第三章 神の選択…日向の定めを突き付けられ迷う「うぶすな神」が導き出す答えは…。

第12話 繕い(つくろい)の章

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登場人物・霊ろ刻(ちろこく)物語 字引 (ブラウザのみ閲覧可)

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【日向は】


 ローソクランタンのチューブを文月から取り上げるとマウスツーマウスに切り替えた。


『練習を思い出して、5つゆっくり吐いて、5つ止める。5つ吸って5つ吐く』


 文月が吐くときは、日向は吸い込み、同じタイミングで息を止める。そして文月が吸うときは、日向が吐き出した。


 文月の力が抜け、強く引っ張っていた二つに結んだ日向の赤く長い髪の毛を右手に絡めて日向の腕から落ちないようにした。


『そうだ、文月、上手だよ』


 霊の窟まで、湧水路の中を歩けば下りであっても二十三分はかかる。文月の購入してきたフィンを使って、文月とどれくらい時間を短縮できるだろうか?まかり間違えば、二人共死んでしまう。


 日向はわかっていた。そんな状況におかれたらどんな事をしても、たとえ、自分が死ぬことになっても、文月を生かすだろうと。


 それでも…。この世の中で忘れ去られてきた日向が、たったひとり、家族以外に日向を理解してくれる文月に日向の世界を見せたかった。


 日向に緊張が走る。ローソクランタンの空気弁を使うのなら、真っ暗な湧水路を進むことになる。日向は、何度も出発の時間に合わせて、時間を測り、暗闇を進む練習をこの一か月間してきた。


 霊の窟の中にあるあさぎ池には、白イワナもやって来る。それらを考えるとかなり危険だ。文月から


『出来る。日向がいれば出来るよね』


 思惟が伝わって来る。


『うん』


 文月にもダイビングスーツを購入したが外気温はマイナス十五度以上だ、それに比べれば、湧水路の水は年間平均十五度だ。到着予定の祠も水面からの水蒸気で気温がさがらないが、やはり水中の方が暖かい。


 随分と呼吸の練習を地下室の湧水槽でしてきたが、本番に何が起こるかわからない。出来れば、帰りも湧水路から帰りたい。と、日向は思っていた。


 無理な場合は、滴に迎えに来てもらうつもりだ。


 思惟での会話が慣れていない文月が水中で、言葉を発してしまう危険性は考えていた。やはり…。


 それでも一時期、パニック状態になったが練習の成果で、落ち着きを取り戻している。マウスツーマウスだと、視界が遮られるので、見たがっていた霊の窟にあるあさぎ池も見られずに、祠の湧水槽に辿り着いた。



【水面から顔をだして】


 大きく深呼吸した文月は、呼吸を整えるまえに


「びっくりした」


 ひきつった言葉を発した。日向は軽く微笑み


「だね。怖かった?」


 優しく聞いた。文月は両手を広げ天に向けて差し出すと笑顔で


「全然怖くなかった。日向が私の事を心配して、私がすべてになっていたから」

 

 そう言って、日向の右手のひらと重なっている自分の左手を見せた。


「上がれるか?」


 日向は文月を支えて、祠の湧水槽の淵に座らせた。


 水蒸気の中から見える窓の外は、ダイヤモンドダストに覆われている。


 その中に薄っすらと見える、白い地表と葉の落ちた木々の合間をオレンジ・赤・黄色の色彩が濃淡をつくり、氷ついた空気の振動がさらに美しさを際立たせていた。


 朝焼けだ。文月は動きを止めて、見惚れていた。


「文月はこの光景が見えていたの?」

「そうそう、この光景。本当にあるんだ。綺麗だ」


「十二月も後半になると根雪にはならないものの、気温が急激に下がる朝は、ダイヤモンドダストが見る事が出来るよ」


「ここは、滝より家より低いのでしょ」

「そうだけど、ここは霧深い特殊な地形だ」


 話している日向をしばらく眺めていた文月は、その目線を外さずに


「日向って、本当の神なのか?それとも妖怪か?」と聞いた。


「文月さん。なんど、言ったらわかるの?」


 その日向のがっかりした声を無視して


「日向。あなたが本当の神なら、私が偽物であることはわかっているでしょ。そのことを知らせるために私の元に来たの?」


 尋ねる文月。日向は黙って聞いた。


「私には日向のような能力がない」

「僕のような能力ってなに?」


「傷を治す事。人の考えていることがわかる事、人を思い通りに動かせる事」


 日向はひどくがっかりしてため息をついたが、そんな日向を無視して、文月は心地よさそうだ。


「自分が生き神として生まれたこと、集落のおきてや言伝えによって、集落の人を欺くために、刀傷に見えるように、おかあ様が私に何度も火傷を負わせた事や奇跡が起こせずに、殴られ、傷つけられてきた事を知っているでしょ。私に能力があれば、そんな事も起こらなかった」


