第4話 スープ

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 教会では、食事の前には必ず礼拝堂へ集まって、全員揃って食前の祈りをすることになっている。

 礼拝堂は、貧乏なこの教会でも一番豪華に作られていた。

 左隅に設置された、儀式に使うパイプオルガン。

 礼拝堂の壁を飾るステンドグラスの巨大な絵経典に、講壇の後ろの5柱の神像。

 あの神像はたしか、左から平和の女神、魔術の男神、主神である混沌の神、農耕の女神、戦の男神だったはずだ。


 そんな神様の像が見下ろす礼拝堂の中で、私たちは床に片膝をつき、胸元で両手を組んで、目を瞑って俯くのである。

 私は両脚がないので、床にそのまま尻をついて座り、祈りの姿勢を取っているが、重要なのは形ではなく心だと、いつもマザーは言っていた。


 記憶が戻るまでのレレツィエッカならば、特に気にしないいつもの日常風景だったが、しかし田中恭一としての記憶がある今の私としては、何かこう、うまく説明しづらい忌避感があった。

 これはきっと、宗教と聞くと、新興宗教詐欺が真っ先に頭に上る日本人の感覚ゆえなのだろうと思うと、少しだけ悲しくなった。


 宗教というのは、本来は心の支えとなるべきもののはずなのである。

 それが、弱った人の心を利用して金銭を騙し盗り、不幸にさせようと発想することが、信仰心を失った日本人の末路だと思うと、残念でならないのである。


「天に坐します混沌の神よ。

 目に見えるもの、目に見えぬもの、全てに愛を与えてくださる我らの創造主よ。

 光を与え、色しきを与え、形なりを与えてくださる愛の権化ごんげよ。

 今日も我らの祈りを聞き届けていただき感謝いたします──」


 マザーの長い祝詞が、私の鼓膜を優しく揺らす、静かな時間がやってくる。

 痺れを切らして泣きそうになる小さな子供や、待ちきれずに腹の虫を奏でる子供がいたが、食前の祈りが終わった後にシスターに説教を喰らうところまで含めて、それもまたいつもの風景だった。


 祈りが終わり、クラリスが私を背負って食堂へ向かう。

 そんな彼女の背中に突き刺さるのは、シスターたちの鋭い視線だ。


 今日一日、クラリスに背負われていたから気づくことができたが、彼女が魔族であることに対する偏見は、未だ健在だった。

 魔族は人類を堕落させる。

 シスター・アンネローゼの努力によって、目に見えて彼女をいじめるようなことはしないようにはなっているようだが、心の中ではきっと、良くは思っていないに違いなかった。


 ……ずっと、というほど長く隣にいたわけではなかったが、食事の席や授業の時、寝る時はほとんど隣にいた。

 それなのに、全く気付くことができなかった自分に、私は少し、申し訳なさを感じた。


 空腹を堪えながら先に着くと、今日の配膳係である双子のノエリアとフラヴィが子供たちに食事の乗ったお盆を配っていく。


「きょうのゆうげはちょっとごーかでありますよ!」

「なにせきょうのかりはわれらのとーばんだったらなのだ!」


 自信満々に子供たちに話して回る二人に、クラリスは笑顔で『だったら今日も美味しいこと間違いなしだね!』と労いの言葉をかけた。


「へへん、であります!」

「ふふん、なのだ!」


 ちなみに今日の献立は、細かく刻まれた何かの肉が入った、味の薄いスープだった。

 具材は、教会近くの森で採取できる、食べられる野草がメインの、味付けは塩だけという超簡易的なもので、貧乏孤児院であることをこれでもかというほどに意識させられた。


 ちなみに、ノエリアとフラヴィの二人が『ちょっとごーか』と自慢していることからも分かる通り、普段はこれよりももっと具材は少ない。

 具体的には、肉は入っていないし、野草も、1杯に2本入っていればいい方という具合である。

 今回は根菜が多めだから、双子の言う通り『ちょっとごーか』であるのは確かだった。


(いただきます……)


 心の中で手を合わせて、スープを口に運ぶ。

 根菜の甘い味がほんのり溶けてはいるが、出汁が取れていないので味がとても薄い。


 ……薄いが。


「味が、する……」


 ほろり、と涙が流れてきたことに驚いて、思わず袖で目元を拭う。

 すると、それに気がついたクラリスが、驚いた顔をして『だ、大丈夫!?』とこちらの顔を覗き込んできた。


「目にゴミが入っただけだから。

 大丈夫よ、気にしないで」


 ごまかすようにそう告げる。


 正直、スープはとても不味かった。

 しかし、これまで──田中恭一だったころまで、ストレスから味覚障害で何の味も感じることができなかった事を思い出すと、ただ味がするというだけで、自分がこの世界に生きている事を実感できて、思わず涙が流れてきたのである。


 しかし、そんな事を彼女に説明しても仕方がない。


 私は、少ししかないスープを完食すると、ホッと一息ついて、余韻に浸るのだった。

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