第13話 提示の章
【日向は】
文月の後悔を払拭することが出来ずに、しこりのようになった重たい不安を互いに引きずりながら日々を過ごしていた。
一月に入って、おじい様の検査結果が出た。さつきは、病院に付き添った。骨がんの末期で、すでにステージ4。他の臓器にも移転している事がわかった。
すでに肩の骨はほとんど溶け、治療の方法もなく、あとは死を待つだけ。今後はマリファナで、苦痛をとるだけなのでホスピスを勧められた。
余命は、三カ月と診断が下った。まだ元気だが、日を追うごとに、これからは、急激に弱っていく事を医師から告げられた。その告知に、おじい様はさつきを伴って泉の屋にやって来た。
おじい様がひざまずき、床に頭をこすりつけるように、深々とひれ伏した。
「仙才鬼才にわが身を託したいのだが、お願い出来ないだろうか?日向君は特別な能力があり、人の心が読めるのだろう?私の心を読んでくれ、君を利用するつもりも、私欲でもない。まだ、高校生のさつきでは集落をまとめられない。あの者達は、文月が奇跡を起こさないと折檻するような、輩だ。無理は言わない。超能力で私を治して欲しいなど、大それたことは望まない。もし可能であれば、ただ、もう少しだけ、もう少しだけでいいから、延命をお願いできないだろうか?」
正敏父さんが、
「ひざまずかないでください。藤代さんのお気持ちはよくわかります。繕いとは自分の身に痛みを移す事です。昨年十月にも日向は餓死しそうになりました。やっとここまで体力が回復してきたのに、末期がんを繕って欲しいと言えません。まかり間違えば死んでしまう事もあるのです」
「そうですね。そうです。無理なお願いと、わかっています。それでも、一部の望みを託して、お願いしています」
何度も床に頭を打ち付けるように、必死に頼んでいる。
「ほら、だから姫と豪族の子孫は止めようといったのよ。仙才鬼才と奉って、また利用して私たちを殺すつもりなのだ」
滴は汚いものを見るような目つきで、おじい様をみた。
「やめないか」正敏父さんは、滴を制した。
【文月のおじい様が】
自分に向けてひれ伏して土下座し、命乞いをしている。そのことに日向は驚いていた。
「あ、あの、ぼ、ぼくは…、超能力者じゃありません。人の心を読み取ることなんて、出来ないのです。ただ、第六感というか…。電気や磁気など五感以外のものを遺伝的に敏感に感じているようです。正確な説明はつきません。僕らはそれらの事をこんな風に言っています。
外界的刺激の有無に関わらず 脳の活動による、思惟・念・意識・感性・怒り・悲しみ・喜びの感情を送受信することを感取放と…。感取放は誰にでも備わっている感覚です。ただ遺伝本質的に人よりも敏感に感じる一族です。繕いも本当はみんな出来る。僕に特殊な力なんてありません」
「わかっています。ていよく断られていることくらい、わかっています。それだけ難しい事はわかっています。私事の為にあなた様の身を傷つけるなど、身の程知らずとわかっております。しかし、孫を守る為なら私はどんなことも致します。どうぞ、この弱き老人にご慈悲くださり、もうしばらくの命の猶予を戴けないだろうか?」
日向はおじい様のあまりの言葉に立ちつくしていた。日向は、今ならまだ間に合うと踏んで繕いをするつもりだった。
そのために文月を説得するつもりでいた。しかし、弱き老人にご慈悲などと、言う言葉を使われてしまうと、文月も自分も極悪人になった気分だった。
日向は、なぜ、こんなにも甘えられるのだろう、と不思議に思っていた。
いつの世も、過度の甘えがトラブルの原因だ。甘えは相手への配慮が薄くなる。その瞬間に凶器となるのだ。日向だけでなく、浅葱家の人々は困惑した。
【黙って聞いていたが】
