り竿に~然も似たり」
と、細く伸びた竹すだれが釣竿に見えるから不思議であった。
房吉と紗代は「ワー」と驚きの声と共に手を叩くと、観客も釣られて手を叩いては喜んだ。
「浦島太郎の釣り竿がお目に留まれば元結び(元に戻して) あさて、あさてさてさてさてさて、さては南京玉すだれ。ちょいと伸ばせば、ちょいと伸ばせば偲びて潜る冠木門。思い出す程恥ずかしく、お目に留まれば恋も燻ぶる炭焼き小屋へと早変わり」
大道芸人の造る形に見惚れる二人はまだ子供と言えた。
その時寛永寺の鐘が鳴った。
「七つだわ」
紗代は夢中になって芸に見入っている房吉に知らせると、渋りながらも人垣の外へと出た。
「房ちゃんは何処で待つの」
「あの辺り」
水茶屋のあたりに人影が見えた。
「ご馳走様また会おうね」
紗代は茅町の方へと駆けて行く。
房吉は肩の荷物を背負い直すと、綾錦を待った。
「ゆっくり出来たか」
何処から来たのか知らぬ間に後ろに立っていた。
「親方お釣りです」
残金八文を戻そうとすると、
「足りたか、取って置け」
「有難うございます」
この三年間で随分成長したようだ。
報告もお礼もきちんと出来るようになった。
綾錦はこの様に日々進歩する弟子の成長が楽しくてならなかった。
「さぁ帰ろう」
綾錦はそのまま不忍池に沿って歩き、先に紗代が入って行った坂道を西に向かって上って行った。
大聖寺上屋敷を過ぎて少し行った先を左に折れると平たんな道となって先ず御作事御門があり、その先に東門(長屋門)が在った。
紗代たち奥女中はこの門から邸内に入り、長局という住まいに戻ったようだ。
綾錦と房吉は御屋敷の塀沿いに歩いて中山道へと出たのである。
茅町から湯島天神前を真っすぐ西に向かえば早いのだが、態々屋敷伝いに歩いたのには訳があったのだが思った通りには行かなかった。
二人は追分門で番士から荷物の検査を受け、印影の確認後相撲小屋に戻った。
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