第5話 マルシェ・デ・ラ・ルナ

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 夕食が終わり、子供たちは寝室に向かう。

 いつもなら年長のクラリスと私が屋根裏の寝室へ誘導するが、今回は私の脚のこともあって、今年で9歳になったノエリアとフラヴィが誘導係に任命された。


「がんばるであります!」

「われらにおまかせを!」


 バシッ、と敬礼を決めて、かと思えば年相応の笑顔を浮かべながら、牧羊犬のように子供たちをまとめ上げる。

 少し落ち着きのない二人だから心配ではあったが、この分だとどうやら大丈夫そうだ。


 私は、双子の背中に『あまり走ると危ないよ!』と声をかけるクラリスの声を聞きながら、子供たちを見送った。


 この貧乏孤児院にはお風呂が無い。

 辛うじて中庭に噴水はあるが、水道代が未払いなため、今は完全な置物と化している。


 そんな月明かりが差し込む中庭を、クラリスに背負われながら歩く。

 孤児院が付属する教会は、四角形に棟が並ぶような構造でできている。

 東棟の1階が聖堂、2階が食堂、3階が寝室で、北棟の暗い渡り廊下を通って西棟に行けば、そこの2階に医務室があるのである。


 北棟にあるのは、トイレと図書室、それから火薬を作るための工房だ。

 というのも、この教会は何で収益を得ているのかと言うと、もちろん信者からのお布施もあるが、それよりも肥溜めから作られる硝石と木炭、それから近くの山で採れる硫黄を混ぜて作る、黒色火薬での稼ぎの割合が一番高いからだ。

 ちなみに発案者はレレツィエッカである。


 それまでは硝石だけで売っていたのを、それだけでは単価が安いので、火薬にして売ることにしたのを覚えている。


 まぁ、それでも、得られたお金は全て、借金の返済に充てられるから、稼げているとは言えないのだが。


「よいしょっと」


 クラリスが噴水の淵に私を下ろし、自分もその隣に腰を下ろした。

 私は、淵から落ちないように彼女の尻尾を背もたれにしながら、『どうしたの?』と尋ねる。


「んー、ちょっと休憩」

「……ごめん、重かったよね」

「そんなことないよ! ……ただ、今日は月が綺麗だったから、少しお月見でもしたい気分なんだ」


 吹き抜けの中庭の空を見上げると、確かに今日の月は綺麗だった。


 青白く輝く、大きな満月。

 田中恭一の記憶にあるそれよりも数倍大きくて、レレツィエッカの記憶にあるそれよりも、一段と輝いているように見えた。


「〜〜〜♪」


 不意に、クラリスが隣で鼻歌を歌い始めた。

 儀式の時、パイプオルガンでよくシスターたちが弾いている曲である。

 確か名前は──


「ノエル・ティトルーズの『月の行進曲マルシュ・デ・ラ・ルナ』、だっけ?」


 音楽にはあまり詳しくはないが、確か神学の授業の時に、歴史と一緒に習った記憶がある。


「うん。

 お母さ──シスター・アンネローゼが、よく眠れない時に歌ってくれてたんだ。

 母親を亡くした男の子が、方舟はこぶねに乗って月に向かって空を飛ぶ話」


 この世界では、死んだ人間は月に行くと伝えられている。

 田中恭一の居た世界では、あの世は大体、地下か天井だったから、少しだけ新鮮な感覚で、私は彼女の言葉を聞いていた。


「……クラリスも、本当のお母さんのこと、気になるのかしら?」


 気になって、不意に尋ねてしまってから、その質問は彼女に対してデリカシーがなかったと後悔し、『ごめん』の言葉が喉に詰まった。

 言おうとしたが、質問に対して何かを考えるようなそぶりを見せる彼女の横顔を見たら、何か声をかけるのが躊躇われるような、そんな気分になったから。


「……んーん、って、言ったら嘘になるかな。

 でも、今はシスター・アンネローゼが居るから」


 しばらくして、にこりとこちらに笑顔を向けるクラリス。

 そこで私は、ようやくその一言を口にすることができた。


「……ごめん、変なこと聞いた」

「もぅ、レレちゃん真面目すぎ!

 気になるのは仕方ないよ。さ、そろそろ戻ろう、体が冷えてきちゃった」


 それから私は、また彼女の背中におぶさって、西棟の医務室へと向かったのだった。

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