たまらず飛びだすように、文月が出て来た。
「おじい様、そんな言い方したら、まるで日向は暴君じゃない。日向に命の物差しを丸投げして、責任を押しつけるのは、たとえおじい様でも許せない」
「そんなつもりはないよ。せめて高校生のさつきが社会人になるまで、命を長らえる事がそんなにも、許せないのか?」
「そんな事を言っていないの!どうして、日向に選択させるの?」
おじい様は戸惑っていた。どうしてこうも感情的に文月が怒るのか、わからない。
「戸和だって、危篤になったでしょ。命がかかっている事を気楽に頼まないで、私は反対よ」
「決して気楽ではない。それに文月、この方は治るのだろ?」
「治るから?治るからなんなの?治るならどんなことをしてもいいの?なぜ、日向に命をかけさせるの?言葉も選ばずに押しつけるわけ?」
滴を見て
「これが、滴さんが言っていた事なのね」
まるで汚物を吐き出すようにつぶやく。滴は頷いた。文月は悔しそうに、
「さつき!日向がリスクを負う事を琴絵ママンに教わって、わかっているのに、どうして先におじい様に説明しなかったの?どうして連れて来たの?」
さつきは感情をださず
「いや、今日、検査結果が出てさ。そのまま挨拶に行くって言うからついて来ただけだ。おねえ様、僕に絡まないでよ」
さつきを睨んでいた文月だが
「おじい様、帰ってください。日向がいいと言っても私はやらせない。おじい様が三カ月後に亡くなっても、私にどんな折檻をしたとしても、私は絶対に日向に繕いをさせない」
鋭く叫ぶと、文月は二階の部屋に駆け上がった。
おじい様は深くうなだれて、力尽きたように泣いた。余命宣告だけでも過酷なのに、孫娘の容赦ない言葉に救われない気持ちでいっぱいだった。あらゆる思いが重しのように、おじい様を打ち負かしていた。
正敏父さんは、かける言葉がなかった。
元気なうちに繕いをかければ、リスクも少ないがこれから日々、からだが死ぬ方向に向かっていく。そうなれば繕いは不可能なのだ。その事はお祖母ちゃんから聞いていた。
【文月を黙って見ていた日向は】
おじい様の近くによった。
「文月さんが、どんなに、つらい目にあって来たか知っています。それも、戸和とその子孫つまり私たちを救うために、犠牲になって来た事を知っています。だから、お願いですから立ち上がってください」
そう言うと、おじい様の襟首から、右手をいれ、肩に置いた。おじい様は肩の激痛にうなった。
日向はそのまま倒れた。
「日向!」
驚き叫ぶ正敏父さんは、右手に触れないように倒れた日向を担いで、地下室に走った。滴も後を追った。
二階の部屋で、階下の様子をうかがっていた文月が、悲痛な叫び声を上げた。
夢遊病者のように視線が定まらず「日向!日向!」と狂ったように泣き叫びながら、部屋を出て、二階から転げ落ちるように階段を猛スピードで駆け降りると、正敏父さんと日向の後を追った。
地下室の階段付近で追いついた文月は、日向の右手を自分の左手でカバーして、支えた。
「文月さん、ありがとう」
正敏父さんは、文月の必死の形相に、やさしく頷いて
「さあ、急ごう。呼吸が出来ていないから早く、湧水槽に…」
正敏父さんと文月で階段を下ろすと、地下室の湧水槽に日向を沈めた。文月は
「私がいけない。私が手袋を取ったから、私と話すために手袋を外していたから」
湧水槽の淵で泣き崩れた。付き添って一緒に走っていった滴から、琴絵ママンに思惟が入った。
『なんとか間に合った。呼吸は大丈夫』
日向の様子に、驚いて茫然としているおじい様とさつきに、琴絵ママンが、
「おじい様。繕いをしましたので、もう心配することはありません」
「しかし」
「詳しい事は、後日お話しをさせて頂いて良いでしょうか?」
「ええ、勿論です。文月を一緒に連れて帰りたいのですが…」