「だね」


「うぶすな神の印である傷がなくなったので、集落に戻れば、また生き神の証である傷を作る制裁が始まるはずだった。でも、監視も和らいで新しい人生をくれたあなたをこれから先、ずーとずーと好きでいる」


 日向は女性から好きだなんて、言われたことがない。当然だ。家族以外に自分を認識できる人は存在しないと思っていたので、好きだと告白されることなど、今までの日向には、あり得ない話だった。


 日向は驚き、息が止まったまま文月の横顔を見つめた。


「誰かを好きになったとたんに、その人を守るために、自分が守れなくなりそうだから、日向は誰も愛さなくていいよ。私がずっと愛し続けるから。疲れて後ろを振り返ったときに、笑ってたっているから」


 文月はさらっと言って、日向を見た。日向は、その文月の瞳の中に自分がいると感じて、文月に答えた。


「俺は、文月を自由にしてやりたい。安心して、やりたい事を出来るようになればいいなと思う」



【地も空にも落ちている闇の影を】


 ちりばめたダイヤモンドダストが溶かしていく。


「雪が積もってもきれいだけど、僕は根雪にならない、ひどく寒いこの時期のこの時間帯が好きだ」


「冬に霊の刻に出かけないから、こんな景色を見たことがない。空と地面が一体化して輝いている。ひとつの生き物みたい」


 ふたりは、驚くほど崇高で静かな時間を過ごしていた。日が高くなるにつれて、みずならの雪原の朝焼けはすべるように輝き始める。


「文月は、霊の刻が好きだって言っていたよね」

「うん、大好き」


「霊の刻の語源を知っている?」

「知らない、うち以外は使わないかもしれない」


「実は君たちの祖先の姫が使っていた言葉だよ」

「本当?」


「姫の時代は、ちろのこくと言って、漢字では「霊ろ刻」と書く。日の出を中心に前後二時間。霊的な力を持つ時間を表す言葉だよ」


「どんな霊的な意味があるの?」


「姫は、毎日、一日が生まれて終わると考えた。花もつぼみから咲きたての頃がみずみずしくて美しいのと同じで、一日が新たに産声をあげ、地表を滴が覆い、すべてがみずみずしく透明なこの時間が、一日のうちで一番、美しく、霊力のある時間帯だと思った」


「一日は生まれ変わる。わかるような気がする。毎日新しい星で私たちは生きているのだ。なんかロマンチック!素敵じゃない」


「だね」


「私達、星が生まれ変わる時間にデートをしていたのね」


「だね」


「日向はちろのこく、私はちのときと理解していたけど、その違いは記憶が引き継がれない一族と引き継がれた一族の違いなんだね」

 


【文月はご機嫌だ】


 日向はご機嫌な文月を横目で見ながら、恐る恐る


「あのさ、おじい様の事なのだけど」

「なに?」


 ご機嫌だった文月の声が曇った。


「さつきくんからの情報だけど…。文月は、おじい様の具合がとても悪いということを聞いているか?」


「うん」


「帰らないの?」


「おじい様って、昔は頑固で、強く、恐ろしい人だと思っていた。ここ数年、気力も体力も落ちて、村長もやめてすごく痩せた。私の採って来た薬草を飲んでいたらしい」


「だね」


「おじい様に対してのいい記憶はあまりない、暗くて重たいイメージしかない」


「文月、俺はね、きみは反対みたいだけど、繕いをしてもいいと思っている。父さんの話しでは、おじい様は俺たちの存在を信じてくれているけど、とても不安がっている。感取放が出来ないので、何が不安なのかわからないが、その不安を解き、呪縛を解きたいと思っている」


「日向や琴絵ママン、滴さんが、感放で止めているから、帰っても、以前のように監視されたり、拘束されたり、折檻を受けたりしない事も、理解しているよ」


「だね。文月は、今は何も考えられない状態で、今までの事もあるし、思惟が止まっている事はわかっているよ。どうせ、俺らは筒抜けだし、二人で決めるしかないと思うんだ。焦らなくていいから、待っているよ」


