第4話 飛礫

 見た目はむせ返るような緑の大樹海。

 しかしその匂いは意外と落ち着いている。

 ひんやりとした空気のせいだろうか。

 木漏れ日は僅かな暖かさを伴い、森の奥からは木々の葉がざわめく音に紛れ、獣とも鳥ともつかないような鳴き声が響いてくる。


「何故、お前のような者が特例に?」

「ちょっと人を探していてね。志願したんだよ。レミーは?」


 レミーが何者なのか、是非聞いておきたかったので渡りに船と質問を返す。


「なるほど、人探しか。俺も似たようなものだ。樹海に入る伝手を探していたら商人に紹介されてな。志願者の武器や荷物は全て預ける決まりなのかと思っていたが、お前を見るとそうでもないようだな」


 ――ああ、タチの悪いのに騙されたのか。


 なんと声をかけたものか。

 その条件なら、普通に自由開拓者になれたはずだ。

 自由開拓者になっても、その後苦労したかもしれないが……。

 しかしこの男は犯罪者でもなければ、借金で身を持ち崩すようなタイプでもないようだ。

 それが分かっただけでも収穫といえよう。


「樹海を出たら取り返しに行くかい?」

「武器も路銀もたいした額ではない。開拓者になれたのは事実だ。授業料と思っておこう」


 王国の街で生きていくには善人に過ぎるのではないか。

 だがそれを貫き通すだけの力が、この男には備わっているようにも思える。

 彼は決して間抜けだから騙されたのではない。世間を知らなかっただけだ。それはこれから改善していけばいいだろう。


 ……荷物と路銀を盗られただけで特例というのはおかしい。

 恐らく偽の証文であるとか、そういうものが条件になっているはずだ。


 ――樹海を出たら、やることが増えたかも。


 モリアはその考えを、そっと心に仕舞い込む。




 日は傾きつつあった。

 一行はなかなか良いペースで進んでいる。

 船の移動分もあったので出発はやや遅かったが、これなら日没までに第二開拓拠点に着くだろう。


 異変を真っ先に感じ取ったのはモリア。続いてレミーだった。

 殿しんがりを歩く衛兵の長に振り向いて声をかける。


「隊長さん、樹海の獣です。周囲を囲むように動いている」

「ああ……?」

「確かに居るぞ。こういうときはなんと言うのだったか。ああ……、百メートル以内まで近付いているな」


 レミーの正確な距離感覚にモリアは内心感嘆する。

 今朝覚えたばかりの知識ということを踏まえれば、モリア以上の空間把握能力だ。


「小僧、怖いのは分かるがこの樹海に獣なんていくらでも居る。奴らは賢いからこうして大勢で歩いていれば、そうそう襲っては来ない」


「……………………」


 モリアは反論せずに黙って聞いていた。

 話を聞いていた特例たちの反応は様々。

 嘲るように鼻で笑う者も居れば、怯えたように周囲を警戒する者も居る。

 腰の小剣ショートソードを鞘ごと外し、レミーに差し出す。


「お前はいいのか?」

「この程度なら必要ない」


 レミーは頷いて小剣を受け取った。


 バサッ……という音と、何かを潰すような音が列の前のほうから響いた。


「う…………?」

「うわあああぁっ!!」

「ぎゃあああああ!!!」


 列の先頭から次々に悲鳴が上がる。

 だが、後方からは何が起きたのかよく分からない。

 隊長が状況を確認するため怒鳴ろうとしたとき――


 前方のモリアが、身体を回転させた。

 足を斜め後方に踏み込み、上体を回し、腕を隊長に向けて振り抜く。


 空気を斬り裂くような轟音が隊長の耳許を掠め――


 バシャリ、という湿った音が後方で響いた。


 続いて落下音。

 犬猫くらいの大きさの動物が、地面に落ちた音。

 咄嗟に振り向いた隊長が見たのは、巨大なムササビのような獣が頭部を砕かれ、地面に落ちている光景だった。


「まだ来ます! 伏せてください!」


 衛兵たちとて、樹海の死地を幾度かは潜り抜けた者。

 殿を務めるふたりの衛兵は咄嗟にその場に伏せた。


 そして、レミーはそれを見た。

 モリアがその手に握っているのは、だった。

 樹海の道、その辺りにいくらでも落ちている……ただの石だ。