「今は無理だと思います。落ち着きましたら、お返しいたします。しばらくこちらに滞在して頂いてよろしいでしょうか?日向の判断がきっと良い方向に物事を運んでくれるでしょう」
「わかりました」
「僕は、おねえ様と赤毛の兄さんが心配だから、おじい様を送ってから、戻って来ていいですか?」
「ええ、おじい様の許可があれば、いいわ」
琴絵ママンは落ち着いて話をした。
『滴、文月さんは?』
『怒りに我を忘れているように見える。日向じゃないから、思惟が読めないし…。何に対して怒っているのか、わからないのよね』
日向の繕いによって、おじい様は一命をとりとめ、見違えるように元気になった。その分、日向は湧水槽に浸りっきりで、深い眠りについていた。
【文月は】
日向の傍を離れずに「二度と神の選択はさせない」と呟いていた。
数日して眠りから覚めた日向は、起き上がることは出来ないが、少しずつ動き始めた。それでも、目覚めている時間より、深い眠りの時間の方が長い日が続く。
文月は
「藤代の家で日向を利用してやる。見世物にしてやる」
毎日のように、日向に向かって毒づいていた。さすがの日向も末期ガンが簡単に治るはずもなく。正直、最悪の状態で、耳元で騒がれるのはしんどい。
それでも、文月が来てから、水の中から外を気にする癖がついてしまった。日向はいつも耳を澄ます。
今は真夜中なのか?霊の刻か、水の流れの音だけが透き通って聞こえる。水が揺れた。熟睡している文月の手が、滑り込んで水面にとどまっている。外はまだ薄暗いはず。まだ、文月の影がある。
『地下室は寒いから、上で寝ればいいものを』
ため息をつく。どう頑張っても、二人で枕を並べて寝る事は出来ない。
それを知っているのに、文月は諦めずにいる。文月の左手と日向の右手をそっと重ねると、利用するという口実で離れない理由を作って、自分に言い訳している文月の気持ちが伝わって来る。
文月の指がピックとし、水面が小さく波紋が広がった。日向は手を引っ込めたが、その手を強く握りしめたい衝動と戦っていた。
『姫と戸和のように互いを追い詰めて殺してしまうのだろうか?おじい様も恐れていた。この手を握らなければ、回避できるのだろうか?』
文月の手の真下で、日向は腕の力を抜いて、水流に乗せた。文月が起きた時に、偶然に日向の手を掴むことを期待した。
【雪は毎日のように降り】
手先まで凍る風は雪の冷たさに、暖かさまで感じるが、根雪になれば、落ち着く。根雪は白とオレンジ、青の三色だけの世界に書き換えていく。
ガラスの部屋は雪の反射で太陽がいくつもあるように暖かい。
数週間かかってやっと起き上がれるようになってきた日向は、その暖かいガラスの部屋で少ない時間を過ごした。
日向はダイヤモンドダストを一緒に見に行ってから、自分を文月に預けている。文月は日向が戸和の子孫と知ってから、周囲の目を一切気にせずに日増しに親密に接するようになってきた。
また、日向の右手でお互いの意志相通が出来ると知ってから、日向にたいしてやりたい放題だ。
ろくに動けない日向の背中を枕に文月は転寝をしている。日向は文月から何とか逃れようと、もそもそ動いているが、文月が片目を薄く開けてさらに日向に体重をかけて、手足も使って日向が動かないようにしている。
いくら治癒能力が高いといっても、溶けた肩の骨を修復するのは魔法のように一瞬で出来ない。半病人のまま日々を過ごしている。
日向たちは一部を除いては、健常人とまったく同じである。日向の治癒力でからだを持ちなおす医学的には驚異的な回復力、奇跡の回復であっても、からだが回復すれば当然痛みも強くなる。
人が耐えられない痛みを、混濁することによって、和らげるすべを日向たちは知っているだけだ。
