始まりの季節 ~前夜4~

 後数分で日付が変わりそうだ。

「もうすぐ帰った方が良い。日付が変わる」

 言うと、なずなは「え~」と露骨に嫌な顔をしてきた。


「まだ全然喋ってないじゃん!!」

「明日朝から晩まで一緒に居るんだからそこで話せば良いだろ」

「嫌だ!今日しか話せない事とかあるかも知れないでしょ?」


 なずなは帰らないという意思表示のつもりかベッドに寝そべると俺が普段使っているかぶり布団をぎゅっと抱きしめていた。

 あまりキレイなものでは無いので触れて欲しくないのだが。まあ良い。


「ダメだ。今週末にはMV撮影がある。恐らくその日は日が昇る前には起きなければならない。そのためにも生活習慣を朝方にしておかないとダメだろ?」

「ぶー、大輝の社畜やろう」


 ふて腐れながら顔の下半分を布団で隠していた。

 あざと可愛いのは良いのだが言われた言葉が癪に障った。


「俺は星川の社員じゃ無いし社畜っぽい事はしてない!」

 久しぶりに俺の眉が寄っている気がする。


「十分社畜よ!明日学校でステージに上がる人がその数日後の仕事のスケジュールを気にしてるんだもの。そんな高校生日本中探してもあんたしかいないでしょ」

「確かにな。でも、お前みたいな高校生の内からアイドルやっている奴の方がもっと少ないわ」

「社員の方が少ないわよ。少なくとも内の事務所ではそうでしょ?」

「ぐっ、確かにそうだが……」


 マズい、このままでは口げんかに負けてしまいそうだ。

 こうなったら奥の手を使うか。


「言うことを聞かないのならば、明日のレッスンに町内マラソンを追加する」

 それを聞いたなずなは一瞬固まった。


「な、なんで?」

 固まったかと思えば焦った表情をして体を起こし、抗議の視線を俺に向けていた。

「俺を社畜呼ばわりしたからだ」

「それだけで?なんて横暴な!!!」


 よし、形勢が逆転してきた。このまま行けばなずなを帰すことが出来る。

「何とでも言え!後3分で帰り支度を済ませないと本当にメニューに加えるからな」


 わざとらしく睨み付けてやる。するとなずなは素早く体を動かし、帰る準備を始めた。あまりにも早すぎて天空の城に向かう前の少年を思い浮かべてしまったぐらいだ。


 俺も外に出るために脱ぎ捨ててあった黒のスウェットを着た。

 なずなは床に散らばっていた靴を手に取り手提げに放り投げる。

 同じくグレーのパーカーを羽織ると扉の前に立つ俺の元にやってきた。


「ギリギリ3分だな。よし帰ろう」

 言うと俺は部屋の扉を開けた。

 廊下に出ると後ろからなずなが着いてきた。

「ランニングは無しで良いよね?」

 恐る恐る聞いてきた。


「大丈夫。明日は無しだ」

「明日はって別日にあるって事?」

「勿論。体力が無いとライブで最後まで踊れないぞ!特に君はソロアイドルなんだから出ずっぱりでしょ?」

「確かにそうだけど…...」


 それでも凄い嫌な顔をしてしまう。運動が嫌いななずならしい反応である。

 だが、こんな奴でもライブが近くなると体力トレーニングは自ら行うのだ。

 驚くべき事だと思う。それだけアイドルが大切だと言っているのだ。


 俺にはそこまで熱中するものがあるのだろうか?


 なずなの愚痴を聞きながら内心でそんなことを思っていると俺達は家の玄関扉を開けて外に出ていた。

「寒いな」

 外は冬のように寒かった。4月になったとは言え、暖かいのは昼間だけのようだ。


 この格好では凍えてしまうのでなずなをさっさと家に送り返そう。

 この考えはなずなも同じようで、肩を両手でさすりながら早足で俺んちの隣にある常葉家へと向かった。


 時間にして約5秒。歩数にして約10歩といったところになずなの家はある。

 これが俺達が幼馴染みと言える証拠だ。

 そう思っている間に常葉家の玄関までに到着した。

 到着してすぐなずなは扉を開け、扉に隠れるようにして暖を取っていた。そして、顔だけをひょこっと扉から出し、俺と向き合った。


 その仕草が可愛すぎた。可愛すぎて俺の顔が熱くなった気がする。

 そんな俺の気も知らずになずなは話を切り出した。


「ねえ、今度さ駅の隣に出来たショッピングモールに行こうよ。なんかお洒落なカフェとか出来たらしくて1回言ってみたかったんだよね~」


「別に良いが。その時は変装をする事」

「うぅ、分かってるよ~けど私はあまり変装が好きじゃない!」

「仕方ないだろ。お前は一応人気アイドルなんだから」

「別に、私自身が人気と言ったわけじゃ無いし。自分の都合じゃ無いのに変装なんてしたくない」


 かたくなに自分の意見を曲げないなずな。これも彼女の良い所だ。

「なら、変装はしなくてもいいから、せめて制服では行かないからな。制服で学校がバレて学校の皆に迷惑は掛けたくないからな」


 アイドルのマネージャーとしてこれが譲歩できるギリギリだ。

 なずなの言い分はもっともだし、なずな自身は別に町で声を掛けられても平気なのでストレスにも感じないはず。


「分かった」

 そう返事するとなずなはまたフフと微笑んだ。

「これで大輝とのデートの約束が2つになったね」


 ニッコリと優しい笑顔が俺の視線と交差する。これがまた可愛すぎて困る。正直直視出来ない。しかし、視線を逸らして不機嫌になって欲しくも無いのでその場で固まるしか無い。


