第18話 あなたがいてくれてよかった

「聖霊祭に、園遊会を開くと仰せですか?」


 春の聖霊祭まで二週間を切ったその日、マイシュベルガーは“アシュリン”の世話に追われるクラウスに、ようやく己の計画を打ち明けた。彼の前には、きらきらと黄金色に輝く蕾を付けた“アシュリン”の鉢がある。


「ああ、そうだ。その“アシュリン”も見事に花を付けて、丁度、聖霊祭の頃に開花を迎えるだろう。これは、皆に“アシュリン”を披露するまたとない機会だと私は思うのだよ」


 マイシュベルガーは太った身体を揺すって、自慢げにクラウスの前で胸を張った。

 彼は内心愉快で堪らなかった。自分の思惑通りに、あの黄金色の薔薇“アシュリン”が花開こうとしている。彼の目は妖しいまでの眩しさで輝く薔薇の蕾に引きつけられた。一輪のみなのは寂しいが、それでも構わない。とにかく聖霊祭に開花を間に合わせることができただけで、彼としては、してやったり、という気分である。

 

 ――どうだ、生意気な若造め。それでも世界に名を馳せる庭師か。私の見立てが正しかったではないか。


 マイシュベルガーはクラウスを横目で見ながら、胸の中で、ふふん、と嗤った。

 若き庭師は薔薇の成長の速さに、日々、狐につままれたような顔をしているが、構うものか。むしろ片腹痛い。そんな気持ちを半ば隠すこともなく、彼はクラウスに声高にさらにこう告げる。


「ま、そういうわけで、園遊会にはオリアナの有力者のすべてを招こうと思うのだ。どうせならこの私の成果をオリアナ中に見せつけてやりたいのでな。そこで、だ。その場にはぜひ、君の主人、アシュリン・エンフィールド嬢も招きたい。なにせ、彼女は、この黄金色の薔薇にその名を授けた御方であるからな。君の主人とこの薔薇が並んでこそ、我がマイシュベルガー家の庭園の素晴らしさははじめて永久に語り継がれる。どうだね、悪くない思いつきだろう」

「……たしかに、お嬢様は“アシュリン”の開花をこの目で見たいと仰っていましたが……」

「ふむふむ。だったら何も問題ないではないか。これは園遊会の招待状だ。くれぐれもよろしく頼むよ。万が一でも、欠席ということのないようにな」


 そう言うとマイシュベルガーはクラウスの手にいそいそと一通の封筒を押しつけて、足取りも軽く温室を出て行った。クラウスは渡された封筒に目を投げる。そこには己の主人の名が宛名として綴られており、裏を返せばマイシュベルガー家の印璽が捺された封蝋が成されている。

 クラウスは不愉快そうにそれを眺めた。


 ――結局、俺と“アシュリン”は、彼の権勢を誇示するために利用されたということか。そして、お嬢様までも。


 クラウスは封筒を破り捨てたい気持ちを必死で堪えながら、暗い影を帯びた焦茶色の瞳を黄金色の蕾に投げる。

 半ば分かっていたこととはいえ、腹立たしくて仕方がない。庭師としては、このように何の罪もない美しい花が利用されることに胸が痛むし、従者としては、自分の大切な主人が道具とされることに抵抗がないわけがない。


 ――俺は良いんだ、利用されても。だけど、これではあまりにもお嬢様がいたたまれない。なんだか、汚されたようで。


 クラウスはいまや怒りを露わにした顔で、温室に佇む。

 

 許せないことは他にもある。“アシュリン”の成長速度は、どう考えても、クラウスの目には不自然極まりなかった。彼は庭師としての経験から、“アシュリン”の栽培過程でなんらかの魔術が使われたことを確信していた。彼はエーリヒを初めとしたマイシュベルガー家の庭師たちに逐一迫り、その真相を聞き出そうと心を砕いたが、いかんせん、彼らは主人の怒りを買うのがなにより恐ろしいらしく、口を割ろうとしない。


 ――しかし、父さんの教えでは、魔術を使うと“アシュリン”は花付きが悪くなる、ということだったんだが。


 クラウスは憮然としながら、“アシュリン”を凝視する。そこには父の言に反して、壮麗な黄金色の蕾が輝いている。そして彼が見る限り、その蕾の花持ちも悪そうではないし、花弁の色や厚み、艶やかさも十分だ。

 

 クラウスは頭を振った。

 考えても仕方のないことは、どうしようもない。後は、どう、二週間後の園遊会で、いかにお嬢様が嫌な思いをせずに過ごせるようにするかだ。彼はそれを考えるのに専念することとする。