日向は混濁の中、文月の行動を面倒だとおもいながらも許せる。日向は諦めて外の雪を見た。ウッドデッキは雪の中にある。
『文月はただ、乱暴にぴったりくっついているわけではない、睡眠状態に入ると水中に戻る必要がある為に、俺の呼吸を気にしている。そうだ、雪で隠されたウッドデッキのように、表面では見えないことも多いな』
そんなことを考えていた。
突然、文月が起き上がり
「日向、左手をかざしたら雪が溶ける?」
「えっ?いいよ。やらないよ」
「ダメもとでやってみれば?ねえ、ねえ」ねえ、ねえ攻撃が始まった。
「誰も傷つかないし、ねえ、ねえ」
「雪の下になにもないと思う方がおかしいだろ、雪の下には命が春を待ちながら寝ている」
「あっそうか、日向はなんでも知っているし、役に立つ能力だよね」
さらっと言葉にする。いつも日向に対する評価は高いようだ。
【世の中】
多くの思惟を受け取っていると、不思議なことが多いと感じるけれど、文月ほど不思議な感覚の人はいないと、日向は思っている。
この呪われた能力が役に立つ能力だと、日向は思ったことがない。
「役に立つかどうかはわからないが、生きていくために巫女が何人も出る家系らしいよ。健常人は薬師だしね」
「そういえばどうして、薬師と言うの?薬師如来と関係あるの?」
「薬師如来って仏像だろ、仏像を作る工房というか、宗教関係でしょ」
どうしたらそういう発想になるのか、日向が寝落ちしそうになると、文月は日向のからだを揺り動かして、目を強引に開けさせ話し続けた。
「ねえ、宗教とは関係ないの?」
「うん、うん、そうね。少なくても浅葱の家は関係ないな、詳しい文献が残っていたが戦争中にすべてなくなったそうだ。昔も今も人知れず小さな奇跡を起こしていることだけは変わらない。だけど何も知らない人が突然にこんな話を聞いて、信じられるかい?信じられないだろ?現実は個々の小さな世界観だけでなりたっている。宗教だと思う人がいれば、宗教になるのかもしれない」
「占い師とか、いいかもね」
「だね~。なるほど、昔の巫女とおなじようにやるか?ってさ、やめてくれよ。人に知られたら実験台にされるか、利用されるかのどちらかだろ?ただでさえ、受け取るメッセージだけでも体中が騒がしく、毎日がしんどいのに、これ以上はできないよ」
「感放で、実験台にならないように出来るんでしょ」
「そうだけど、戸和のように安定をしていれば良いけれど、そうじゃないから。感取放の使い手の滴ねえちゃんは比較的に安定しているほうだけどな。現に、ひいばあちゃんはこれに耐えられなくて、二十代で自ら命を絶ってしまったし、繕い師も河童や龍に間違えられて、殺された先祖もいる」
「どうしてそうなの?」
「力が強ければ強いほど、調整能力を求められるけど、そう簡単にはいかないの、敏感が過敏になって暴走すれば、知らない人は驚き恐怖を感じるだろ?最悪の場合、殺意を持ち排除しようとする。その思惟が俺らをさらに苦しめる。だから地下室がある。家自体もガラスで覆われているでしょ」
「地下室はそのためにあるの?」
「そうだよ。あの地下室は、扉を閉めれば外からの思惟が全く入らなうように設計されている。俺らも最近では、能力が高いわけではなく、本来あるブースター機能が壊れている『遺伝的先天性疾患』であることがわかってきた。もともと備わっていても、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)のように使えないのには理由があるはず」
「過敏になれば人類は滅亡してしまうの?」
