第12話【速報】ボッキマン、逆ナンされる その③

俺は彼女に引きずられるように歓楽街の路地裏へ連れて行かれ、その奥にある小さな居酒屋へ入る。そこは白髪交じりの和服を着た男が1人で経営している店で、カウンター席しかない。客は俺たち以外にはいなかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


街の喧騒からは遮断され、壁にかけられた古時計の音だけが小さく響く。


「いらっしゃい、お姫様」

店主はぬいの顔を見ると丁寧に頭を下げて挨拶をする。


「久しぶりね、エンジェル。元気そうでよかった」

エンジェル……エンジェルなんだあの店主……。

「ボッキマン、座ったら」

「あ、ああ……」

俺はぬいに促されるまま椅子に腰かける。


「ここにはよく来るのか……?」

「ううん、久しぶり。秘密の話をしたい時にだけここに来るの。

 エンジェルは信用できるから」


エンジェルは無言で酒の用意をすると俺の前にグラスを置き、そして瓶に入った酒を注ぐ。そう言えばボッキマン状態の俺は飲食をしたことがなかった。

どれだけ運動をしても喉も乾かなければ腹も減らないからだ。


「いただきます……」

俺はゆっくりとグラスを傾ける。酒が喉を通ると腹の中に少し熱が溜まり、気持ちが落ち着くような気がした。


「ボッキマンも私の同じでかまわない?」

「え、あ?何が?」

「料理」

「あぁ、うん。任せるよ」

ぬいはエンジェルに俺と自分の分の料理を注文した。それからしばらく無言の時間が続く。俺はこの雰囲気に耐え切れず何か話そうと話題を探す。


ぬいはグラスを握る俺の手をじっと見つめているようだった。

「……普通の手。普通に生活してる人の手」

「……?」

「なんであんなに強いのかなぁって思って……」

「ただのしょぼい犯罪者だよ。俺なんて」

「でもほら、これなんかさ、見てよ。すごくない?」


そう言ってぬいはスマホを取り出した、彼女の待ち受けは俺が以前、フェイルセーフ達を相手に大暴れしていた時の写真だった。

ヒビ割れたヘルメットを被る大男にヘッドロックを決めている俺は、フードで隠れて目元は確認できないものの、どこかイキイキとして楽しそうだった。


「えぇ……何でそんなもんがあるんだよ……

 てかあんた、あの時あそこに居たんだな」

俺は無意識に首の後ろに手を当てて頭を傾けていた。

「そうそう、あの時は驚いたわ。

 最新式のEXO(エグゾ)スーツを素手でバラバラにしてるんだから。

 でもさ、あなたは知ってる?

 企業や行政があのプロジェクトにどれだけお金をかけていたか……」

「……ぬい、あんたは治安当局の人間なのか?」

「違う。ただあなたに興味があるだけ」


ぬいは俺の目を見ながらそう言った。

こいつは本当にただ単に俺のファンか何かなのだろうか?


「ちなみに私も不思議な力を持ってるんだけどね」

「……へーそうなんだ。すごいね」


興味なさげに呟いた瞬間、グラスを持つ俺の手がカウンターの中に沈み込んだ。

木製のカウンターはそこだけがぶよぶよとジェル状の液体になったかのように歪み、俺の手にまとわりつく。

つるつるとした柔らかい木目の肌触りが伝わってくる、何とも気味が悪かった。


「……!」

「これが私の力、どうびっくりした?」

ぬいはいたずらっぽく笑いながら俺の目を覗き込む。

「……別に」


俺はゆっくりと手をカウンターから引き抜くとグラスを置き直す。


「ふ~ん、じゃあこれは?」

そう言うとぬいは俺の手を取り、自分の胸の谷間に差し込んだ。カウンターに沈められた時とはまた違う、柔らかい感触と温もりで俺の手が包まれる。

「お、おい。ちょっ、ちょっと……」

「そうじゃなくて、何も別のものは感じない?たとえば……」


ぬいはさらに俺の指を動かし、それに触れさせた。

「こことか」

ドクドクと脈打つぬいの心音が伝わってくる。それは心臓だった。ぬいの胸のなかに沈み込んだ俺の手は、ぬいの心臓に直接触れていたのだ。


「ねぇボッキマン、私が真剣だってことわかってくれた?」

ぬいは額に汗を浮かべて俺の目をまっすぐ見据える。


(……負けた)

俺は彼女にはちゃんと正直に話そうと思った。


「……わかった、何と言ったらいいかわからないが、俺の力は……」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


俺は彼女に全てを話した。

自分が本当は何者で、なぜこんな力を身に着けてしまったのか。


ぬいは黙ったまま俺の話を聞いてくれた。

それから、俺は自分の気持ちを素直に伝えた。


「あんたが俺に興味を持つ理由がわからない。

 俺は別に人助けをしているわけじゃない。やっていることといえば

 ビルの上を走り回っているってことくらいだ」

俺は一息をついてから、一気に言葉を続ける。

「俺には大きな夢があるわけでもないし、悪だくみしているわけでもない。

 ただ好き勝手してるだけだ」


そうだ、俺(ボッキマン)にはみんなが知りたがるような中身なんて何もないんだ。


「ボッキマンは自分より弱い人たちがどうなってもいいと思ってるの?」

「そうは思わないけど……でもこの街にはご自慢の治安部隊がいるし

 慈善団体だってあるんだから、そういうことを俺がやる必要はないだろ」

「でもあの写真の時ってさ、女の人を助けようとして戦ってたんだよね?」

「あぁ、その前にあいつらは俺に絡んできたからな。それで……」


俺は自分で言っていて自分の事がよく分からなくなってきていた。あの時の俺は、本当は中年の女を助けたかったんじゃないのか?

