第三章 赦すこと 贖うこと 愛すること
第20話 ライナルトの報告
フィルデルガー王国――もうその国家組織は王国として体を成してはいないが――王都ハリエットの軍本部にある、高級将校たちが集う部屋の前で、ライナルト・クルーゲ少尉は心をひたひたと浸す緊張に身を引き締めながら、大きく深呼吸すると、おもむろにその木の重厚な扉を叩いた。
誰何の声に答えると、すぐに扉は内側から開かれる。かつては王族が使用していた、贅を尽くしたタイル張りの室内には、いまは軍服を着た軍人たちがずらりと並んでいる。
「第三魔術師団所属、ライナルト・クルーゲ少尉、入ります」
「よく来た、クルーゲ少尉。例のオリアナで発生した事件の詳細は、分かったかな?」
「全ては解明できていませんが、断片的な情報はかなり詳しく掴めております」
「そうか。戦闘魔術をアカデミアで研究していた君の知識は、こういうとき頼りになるな」
ライナルトは肩までの金髪を揺らしながら、敬礼を解くと、机の末席に立つ。そして抱えていた分厚い報告書を机に置くと、促されるままに事件の概要を上官たちに説明し始めた。
「先週の日曜……つまり、今年の春の聖霊祭の日です……に、オリアナ国はオリアナ市中心部にある、当国の政治部会会長であるトーマス・マイシュベルガー氏の邸宅で、園遊会と称された催しが開催されました。これには、オリアナの有力者ほぼすべてとその配偶者が招かれ、大変な盛況ぶりだったようです」
そこでライナルトは一旦言葉を句切る。そして、室内の将校たちの真剣な目が己に向けられていることを改めて認識し、緊張も新たにペリドット色の瞳を光らせて、語を継ぐ。
「事件は、園遊会が始まって約一時間半後の、午前十一時半過ぎに起こりました。突如、園遊会の会場中心にあった、庭園の温室付近で爆発が起こり、ついで魔獣が出現したのです。爆発の威力はものすごいもので、オリアナ市のほぼ全域に轟音と旋風が吹き荒れたと聞き及んでおり、また、激しい虹色の閃光が爆心地付近から迸り、それはハリヤ山脈を越えて我が国の西部地域各所でも観測が記録されるほどのすさまじさでした」
「ふむ、やはり爆発は魔力によるものだったのだな。そこまでは第一報通りだ。続けたまえ」
「はい。園遊会が開催されていたマイシュベルガー邸を、魔獣は我がもの顔で暴れ回り、屋敷はほぼ壊滅しました。そして庭園内の様子は凄惨なもので、マイシュベルガー氏を初めとした十八名が魔獣に喰われ即死した模様です。その他の負傷者はただちに市内の病院に搬送されましたが、搬送先で亡くなった者も多く、最終的な死者は五十七名。生き残ったの者も重軽傷を負い、いまも病院にて治療継続中との報告が入っています。なお、我が国の関係者は幸いなことに現場におらず、犠牲はありませんでした」
予想を超える犠牲者の数を聞いて、ライナルトの報告に耳を傾けていた軍人たちは息をのみ、十数秒の間、黙りこくった。やがて沈黙の帳を破り、ひとりの将校が呻くように言葉を絞り出す。
「……我が国の人材に犠牲がなかったのは幸いなことだが……そんなに大惨事だったのだな。恐ろしいことだ……。ということはだ、クルーゲ少尉、オリアナの指導者層のかなりの人数が、その惨事に巻き込まれたと考えて良いのかね?」
「はい、全容は掴めていませんが、そう考えてもらって結構かと」
「それはなにかと我が国に好都合なことだな。オリアナの指導者には我々のクーデターに否定的な輩が多かったと聞くからな」
軍人たちの間がざわめく。思わず漏れた彼らの本音に、ライナルトは一瞬、その整った顔立ちを曇らせたが、すぐに表情を戻すと報告の続きに移る。
