第13話 孤立した街

 宿屋から離れると、周囲の喧騒が一際大きくなった。

 あちこちから悲鳴や怒号、何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。


 ――やはりそうか。


 グルイーザはなんらかの方法で、自分から獣を遠ざけている。

 しかしその方法は、恐らく広範囲を守れるものではないのだ。

 彼女のそばに居れば安全かもしれないが、それでは根本的な解決にはならない。


 嫌な予感がしていた。


 今起こっている事態は、今このとき誰が想像しているよりも、更にずっと悪い状況なのではないだろうか。

 あのとき――

 屋根の上に駆け上がったときに見えた風景。

 あれが見間違いでなければ、この街はもう……。


 モリアは再び建物の上へと駆け上がった。

 貴族街の建物や神殿などの一部の施設を除けば、二階の上から見渡すことで街のほとんど端まで確認できる。

 城壁の高さは二階の屋根と同程度で、城壁塔や城門の部分は壁より少し高い。

 ここから街の外の地面を見ることは出来ない。


 北の方角には、森林が広がっていた。

 高さ十メートルを超す木々が生えているのだ。

 その場所にははずである。


 続けて他の方角を見る。

 街のすぐそばに木々は生えていない。

 遠くには生えているのが見えるが、南には元々森がある。

 だが違う。

 時刻は夕刻を過ぎつつあり、徐々に薄暗くなってきている。

 それでも南の森を見間違えるはずなどない。明らかに樹木の種類が違う。

 そして、東西にもその森は間断なく広がり、ライシュタットの街を完全に包囲していた。

 東西に続くはずの、草原の道は何処に消えた?


 何故このようなことが起きたのか、自分の知識では全く説明がつかない。

 しかし、何が起きたのかを言葉にすることは出来る。

 周囲を取り囲む、南側には生育していない樹木群。

 街に大量に現れた、見たこともない獣たち。


 この街は――




 ――樹海に、飲まれてしまったのだ。




 街の中に侵入した獣たち。

 これらを駆除したところで、終わりはあるのだろうか?

 いや……。

 樹海の獣とはいえ、城壁を越えてくる種は限られるはずだ。


 建物の上を、まずは神殿に向けて移動する。

 地面には人も獣も問わずいくつもの死体が転がり、あちこちで戦闘の音、あるいはただ襲われているだけの音が聞こえてくる。


 救える命には限りがあるかもしれない。

 レミーやギルターは自分でどうにかするだろう。

 アニーと親父さんはひとまず安心だ。

 先程の者たちを神殿に送り届け、その後はどうする?


 神殿まで間もなくというところで、例の一行を発見した。

 通路の前後を獣たちに挟まれている。


 獣は二足歩行で人間に近い骨格。

 全身の体毛は通常の獣と同様に濃いが、顔は露出しており、深い皺が刻まれている。


 ――あんな種もいるのか!