「だけど…」


 おじい様の繕いをして、日向に、もしもの事があったらと、文月の強い不安の思惟を受取った。黙って文月の手を強く握った。



【それから、二人は】


 マウスツーマウスで呼吸をとりながら帰って来た。地下室の湧水槽から顔を出した。一階からは朝食の香ばしい臭いがしている。琴絵ママンから思惟で


『朝ごはん食べなさい』

『お手伝いをしなくて…』


 文月は、日向を通して琴絵ママンに伝えた。


『無事に帰って来たから、それでいいわよ』


「全部、知っているの?」

「いや、行く事は知っていても、湧水路の中は殆ど感取放が使えないから、何をしてもわからない」

 

 日向はうふふと笑って、文月の頭に自分の頭を軽くぶつけた。


「頭で挨拶?」

「だって、手が使えない」


 繋いだ右手を見せた。文月は笑った。二人はリビングに上がった。祠に朝焼けを見に行った事を知っている滴が、二人に黙って暖かいコーヒーを渡した。


「ありがとうございます」

「どっか行ってきたの?」さつきが聞いた。


「祠に行ってきた」

「こんなに寒いのに?」


 帰っても二人は、殆ど手を握って離さない。しかし、思惟で会話が出来るのに言葉にも出している。


「なんか、親密になって来たな。おねえ様、なにがあった?」


 さつきが絡むように、文月にちょっかいを出し始めた。文月はそれを無視して、日向の左手のダイビンググローブを外し始めた。


「あぶない、何をしているんだ」


 日向は文月から離れようとしたが、文月が離さない。


「左手で遊ぶな」


 日向と文月がもめ始めた。


「腕に手の跡がついてしまったじゃないか。文月が怪我をすると俺が痛いのだから、やめて!」


「左手の手袋は外せないの?」


「左手は、危殆と言って、とっても危険なんだよ」

「壊れるから?危険なの?」


「ガラスで見せたでしょ。こっちの掌からは簡単に言うと電気信号みたいなものを放出して、物や相手に影響を与えるから注意してよ!コップを割る事も出来るのだから。電子レンジと同じ。毛細血管は軽く破壊してしまうから」


「電子レンジ! 滴さんが前に言っていた。忘れていました!」


 文月は目を輝かせた。日向はしまったと思った。最近少し、文月の事がわかって来た。彼女の理解できるキーワードには、自分の経験を重ねて想像力がたくましくなる。


「おい、考えるな。電子レンジは訂正する。そんなものないぞ」

「酸素や水素を作り出すことも出来るの?」


「電子レンジで、酸素に水素って…。遊び道具ではありません。考えないでください」


「ねえ、ねえ」


 文月はコーヒーカップを日向の左手に強引に持たせた。


「出来ない。危ない」


 日向は冷め始めているコーヒーのカップを、いやいや持った。


「暖めてよ」


「出来ない!」


 ふたりは押し問答をしていたが、突然に日向が



【文月、それ、やめて!】


「なに?」


「土の中で、二人とも裸で抱き合って、バクテリアの餌になって肉が溶けるやつ」

「ダメ?何が問題?」


「土の中で、二人とも裸で抱き合っての所までは、問題ないけどさ、その後がさ、肉が溶ける前に考えるのを止めようよ」


「肉が溶けるからいいのに」


 その話に、滴が笑いながら


「思惟にまで、文句言ったら可哀そうでしょ」


「バカを言うなよ。溶けるのは俺だけだよ。こいつ、自分は溶けないの、きたねえよ。性格悪いぜ」


 日向はふてくされた。さつきは大笑いしながら


「赤毛の兄さん、我慢してくれ!性格は昔から悪いよ。だけど、おれ知らなかったぜ、うちのおねえ様がこんな面白い奴だなんてさ!まあ、9割うぶすな神が今は全部、文月だからな!」


