第10話 ふたたび炎のなかで

「……まさか君までが、クーデターに与していたとはな。迂闊だったよ、ライナルト」


 オズワルドは今日息子となったばかりの若者を一瞥して、自嘲気味に笑いを零した。

 彼は書斎の椅子に座りながら、ライナルトに剣を向けられていた。いや、彼に剣を向けているのは、ライナルトひとりではなかった。魔術師団の軍服を着た何人もの将校が、オズワルドの周りを取り囲んでいた。


「さすが閣下ですね。我ら魔術師団をはじめとした、軍によるクーデターの動きを既に察知していたとは……。でも残念ながら、我々の行動のほうが一歩早かったようですね」


 ライナルトは、普段の柔らかな口調からは想像もつかぬ低く冷たい声を、喉奥から絞り出した。その剣を持つ手は、僅かに震えている。

 彼は、この期に及んでも、余裕綽々たるオズワルドの不遜さが怖かった。彼はそれをなんとか隠すべく、剣をかちゃり、と構え直してオズワルドの喉元にその切っ先を突きつけ、声高に語を放った。


「閣下、もう、足掻いても無駄ですよ。陛下をはじめとした王族や、閣下の他の貴族院評議会議員の邸宅にも、我々の手が回っている時分です。この国は我々の手に落ちたも同然です」

「随分と手回しが良いんだな。それでは私には勝ち目はないな。だが死ぬ前にふたつ、確かめておきたいことがある」

「ほう、それはなんです。冥土の土産にでも、聞いておきましょうか」


 ライナルトのペリドット色の瞳が妖しく光った。彼は頭を振って、その華やかな金髪を揺らす。その髪に、さきほど屋敷に放った戦闘魔術による炎が、きらりきらり、と反射する。炎は早くも屋敷全体に回りつつあるようだ。しかし、そのなかにおいて未だ悠然とした義理の父の態度は気に障るものであった。

 

 彼はこの襲撃に早く決着を付けたかった。だが、焦る彼の鼓膜を打つのは、異様なまでに余裕に満ちたオズワルドの声だった。

 

「ふむ。ではその言葉に甘えて、まず、ひとつめの質問だ。君たちはこの国をどうしたいのかね?」

「それは、単純明快なことです。我々は、時代遅れの王族と貴族の圧政から民を解放し、国を富ませます。そしてこの国をもっと強くします」

「そうか。立派な考えだ。だが、その企みに名門貴族のクルーゲ家出身である君が乗っかっているとは、笑止千万だな」


 オズワルドの挑発にライナルトの瞳が歪む。だが、彼は大きく息を吐くと、極めて冷静に語を継いだ。


「そう言われても結構。我らは出自を問わず、このクーデターに賛同しているのですから。で、もうひとつの質問はなんです?」

「私としてはこちらの答えのほうが、気に掛かる。君はアシュリンを愛しているのかね? それとも、私に近づくため、愛を騙ったのかね?」


 途端に、ライナルトの瞳が暗く濁った。彼は、この場において初めてオズワルドの質問に窮した。それは、なんとしても触れたくない事柄だった。だが同時に、避け得ぬ問いかけでもあった。

 ライナルトは数瞬の躊躇いの後、静かに答えを述べる。もはや、それが真実なのかどうか、自分に強く問いかけねば導き出せぬ答えを。


「僕はアシュリンを愛しています」

「……そうか。ならいい……」


 屋敷全体に回った炎の勢いが強くなってきて、オズワルド、そして、ライナルトの身体にも火の粉がかかりはじめる。ライナルトは剣を握りしめた。それを見たオズワルドが、僅かに口の端に笑いを浮かべながら目を瞑る。

 

 次の瞬間、ライナルトは自分でも良く分からぬ咆吼を上げながら、剣に魔力の全てを込めた。途端に刃の先から虹色のすさまじい閃光が迸り、オズワルドの身体を包んで爆発した。

 

 数秒の後、ライナルトが顔を上げてみれば、目前にはかつてオズワルドであったらしい焼けただれた黒い塊があるのみだった。

 ライナルトは息を切らしながら、汗に濡れて額に張り付いた金髪を振り払う。

 

 しかし、彼の真の試練はそこからであった。

 がたり、と大きな物音がして、扉の方向に視線を投げれば、そこには、恐怖のあまり声を上げることも忘れて、床に崩れ落ちたアシュリンの姿があった。


「アシュリン……なぜ、ここに……?」

「そんな……嘘……ライ、ナル、ト……」


 呆然とした表情を浮かべて、己の名を呟く新妻を、ライナルトもまた、唖然として見つめた。アシュリンに目を留めたライナルトの仲間が一斉に、今度は彼女に剣を向ける。

 そのうちのひとりが、ライナルトに冷たく語を放った。


「クルーゲ少尉。その女も、れ」

「やめて……、お願い、ライナルト……」


 恐怖に震えるアシュリンのアメジスト色の瞳に、同じく顔を震わせたライナルトが、剣を構え直すのが映る。彼女は声の限り叫んだ。


「……やめてぇ……! ライナルト!」


 その瞬間、庭園の方向から地平を揺るがす爆発音と激しい閃光が走り、空を焼き尽くした。その振動でアシュリンの足元の木の床が抜ける。アシュリンは悲鳴を上げながら、崩れ落ちた床とともに階下に落下した。



 一方、燃えさかる屋敷に入ったクラウスも、そのすさまじい爆発とひかりを目にしていた。


 ――今のは何だ? あれはたしか薔薇園の方角、しかも、これもまた戦闘魔術の輝きに間違いない。だが、先ほどとは爆発の威力が桁違いだ……。


 続いて押し寄せてきた爆風に、クラウスの身体もなぎ倒される。そして頭上からは轟音が降ってくる。たちこめる炎と煙に咳き込みながらなんとか立ち上がれば、十歩ほど先の天井に大きな穴が空いているのが見える。


 ――屋敷の天井を吹き飛ばすほどの爆発力を持つ魔術とは……いったい?