 

 そうしたところで、己の無力さが胸に響くだけだということは、内心分かってはいたが。


 

 聖霊祭の日は、あっという間に巡ってきた。

 アシュリンは、ライナルトとの結婚パーティ以来の華やかな場への出席ということで、朝からその支度に大慌てだった。黙々と礼装を整えるクラウスの耳には、隣の部屋から響いてくる、アシュリンと宿の女将の賑やかな声が聞こえてくる。


「いやはや、私の嫁入り衣装が、ここに来て役立つとはねえ。綺麗ですよ、お嬢様!」

「あー痛い! ひさびさのコルセットなんだから、もうちょっと優しく締めてくれないかしら!」

 

 アシュリンが悲鳴を上げる。女将の手つきは、マリアンの何倍も荒っぽくて、アシュリンは涙を流さんばかりだ。しかし、心は舞い上がらんばかりに浮き立っている。

 女将が用意してくれたドレスは、アシュリンがかつて着慣れていたものに比べれば、素朴ではある。だが、そうであっても久々の正装は、アシュリンの乙女心をときめかせるに十二分だった。

 果たして、何十分もの格闘ののち、クラウスの前に現われたアシュリンの姿は、宴の主賓としてこれ以上なく相応しいものであった。


「どうかしら? クラウス?」


 長い赤毛をオリアナ風の優雅な編み込みで纏められたアシュリンが身に着けていたのは、控えめに開いた胸元を引き立てる、色とりどりの手刺繍で彩られた華麗なドレスであった。スカート部分は何層もの白いフリルで飾られており、彼女が歩く度に、ふわりふわり、と優雅に揺れる。

 そして何より、ほんのり化粧を施したその顔は明るく輝いており、クラウスは久々に目にするアシュリンの華やかな姿に、思わず言葉を失った。


「……おかしい?」

「あ、いや。その」


 己の姿を見た途端に黙りこくってしまったクラウスに不安を感じて、アシュリンが発した言葉に、クラウスは気の利いた言葉を返すことが出来ず、無意味な単語をいくつか発した後、やや挙動不審にこうとだけ呟いた。


「お綺麗です」

「そう? よかったわ!」


 クラウスの言葉にアシュリンがアメジスト色の瞳を輝かせて破顔する。そして、続いて彼女がこう言うに及び、クラウスの緊張は最高潮に達した。


「クラウス、あなたがいてくれてよかった」

「……どういう意味ですか」

「だって、私にはもう、いくら着飾っても、それを見て褒めてくれる人は他には誰もいないのだもの」

 

 クラウスは息をのんだ。目の前のアメジスト色の瞳は、うっすらと哀しみに滲んでいた。そしてその瞳が己の眼を捉えた途端、悲哀の気配を消し去って、喜びにいきいきと躍るのも。

 その瞬間、彼は胸の鼓動が大きく、どきり、と弾むのを感じ、ついで、気が付けばアシュリンに向かい、ちいさくこう囁いていた。


「それは、私とて同じことです」

「え?」

「言葉通りです。お嬢様がいらして下さって、私も、よかった。そういう意味です」


 アシュリンの瞳が、今度は驚きの色に変わる。

 そのとき、宿屋の表から、馬の嘶きと車輪が音を立てて止まる気配が伝わってきた。クラウスが暫しの沈黙を破って口早に言う。


「迎えの馬車が来ました。行きましょう、アシュリンお嬢様」

「え、ええ……」


 アシュリンがドレスの裾をつまんで、玄関の方向に歩み出す。外に出たクラウスはさりげなくアシュリンの前に回り込むと、馬車に乗り込もうとする主人にそっと手を差し伸べる。

 アシュリンはいままでにないクラウスのその仕草に、一瞬驚いたが、次の瞬間には躊躇うことなく、細い指先をクラウスのいかつい手に重ねていた。


 ふたりの頬が赤く染まる。

 クラウスは顔を赤らめつつも、思った。


 ――今日は良い日になりそうだな。


 今日一日は従者として、少しの時間としても傍にいられること、それがクラウスの気持ちを何よりも明るく、幸せなものにしている。

 それに気づき、クラウスは緩みそうになる表情を、やや不自然に咳をひとつすると、きつく引き締めた。 


 冷たさを纏いつつも、僅かに春の気配を孕んだ空気のなかを、ふたりを乗せた馬車が動き出す。


 このあとの園遊会が、あのような惨事に見舞われようとは、この時点で予見している者は、誰ひとりとして、いなかった。

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