第12話 約束

 残るは一匹。

 しかし、モリアが来るまでそこそこの時間を凌いだ兵たちである。

 これ以上の加勢は不要と判断した。

 予想通り――いや、予想とは少々異なる形で決着は付く。


 三人の衛兵のうち最も小柄な……よく見るとあれは衛兵ではない。

 金属製の胴当てや腕甲からてっきり兵士かと思ったが、着ている服が神官のそれだ。


 ――神殿騎士。


 長い栗色の髪を編み込んだ、女性の神殿騎士だ。

 金属製の長柄の先端に錘が付けられた戦鎚バトルハンマーを打ち降ろし、獣の頭を地面へと縫い付けとどめを刺す。


 まるで小型のギルターだ。

 なるほど、ギルターもああいう武器のほうが向いているのかもしれない。

 しかし眼前の華奢な神殿騎士は、外見からの想像を絶する戦い方をする。


 彼女たちに駆け寄ったとき、モリアは周囲の匂いが気になった。

 菓子屋……あるいはパン屋であろうか。

 やたらと甘く香ばしい匂いが辺りに立ち込めている。


「黒鉄札……?」

「今の二匹、君が仕留めたのか?」


 衛兵たちが驚きの声を上げる中、神殿騎士の女は一歩前に出てモリアに声をかけてきた。

 よく見るとかなり若い。モリアと歳もそう変わらないかもしれない。


「開拓者の方でしたか。助かりました」

「いえ。それよりここ、匂いで獣が寄ってくるかもしれません。離れたほうがいいかも」

「護衛対象や街の人も店内に居るのですが、外を移動しても大丈夫でしょうか?」

「護衛対象? 外は獣だらけです。人数によるかと」

「皆、無事か!? 外はどうなった?」


 その店から声がした。

 店に目を向けると、扉を開けて出てきたのはまたも金属鎧を纏った女性の騎士である。

 今度は神殿騎士ではなく、貴族然とした大人の女性だった。

 一瞬ウェルゲンのことを思い出す。


 ――なんで街中の菓子屋に騎士や兵士がぞろぞろと? いったい誰を護衛してるんだ?


 高名な菓子屋なんだろうかと、どうでもいい疑問が脳裏をよぎる。

 扉の中を見ると、奥に居る貴族らしき少女と目が合った。

 直感で、かなり高貴な出の人間と思われた。

 なるほど、身分の高いご令嬢を護衛するために稀少な女性の騎士が複数付いていたわけか。

 珍しいものを見た。しかし今はそれどころではない。


「モリア!」


 続いて聞き覚えのある声がした。

 女騎士の横をすり抜けて店から出て来たのは、十歳程度の子供だった。


「アニー?」


 よりによってこんな場所で。

 いや、生きていたのだからまだいい。

 樹海の獣と間近で遭遇してしまったら、まず助かるまい。


「怖い獣はどうなったの? もういない?」

「いや、残念だけどまだたくさんいる。外に出るのは――」


 そこで言葉に詰まった。

 外に出たら駄目なのはその通りだが、この店は隠れ場所としてはあまりにも不適切だ。

 店内の人間を守るのに、自分だけでは厳しいか。

 騎士たちはどう動く?

 神殿騎士が女騎士へと意見を言う。


「ここは危険です。神殿に向かいましょう」

「そうだな。店内に居る者たちも連れていこう。殿しんがりは私が務める」


 移動するのもかなり危険だが、神殿は避難先としては無難だろう。

 アニーを守りながら、自分も付いて行くことにしようかとモリアは考える。


「モリア、お父さんがまだ家に……」


 その言葉にはっとする。

 働きに出る前の歳の子供にとって、親の存在は途轍もなく大きい。

 孤児である自分に実感はないが、常識としてそれくらいは分かる。


 ――もし、この子の親父さんが亡くなっていたら。


 惨たらしい死に様だったりしたら、この子に見せるわけにはいかない。

 自分だけで、あの宿まで確認しに行くべきか。

 いや、この一行が神殿まで無事辿り着くかは五分五分だ。

 それにこの騎士たちは、いざとなれば護衛対象を優先する。

 任せるわけにはいかない。

 例えどのような痛みが待ち受けていようとも、生き延びる確率が高いほうを選ぶべき……。


 ――待てよ?