「そうかも。なぜなら、人の気持ちを感じたり、相手に伝えたりするまでは、人の直接の生死にかかわることがないけど、離れたところから直接的に生死が操作できるようになると、個々の生命維持の尊厳が失われるでしょ。平安中期、豪族の時代から我々一族は、存在していたと伝承されているけど、俺はその一族に繕い師として生まれ。選択権は一切ないだろ?」
「離れたところから直接的に生死が操作できる。って、思惟で人が殺せるの?マジですか?」
「うん、うん」
話ながら、ウトウトしだした日向に文月は耳元で息を吹きかけた。
「地下室に帰ろう」
【日向が湧水槽で寝ている地下室に】
滴がやって来た。
「文月さん、おじい様の手伝いのために温泉施設にいる、さつきを迎えに行って来るけど、おじい様に伝言はない?」
文月は黙って首を横に振った。
健康体を取り戻したおじい様はすぐに活動的に動き出した。おろそかになっていた温泉事業の見直しをするために、さつきも駆り出される事が多くなった。
その鬱陶しさに、さつきは、また滴の傍でウロウロしている。そんなさつきを滴は何も言わずに、受け入れ、以前のように送り迎えをしている。
滴が温泉施設に迎えに行く途中で、かなりはっきりと『ポチィタスにささげるテュシアーの子』という不可解な思惟が聞こえた。到着すると、さつきが温泉客の誘導をしていた。
「どうしたの?」
「温泉施設の漢方スチームサウナで、大量のヤマカガシが出て来たんだ」
その話を聞いて、すぐに滴は琴絵ママンに思惟を送った。
『ママン、ヤマカガシを逃がしてないよね』
『あら、うかつでした。最近、色々な事で気を取られていたわ』
いつも琴絵ママンがヤマカガシを逃すために、早めに思惟を送っていたが、今年は送っていなかった。
真冬となっては漢方スチームサウナから追い出されると、寒さの為に動きがとれない。困って、スチームサウナの方を見にいったが、逃す方法が見つからない。
神牧がやって来て、スチームサウナの電気を止めた。どんどんと気温が下がって来る。神牧はずんぐりとした体を不器用に動かし、とても乱暴にヤマカガシを大きなビニール袋に詰め込んで駆除し始めた。
滴は琴絵ママンとの思惟の会話に気を取られていた時に、苦しそうに、飛び跳ねた一匹が滴に飛んで来て噛まれてしまった。
「滴さん何をしているの?こんな作業、こいつにやらせればいい」
後を追ってきたさつきは、ヤマカガシに咬まれた滴を見て驚いた。
「へえ」神牧はニヤニヤしている。
「笑うな」さつきは怒鳴った。
沼田が残酷な表情で
「さつきくん、こいつは、少し頭が足りない。勘弁してやってよ」
「早く、救急車を呼んでよ」
「救急車?オーバーだな。ただの蛇に咬まれただけでしょ。何を大騒ぎしているの。若い人はなんでも騒ぐから、落ち着いてよ。お客さんをこの寒い中、温泉から出しちゃって責任問題じゃないの?」
「沼田!ぐずぐず言わずに、救急車を呼べ」
さつきは叫んだ。その剣幕に、沼田はすこしひるんだが
「おい、神牧。そこはいいからご希望通り、救急車を呼んでやれよ」
吐き出すように言った。沼田、神牧とさつきがもめていると、おじい様もやって来た。
「なにをしている」
「滴が、咬まれた」
ヤマカガシに咬まれた傷口を見せた。
「咬まれてどれくらいだ」
「十分くらいだと思う」
「滴さん、頭痛はするか?」
「うん」か細い声の滴は真っ青な顔で生気を失っている。
「まったく、棟梁、ヤマカガシくらいで騒がないでくださいよ」
沼田は面倒くさそうに滴を見た。
「だいたい、蛇が出て来たのに。わざわざ、物見に来るからいけないんでしょ。知り合いですか?迷惑だな~ほんと」
「おじい様、頭痛がするなら、抗毒素が必要だよね。滴をお願い。自分で連絡する」
そう言うと、固定電話のあるフロントまで走った。
「山奥の温泉施設に到着するのに、除雪は済んでいるものの、雪道で、一時間以上かかるうえに、近隣で抗毒素を入手できる場所がないので、出来るだけ早いうちに、交換輸血なり、しないといけない」
