第8話


 また、告白された。

 もう、数えてすらいない。

 

 ただ。

 今度は、相手の眼を、見られる。

 

 少し、気持ちが、わかる。

 告白できる言葉が集まるのを待っているときの、

 もどかしい辛さが、わかる。

 

 「……九重さんのこと、好き、だ。

  一目、見た時から。」

 

 わかるよ。

 すっごく、わかる。

 声、震えちゃうよね。

 

 「……お伝え頂き、ありがとうございます。

  本当に、申し訳ありませんが。」

 

 「……いや。

  あり、がとう。」

 

 断るのが、胸に来る。

 サッカー部のクズどもと違って。

 ごめんなさい、こんな中身でほんとうにごめんなさい。

 

 「……誰か、好きな奴、いるの?」

 

 誰か。

 好きな、やつ。

 

 いる。

 はっきりと。

 

 「……申し訳ありません。」

 

 言えない。

 絶対に、迷惑がかかる。

 

 「……ごめん。困らせた。」

 

 「いえ。」


 ごめんなさい。

 気持ちに応じられなくて、本当に。


 「ありがとう、九重さん。

  ほんとに。」

 

 先輩に。

 こんな風に、断られたら、

 わたしは。

 

*


 神がいない月の、晴れた空。

 

 いた。


 くすんだ、崩れかけた、

 赤の原色が剥げかけたベンチで。

 

 「あー、

  きょうも、おひとりなんですねー?」

 

 もう、このキャラクターでしか、話しかけられない。

 

 「こんなさっわやかな日なのに、

  先輩のまわりだけ、くっらいですねー?」

 

 不自然で、棘があって、素直じゃない、

 想いを、伝えられない、歪なキャラクターでしか。

 

 「あはは。

  かわらないね、九重さんは。」

 

 変わりたい。

 変われない。

 

 変わったら、変態になる。

 穢れたわたしを、見せてしまう。

 

 「そりゃー、かわりませんよ?

  せんぱいだって、なにも」

 

 変態なことを、考えていたから。

 

 足元を、みてなくて。

 

 「うぁっ!?」

 

 小石に、揺らがされて、

 床の壊れたタイルに、足を、取られて、

 転がりそうになって、


 壁が、目の

 

 

 「っ、と。」

 

 

 先輩に。

 抱きかかえられて。

 

 「大丈夫? 九重さん。」

 

 近くて。

 息が、かかって。

 先輩の、匂いがして。

 先輩の体温に、包まれてしまって。

 

 黒い瞳が、

 吸い込まれそうになるくらい、綺麗で。


 どう、して。

 

 「!」

 

 やばい。

 また。

 

 「だ、だいじょうぶですから、

  はなしてくださいよー。」

 

 いやだ。

 離れたく、ない。

 ここまま、どこかへ。

 

 「あ、あぁ。

  ごめんね?」

 

 「そーですよー。」

 

 濡れ、てる。

 すっかり、濡れちゃってる。


 身体の内側が、燃えるように熱くて。

 心臓が、ドラムロールを打ち続けて。

 

 「デリカシーないんだからー。」


 キャラで取り繕うのが、精一杯で。

 剥がれそうで。

 

 「そんなだから、

  童貞って言われるんですよーもー。」

 

 お礼すらも、言えなくて。


 近づけなくて。

 近づいたら、内臓がぜんぶ、破裂しそうで。


*

 

 だめだ。

 

 (「大丈夫? 九重さん。」)

 

 あんなの、すぐ、わかる。

 

 大学、入っちゃったら、

 絶対に、目を、つけられる。

 

 先輩の顔が、好きだったわけじゃない。

 でも、先輩の顔から入られてしまったら、

 なにもかもが、奪われる。

 

 先に目をつけたのは、わたしなのに。

 

 どうしよう。

 どうしたら。

 

 あ。

 

 そう、だ。

 その手が、ある。


*


 「清美ちゃん、お願いっ!」

 

 自分勝手だと、わかっていた。

 ひとりよがりだと、わかっていた。

 これ以上ない迷惑だと、わかっていた。

 

 でも。

 わたしには、こうするしか。

 

 「ど、どうした?」

 

 「せんぱいと、

  一緒のトコに、行って欲しいのっ!」

 

 清美ちゃん。

 清美ちゃんなら、悪い虫がついても、払える。

 払ってくれる。


 「せんぱいって、沢渡か。」

 

 「う、うんっ。」

 

 「……そこまで、か。」

 

 ぇ。

 そこまで、って。

 

 「……どこだ?」

 

 どこって。

 

 「だ、大学?」


 「そうだ。」


 わたしは、あわてて、先輩の進学先を告げた。

 

 「……らしいな。」

 

 ぇ。

 

 「いや、なんでもない。

  わかった。」

 

 清美ちゃんが、笑顔で、頷いてくれた。

 頼もしい。ありがたい。嬉しい。


 わたしは、腰が抜けるほどほっとした。

 これで、安心だ。


 「そういえば、だが。」

 

 「?」

 

 「遥はどうするんだ?」

 

 わたし。

 わたしの、進学先。

 

 ……

 学力差が、ある。

 偏差値でいえば、10くらい。

 

 差が、離れすぎていて。


 先輩は、もちろん、合わせてなんてくれない。

 いまの成績で上京して、女子大に入ることはできたとしても、

 その隣には、同大の女子がいて。

 先輩に、委ねるように笑っていて。


 だめ、だ。

 

 隣に、いたい。

 ずっと。

 ぜったいに。

 

 「……おい、遥?」

 

 

 「清美ちゃん、

  勉強、教えて。」

 

 