 興味津々でさつきが、日向の左手で持ったコーヒーカップを覗いた。


「赤毛の兄さん、温まっているみたい。スゲー」

「えっ」気が付いた日向も驚いた。


「うそだろ」



【二人で】


 朝焼けのダイヤモンドダストを見に行った後、日向は文月の姿が見えないたびに大騒ぎするようになって来た。


 大騒ぎするが、姿が見えると落ち着くので、文月にはわからない。その様子を、困ったように嬉しそうに琴絵ママンが見つめていた。


「夢中ってさ、ああいうことをいうのだよね?」


 さつきは、二階の滴の部屋から、階下にいる落ち着かない日向を指さし笑った。滴は、さつきの声に誘われるように階下を眺めた。


「日向は、なにをやっているの?」

「赤毛の兄さんは、最近、おねえ様がいないと落ち着かない」

 

 さつきは、面白そうだ。


「文月さんはどこに行ったの?」


「山向こうまで買い物だから少し時間がかかるかも、帰ってくるまであの調子、出かけて十分くらいはおとなしかったんだけどね~。一緒に行けばいいのに、なんかケンカをしたらしくってね」


「面倒くさい~」

「僕は、滴の部屋でおとなしく、勉強して待っているのにね~。滴~」


「さつきは静か、本当にいい子だね」滴はさつきの頭を撫で、

「あの子、あんなに面倒くさい奴だっけ?」


「これが夢中ってやつよ」

「ああ~。なるほど」


「しかし、バカみたい。他から見ていると滑稽だな」


「うん、まったくうるさくってしょうがない。ただでさえ、ガキなのに五歳児みたいだよ。完全に脳内で爆弾が破裂して壊れているよね」

 

 滴は窓から離れた。


「おねえ様が帰って来た時に、面白いんだよ。あんなに大騒ぎしているのに急に大人になっちゃうから、よく観察してみれば」


「大騒ぎ出来るだけいいわよね。文月さんが、この家に来た当初のあの子を考えるとね。おかげで元気になっていると思うのよね」


 日向は、長い事、部屋中をウロウロしていたが急に、ママンの部屋に入った。


「おねえ様が帰って来た」

「どうして、わかるの?」


「赤毛の兄さんが、部屋に行ったから」

「えっ」


 滴は、さつきと並んで階下を見た。



【ただいま~】


 荷物を重たそうに持って、文月が駐車場からリビングに入って来た。


「おかえりー」


 琴絵ママンの優しい声がして、キッチンから出て来たママンは、文月を見て慌てた。


「ずいぶんと沢山、買い物をしたのね。文月さん!重たいでしょう」


 ひときわ大きな声で、琴絵ママンが声をかけると、日向は今まで昼寝をしていたかのように、あくびをしながら出てきた。


「おかえり、荷物が重たいのか?」


 文月の方を見る。文月が申し訳なさそうに日向を見る。


「おい、エンジン切ってないの?またどっかに出かけるの?一人の外出は危ないから一緒に出掛けてあげようか?」怪訝そうに言った。



【さつきが吹き出し】


「一緒に出掛けてあげようか?だって、連れてってくださいってお願いすればいいのに」


 滴も一緒に笑っている。


「車のエンジン音や足音で文月さんだってわかるみたい、犬並みの聴覚か?」

 とクスクス笑う。


「見ていて恥ずかしいわ~。でもさ、恋や愛の爆弾が爆発したときが、人として一番、幸せでいられるのよね。微笑ましい閃光で包み込んでもらって、毎日が楽しいわ」


「滴は、恋愛爆弾は落ちてないの?」さつきが聞いた。


「あそこまで大玉の打ち上げ花火級はないわ、せいぜい爆竹くらいじゃない?」


「そうなんだ」

 さつきが不服そうな声を出した。


 琴絵ママンから思惟が来た。


『あ~幸せよね。そうじゃない?あの子たちの気持ちが伝わって来て、私まで幸せになれる。子供から、こんな幸せをもらえるなんて、生まれてきてくれて、感謝だわね~』


『いま日向は、文月さん以外は見えてないかもね。あいつの脳波を図ってみたいわ~、脳波がハートだったりしてね~ しかし、あそこまで徹底して突き抜けると微笑ましいわ~』


