第2話
……はぁ。
長かった。
ミッション、達成、だ。
これで、いい、んだ。
これで。
*
「清美ちゃん、お願いっ!!」
九重遥。
高校内で、いや、市内で。
知らぬ人とてない、絶世の美少女。
私の、大切な幼馴染。
子どもの頃から、
遥ちゃんは、まぁ、モテた。
ぱっちりした目、二重瞼、長い睫毛、
もちもちした肌に、庇護欲を誘う仕草。
モテにモテすぎたので、
子どもの頃はよく虐められた。
それを護るのが、私の役割だった。
中学でも、遥ちゃんはモテた。
モテにモテすぎて、他の女の彼氏を獲ったと勝手に難癖をつけられて、
女子からも虐められ、孤立した。
そこからも護るのが、私の役割だった。
高校でも、遥ちゃんはモテた。
余りある恋愛脳イベントにさすがにうんざりしてきた頃、
遥ちゃんが、上気したように言って来た。
沢渡隆文。
わざわざ旧校舎の屋上でご飯を食べているだけの、
一見、冴えない帰宅部男子。
遥ちゃんは、どういうわけだか、
沢渡のことが、好きになってしまったらしい。
経緯を聞いても、口ごもって、顔を赤くするばかりで、
まったく、要領を得ない。
私は、親よりも深い関係と思っている遥ちゃんが、
私に隠し事をするようになったという事実に、
ちょっと、打ちのめされた。
と同時に、本能的に嫌な予感がした。
沢渡の容姿は、どうみても、釣り合わない。
もし、兆が一にでも、付き合う、なんてことになったら、
沢渡は、冗談でなく、殺されるだろう。
私の心配は、当座、杞憂に終わった。
人に告白をされまくっている遥ちゃんは、
自分の恋愛となると、呆れるほど奥手だった。
心にもないことを言ってしまった後で、
ベットの上でゴロゴロしている遥ちゃんは可愛かった。
遥ちゃんの話を聞く限りでは、沢渡も、
恋愛感情を持たれていることなど、まったく気づいていようだった。
だからこそ、遥ちゃんと、ごく普通に話せたのだろう。
遥ちゃんが、沢渡の進学先をどうにか聞きだした時だった。
「清美ちゃん、お願いっ!!」
深刻な顔をした遥ちゃんが、
私を、文字通り、拝んだ。
「一緒のトコにいってほしいのっ!」
沢渡を、見ていて欲しいと。
悪い虫がつくのを、取り払って欲しいと。
私が、沢渡に、
恋愛感情を持つことなどないと、
確信しているようだった。
それは、正しかった。
私は、18年間の人生で、
男性に対する恋愛感情を持ったことはなかった。
男性は幼稚で、暴力的で、独りよがりで、無責任で、無様で、無能だ。
うんざりするような恋愛脳事件を捌いていくたびに、
私の確信は、より強くなった。
沢渡のことも、遥ちゃんのフィルターを通してみなければ、
ただの凡百の蒙昧な男性の一人に過ぎない。
本当にたまたま、進学先は一緒だった。
遥ちゃんの純粋な想いを、叶えてあげたい。
このときは、まだ、それだけの、単純な気持ちだった。
私こそが、恋愛に対して、まったくの無知であったとも知らずに。
*
沢渡隆文は、要領の悪い男だった。
サークル内で一番めんどくさい仕事を勝手に押し付けられ、
それを淡々とこなして仕上げたのに、他人に業績を横取りされる。
なのに、怒りもしない。
こんなことでは、社会に出てやっていけるわけがない。
「あーもう。」
沢渡から作業を取り上げ、
遊んでる役立たずな男子共を脅しつけて作業を割り振り、
必要な作業のみを、適切に、効率的に終わらせた。
「君はトロいのよ。
もっと効率的にやんなさいよ。」
ちょっと強く言い過ぎた。
でも、いままで見て来たものが、積もり積もっただけだ。
翌日。
作業成果を見て、驚いた。
私がやったものよりも、ずっと丁寧で、
ずっと正確に、子どもから見やすく仕上がっている。
それなのに。
「ありがとう、助かったよ。」
本気で、感謝をしている。
たぶん、私の作業部分を、一から全部やりなおしたろうに。
「当然よ。」
私の顔が、朱に染まった。
この日から、沢渡隆文を、ほっておけなくなった。
*
沢渡の講義ノートは正確で、字も綺麗で、
枠組みがしっかり見えて、流れがわかりやすい。
福祉施設の未就学児童への学習支援ボランディアでも、
沢渡は、抜群の成果を挙げていた。
それなのに。
「ぜんぶ、三上さんがやってくれたおかげです。
本当に助かってます。」
どうして、この男は。
他の奴なら、バイト先の連中なら、
絶対に俺が、俺だと言うだろうに。
沢渡のせいで、私は、一年生のリーダー的な役割に押し上げられてしまった。
学資の都合でバイトを週4で入れている身としては
本当にいい迷惑なのだが、やらないわけにもいかなくなった。
腹いせに沢渡をこき使うと、他の男の五倍以上の成果を挙げてくる。
そんな時、だった。
「沢渡君さ、ちょっと髪型替えて見ない?」
「あー、あたしも思ったそれ。
ちょっとオデコ出すだけでだいぶん変わるよー。」
ヤバい。
気づかれてる。
(「清美ちゃん、お願いっ!!」)
ミッションが、終わってしまう。
「沢渡を弄ばないでくれる?
似合うわけないでしょ?