 投石術――《飛礫つぶて》。


 原初の狩りの技術。

 弓矢などの道具を必要としない、人間の身体的特性をこの上なく活かした戦技。


 大気を斬り裂き唸りを上げる飛礫は、集団の二十メートル後方樹上に潜む、獣の頭を撃ち砕いた。


 直後、集団後方の側面の森の中から、新たな獣の個体が飛来した。

 その個体に狙われた、群れの中でも最も目立つ者――すなわちレミーは、ショートソードを抜くや一閃、獣を真っ二つに斬り裂いた。

 目にした者が固まってしまうほどの、恐るべき剛腕である。


 前方の騒ぎは収まりつつあった。

 最初に先頭に襲いかかってきた三体の獣は、衛兵や特例によって袋叩きに合い絶命した。

 最初に襲われた衛兵一名、特例二名の計三名が死亡。

 続けて襲われた三名が重傷だった。


 後方を襲った三体の獣は全て一撃で倒され、死傷者は出なかった。

 隊長は状況を見て手早く判断を下す。


「怪我人は二人一組で運べ。死者は……置いていく」


 同僚を失った衛兵たちは苦い顔をするものの、強く反論は出来ない。

 一行の生存者は現在十五名。

 そのうち怪我人とそれを運ぶ者を合わせると九名。

 残るは四人の衛兵とモリア、レミーだけだ。


「な、なあ……。お前、投石術を使うんだろ? 戦争の物語じゃ、投石の達人は大軍をも蹴散らしたっていうじゃないか。なんとか出来ないのか……?」


「それは作り話です。飛礫つぶての有効射程距離は長弓ロングボウの十分の一。今の獣に包囲されたら、それを崩すのは困難です」


 もし今と同じ獣の群れに近距離まで迫られたら、この人数を守ることは出来ない。

 それはつまり、モリアとレミー以外の全員の死を意味していた。




 沈痛な面持ちで、一行は進む。

 先頭は衛兵四人。モリアとレミーがふたりで殿しんがりを務めることになった。

 レミーは犠牲者が持っていた長剣ロングソードを貰い、小剣はモリアに返却する。


「弓矢より距離は劣る、か。威力はむしろ高いような気もしたがな」

「距離が近いんだからそりゃ威力は出るよ。同じ距離なら矢のほうが強いんじゃない?」


 レミーからすれば、樹木に短剣を根本まで突き刺すような力の持ち主が投げる石である。

 あまり鵜呑みには出来ないなと、肩をすくめるだけだった。


「樹海の獣とは、ずいぶん殺意が高いんだな。そういうものなのか?」

「聞いてはいたんだけどね。あんまり狩りの知識は役に立たないかも……」


 怪我人を運ぶ者たちは手が塞がっているため気が気ではなかったが、「敵が近付いたら教える」というモリアの言葉に少し落ち着きを取り戻す。


 周囲が薄暗くなり始めた頃、ようやく第二開拓拠点の明かりが見えてきた。

 防護柵の周りには堀が掘られてあり、簡単な罠もいくつか仕掛けてあるようだ。

 ここ『第二開拓拠点』は既に樹海の内部であり、周囲の生物は全て敵といっても大げさではない。

 船に乗れば河に逃げられる第一拠点とは異なり、滞在するのも命がけである。

 一行に気付いた見張りが迎えに来る。


「なんだあ? 怪我人か?」

「ここらで見かけない獣が出たんだ」

「北から南下してきたのかもしれねえな……最近妙に活気付いてるみたいだ」


 見張りは自由開拓者の証である白鉄札しろがねふだを首から提げている。

 自由開拓者はプレートを装備していないことも多い。そこからして自由なのだ。

 ただ、この開拓拠点では特例と区別するために提げていたほうが便利なのだろう。


 怪我人は拠点に運び込まれた。

 彼らが無事に街に帰れるかは分からないが、取り敢えずの安全は確保できた。

 特例たちもやっと休むことが出来る。

 拠点内の天幕は数が足りず、新入りの特例は野営とほぼ変わらない。

 しかし贅沢を言う気も起きず、怪我人を運んできた者たちは指定された場所に腰を下ろした。


「モリア、レミー。少しいいか」


 衛兵に呼ばれ、ふたりはそちらへと向かう。


「ここの特例を仕切ってる男が、お前たちに話があるそうだ。来てくれ」

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