第3話 自我自問

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 シスター・アンネローゼが去った後、私はまた土魔術の研究を始めていた。

 材質の指定や性能の変更など、さまざまなことを実験する。

 その結果、とりあえず鉄や銅、銀、金などといった金属を生成することが容易であることや、さらにそれぞれの金属の電気伝導率や熱伝導率、魔力伝導率の操作もできることが判明した。


「でも、魔術で作った物って、時間が経つと勝手に消えちゃうんだよなぁ」


 手元に生成した金属が、魔力の細かい粒子に分解されて消えていくのを眺めながら、ふむ……と顎先に指を当てて考える。

 実験の結果、どうやら魔力伝導率が高いものほど消滅しやすくなる傾向にあるようだった。

 100%ともなれば、持続時間は1秒にも満たない。


 魔力伝導率というのは、魔力の伝わりやすさだ。

 この世界にあるすべての物質は、細かな魔素と呼ばれる粒子が集まってできていて、魔力もそのうちの一つらしい。

 ただ、魔力は魔素の結合が弱いため、単体では存在することができないのだという。

 では、なぜ人間の体内では魔力の状態を保っていられるのかというと、以前読んだ本に書いてあった仮説では、生体内部にあるプラーナと呼ばれるエネルギーが関係しているとか、他にもエーテルがどうとか、形相因子がどうのとか、何か難しいことがいっぱい書いてあった。

 正直詳しい話は覚えていない。


 鍛治師に頼んで車椅子を作ってもらうよりも、魔術を使って車椅子を自分で錬成したほうが安いと思い、素材を生成できるかとか実験をしていたのだが……思ったよりも難航しそうだ。

 まぁ、1日でできてしまっては、本職の研究者が泣きそうではあるけれど。


 そんなことを考えていると、衝立の向こうからひょっこりと1人の少女の顔が覗いてきた。

 金色の長髪、羊のようにくるりと巻いた角、青い瞳。

 腰からは鳥のように真っ白な翼が生えていて、羽毛に覆われた、ワニのように太い尻尾が揺れている。

 半竜人族のクラリスである。


「レーレちゃん! なーにしてるの?」

「ちょっと実験してただけよ。今日の授業はもう終わり?」


 ニコリ、と笑みを浮かべながらクラリスの質問に応える。

 すると彼女は少し難しい顔をしながら『まぁね……』と口を開いた。


「レレちゃんの事があったから、魔術実習全部休みになっちゃったからさ。全部座学だったよ……」

「そこまでしなくてもいいのに……」


 孤児院で教えてくれる座学といえば、神学と簡単な読み書き、算術がメインである。

 神学は何を学ぶのかというと、経典の内容の暗記とか、登場する神や悪魔、妖精、精霊についての解釈、伝承や神話の理解がメインである。

 読み書きの内容もそれに沿った物で、信心深いとは言えない私たちにとっては、とてもつまらない授業なのである。

 ちなみに算術の授業は、足し算と引き算がメインで、田中恭一の記憶が戻る前のレレツィエッカは、どうやら引き算がとても苦手で、未だに両手の指を使わなければいけないほどだった。


 目の前のクラリスも、2桁以上の計算になると頭をよく沸騰させていた記憶がある。


「ねっ、レレちゃん。

 とりあえず明日まで面倒見てってシスター・アンネローゼに言われたんだけどさ。今出来ることあるかな?」


 ベッドに近寄りながら、ニコニコとコチラを覗き込むクラリス。

 近くで見れば見るほど、実に整った顔つきをしている。

 半竜人族でさえなければ、きっと養女にしたがる家庭は多かったに違いない。


 というのも、半竜人族というのは、世間一般的な認識では、魔族の一種として捉えられているせいである。

 魔族とはつまり、悪魔たちの貴族。

 悪魔の王に仕える、卑しい種族であると、教会の経典にも描写されているからだ。


 そんな彼女がどうしてここで生活できているのかといえば、それはひとえに、シスター・アンネローゼのお陰であるといえる。

 彼女は生まれて間もないころ、つまりまだ卵だったころに、この教会に預けられたらしい。

 教会の関係者は全員、彼女を引き取ることを否定したが、まだ孵化すらしていない子供に、性悪説を唱えるのは、教会の慈悲と博愛の精神に反するなどと抗議したのだ。

 結果、彼女を母親代わりとして育てるのであれば、クラリスをここに置いてもいい、という判決が下されたのである。


 もしアンネローゼが抗議しなければ、きっと彼女はこの世に生きてはいなかっただろう。


 そんな彼女を取り巻く闇から守れるように、経典の第一章第一節の言葉『光は全てを生み出した』に由来させて、彼女にクラリス光り輝くなんて名前をつけたのかもしれない。


「そうね。

 ちょうど、お手洗いに行きたいと思っていたところなの。

 でもこの両脚じゃあ動けないでしょ?

