第1話 覚醒、そして両脚
1
──終わった。
そう思っていた。
確かに何か、眠るのとはまた違う死の感覚を覚えて、私はあの世へと旅立ったはずだった。
しかし目を覚ますと、私はなぜかベッドの上で寝ているではないか。
「ここは……っ」
薄ぼんやりとした視界の中、自分が発したはずの声が、年老いた死にかけのおじさんだったものとは全く異なる、甘い響きを持つ女の子の声になっていたことに驚いた。
ここはどこだ。
私は誰だ。
私は
私はレレツィエッカ──って誰のことだ?
……まずいな、記憶が混濁している。
まるで二つの人生を交互に生きていたような、変な感覚がある。
しかし、今一つだけ確かなことが言えるのだとすれば、私は確実に死んだということと、ここが我が家のキッチンではないという事だけだった。
……転生に成功したということか?
いや、記憶があるのだからむしろ失敗か。
ぼやける視界を凝視してピントを合わせる。
しかしどうにもぼやけすぎて、何も見えない。
目が悪いのか。
手探りでメガネを探す。
決して柔らかいとも言えない、粗末な布団の上、枕元、ベッド脇の棚の上──あった。
おそらくこれが私のメガネのはずだ。
混濁した記憶が、私にそう告げている。
自身の小さな顔には不釣り合いかと思いそうな、大きな丸メガネをかけると、世界が一変した。
ぼやけた視界は急に解像度を取り戻したようにクリアになり、煉瓦造りの大きな壁や、背後の窓から入り込む光と、窓枠の影、煉瓦の隙間を伝う蔓、天井の梁に吊るされた、植物を植えた籠、仕切りの白い衝立などが見えた。
西洋風なノスタルジーを覚える光景に、私の中の田中恭一の部分が、胸を震わせるような感覚を覚えた。
「どこだ……?」
記憶を遡る。
田中恭一ではない。
レレツィエッカの記憶を。
レレツィエッカは孤児だった。
冒険者だった両親が、ある日突然帰ってこなくなって、ギルドの職員が教会付属の孤児院に連れてきたのである。
そこで私は神学と魔術を学びながら、同じ孤児たちと生活していて──そうだ。
実習の授業で魔術が暴発して、私の両脚が──。
布団を捲り、自分の両脚を見た。
膝の下あたりから脚が無くなっていて、傷口は包帯が巻かれていた。
血はすでに止まっているようだったが、しかし失ったはずの両脚が、少し痒いような感覚がしてムズムズする。
──慣れた感覚だった。
そもそも田中恭一だったころも、私には両脚がなかった。
ちょうど今のような具合だ。
仕事で、確か営業に出ていた時だ。
偶然工事中の鉄骨が空から落ちてきて、咄嗟に避け切れなかった私の両脚を粉々に破壊したのである。
今回は魔術の──〈鎌鼬〉の実習だったから、もっと綺麗に、スパンと切断されたようだったが、それでも両脚を失ったことに違いはなかった。
……とするとここは、そうか教会の医務室か。
血が止まっているように見えるのは、おそらく〈止血〉か、あるいは〈回癒〉の魔術のおかげだろう。
ブヨブヨと水風船のように動く切断されたふくらはぎの中で、骨が硬いマットに触れて少し痛いが、耐えられないほどではなかった。
「記憶が……戻ってしまったのか……」
自分の長い金色の髪を指で弄びながら、はぁ、とため息をつく。
きっと、脚を失くしたショックが引き金になったのだろう。
なんという不運か。
私は壁に背中を預けながら、これからのことを考えた。
私のベッド脇に車椅子はない。
レレツィエッカの記憶にもそれに似た器具が無いし、おそらくこの世界に車椅子は無いのだろう。
……とすると、目下の目標は移動手段か。
移動して、どこに行くというんだ?
いや、しなければならない事だけは事実なのだ。
なぜならレレツィエッカは、年が開ければ12歳になる。
孤児院の子供たちは12歳になれば強制的に独り立ちさせられるか、あるいはそれまでに誰かに貰われてここを去る。
しかし貰い手もなく自力で移動もできないとなると、この貧乏孤児院は私をどうするかわかったものではない。
一応、教会は博愛と慈悲を謳ってはいるが、みんな現世に希望を持たず、来世に救いを求めているが故に、現世のことについては本当に無頓着だ。
街で暮らしていた頃はそこら中に死体が落ちていたし、クソも路上に垂れ流しだった。
衛生的に安全とは言い難いこの環境で、両脚を無くした孤児が生きていく術なんてものはないのである。
せっかくの2度目の命だ。
できることなら無駄に終わらせたくはない。
幸い、魔術の基本的な知識は頭にある。
ならばこれをベースに、自分で移動できる手段を確立するほかあるまい。
私はそう意を決すると、とりあえず今できることを全て把握しようと、記憶の解析に勤しむのだった。
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