……いや違う、暴れる理由が見つかったから暴れただけだ。


言葉に詰まっていると、エンジェルが料理を運んで来てくれた。ぬいの好物だというカツ入りの卵とじうどんは俺の前にも置かれた。俺は無言で会釈する。


「いただきます……」

箸を手に取り、麺を口に運ぶ。うまい。

久しぶりに食べるきちんとした食べ物は体に染みわたるような気がした。


「ボッキマン、あのさ。

 人は大きな力を持った時にその本性が現れるって知ってる?」

ぬいは自分の手元を見ながら静かに口を開いた。

「知らなかったけど……そうかもな。

 だとすれば俺の本性はクズってことになるんだろうな」

俺は自虐的な笑みを浮かべながら、ぬいに言葉を返す。


「ううん、そんなことはないと思う」

ぬいはその後に続けて何か言おうとしていたようだが、言葉を飲み込みそのまま料理を口に運ぶ。


俺たちはお互い話題を切り出すタイミングがつかめず、黙々と食事を続けた。

そしてしばらくしてから俺は思いきって口を開く。


「あのさ、ぬい。さっきはなんで俺の買い物の邪魔をしたんだよ」

「え?邪魔?そんなことしてないけど」

ぬいはなぜか楽しそうだった。

「したよ。だって俺がパーカーを選んでいるとき……」

そこまで言うとぬいは先買った服が入った紙袋を俺の目の前に突き出してきた。


「はい、プレゼント」

「……お、おい。あんたそれを俺に渡すために買い物してたのかよ……」

ぬいは照れくさそうに首を横に振る。

「違う、たまたま欲しかったから買ったものだけど

 今日はあなたの事を教えてもらって楽しかったから、あげる」


「受け取れないよ……俺はあんたにそこまで優しくされるようなことは何も……」

「さっきも言ったけど私の事をもっと知って欲しいの。あなたとまた会いたい。

 その時に使って」

ぬいは強引に俺の手にプレゼントを押し付ける。


「じゃあ私、そろそろ帰るね」

ぬいは椅子から立ち上がるとエンジェルに手を振りながら店を出て行った。

「おい、ちょっと待ってくれ。俺もあんたに聞きたいことが……」

「またね!」

ぬいは俺の言葉を無視して店を出て行ってしまった。


店主と二人取り残された居酒屋の中で時計だけが静かに時を刻む。


「また会えますよ」

カウンターのエンジェルは優しく微笑みながら言ってくれた。

「どうしてわかるんですか?」

「お姫様がそう望んでおられるからです」

「は、はぁ……」

「あのエンジェルさん、お会計をお願いします」

「いえ、あなたの分のお代もすでにいただいてますから」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


俺は紙袋を手から提げたままがっくりと居酒屋を出る。

結局、俺はぬいのことを何も分からないままだった。彼女にもらってばかりだ。


服も食事も。一人の人間としてまともな姿を何ひとつ見せられなかった。

俺は雑居ビルの階段を降りながらぼんやりと自問していた。


ボッキマン、お前に何が出来るんだ?


世間知らずで、自分勝手で、思いつきで暴れ出す、

それ以外の何かがお前にあるのか?


ボッキマン、一体お前のどこが無敵の男なんだ?


ぬいは俺のことを知りたがっていたが、俺は自分の事がわからない。

俺はどうしたらいいんだ……。

とぼとぼとした足取りで路地裏から通りへと出て行くと次第に喧騒が戻ってくる。

俺は紙袋を脇に抱えて歩き始めた。


「おっ!?」

しばらくするとふいに足元が沈んだ。地面が無くなったような感覚だった。

俺はバランスを失って前のめりになる。

……これはぬいの能力か。俺がそう思った時には地面は元通りになっていた。

辺りを見回したが数人の通行人が怪訝そうな顔で俺を見ていただけで、ぬいの姿はどこにもなかった。


ぬいはこの街のどこかで俺を見ているのだろう。

本来なら怒るところだろうが、俺は不思議と嫌な気分ではなかった。


「きっと、また会えるよな……」

俺は紙袋をしっかりと抱えなおして駆け出した、もう俺の足は止まることはない。

体が風を切る音を聞きながら、俺は家路へと急ぐ。


俺の名はボッキマン。

降って湧いた力に舞い上がり自分のことを無敵と思い込んだ哀れな男。


だけどさ、それを知っているのと知らないとじゃ大違いだと思うんだよ、今は。

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