『で、あなたは、いつ私に幸せくれるの?報告をお待ちしていますよ』

 滴は、返事を返さず、滴のベッドの上でいじけて丸まっているさつきに目を落とした。


 雪が積もったテラスにキツネやタヌキ、鹿、テンなどがやってくる。 雪かきの手伝いをしようと、文月が玄関を開けると、時々、ネズミや何かの肉片や木の実が置いてある。


 木の実くらいは問題ないが、目玉や片足、尻尾などもある。そのたびにキャーと文月が叫んだ。


「そうなの、動物達が時々置いていくのだけど、恩返しされても食べられないわ。特別なものらしいのだけど、玄関前に目玉が置いてあるのは、さすがになれないわよね」


 と琴絵ママンは笑う。そんな琴絵ママンを見ていると、以前に湖で熊と一緒にいた事を思い出す文月だ。



【毎日が嘘のように穏やかだった】


 その日の朝、文月は、雪かきで汗ばむ自分の息を見つめていた。


 こんなに、自分の吐く息を見つめた事があっただろうか?日向と出会う前は、自分の呼吸や吐く息の事を考えた事もなかった。


 穏やかに、こんな風になにも考えずに、ただ年を取って行きたいと思う。


 文月は、雪かきのシャベルを放り出し、この穏やかな日々を追いかけるように、自分の吐く息を追いかけはじめた。


「はぁ」「はぁ」「はぁ」…。


 息づかいとザクザクと新雪の締まる音が聞こえる。ただひたすら…。


 気が付くと、別荘地を抜け、湖畔の遊歩道の手前の除雪車の通る道まで来ていた。後ろを振り返ると、文月の一筋の歩みを、小さな白い渦が巻き込みながら消している。


「はあ、別に一人になりたかったわけではないけど…」

 文月はあたりを見回した。


「さすがに、タヌキはおらんな~。雪の下にある命は、春の日差しを待っていると言ってたな~。誰もいない…。静かだ」


 このまま、除雪された道路にでると、すべって歩きにくい。


「引き返すかな、それとも湖畔から温泉に向かって歩き、そこで車を借りて、おじい様に会いに行くかな~。どうしよう。動かないと寒いし、スキー客の運転はうまい人が少ないから、巻き込まれて事故るのは、嫌だしな。感放をかけたから、集落の人間にあっても大丈夫だと、言っていたけど、やっぱり会うのは嫌かな」


 文月は来た道をゆっくり戻り始めた。緩やかな登りだが、積雪のある場所は大きく足をあげ、スピードも落ちる。


『半年前まで、たった半年前までの自分と今の自分が嘘のようだ。十九歳の誕生日は、明日に怯え、もう二度と日向に会えないと思っていた』


 死にそうになった日向は戸和の子孫で、大きな障害を負っている。姫と豪族のせいで、日向は水の中でしか眠れない。


 今まで千年以上前の事を引きずっている事がおかしいと思ってきたが、よく考えると、当然かもしれない。


 現に、その事で苦しんでいる人が実在するのだから。自分の背負うべき痛みは、日向たちが背負っている痛みと、比べものにならないような気がして来た。


『日向は、おじい様の繕いをすると言っていたけど、これは神の選択ではないのかな?私の時は、事故だったとしても、いや、もともと、豪族と姫がいなければ、日向が私の繕いをしなくても済んだのではないか?まったく別の人生を送っていたのではないか?』


