第3話 集う者
河を渡る船が出るのは明朝とのことで、一晩この街で過ごさねばならなくなった。
野宿で問題ないが、このように人の多い街だと寝る場所を探すにも苦労する。
一度、街の外に出ようと外壁に向けて歩いたのだが、城壁の門は閉められた後だった。
衛兵に聞くだけは聞いてみる。
「野宿できる場所? 宿に泊まる金が無いのか?」
「ああ、宿ですか……」
ここにはモリアが暮らしていた街と違い、開拓者向けの宿があるのだった。
完全に失念していた。
宿屋のある場所を聞くと、開拓者組合のそばの通りが一番多いとのこと。
それはそうかと納得する。
衛兵に礼を言うと、もと来た道をまた戻ることにした。
主要の通りと交差する道にも、色々な店があるようだ。
商店と異なり、中の様子が分からない店も多い。
食事処か、あるいは宿屋の可能性もあるだろう。
「モリア!」
適当に見て回ろうかと思った矢先に声をかけられた。
聞き覚えのある少女の声。
馬車に乗り合わせた親子連れの娘のほうが、店の扉を開けてこちらを見ている。
名前は確か――
「こんばんは、アニー。もしかしてこのお店って」
「うん、私の家だよ。モリアは何してるの?」
「宿を探しててね」
「じゃあ、うちにしていきなよ。お父さん、お客様!」
見れば看板には『アニーの宿』と書かれている。
娘の名前を店名にしているようだ。
子供は気にしないかもしれないが、大人になったら複雑な気分になるかもしれない。などとモリアは考える。
随分と強引な客引きに捕まってしまったが、別に断る理由もない。
「お邪魔します」
アニーが開けてくれた扉を通り、店内へと入った。
広々とした空間に並ぶテーブルと椅子。
想像していた宿屋の受付とはどうも違う。一階は食堂なのかもしれない。
カウンターの奥から店主らしき男が顔を覗かせた。
「君は馬車で会った……」
「今日の宿を探していたんですが、部屋は空いていますか?」
「ああ、空いているよ。しばらく留守にしていたから、誰も客が来なくてね」
とりあえず寝る場所は確保できた。
確かに、店内に居る客はフードをかぶったローブ姿の人物がひとりだけのようだ。
モリアよりも若干小柄で細身。若い女性と思われた。
――多分、関わらないほうがいい。
モリアは、その人物には気付かない振りをした。
アニーに食事を勧められたので、注文して食べていくことにする。
ほどなくして、食事を終えたローブの女は宿の奥へと消えて行った。
上階が客室なのだろう。
女が去ったテーブルを見ていると、その視線の先を追ったアニーが、急に気が付いたように空いた食器を下げに行く。
まるで、今までそこに居た女の存在を忘れていたかのように。
「なるほど……」
開拓街には色々な人間が居るものだ。
ひとり納得したモリアは、自分の食事に集中することにした。
*
翌朝、支払を済ませて宿を発ったモリアは街の北側へと向かった。
開拓地である北の大樹海に向かうには、街の北側を流れる河を船で越えなければならない。
特例開拓者の証である黒い鉄のプレートを首にかける。
「すみません、乗せてください」
「あ……? オメエ、特例なのか?」
特例開拓者は犯罪者などが多いことから、衛兵に連れられてくるのが普通だ。
ひとりで現れたモリアを船の人間たちは訝しんだが、すぐにどうでもよくなったようだ。
こんなところで働いていると、変わった出来事などごまんとあるのだろう。
船に乗り込み、北の樹海を目指す。
孤児院の同居人を全員飲み込んでしまった樹海と聞けば極めて危険な場所とも思えるが、その一方で大勢の開拓者の仕事場でもある。
あまり奥に行き過ぎなければいいのだ。
しかしモリアの目的も、開拓そのものの目的も、樹海の奥に進むことではあるのだが。
船上から水面を眺める機会などなかなか無い。
自由開拓者であれば頻繁に往復するのかもしれないが、特例開拓者は樹海に潜ったまま働くのだ。
あるいは特例の者たちにとって、それは最後の平穏なひとときだったのかもしれない。
船は、河の北岸――『第一開拓拠点』へと到着した。
樹海の木々を伐採して造られたこの拠点は、ちょっとした村程度の規模がある。
船で物や人を一度に運べる量には限界があるので、樹海で得た資源をここで売買したり、自由開拓者たちが寝泊まりするのにも利用される。
ただしここは河の北岸。樹海に住まう危険な生物たちの領域だ。
王国の過去の記録でも開拓をあきらめ、拠点を放棄したという話があるという。
だが今の時期は百年に一度程度の周期で巡ってくる古代迷宮の活動期でもあり、それと開拓は無関係ではない。
――『迷宮』。
古代帝国時代に造られたというそれらの遺跡は資源や財宝の宝庫であり、迷宮を抱える土地の領主ともなれば繁栄を約束されたようなものである。