 

 唖然としながら、崩壊した天井の残骸に目を凝らしたクラウスの視界に、突如、人らしき黒い影が飛び込んでくる。それは崩れ落ちた床材や天井の梁の下敷きとなった、一体の人間の身体だった。

 慌てて駆け寄ってみれば、その身体は半分埋もれながらも、上半身はなんとか下敷きから免れていた。そして、その煤に汚れた横顔と乱れた赤髪、首から下がった乳白色の魔晶石を見て、クラウスの身体に震えが走った。


「……お嬢様」


 果たして、下敷きになって倒れていたのはアシュリンであった。クラウスは慌てて上半身を助け起こす。注意深く様子を窺えば、アシュリンに意識はないが、かろうじて息はしているようであった。そして、クラウスの脳裏に、の記憶が鮮明に蘇る。

 あの時は庭園、そして、今度は――。


 ――またしても……か。


 クラウスの口の端に笑いが浮かぶ。なんて皮肉な巡り合わせだ、と自嘲の呟きが胸中に広がる。そして彼は思う。


 ――、俺は、この場を立ち去るべきなのではなかろうか。


 クラウスはアシュリンの身体から手を離した。そして、床に臥したままの彼女に背を向けると、ふらふらと外に向かって歩き出す。一歩、二歩。三歩。だが、足が止まった。クラウスは、どうしてもその場から立ち去ることが出来ない自分に戸惑い、足を何とか前へと動かそうとした。

 周囲は既に炎の海だ。このままでは、自分の命すら危うい。

 

 だが、結局クラウスは身を翻した。そして、掌を広げ、意識を集中する。すると彼の両手から虹色のひかりの奔流が迸った。そのひかりは、アシュリンの下半身を埋めていた梁や木材を跡形もなく吹き飛ばした。そして、煤まみれのアシュリンの身体を抱き上げると、炎のなかを外へ向かって走りに走った。

 これでいいのか、これで本当にいいのか、彼の胸中では激しく疑問が繰り返される。

 しかし、クラウスはそれに抗い、外へと躍り出た。


 だが、燃えさかり崩れる屋敷を飛び出てみれば、より激しく燃える庭園が目前に広がる。そして、その前に寄り添いながら佇むふたつの影を、クラウスの目は捉えた。


「父さん……! それに……奥様!」


 彼の前に現われたのは、セオドアとヴェロニカであった。ふたりは静かに炎に包まれる屋敷と庭園を眺めていた。ふと、ふたりがアシュリンを抱えたクラウスに気づき、視線を投げる。

 セオドアとヴェロニカは、クラウスとその腕のなかに横たわるアシュリンの姿に一瞬驚いた様子だったが、やがて、セオドアがちいさく微笑んだ。


「クラウス、それでいい。憎み合うのは、わしらの代だけで十分だ」

「父さん……」


 呆然と父を見つめるクラウスに、セオドアとヴェロニカが歩み寄る。眩しい炎を背に、ふたりの黒い影が、ゆらりゆらり、と揺れる。ヴェロニカが柔らかな物腰でクラウスに一礼する。それが、娘を再び助けてくれた礼だと理解するまで、クラウスの頭は数秒の時間を要した。


「庭園は既に炎の海だ。ここからは逃げられん、裏門に回れ。何かあったのなら、オリアナに行くといい。俺の名前を出せば良くしてくれるだろう。こいつは俺からの餞別だ。オリアナの連中にはいい手土産になると思うが、どう使うかは、お前が自分で考えろ」


 いつのまにか、目の前に立っていたセオドアが、そう言いながら、なにかの小袋を手渡す。するとヴェロニカもなにかをクラウスの手に載せる。それは、一冊のちいさな古びた本だった。


「あなたに頼むことではないかも知れないけれど、これは私たちの思い出の品なの。アシュリンに渡して頂戴。どうか、娘をよろしく頼みますね」


 その時、なにかが、クラウスのなかで爆ぜた。押し寄せる熱気のなか、我に返った彼は、そのヴェロニカの言葉を噛みしめるに及び、こう絶叫せずにいられなかった。

 

「……あんたといい、あんたの夫といい、なんでそんなに勝手なんですか!?」


 だが、返答はなかった。代わりにヴェロニカは、ただ優雅に微笑む。

 そしてその手をセオドアが、そっ、と持ち上げる。それから、ふたりがこう言葉を交わし合うのが、静かにクラウスの耳を打った。


「さあ、行こうか、ヴェロニカ」

「ええ、セオドア。長く待たせてすまなかったわ」


 その言葉を遺して、ふたりは音もなく炎に包まれた庭園のなかに消えていった。止める間もなかった。その光景を、声もなくクラウスは見つめているしか、術がなかった。

 

 彼の意識に届くのは、いよいよ激しさを増す炎の音、崩れ去る屋敷と庭園がもたらす地響き、そして、腕の中に横たわるアシュリンの心の臓の鼓動のみであった。

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