第3話


 翌日。

 

 孝文が、いつもの無頓着な顔と、いつもの乱雑な髪で、

 整理整頓とは程遠いボラサーの部室に入って来た。


 「おめでとう。」


 私はただ、そう言ってやるためだけに、ここに来た。

 孝文のはにかんだ笑顔を見届けて、ボラサーを辞めるつもりで。

 

 「ん、なにが?」

 

 なにが、とは。

 

 「遥ちゃんが、君の家にいったじゃない。」

 

 「遥ちゃん?」

 

 私の神経が、大混戦している。

 ニューロンとシナプスの混乱を取り鎮め、

 唯一手近にあった無表情を貼り付けた。

 

 「九重遥ちゃん、だよ。

  君、昨日、遥ちゃんと抱き合っていたよね。」

 

 「え。

  あ、あー。

  九重さん、下の名前、知らなかった。」

  

 ……遥ちゃん。

 二年弱かけたのにそんな程度だったのか……。

 

 「九重さんはね、昔からあんな感じで、

  からかってくるの。」

 

 「から、かう?」

 

 なにを、言ってるの。

 

 「うん。

  凄く綺麗な子でしょ?」

  

 「う、うん。」


 街一番、絶世の美少女。

 客観的な、紛いようがないただの真実なのに、

 孝文の口から出るだけで、打ちのめされる。

 

 「なのに、昔からからかってくるの。」

 

 それは、君のことが、好きだからで。

 

 「よくわかんないけど、絶対、彼氏いるよね。」

 

 彼氏。

 彼氏、いる。

 

 「……いない、と思うよ。」

 

 どうして、断定を躊躇ってしまったのか。

 

 「え?」

 

 「い、一応言っておくけど、

  私、遥ちゃん、子どもの頃から知ってる。」

 

 「あ、そうなんだ。

  幼馴染ってこと?」

 

 「そ、そうだよ。」

 

 「そうなんだ。へー。

  それは二人並ぶと、目立ったろうね。」

  

 どういう意味なのか。

 どういう意味で言っているのか。

  

 「え。

  でも、モテモテだったでしょ。」

 

 「そうだね。」

 

 それは、まったくその通り。

 ただ、モテモテだったというのと、

 長く続いた彼氏がいるというのは、別次元の話であり。

 

 そもそも。

 

 「君…。」

 

 言うべきだ。

 遥ちゃんは、孝文のことを好きだと。

 孝文に逢うためだけに、想いを告げるためだけに、

 偏差値10の差を越えて、同じ大学に入ったんだと。

 

 いや。

 私が勝手に言って、いいのか。

 私が言ったところで、信じるだろうか。

 

 違う。

 私が、私が躊躇ってしまっている理由は。

 

 「ど、どうしたの?」

 

 言え。

 言うんだ。

 

 「……なんでもない。

  気にしないで。」


 口が、乾ききってしまって。

 言い訳だ。ただの言い訳。

 喉の裏側が痒い。手を突っ込んで爪でガリガリしたくなる。


 「そ、そう?

  あ、こんどの震災ボランティア、泊まりだよね?」

  

 「と、泊ま、り?」

 

 しら、ない。

 

 「あれ? 聞いてなかったの?

  喜瀬さんボラサーのリーダーがそんなこと言ってたと思うけど。

  あ、でも、三上さん、彼氏いるから。」

 

 

 「いないよ。」

 

 

 すっと。

 すっと、出て、しまった。

 

 「え?」

 

 「わ、別れた。」

 

 私の詰まらないイマジナリー彼氏が、

 一瞬で、跡形もなく弾け飛んだ。

 

 「そ、そうなんだ。」

 

 「あ、あぁ。

  だから、いま、フリーだよ。」

 

 なにを。

 なにを、言ってしまっているのか。

 

 「そ、そう。

  ほんとごめんね。無神経で。」

 

 ほんとにごめんなさい。

 嘘吐きで。態度悪くて。素直じゃなくて。

 

 「でも、

  三上さんなら、すぐできるよ。

  うん。」

 

 できない。

 

 彼氏いない歴、絶賛十九年だ。

 昨日、振り切ったはずの片想いなら、目の前に転がっている。


 振り切りなおす、べきだと。

 それが、正しいと。

 

 身体中の力を、振り絞って。


 「……君、遥ちゃん、どう思ってる?」

 

 「どう?」

 

 「れ、恋愛感情、持たないの?」


 「え?

  ……考えたこともない。」

 

 な

 

 「なんで。」

 

 「なんでって……彼氏いるでしょ?

  仮にいなかったとしても、

  三上さんと同じで、すぐできるよね。

  ストーカーとか痴漢だとか思われたら大変だよ。」


 

 「できない。」


 

 「え?」

 

 「な、な、なんでもないっ!」

 

 「そ、そうなの?」

 

 顔の中の血管が、かぁっと音をたてた気がした。

 動悸が煩い。止められない。どうしてくれるんだ。

 

 「あー、君ら、いたか。」

 

 !

 リーダーの、喜瀬、さん。

 今日、辞めることを告げようと思っていた人。

 

 「三上さん、分かってると思うけど、

  来週から、震災ボランティアで泊まりだから。

  幹部は全員参加だから。」

 

 「は、はい。」

 

 聞いてない。知らない。記憶がない。

 一月からの記憶が頭の中から消え失せている。

 

 「あとは希望者だけど、

  沢渡君は参加してくれるよね?」

 

 「あ、そうですね。

  三上さんが行かれるなら。」

 

 !

 なんでそんなこと言うんだっ!

 

 「あはは、君達、つきあってないんだっけ。」

 

 「はい」

 「!」

 

 い、いえっってなんだっ!?

 ちがう、違うって、言い切らないと

 言い切ったら終わりだけどっ!!

 

 「? まぁいいや。

  まずは一年の希望者の確認、よろしくねー。」


 ばたん。


 ど、

 どう、しよう……。

 なにも、なんにも、わかってない……っ。

 

 「さ、沢渡。」

 

 「な、なに??」

 

 「君、震災ボランティアのこと、

  ちゃんと記録取ってるか?」

 

 「あ、うん。

  三上さんに、後で言われると思って。」

 

 たす、かった……。

 

 ……って。

 や、辞めどきを喪っちゃったじゃないかっ!!


 

 絶世の美少女と、その幼馴染と、僕

 孝文・清美編

 了

 (遥編へ続く)

 

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