 そんな考えが頭を過る文月は


『やはり、浅葱家と縁を結んでは、いけないのだと思う。出会えばあの人たちを危険にさらすことになる。自分で、なんとかしなくては、いけない』そう思う。


 日向の家を出て行く、決心を固めた。



【日向の家近くまで】


 戻って来た文月は、倒れる寸前の日向を見つけた。


 慌てて、日向の元にころがり駆け込むとかなり薄着だ。


「日向、こんなところでなにをやっているの?」驚き叫ぶ文月に日向は

「怪我をしてない?」と右手を差し出した。


「日向、手袋をしていないじゃない。こんなことしたら余計な物もらっちゃうでしょ」


 慌てて文月は左手で日向の右手を掴んだ。凍え冷え切った日向から流れる思惟は心配と不安だった。家では大騒ぎになっていた。


 家の前で雪かきをしていたはずの文月が、シャベルを放置したままいなくなった。琴絵ママンと滴、日向は総動員で、文月を見かけた人の思惟を探していた。


 真冬では、静かに眠りについている木々も動物たちともコンタクトが取れない。


 日向は、思惟で探せない事に苛立ち、文月を探しに家を出た。そして流れ込んで来る互いの思いに、日向は


『僕にも努力させてほしい』


 と伝えたまま、思惟を止めた。


 琴絵ママンと滴が入れない、二人だけの鍵付きの部屋で…それからは、なにも考えず、言わず。日向は、文月から離れずに、一日中、密着している。


 文月が「浅葱家と縁を結んでは、いけなかった」後悔の念を抱いているのを知っているからだ。そのことに、日向が論破出来る材料は持っていなかった。



【出逢えば】


 互いを追い詰め、死に至らしめる可能性を、日向も否定が出来ないからだ。


 ぴったりとくっついて、一瞬でも離れる事を嫌う日向を見て、事情を知らない滴があきれた。


「女の子も男の子も基本は、甘えん坊だから仕方ないけど、女性は母性本能があるから、あんな風に、小さな子供のように甘えられると太刀打ちできない」


「じゃあ、僕も」さつきが滴の背中に頬刷りした。



【一方】


 おじい様は、昨年五月に、日向と文月が採って来た、スイカズラを干した金銀花を煎じて飲んでいた。中々、病院にもいかない。


 文月が家を出て行ってから、どんどん体力はなくなり、トイレに行くのも苦心していた。


「おじい様、病院に行けば?」


 さつきは、文月がそばにいない不安と戦いながら、何度も言葉にしていた。やっと、嫌がるおじい様を病院に連れて行った矢先。


 十一月に入って、突然、浅葱正敏と言う人物がやって来た。その人物は、居心地が悪そうに話しはじめた。


「私の妻は戸和の末裔で、私は婿に入り、私の子供達も戸和の力を引き継いでいます。息子の日向が文月さんと知り合って、それがご縁で、今、文月さんは泉の屋に滞在しています」


「そんなことってあるの?」


 さつきは、大きな声を上げた。


 おじい様は、黙って正敏父さんを突きさすような眼光で見据えた。


「驚かれるのも無理もありません。私共も大変、驚いているのです。まさか文月さんが姫と豪族の末裔だったとは、考えもしませんでした。私たちも戸惑いながらですが、今、文月さんは彼らと一緒に生活をしています」


「それでは、お宅様にも伝承があるのでしょうか?」

 おじい様は用心深く聞いた。


「ええ、二藍の帳に東鬼神。姫と豪族は一対で、姫を通して豪族を見よ。というものです。お宅様は、子々孫々産土神を絶やさず、仙才鬼才に託し縁を背負ふ。うぶすな神の伝承ですな」

 

 正敏父さんは、掛け軸を指さし、そして


「人並みはずれた、恐ろしいまでの才能を発揮する人にすべて委ね、それらを自ら引き受けよ。という意味ですね」


「お判りなのですか?」


「私は、凡人なのでそんな特技はありません。文月さんが怪我をして、息子の日向がその怪我をきっかけに、偶然に文月さんの思惟を読み取ったものです。ですので、おおよその事は理解しています」


「今まで、さつきから行方不明と聞いていた文月が、戸和の末裔と暮らし、怪我をしたことなどを、初めて聞きました」


 おじい様は、娘の睦月がいまだに連絡が取れずにいる事を深く気にしていた。しかし、うぶすな神伝承から逃れられるのなら、それもいいのかもしれないと、考えていた。


 孫娘の文月がいなくなった時も、戸和の事を聞かれた時に覚悟していた。集落の人間が騒がなければ、このままどこかで、暮らしてくれてもいいとも思っていた。


 さつきは、幼い頃から、リビングで母親と姉の帰りを、ただ、じっと待つ子だった。


 そのさつきが、待つことをしないで、日常を過ごしていると言う事は、きっと文月の所在は、わかっているだろうと思っていた。それに警戒心の強いさつきが、この人物を警戒しなかった。


「さつき、このお方を存じ上げているのか?」


「ええ、おじい様。うすうす感づいていたと思いますが、僕とおねえ様が一緒の時に会っています」


「そうか」


 おじい様は、さつきに確認したが文月の所在だけでなく、戸和の子孫と暮らしている事は、一応に納得できるものではなかった。


 話に同席していたさつきも、赤毛のお兄さんが、戸和の末裔と言う事までは把握していなかった。


 正敏父さんは、おじい様とさつきに、ぜひ泉の屋に来て戸和の末裔に会って欲しいとお願いした。体調の悪い、おじい様の変わりに、さつきが正敏父さんと一緒に泉の屋に行く事になった。


 それ以来、殆どの時間をさつきは滴の部屋で過ごし、時々しか、おじい様のところへ帰っていなかったのだ。



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