蒼き竜神の謎〜その2

駆け上がった石段の先には、美麗な造りの神社が待っていた。


都久夫須麻つくぶすま神社だ。


宝厳寺と舟廊下で繋がる本殿は、秀吉が寄進した伏見桃山城の勅使殿ちょくしでんを移転したもので、国宝となっている。

祭神は、弁財天、宇賀福神うがふくしん竹生島ちくぶしま竜神、そして産土神うぶすながみ浅井比売命あざいひめのみことの四柱である。


高津川会長、榊書記、美乃の三人が向かったのは本殿ではなく、その向かいにある竜神拝所だった。

琵琶湖に面し、島の斜面に突き出すように建てられている絶景ポイントだ。

ここには、八大竜王と呼ばれる竜神がまつられている。


祭壇には一対の蛇像があり、その前で一人の少女がうずくまっていた。

制服から見て、うちの生徒に間違いない。

数名の観光客が、物珍しげに遠目から眺めている。


「大丈夫!?」


思わず声を上げ、駆け寄る美乃。

その女生徒は、うつむいたまま肩を震わせていた。

よく見ると、足元にのようなものが落ちている。

そこに書かれた文字に、美乃は目を走らせた。


「水沢……ミチルさん?」


名前を呼ばれた女生徒は、ゆっくりと顔を上げた。

ショートヘアの端正な顔が、苦悶に歪んでいる。


「ミチルっ!」


背後で低い声が響く。

振り向くと、高津川会長が眉を吊り上げていた。


「どうした?何があった!?」


慌てて駆け寄り、女生徒の肩に手を置く会長。

その顔には、珍しく動揺の色が見られた。


「にい……さん……」


ミチルと呼ばれた女生徒が、ハッとしたように反応する。

それが高津川会長だと分かると、途端に両眼から涙がこぼれ落ちた。


「り、竜が……竜神が現れたの……」


会長の袖口を握りしめ、声を震わせるミチル。


「……私、見たの……!」

「……何?そんな……バカな!?」


その言葉に、今度は会長が声を荒げる。

信じられないといった表情で、まじまじとミチルの顔を眺めた。


「これを投げようとしたら……突然、目の前に……」


そう言って、ミチルは足元の小皿を拾い上げた。

そして、そのままガックリと項垂うなだれてしまう。


「しっかりしろ!……ミチル!」


気を取り直した会長が、その肩をしっかと支える。


「会長……とにかく向こうで休ませましょう」


不安そうに見つめていた愛美が、背後から声をかけた。


「あ……ああ、そうだな……すまん」


高津川会長は、取り乱した自分を戒めるかのように首を振った。


「立てるか?ミチル」


そう声をかけ、会長は女生徒をゆっくり立たせた。


「矢名瀬君……悪いが、失礼するよ」


そう言い残すと、高津川会長は美乃に背を向けた。

そのまま愛美と共に、ミチルを奥の休憩場所へと連れて行く。


後に残された美乃は、しばし呆然とその様子を眺めていた。

いまだ興奮は続いているが、思考は冷静さを取り戻しつつある。


──


心中で、ミチルの発した言葉が木霊する。


まさか……そんな非現実的な事はあり得ない。

夢でも見たのだろうか?

でも……寝ぼけているようには見えなかった。


それとも、何かを見間違えた?

たとえば、変わった形の雲とか……

それにしては、様子が尋常では無い。


一体、何があったんだろう?


美乃は自問しながら、再び三人の去った方角に目を向けた。


高津川会長が一緒なので、とりあえず心配は無いはずだ。

教師陣への対応も、抜かり無くされるだろう。


それより……


美乃は顎に手を当て、眉をひそめた。


会長は、あの女生徒を知っているみたいだった。

ミチル……と躊躇ためらいなく名前を呼んだのが、そのあかしだ。

それに対して、女生徒の方は『』と口走った。

ひょっとして……会長の妹さんなのだろうか?

それとも……


美乃は頭を捻ったが、今の状況だけで判断はできない。

答えは後ほど、会長に確認するしかない。

美乃はあきらめて、その場を去ろうとした。


その時ふと、床に転がったあるものに視線が止まる。

ミチルの名が書かれた、先ほどの小皿だ。

去りぎわに、落としたらしい。


「これって……?」


美乃は呟きながら、その小皿を拾い上げた。


「【】です」

「おわたっ!ビックリした!」


突然の背後からの声に、美乃は飛び上がった。

振り向くと、凪がボーっと立っている。


「何よアンタ、驚いたじゃない!……てか、今までどこにいたのよ!?」


美乃は波打つ胸を押さえながら、怒声を浴びせた。


「す、すいましぇん。実は、これ……」


オロオロする凪の手に、同様の小皿が何枚も乗っている。


「こ、これ、【かわらけ】と言います。この竜神拝所の名物です」

「名物?……あ、そういや観光パンフレットに書いてあったわね。確か、【おみくじ】のようなもの……」


思い出したように呟く美乃に、フヌケ大王はウンウンと首を振った。


「あ、あそこの鳥居に向かって投げるのです」


そう言って、凪は拝所の外を指差した。


竜神拝所から見下ろす位置に、立派な鳥居が建っている。

そのすぐ先には、広大な琵琶湖が広がっていた。


「最初に名前を書いた【かわらけ】を投げ、次に願い事を書いたものを投げて、二枚とも鳥居を抜けたら願いが叶うらしいです。それで、さっきからやっているのですが……」


凪は、ポリポリと頭を掻きながら説明した。


「さっきからって、アンタ……姿が見えないと思ったら、ずっとここにいたの?」


「はぁ」


美乃の問いに、恥ずかしそうに答える凪。


「もしかして……ずっと、それ投げてたんじゃないでしょうね」

「はぁ。なんか、ゲームみたいで面白いっス」


フヌケ大王のアホな返事に、美乃はあんぐりと口を開けた。


「まさか、願いもなんも書かずに?」

「はぁ」

「ただひたすら、投げてた?」

「はぁ」

「それでまだ、一枚も鳥居を抜けてない?」

「はぁ」

「い、一体、何枚投げたのよ?」

「えっと……確か二十……」


指折り数える凪を、美乃は即座に制した。


「い、いやいい!言わなくていい……なんか頭痛くなってきた……」


凪の言葉を遮ると、美乃はガックリ項垂うなだれた。


まったく……なんなの?このフヌケバカは……


これも、監督不行き届きな自分の責任なのか──

それとも、私の根性を試す神様の試練なのか──


私はコイツの家族でも、師匠でも無いのよ……


あきれ過ぎて、怒鳴る気力も失せてしまう。


美乃は大きくため息をつくと、キッと凪を睨みつけた。


「ずっとここにいたなら、当然今の出来事も見てたわよね」


射るような視線に、ぎこちなく頷く凪。


「な、なんか……青い竜が……【かわらけ】を……投げようとしたとか……とか……とか」

「いや、『とか』多いし!……てか、話しごちゃごちゃだし!」


フヌケ大王の返事に、すかさずツッコむ美乃。


呆れたように肩をすくめると、そのまま凪に背を向けた。

とりあえず、こんな所にいつまでもいる訳にはいかない。

クラス委員の役目を果たさないと。


「とにかく早くこれを返して、皆のところに戻りましょう」


そう言って、美乃はミチルの落とした【かわらけ】を差し上げた。


凪は小さく頷くと、不思議そうに小皿を見つめた。


その瞳の微かなまたたきに、美乃が気付く事は無かった。

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