 清美ちゃんは、ちょっと驚くと、

 縁の細い眼鏡に手をかけながら、

 呆れたように笑った。

 

 「私が何度言ってもやらなかったのにな。

  恋は盲目、か。」

 

 恥ずかしさで、顔が真っ赤になった。


*


 「えへへ、実はですねぇー。」

 

 言うんだ。

 言っておいたほうが、

 わたしの、力になるから。

 

 「ん?」

 

 「こないだ、言い忘れたんですけれどぉ、

  わたし、じつは、せんぱいとぉ、

  同じ志望先なんですよねー。」

 

 志望することだけは、自由だから。

 

 「あ、そうなんだ。

  結構、できるんだね。

  ほんと、才色兼備だね。」

 

 してない。

 するのは、これからで。


 「せんぱいはー、

  わたしが同じ大学に入ったら、嬉しいですかぁー?」

 

 言って、しまって。

 断られたら

 

 「あぁ、うん。」

 

 ぇ。

 ど、どういう、意味。

 

 「知らない人じゃないから。

  それに、綺麗な人だし。」

 

 綺麗な人って、

 言われるだけじゃ、もう。

 

 「あー、ひっどいなー、

  わたしの価値、顔だけですかぁー?」

  

 「そういうわけじゃないけど。

  話してて、楽しいし。」

 

 ぇ。

 そう、思ってて、くれたなんて。

 

 「でっしょー?

  お金取りたいくらいですよー。」

 

 キャラクターの声も、弾んでしまって。


 「あはは。

  そうかもしれないね。」


 先輩の前髪に隠れた笑顔が、

 眩しくて、嬉しくて。

 

 「わたしが入った時にはぁ、

  先輩にいっぱいおごってもらいましょー。」


 想像上の、大学生活。

 この街のことを、すべて忘れて、

 先輩と、こんなふうに、二人だけで。

 

 「その時はね。

  僕がまず、受からないと。」


*


 先輩は、A判定。

 どう考えても、落ちるわけがない。


 Aと、Dの段差は、深すぎて。

 わたしは、これを、越えなければならなくて。


 「特に、一年が酷いな。

  積み上げる科目は全滅だぞ。」

 

 数学は数Ⅰからやり直す羽目になり。

 英語は基本問題集から何度も解きなおし。

 

 清美ちゃんは、スパルタで。

 

 「勉強なんて一回で覚えられるわけない。

  効率よく覚える方法を身に着けないとな。」

  

 わかるまで、覚えるまで、

 何度も、何十度も、叩き込まれて。

 

 「やり方さえ覚えてしまえば楽なんだが、

  遥はサボってきたからな。」

 

 図星で。

 わたしの人生は、やりすごすことばかりで。

 

 「行くんだろ?

  沢渡と同じ大学に。」

 

 「うん。」

 

 「……これは本気か。」

 

 「そうだよ。」

 

 「参ったな。

  頼むから、高校で告白はしてくれるなよ?」

 

 わかってる。

 迷惑になることくらいは。


*


 卒業式の日。

 

 「遥ちゃん、俺のボタン、欲しいだろ?」

 

 こういう勘違いがあっても。

 

 「馬鹿かお前。

  勘違いも甚だしい。

  いや、勘違いする資格すらないだろうが。」


 「!」

 

 「教師も父兄も見ているが、いいのか。」

 

 「!?」


 清美ちゃんが、護ってくれて。

 卒業生なのに。

 

 「ありがとう、清美ちゃん。

  卒業、おめでとう。」

 

 なにか、ついでのようになってしまって。

 

 「あぁ。

  こんなものは、ただの儀式だ。」

 

 あっさりとしてる。

 あはは、清美ちゃんらしいな。

 

 「……行かなくて、本当にいいのか。」

 

 「うん。」

 

 行きたい。話したい。声を聴きたい。

 でも、迷惑が、掛かってしまう。

 

 穢れているわたしに。

 感じてしまうわたしが。

 

 「来年が、あるから。」

 

 大学生になったら。

 この街を、離れられたら。

 わたしが、変われる、気がして。

 

 「……そうか。

  じゃあ、帰るか。」

 

 自分の卒業式なのに、

 清美ちゃんは、本当にあっさりで。

 

 「……うん。」


*


 三月の屋上は、閑散としていて。

 鈍色にくすむ空が、寒々しくて。

 

 もちろん。

 先輩は、いなくて。

 

 「……。」

 

 くすんだ、崩れかけた、

 赤だったことを忘れ去られたベンチは、

 鈍色の空に、回収されてしまいそうで。 


 言え、なかった。

 伝えられ、なかった。

 

 先輩を、縛れなかった。

 なにひとつ。


 空の色は、わたしの心と、同じで。

 寒空から吹き付ける風が、わたしの心の穴に、

 絶対零度を吹きかけていって。

 

 せめて、お別れを。

 

 いや、

 お別れを、したく、なかったから。

 

 お別れをしてしまえば、

 認めてしまいそうになったから。

 

 「……。」

 

 全身が破裂しそうな気持ちを。


 先輩を、

 ただ、想っているだけで、

 

 「……

  ……あ……」

 

 そ、っか。

 

 わたし、いま、哀しいんだ。

 泣きたいんだ。叫びたいんだ。

 

 どうしようもなく、寂しいんだ。

 あのベンチに、座って、

 お弁当を食べながら、笑っている人が、

 もう、わたしの視界に、いないことが。

 

 終わった世界の色に、

 わたしの心が、塗りつぶされていく。


 (「行くんだろ?

   沢渡と同じ大学に。」)


 わたしは、涙を拭いた。

 そして、歯を食いしばって、笑った。


 絶対に、取り戻すんだ。

 先輩を。

 青い空の日々を。

 

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