 連れて行ってくれないかしら?」

「わかった!

 じゃあ、私の背中に捕まって!」


 私のお願いを聞いて、サッと背中を向けてくれるクラリスの首に、私は腕を巻き付ける。

 腰の翼が邪魔で、足をどう引っ掛けたものか悩んでいると、クラリスが慣れた手つきで私の両腿を掴んで、翼の付け根の上、ちょっと肩甲骨っぽくなってるところに落ち着かせ、落ちないように両翼で背中を支えてくれた。


「おおっ」


 思ったよりも安定感のある翼の感触に、思わずそんな声が漏れてしまう。


「ふふん、私の背中はどうかな、レレちゃん!」

「うん、思ってたよりしっかりしてて……ちょっとびっくりしたよ」

「でしょー。

 普段からチビたち背負って、翼鍛えてるからね!」


 翼って鍛えられるんだ……。


 それから私は、クラリスに背負われて医務室を出た。

 医務室を出ると、薄暗い廊下が続いている。


「この廊下、いつも暗いよねぇ。

 貧乏だから明かりがないのは仕方ないんだけどさぁ。

 夜中とか、チビたちトイレに行くの怖がっちゃって……」


 照明がないせいか、ここは昼間でも少し暗い。

 貧乏だから松明に火をつけることもしないので、光源は廊下の向こうのベランダの明かりと、天井の明かり取り窓くらいのものである。

 夜になれば月明かりと星明かりはあるが、あまり頼りにはならない。


「そうね。

 私も昔はここが怖かったわ。夜に読む本取りに図書室まで行って、そしたらたまたま気に入った本があってね。そのまま読み耽っちゃって、気がついたら夜よ」

「レレちゃんらしいね」

「マザーにはよく叱られたわ」


 カラカラと笑うクラリスに、つられて私も笑う。

 笑いながら私は、ふと疑問に思った。

 今の私はどちらなのだろう。

 田中恭一なのか、それともレレツィエッカなのか。

 田中恭一とレレツィエッカの両方の意識が混ざり合って、今彼女と話しているのがどちらの自分なのかわからなくなって、クラリスにつられて出た笑いも、すぐに乾いたものへと変わって行った。


 教会のトイレはとても臭い。

 陶器製の穴が空いた板の形をした便座は冷たく、その下は直接肥溜めにつながっている。

 堆肥のために陶器製の便座が腐って、下に崩れ落ちてしまって、危険だから使えないようにと木の板で封印されているものがいくつかあったりする。


 ちなみに、男子トイレと女子トイレの概念はここにはない。

 細長い部屋の両脇にトイレの個室が並んでいるだけで、中心の手洗い用の蛇口は、錆び付いて動かなくなっているばかりである。


「着いたよ、レレちゃん」

「ありがとう、クラリス──わっ!?」


 クラリスに便座に卸してもらい、礼を告げる──が、便器の穴が思ったよりも広く、危うく落ちそうになって、彼女の服を掴んだ。


「どっ!? したのレレちゃん!?」


 驚きながら、その太い尻尾を使って、落ちそうになる私を器用に受け止める。


「ごめん、ちょっと、思ったより穴が広くて……。

 落ちそうだから、私のこと、少し抱えててくれないかしら?」


 私は少し頬を赤らめながら頼む。

 いい歳した大人が、これではまるで赤ん坊のようで恥ずかしい。

 しかし彼女は『そういうことなら任せて!』と、抱っこをする様に私の体を持ち替えて、もう一度便座に座らせた。


「面目ない……」

「ふふっ、なんだか私の方が年上になったみたいだね!」

「揶揄わないで……」


 以前なら足で踏ん張れたのに、と口を尖らせながら呟いた。


 ワンピースを持ち上げ、ショーツの紐を解く。

 レレツィエッカの履いていたショーツは、あろうことか紐パンだった。

 田中恭一だった私の意識は一瞬戸惑いを見せたが、しかし普段からそれを履いていたレレツィエッカとしての私の意識は平然としていて、その精神の中のギャップが、私の表情を複雑にさせた。


 ショーツを脱いで、落とさないようにクラリスに預ける──が、彼女はもう両腕が塞がっていた。

 少し悩むような間の後、彼女はそれを口で受け取った。


「へへひゃんのふぁんふ、あまひひおひすふへ!」

「パンツ咥えたまま喋らないで」


 それから私は、クラリスに見守られながら用を足した。

 ちょっと何かに目覚めそうになったが、レレツィエッカの意識が全力で否定してくれた。

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