電話口の相手は説明した。さつきは、救急車を呼んだが、抗毒素が無い事を理解した。戻って来ると、咬まれた傷口がひどく腫れ始めていた。
このまま放置することも出来ずに、さつきは正敏父さんに相談の電話を入れた。
【その頃】
琴絵ママンも温泉施設で起きている騒ぎの思惟を受け取っていた。さつきやおじい様が滴の傍にいるようだが、直接、思惟が拾えない。
そのことに焦りを感じていた琴絵ママンは、泉の屋に滴を連れて帰るように正敏父さんに頼んだ。
正敏父さんが横浜から色々と手配したが、どうにもならず、琴絵ママンの指示通りに家に連れて帰る事になった。
正敏父さんから連絡を受け取ったさつきは、早速、ヤマカガシに噛まれた滴を泉の屋に連れて帰る事にした。
さつきは、震えていた。
【琴絵ママンは】
正敏父さんと連絡した後に地下室に急いだ。
『急がねば…』
滴がヤマカガシに噛まれ対応しなければならないのだ。考える時間は限られている。まもなく、滴のからだは死ぬ事をえらぶだろう。
滴が到着して時間ぎりぎり。到着するまでが、文月の協力を得るために説得する時間である。文月は、地下室の水中で眠る日向に付き添っていた。
「文月さん、相談があるの。上に来て」
文月の腕をとって、駆け上がるように階段を昇った。一階に上がると地下室の扉を閉めた。文月は琴絵ママンの行動に異様さを感じた。
二人はガラスの部屋のベンチ椅子に座った。
「日向を心配してくれて、日向も満足をしているでしょう。実はね、問題が起きて、文月さんに協力して欲しい事がある。誤解しないで最後まで話を聞いて欲しいの」
「わかりました」
「滴がヤマカガシに噛まれたの、今、こっちに向かっている」
「えっ」
「うん、噛まれてから一時間は経っていないのだけど、すでに頭痛がしている状態で、抗毒素は近くにないから、このままだと命が危ない」
慌て、熱を帯びている琴絵ママと対照的に冷静沈着に、文月のからだが冷えて固まっていくのがわかった。
「滴は、浅葱の一族で感取放の使い手ではあるけれど、繕い師の能力はないの。浅葱の家でも、この能力があるのは戸和を除いて、代々男の子のみ。それも男の子は一人しか育たない。繕いって、どういうものかというと…」
「治癒力ですよね」
文月は頷いた。頷いた文月に同調するように、琴絵ママンも頷いた。
「本人が希望して、おじい様の病気を繕いするのは問題ないのだけど、日向の繕いをしたばかりで、ヤマカガシの毒で脳出血している場合、どんなに日向の治癒力が高くても、両方を一度に引き受けて、無事に済むはずがない」
「方法はないのですか?私に出来る事はあります?」
「もちろん」
琴絵ママンは笑顔で答えた。文月は息を飲んで緊張した。
「忘れないで、戸和は、一度も姫のせいだと思っていなかった。だから文月さんが気おくれせずに、一時期でいいから日向や滴を守って欲しいの、貴方だけが出来る事だから。文月さんが出来る事をお願いしたいの。少し、大袈裟だけど、あなたの役割りを使命として欲しいの」
【なにをすればいいですか?】
「もう、二十分もすれば、滴が到着する。私には繕いの能力はないけれど、身代わりなら出来るの」
「それは?」
「私が日向と滴の間にはいって手をつなげばいいだけなの。ただ問題はその後、魔法のようにあっという間に治らないから、今 文月さんの周辺にかかっている感放なんだけど…。知っている?」
「あっ、聞いています」