 そういえば、あの宿には。


「そうか……」

「モリア?」

「アニー、親父さんはきっと無事だよ。一緒に行こう」

「う、うん!」


 神殿騎士の少女が慌てたように問う。


「あの、モリア……殿?」

「寄るところが出来たので、皆さんは神殿に向かってください。もし途中で獣に襲われたら、無理に進むよりも生き延びることを優先するように」


 モリアはアニーを引き寄せると、そのまま抱え上げる。


「う、うわっ?」

「生きていてさえくれれば、きっと助けに行きます」


 その言葉はまるで、ここに居ない誰かに言い聞かせるような響きだった。


 そのまま振り返ると道の端に向かって駆け出し、建物側面に置いてあった木箱に脚を掛けて屋根の上に跳躍する。

 あっという間に姿を消した少年を、騎士たちは呆然と見送った。




「う、うひゃあああぁ」


 少し面白い悲鳴を上げるアニーに構わず、モリアは屋根の上を駆ける。

 周囲の獣の気配に用心しつつ、二階建ての建物の上に跳び乗った。


 そのとき、信じ難い光景を見た。


 ライシュタットの街を囲む城壁。

 その北側の外。つまりは樹海の方角。大河が流れているはずの場所だ。

 だが、それについて考えるのは後回しにした。

 幸いにもアニーの宿の位置はここから近く、その周囲に獣の気配は感じられない。

 偶然だろうか?

 それについても今は考えるのを止めた。


 宿の前の路に跳び下りる。

 建物内の気配を素早く読んだ。

 中には人間がふたり。片方は大人の男。恐らくは親父さんだ。


「娘が外に出たままなんだ。迎えに行かないと」

「だから、おっさんがひとりで出歩いても死ぬだけだって言ってんだろ」


 中から微かに聞こえてくる声にひとまず安堵する。


「アニー、着いたよ」

「は、はひ……」


 アニーは地面に降ろされても少しの間ふらふらしていたが、ほどなくして回復すると宿に駆け寄って扉を開ける。


「お父さん!」

「ア、アニー!?」


 父親のほうもそうだが、もうひとりの人物も驚いたようにアニーを見ていた。

 客席に座る、フードをかぶったローブ姿の女性。

 初めてこの宿に来たときにも、そこに居た人物。

 モリアはゆっくりと店内に入ると、今度ははっきりとその人物を見た。


 ――なるほど。


 そして、納得した。

 なんとなく大人の女性を想像していたが、実際よく見てみればモリアと同じくらいの歳の少女。

 そして、恐ろしく整った顔立ちをしていた。

 フードからこぼれ落ち波打つ黄金の髪は、光量に乏しい店内でも目映ゆく煌めき人目を引く。

 こんな少女がひとりで旅をしていたら、誘拐やら何やら、とにかく碌な目には合わないだろう。


 だから――


 だからこの少女は、己の存在を掻き消していたのである。

 誰にも認識されることはない。

 己が泊まっている宿の店員にすら、必要なとき以外はその存在を忘れさせていた。

 超常の力によって。




 超常の力――――この国では、それを『魔法』と呼ぶ。




 この宿の周りに獣が近寄らないことすら、偶然ではないのかもしれない。

 モリアは彼女に声を掛けた。


「あなたにお願いがあるのだけど。今の騒ぎが収まるまで、この親子のことを頼めるかな?」


 最初は静かに様子を見ていた少女は驚愕に目を見開き、そして警戒心も顕にモリアを睨み付ける。


「お前……あたしが視えていたのか。いつからだ?」

「最初から。あのときは関わらないようにしてたんだ。でも今は非常事態だから。依頼料が必要なら払うよ」

「……………………」


 ――レミーに初めて話しかけたときも、睨まれたなあ。


 何故だか、そんなことを思い出す。

 自分に対して強い警戒心を持つ者。

 それはモリアの外見に騙されず、正しくその脅威を測れる者ともいえる。


「そいつらに死なれるとあたしも困る。また宿を探す羽目になるからな。だが条件がある」

「条件の内容は?」

「ひとつ。あたしの存在をむやみに他人に話すな。ふたつ。騒ぎが収まったらまたここに来い。逃げんなよ?」

「分かった」


 恐ろしく言葉遣いが悪いが、不思議と嫌な感じはしない。

 美人だからというより、そもそも言葉に悪意が感じられないのだ。


 ――警戒しすぎていたのは、僕のほうだったのかもしれない。


 そう考えると、モリアはおかしくなって少し笑ってしまった。


「何がおかしいんだよ」


 それには答えず、店主のほうへと向く。


「君が娘を連れて来てくれたのか。なんと礼を言えば……」

「ここに居れば安全ですから、騒ぎが収まるまでは外に出ないでくださいね。僕はもう行きます」

「モリア、また外に行っちゃうの?」

「さっきの人たちを助けに行くって、約束したからね」


 宿の扉に手をかけ外に出る前に、ローブの少女へも約束の言葉を述べる。


「また来るよ。僕はモリア」

「あたしは……グルイーザ」


 変わった響きの名前だが、彼女が魔術師であることを考えモリアは納得する。


 古代語魔法において――gullグルとは『黄金』を意味する言葉なのだ。

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