 こんなに可愛い女の子にこう言って貰えるのは嬉しいが幼馴染みであることとアイドルとマネージャーという関係が俺の感情を邪魔しているのだ。

 こういうときに俺は必ず思うのが「なんでなずなはアイドルになったんだ」だ。


 もしなずながアイドルじゃなければこのようなシチュで俺も喜んで微笑み返したいし、声から一緒に行くであろう2つのデートも楽しく参加出来るだろう。だが、恐らく今の俺では純粋に楽しむことは出来ないだろう。マネージャーとしてなずなと一般人のスキンシップの線引きをしないといけないし、万が一なずなが危ない目に遭った場合俺が助けなくてはいけない。せっかくデートと言ってくれているが俺は周りを気にしすぎている可能性が高いのだ。


 そんなこんなで何も出来ないでなずなを見つめているとなずなは首を傾げて「ん?」と俺に何か言って欲しそうにしていた。


 こういうとき、何を話せば良いのだろう。デート楽しみにしてるよと返せば良いのか?それとも全く違う話題をすれば良いのか?それとも、もう遅いから俺は帰るわといって別れるのが正解なのか?


 短い時間で絞り出した答えはこれだった。

「そ、そうだな。俺も楽しみにしてるよ」

 こう答えた俺は露骨にスマホを取り出し画面を見た。

「も、もう夜も遅いしまた明日な」

 俺が出した答えは冷たく聞こえないように別れを切り出すだった。


 こうした理由はもし、俺がこの後話題を変えて話をしてしまったら、このままずっと喋り続けてしまうのでは無いかと思ったから。


 折角適当にごまかしてここまでなずなを連れてきたのにここで話を延ばすのも違うと思うし、なずなの両親に迷惑だ。ついでにご近所さんにも。


 別れを告げ、一歩下がろうとした。

 しかし、なずなが俺のスウェットの裾を掴んでいたせいで下がることが出来なかった。

「まだ、話しようよ……」

 さっき部屋で見せたただコネとは違う本当に寂しそうな声色と表情をしている。

 そんな顔されてしまったら帰るに帰れない。


「明日また会えるだろ?」

 だが、俺は敢えて心を鬼にしてスウェットの裾を掴む手を俺の手で掴み、そっとなずなの脇に戻した。


「そうだけど……寂しいんだもん」

 遂には顔を俯かせてしまった。そりゃ、俺だって帰りたくない。だが帰らなくてはいけない。


 だったらと思い立った俺はなずながこれ以上寂しくならないように優しくなずなの頭の上に手を置いた。

 そして、ゆっくりと頭を撫でる。


「別にこれから俺が死ぬわけじゃないんだ。また明日も一緒に居れば良いだろ?」


 頭を撫でてあげながらそう言ってやると顔を上げたなずながムスッと口をとがらせながら頬を赤くしていた。


「また、私を妹扱いするんだから……」


 そう言われて俺が自然になずなの目線の高さまで膝を折っているのが分かった。

 俺と彼女の身長差は約20cmもあるので目線を合わせるには俺がかがむかなずなが背伸びをするしか無い。


 こういう場合は大抵俺が高さを合わせるためホントに本能的にこうなってしまった。

 それがなずなには好ましくなかったようだ。


「別に妹扱いなってしてないんだけどな」

「露骨に優しくするところがお兄ちゃんぽい」

 人差し指の先っちょをちょんちょんと合わせながらブツブツ呟いている。


 なずなのそう言った仕草の方がよっぽど妹らしいのだがそれはいかがなものか?

「そうか、なら止める。今度こそじゃあな」

「あっ……」


 なんやかんや話が延びていたのでここ出来るしかないと半ば強引に話を断ち切った。

 なずなは赤く頬を染めながら心細そうに俺の方に手を伸ばしていた。

  そうしている間にも俺は目の前を走る住宅街のメインストリートに出ていた。


「じゃ」


 俺はそう言うと手をなずなに振り、足早に自分の家に帰った。

 俺の家の玄関までやって来ると玄関扉を開いて手を振っているなずなが居た。

 それに小さく手を振ると扉を閉めた。


***


 1人部屋に戻ってくると先ほどまでの賑やかさの欠片も無いほど静かな部屋が俺を出迎えた。


 俺は部屋に入るとすぐにベッドにうつ伏せの状態でダイブした。

 この時考えていたのはなずなの寂しそうな顔だった。あんな顔をされてしまったら誰でもずっと残っていたくなってしまう。


 けれど俺達は幼馴染みという小さい頃からお互いを知っている友達でしか無い。

 ならば、必ずその日には別れがやって来るわけであの状況であれば俺が家に帰るのは必然的な行動な訳だ。

 だから仕方なくやっただけ。


 それだけなのだ。


「くそ、諦めたいのにあきらめきれなくなるじゃねーか」


 誰もいない部屋で誰にも聞かれるはずがないのに小さな声でつぶやいた。


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