「魔獣は、園遊会の会場にいた何者かにより戦闘魔術の攻撃を受け、弱りきりながらも最後の力を振り絞って暴れていたところを、駆けつけたオリアナ警察の魔術部隊によって、出現から約一時間後、ようやく制圧されました。ですが、問題はここからです。指導者層の多くを失ったオリアナ政府は混乱の極みにあり、事件後にすぐ臨時政権を樹立し、事態の収拾にあたっているようですが、何より市民の動揺が酷く、オリアナは事件後四日を経過した今でも、政治的にも経済的にも国家としての機能を失った状態にあります。オリアナの根幹を支える、魔晶石の採掘と輸出だけはなんとか行われている模様ですが」
「そうか。それは何よりだ。で、肝心の魔獣出現の原因だが、それは分かっているのかね? 政治的なテロなのか?」
「いえ、そういった報告は入っていません」
「では偶然の産物ということか」
「そういうことになります」
「魔獣の死体の検分は、オリアナ警察によって行われてるのかね?」
「その模様です。ですが、今までに現れたどの魔獣にも類別できないようで、オリアナ警察も困惑しているようです」
そこでライナルトは、再び、大きく息を整えなければならなかった。ここからの報告が、彼にとって、己の身にも深く関わる内容であったからだ。それも極めて個人的な。
ライナルトは数瞬を、目を瞑り、その脳裏に懐かしい婚約者の姿を思い浮かべる。
いや、正式には妻であるのだが、彼にはそう呼ぶことが躊躇われた。それは、自らが夫としての責務を果たさなかったことを感じているから他ならない。やがて彼はゆっくりと瞳を開くと、一気に吐き出してしまおうとばかりに、やや早口になって言葉を放った。
「生存者の証言によると、魔獣が出現した爆発の直前、園遊会会場ではマイシュベルガー氏による、ある薔薇の披露がなされていたということです。その薔薇の名は“アシュリン”。故オズワルド・エンフィールド伯爵の専属庭師、セオドア・ダウリングによって彼の娘の生誕を記念して開発された黄金色の稀少な薔薇です。証言では、魔獣が現れる直前に、その薔薇が突如、虹色のひかりを帯びて爆発したとのことです。また、その場には、生死は不明ですが、その薔薇に名前を与えたアシュリン・エンフィールドも列席していたとのことです」
「うむ……クルーゲ少尉、君にとって辛い部分だったと思うが、よくぞそこまで解明して報告してくれた。ご苦労であった」
「……いえ。これは任務ですから。個人的な事情を挟む事柄ではございません」
そうライナルトは気丈に答えながらも、彼は自分の足元が、ふらり、と揺らぐ感覚に囚われるのを察知せざるを得なかった。そして、いま、自分の顔は、さぞかし青ざめているのだろうとも。
「では、ここからは君の個人的な事情に踏み込むことにもなるが、いろいろ質問をさせてもらおう。君は今回の惨事の原因とされる黄金色の薔薇“アシュリン”を今まで目にしたことがあるかね」
「はい。焼失した故エンフィールド伯爵の庭園で、何度も見たことがあります。ですが、確かに色こそ華やかで特別な薔薇と感じましたが、爆発、ましてや魔獣の出現をもって破壊的な力を及ぼすものとは感じたことはありません。あくまで普通の美しい薔薇でした」
「そうか。戦闘魔術の専門家たる君がそう感じるのだろうから、それは間違いなかろう。ではなぜ、今回の事件が起こったのだろうか?」
「それです。ここからは、私の完全な仮説になるのですが……それを述べても問題ないでしょうか」
「もちろんだ。クルーゲ少尉、君の仮説を述べてみせたまえ」
“アシュリン”に関する仮説があると聞いて、将軍たちは一斉にライナルトの方に身を乗り出す。それを見てライナルトはまたも足元が頼りなく揺れるのを感じたが、なんとか足を床に押しつけ屹立すると、語を継ぐ。
果たして、それからライナルトが語った仮説は、並びいる軍人たちにとって驚愕に値する言説だった。
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