「そう、周囲の人が監視している意識を他の事で弱めていたのね。戸和の墓であった後に、また監視がきつくなって家に閉じ込められたでしょ。そのあと、文月さんが泉の屋に来てから、また、日向がかけていたんだけど、おじい様の繕いで、滴と私が引き継いでいたのが出来なくなる。正敏父さんは仕事で手が離せないし、すべてがまた動き出せるまで、みんなを守って欲しいの。あの子たちはしばらく食事はとれないはずだから、この家自体も、周囲からは丘にしかみえていないはずだし、日向と滴が復活するまででいいのよ」
「丘?」
「そう、感放をかけなくても、ただの丘に見えるようにカモフラージュしてあるの。それに今は雪雲に覆われているから、見つかる可能性は低いわ。だけど、雪が溶ければ、葉の落ちた木々の間から、ガラスの反射が漏れてしまう恐れがあるの。それまでに、誰か復活すればいいけれど、運悪く、あなたを探す人たちに訪問されても困るでしょ」
「どうすればいいですか?」
【守る方法は】
「出来るだけ人の目に触れないように、おうちに帰って、静かにいて頂戴。あの子たちが人に見つからない限り、日向が復活すれば、また監視が弱くなって元の生活に戻れるはず。文月さん、出来るわね」
「それが、みんなを守る事になるのですか?」
琴絵ママンは笑顔で頷いた。
【それから】
「もし、このままあなたの花婿に日向を選ぶなら、あなたの役割はとても大きい。私たちは、能力があって一見いいようだけど、決して環境に適合しやすいわけじゃない」
「正敏父さんみたいに、薬師になればいいのですか?」
「そうね。感取放の使い手や繕い師が危機に瀕した時は、薬師の助けがなくては、死滅してしまう。生き残るか、全滅するか薬師のあなたたちにかかってしまうのよ。重たい話よね。だから無理しなくていいの、日向が復活すれば、きっと集落の呪縛を取ることが出来るから、すべてを忘れて、大学に戻り新しい自分の人生を送ってもいいのよ。選択は任せる。文月さん大丈夫よね。あなたはあなた自身の判断で動ける人よね」
文月はゆっくり深く頷いた。
そこに、さつきが、滴を抱えて帰って来た。さつきは、滴を地下室で眠っている日向のそばに横たえた。
琴絵ママンが頷くと、文月はさつきを連れて黙って、地下室を出てドアを閉めた。琴絵ママンは、二人の子供を見つめていたが、やがて身代りを始めた。
すぐに、滴の妊娠を知った。嬉しかった。
【森の動物や鳥たちが一斉に騒ぎはじめた】
どれくらい時間が経っただろうか、さつきも文月も怖かった、ただひたすら怖かった。身動き一つせずに、互いの場所さえわからぬほど、緊張していた。正敏父さんが帰って来た。
リビングにいる泣きそうな、さつきを見据えた。ただ、ただ、さつきを見つめた。正敏父さんは震えていた。起きている出来事のすべての重みを抱え、押しつぶされそうであることが表情に刻まれていた。
ことの重大さに、さつきも文月も、それを凝視できずに目線をそらした。
正敏父さんは、しばらくの間、茫然と立ち尽くしたまま、すべてを飲みこもうとしていた。文月は黙ったまま、正敏父さんと目線を合わせると、琴絵ママンの部屋の方へ視線を誘導した。
それに気がつき、思い切ったように深く呼吸すると、最初はゆっくり、だんだんスピードを上げ、地下室に向かって走り出した。
しばらくすると、獣の断末魔の叫びに似た吠え声が聞こえた。正敏父さんだ。その声は、ただならぬ事が起きている事を予測させた。
さつきは、慌てて地下室に駆け込んだ。文月は怖くて、足がすくんでその場から動けなかった。
しばらくして、さつきが地下室から上がって来た。まるで、銅像のように固まって動かない文月を見て、さつきが「滴も日向さんも無事だよ」と言った。
その一言で、全身の緊張がほぐれて、その場にへたるように座り込んだ。それを見たさつきはその後ろ姿に付け加えた。
「おねえ様、琴絵ママンが亡くなった」
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