変に舞い上がって火傷したらどうすんの?」
しまった、と思った。
口をついて出た言葉が、
私の想いよりも、ずっと強かった。
変に舞い上がって他の女性にいってしまったら、
沢渡と遥ちゃんとの縁が、切れてしまう。
そういう意味だと、伝えられっこなかった。
「勘違いしないで。
君のためだから。」
わかれ。わかってくれ。
本当にそうなんだから。
こんな適当な女どもに捕まるより、
遥ちゃんのほうが、よっぽどいいんだから。
わかってくれっこないことが、分かってしまった。
沢渡は、目に見えて落ち込んだ。
でも、これ以上、かけられる言葉が見つからなかった。
「それより沢渡、
町内会のお祭りの手伝いのスケジュール、
ちゃんとできてんの?」
口をついて出た言葉の冷たさに、我ながら嫌になった。
私は、ここまで不器用な人間だったのか。
遥ちゃんを虐めていたガキどもと、何が違うのか。
*
講堂でも、学食でも、ボラサーでも。
私はいつも、沢渡と一緒にいた。
もちろん、遥ちゃんのため、監視のためだ。
そのためだった。
幸い、ボラサーの連中は、
私と沢渡のことを、女王と従者Aと呼んでいた。
不本意きわまりなかったが、これなら、勘違いされようがない。
私は、架空の彼氏を、脳内だけで作った。
他大の上級生。テニス部に入っていて、顔が良くて、背が高い。
ボラサーの女子が話していた内容と、
昭和の少女漫画を翻案したような歯が浮くだけの女性誌の体験談、
ネット上の知恵袋の恋愛相談を、
ごちゃごちゃに混ぜ合わせ、繋ぎ合わせただけの、
私にとって、なにひとつ魅力を感じない彼氏像。
愕然とした。
想像力の貧困さに。自分の恋愛経験の無さに。
「私、彼氏いるから。」
そう言い切らないと。
気持ちが、出てしまいそうになって。
「う、うん
知ってるけど。」
戸惑いながら、ごく自然に、
私のために席を引いてくれる沢渡が。
「君は大学時代に彼女を作ろうとか思わないでね。
無理だから。」
無理じゃないから。
あっという間に作れてしまうから。
そうしたら、遥ちゃんとの縁は切れてしまうから。
「大丈夫だよ。
会社に勤めたら、君みたいな人が重宝されるから。
お見合いとか、相当イケる。顔勝負じゃないから。」
仕事もできて顔も整えば申し分ないから。
そうしたら、遥ちゃんですら、
つなぎとめられるか分からないから。
沢渡の彼女は、遥ちゃんでいて欲しかったから。
ぽっと出の変な女に、
私が認められない女に、捕まって欲しくなかったから。
素直じゃない。
絶対的に、素直じゃない。
素直になんか、なるべきじゃない。
絶対に。
*
私ができることは、邪道を伝授することだけ。
要領の悪すぎる孝文に、ボラサーや他のサークルで流れてくる、
一番楽な道をリツイートするくらいで。
「ありがとう、考えもしなかった。」
そうだろう。孝文は、考えもしないだろう。
真っすぐに、正直に生きている、
黙々と積み上げて真の困難を乗り越えられる孝文には。
子どもは素直なもので、
特に女の子が、孝文の元へと、わらわらと集まってくる。
髪に隠れた笑顔が、眩しい。
どうしてか分からないけど、涙が、出そうになる。
「三上さんの彼氏って、どんな人なの?」
君だよ。
君なんだよ。
君が、欲しいんだよ。
「君に言う必要、ある?」
ねぇ。気づいて。
唇が、震えてるの、気づいてよ。
おねがい、だから。
*
「あった……っ!!」
ああ。
「…おめでとう、遥ちゃん。」
泣きながら抱き着いてくる制服姿の遥ちゃんは、
本当に儚くて、可愛くて。
だめだ。
私じゃ、だめだ。
もともと、この道は、遥ちゃんのためだから。
孝文に先に目をつけていたのは、遥ちゃんなんだから。
私が、先に、好きだったわけじゃない。
私は、ただの、先触れだから。
「ありがとう……。
ありがとう、清美ちゃん……っ!!」
だめだ。
かわ、いい。
女の私から見ても、遥ちゃんは、十分過ぎるほど可愛い。
たぶん、沢渡は、五秒で堕ちる。
どうせ童貞だろうし。
*
「……やっと、やっと、
やっとやっとやっとっ!」
……はぁ。
長かった。
世界中の男が堕ちるコーデを決めきった遥ちゃんに抱き着かれた孝文が、
顔を真っ赤にして、戸惑っている。
ミッション、達成、だ。
これで、いい、んだ。
これで。
これ以上、見て居られるわけがない。
私は、電柱からそっと離れ、
駅に向かうべく、鈍色の寒空の下に足を進めた。
二月の寒風が、私の薄いマフラーを突き刺していく。
足が、前に、進まない。
動けない。
動かないと、いけないのに。
腰から、下が、痺れたように、
へたり込んでしまいそうになる。
私は、歯を食いしばって、笑った。
私は、この場から、離れるべき人間だったから。
もう来ることのない駅のホームに立った時。
水蒸気の冷えた結晶が、次々と、空から、降りてくる。
私の心を、空が、伝えてくれたみたいで。
そっ、か。
私は、ずっと、こうしたかったんだ。
何万人が座ったか分からない寂れた小さなベンチで、
私は、腕を包めて、ただ、泣き続けた。
鈍色の雪が、私の嗚咽を、
少しだけ隠してくれているようだった。
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