 それは図鑑上の知識でいうならば、猿という動物に似ていた。

 正確なところは分からない。

 どちらかというと、物語や伝承で語られるオーガという魔物にも近い印象がある。


 鬼とは決して過去の怪物ではなく、古代迷宮の住人として今現在も存在するという。

 だが、ここは迷宮ではない。

 そのはずだ。


 一行の前方には神殿騎士と衛兵二名。

 活路を切り開くべく、数匹の群れと交戦中だ。

 後方には女騎士がひとり。

 相当な手練れのようで、地面には既に数匹の獣が転がっている。

 中央には貴族の令嬢らしき人物と、民間人が五人。

 あの店の店員や客だろうか。店員っぽく見える女性は、もしかしたらご令嬢の侍女なのかもしれない。


 屋根の上、側面から近付いたモリアは、一行の後方から迫った獣に向けて飛礫を放つ。

 瞬く間に二匹の獣が頭を砕かれた。

 大型四足獣に比べ、耐久力はさほどでもないようだ。これなら問題ない。

 女騎士が更に一体を倒し、後方にはもう、近くに獣は見当たらなかった。


 こちらの場所にすぐさま気付いた女騎士と一瞬視線を交わした後、続けて前方への加勢に向かう。


 三対三で混戦しているようだが、あの程度の速度なら援護出来ないことはない。

 まずは端に居る一体に向けて石を投擲する。

 頭部を砕かれた獣は後方へと仰け反りそのまま転倒した。

 それに恐慌をきたした他の獣に対し、バトルハンマーの一撃が炸裂する。


 モリアは路に跳び下りるとショートソードを抜き、衛兵と交戦していた残る一体の背後からその首筋を斬り裂いた。


「あなたは……モリア殿!?」

「神殿まで先行します。付いて来てください」


 言うや駆け出したモリアが十字路に差し掛かると、左右から新たな獣が跳び出した。

 騎士の少女が叫ぶよりも速く、二匹の腕がモリアの頭部を薙ぎ払わんとする。

 だが、それよりも更に速いショートソードの剣閃が二匹の首を半分以上斬り裂き、その場を駆け抜けたモリアの後ろで互いにぶつかり地面へと崩れ落ちた。


 少女も衛兵たちも、そのあまりの早業に唖然とする。

 彼らの後方を守る女騎士にも匹敵するのではないかという凄腕だ。


「今のでこの辺りに潜んでいたのは最後です。行きましょう」


 その言葉にはっとし、慌てて後に続く。


 通りを抜け、神殿前の広場が見える。

 獣の死体が無数に転がっていた。

 人ももちろん倒れているのだが、この辺りの戦闘は既に一段落しているため収容を始めている。

 神殿兵は、開拓者組合や街の衛兵に次ぐ戦闘集団なのだ。


「それじゃ、皆さんは中へ避難してください」

「モリア殿は?」

「僕はまだやることがあるので」

「あの、ありがとうございました。お礼はまた改めて」


 護衛対象を守るのが彼女の仕事だ。

 挨拶もそこそこに、令嬢や民間人たちと共に神殿の中へと入っていく。


 殿しんがりを歩く女騎士はそれに続かず、モリアの前で立ち止まった。

 先頭の神殿騎士に向けて声をかける。


「ミーリット! そちらは任せる!」

「分かりました! リーセ様!」


 神殿騎士の名前はミーリットというらしい。

 あまり自分には縁の無さそうな人種なので、覚える必要はないかもしれない。

 でも、後で改めて礼をするとか言っていた。

 そうモリアが考えていると、女騎士が声を掛けてくる。


「私は王国騎士のジークリーセ。護衛の協力感謝する、モリア殿」


 モリアの目を見ながら、落ち着いた声で言った。

 位の高い騎士を思わせる高価そうな装飾が入った鎧、プラチナブロンドの真っ直ぐな髪に意思の強そうな眼差し。

 背はモリアよりも高い。


「いえ……。あなたは付いて行かなくていいんですか?」

「確かにあの御方の護衛が私の最優先任務ではあるのだが。それを遂行するに当たり、私はあの御方のそばに居るべきか。それともここに残って戦うべきか。貴殿はどう思う?」


 ――この人も、気付いているのか。


「どうでしょう? 僕はあんなの初めて遭遇しますし」

「私もだよ。困ったものだな」


 ふたりは今しがた通ってきた路地――猿のような、鬼のような獣の死体が転がっている場所の方角に視線を向ける。


 そこから、強烈な殺気が伝わってくる。

 いや、殺気というのは相手の表情や動作、そこから伝わる気配などから読み取るものだ。

 まだ姿を見てもいないし距離も離れている。

 それなのに、こんなにも相手の感情を読み取れるのはおかしい。

 これは理外の力――『魔力』と呼ばれるものだ。

 人間のそれであれば、感じ取る訓練をしたことはある。

 しかし相手は獣だ。

 それは間違いない。先程交戦した獣と同種の敵だ。

 だが、魔力を纏った野生の獣など存在しない。


 敵は古代迷宮の住人――『魔物』に相違なかった。


 今は百年周期の古代迷宮の活動期。

 未だ姿を見せない北の古代迷宮から、這い出て来たとでもいうのだろうか?


 モリアは一歩前に出る。


「僕が先に削るので、とどめはお願いします」

「貴殿は後衛ではないのか?」

「あなたほど動きの速い人が前衛だと援護は難しいです。誤射の可能性が出てくるので」

「なるほど」


 そして、その魔物は建物の屋根の上に跳び上がった。

 先程と同じく全身に体毛を生やした、鬼のような形相の二足獣。

 しかしその大きさは体高三メートルを超える。

 人間よりも小柄だった先程の獣の比ではない。

 恐らくは群れの頭。まさに鬼と呼ぶに相応しいそれは――


 全身から異様な気配を撒き散らし、モリアに向けて怒りの咆哮を上げた。

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