あるのだ。
この樹海にも、迷宮が存在するという噂が。
古代の技術で巧妙に隠された迷宮は発見が極めて難しいが、百年周期の活動期には比較的それも容易になる。
樹海開拓は、そんな夢のような話のためだけにおこなわれているわけではもちろんない。
それはついでのようなものだ。
一攫千金を狙う凄腕が自由開拓者に大勢志願すれば、それだけ樹海の開拓も容易になる。
そういった現実的な狙いのほうが、ライシュタットの街にとっては主流の意見だろう。
もちろん、馬鹿げた夢を追う側の人間もいる。
孤児院の面々の顔を思い出し、モリアは溜息をついた。
「特例はこっちだ。そこのお前も、ボサッとするな」
自分が衛兵に呼ばれたことに気付き、
モリアはこれでも衛兵に気を使われているほうではあるが、樹海の奥に行けば犯罪者も一般人も変わりあるまい。
それに、ここに居る犯罪者たちはどうせたいした罪を犯してはいない。
本当に危険な犯罪者なら、ある程度自由に動けて武器も持てる、特例開拓者になどなれるはずがない。
実際モリアの装備もそのままだ。
既に河を渡った以上、丸腰の人間がまだ混ざっているほうが問題ではないかとすら思える。
第一開拓拠点の北端、樹海の奥へと続く道の前に集合した。
防護柵の内側ではあるものの、この辺りにはまだ大きな樹がまばらに生えたままだ。
後から切り倒すつもりなのかもしれない。
「『第二開拓拠点』はここから三十キロメートル北だ。もたもたしていたら日没には間に合わん。すぐに出発するぞ」
「キロメートル……とはなんだ?」
質問をした声の主に皆が注目する。
他の特例よりも背が高い男だった。この中で一番の身長かもしれない。
黒い髪に鋭い目付き、そして衣服の上からでも頑強な身体の持ち主であろうことが見て取れた。
開拓者組合の受付に居た男も大柄ではあったが、あの親父とは異なり引き締まった細さも併せ持っている。
また、その肌は日に焼けたような褐色肌で、男の精悍さを際立たせてもいる。
まるで、野生の猛獣がそこに立っているかのようだった。
衛兵の舌打ちが聞こえた。
「異民族か……。そんなことから説明している時間は無い。後で誰かに聞け」
異民族とは勝手な言い草だとモリアは思う。
この地は遥か昔、様々な外見の種族が住まう一大帝国だった。
今の王国が興るにはそれなりの理由もあったろうが、いつの間にか王国の主要民族の人口が増え、他の種族、民族は消えていったのである。
王国が苛烈な圧政を敷いたとか、そういう背景があるわけではない。
自然と、そうなっていったのだ。
タン!という乾いた音が響く。
音の方向に皆が注目すれば、モリアが大きな樹の表面に拳の底を当てている。
樹を叩いたにしては妙な音だ。
皆がそう思った中、黒髪の大男だけは険しい目でモリアを睨み、警戒心を
それに構わずモリアは、大男に声をかける。
「メートルというのは王国が採用している長さの単位だ。地面からこの高さまでが
それを聞いた大男は、モリアが自分に説明するためにその行動をおこなったのだと理解した。
「なるほど……しかし千倍というのは途方もないな。そんな長さが分かるものなのか」
「いや、適当だよ。森林内を日の出ているうちにゆっくり進むとだいたい三十キロメートル。経験則でそう言っているに過ぎない」
「……よく分かった。礼を言う」
飲み込みが早い。
この男は頭も切れるようだ。
モリアは樹から短剣を抜くと、腰の鞘へと仕舞う。
そこで初めて周囲の人間は、先程の音が樹木を短剣で貫いた音だったということに気が付いた。
そんなことが、可能なのだろうか?
樹海の樹について知らない者は、意外と柔らかい樹なのかもしれないと考え、樹海の樹について知る者は、幹が腐っていたのかもしれないと考えた。
そしてそれ以上は特に気にすることもなく、北の第二開拓拠点に向けて出発した。
モリアは集団の後方に続きながら、黒髪の大男に声をかける。
「僕はモリア。あなたの名前は?」
「俺は……レミー」
――レミーか。覚えておこう。
衛兵は五人。特例は十三人。
先の質問が出たとき、この集団の実力を測るいい機会だと思った。
短剣を抜いたことに気付いたのはレミーだけだった。
そして、その威力についても正しく把握されていた。
レミーは今、武器を所持していない。
だからこそ、あの警戒心。
樹木を貫いた短剣の威力は見れば分かることだが、その前――
本気の速度で抜いた短剣の動きに気付く者が居るなどとは、予想していなかった。
開拓地には色々な人間が集うものだと、モリアは思う。
樹海の奥へと、一行は進んでいった。
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