第2話 ライシュタットの街
北の大河沿いに進む馬車の中から風景を眺める。
南の森との間に広がるのどかな草原。
王国北部辺境に当たるこの地域は多少肌寒いくらいで、それなりに過ごしやすい気候だ。
踏み固められた道の上を馬車は行く。
朝早くに街を出て、開拓街に着くのは夕方だ。
この国では一日の時間を二十四の時刻で刻む。
馬車で八時間。人と荷を載せた馬車の速度などたかが知れている。
徒歩でも日の出ているうちに開拓街に行けないこともない。
しかし一般人では、南の森から時折出てくる獣に遭遇しただけでも危険だ。
隣街などと言っても、そんなに気楽に行き来するような場所ではない。
「ねえ、お父さん。あれって狼かな」
親子連れの幼い娘が父親に聞いた。
馬車に乗っているのは御者とモリア、親子の四人だけだ。
南側の森から一匹の獣が出てきて、馬車の様子を伺っている。
「む……。確かに狼のように見えるな。護衛も無しに大丈夫なのか?」
父親に声をかけられた御者は、振り返って答える。
「お客さん、開拓街の人だから知らないだろうけど、そこのモリアは腕利きの狩人でね。森の獣相手ならそこらの衛兵よりも頼りになりますぜ」
「この少年が狩人? しかし、弓も持っていないようだが……」
「そいつに弓は必要ないんでさ」
父親は不思議そうに、娘は興味深げにモリアを見た。
「本当? 狼よりも強いんだ?」
あまり腕自慢もどうかとは思うが、小さい子供を不安にさせるよりはいいだろう。
「うん、僕が居れば心配ないよ。それに、あの狼は襲っては来ない」
「そうなの?」
「狼は賢い動物だからね。馬車の中の人数が分からない以上、無理はしないんだよ」
なお、モリアひとりで歩いていると確実に襲われる。
この森の狼は、相手の強さを見抜くことまでは出来ないのだ。
迷惑な話である。
どうせ狩りをするなら、肉が美味い獲物のほうが良いというのがモリアの持論だった。
「狼より怖い獣は出ない?」
「南の森だと熊かな……。あまり見ないけどね」
「北の樹海は行ったことある? 怖い獣がたくさん居るけど、川は渡ってこないんだって」
「これから行くつもりだよ」
「そうなんだ! 凄いね!」
子供の相手は慣れている。
孤児院にはかつて、モリアより年下の子供たちも居た。
しかし街の神殿が新たに孤児院を併設することになったので、そちらに移ってもらうことになった。
そうなるよう働きかけたのは、他ならぬ当時十二歳のモリアである。
これ以上子供たちを、あの院長のそばに居させるのもどうかと思ったのだ。
自分より年上の連中は手遅れなので、あきらめることにしたのだが……。
――その結果が、『樹海で一ヶ月行方不明となり全員死亡認定』である。
全く、雁首揃えて馬鹿なのではないだろうか。
せめて院長が残っていれば、家を接収されることもなかったろうに。
「さすがに、ひとりやふたりは死んだかな……」
「え?」
「いや、こっちの話」
狼はいつの間にか姿を消し、太陽は傾き、馬車は開拓者の街へと近付いていた。
*
開拓者の街――『ライシュタット』。
立派な城壁に囲まれた王国最北端の城塞都市。
王都や大都市に比べれば規模はとても小さいのだが、北の辺境では異彩を放つ街である。
辺境とはいっても他国と隣接しているわけではなく、こんな場所で戦争が起こるはずもない。
かなり過剰な設備の街といえるが、それだけ樹海開拓は期待されている事業ということの表れでもある。
馬車から降りて、親子と別れたモリアが目指すのは開拓者組合。
ライシュタットの街に来るのは初めてではないので、場所は分かっている。
十五歳未満の自分には無縁の場所だったので、入ったことはない。
木造の建物が並ぶ通りを進む。
モリアが住む街に比べ、道も商店も賑わっている。
開拓者は危険だが儲かる仕事だ。自然金払いも良くなるので、組合近くの土地は店舗にとって良い場所といえよう。
本当の一等地は貴族が住むような街区だろうが、それはまたそれである。
石造りの立派な建物に木製の大きな扉。開拓者組合へと到着した。
扉を開け中へと入る。
大きな広間には木製の机や椅子が並び、屈強な開拓者たちがまばらに腰掛け、めいめいにくつろいでいた。
男たちはモリアをじろじろと眺め回すが、途中で何かに気付いたようで、バツが悪そうに目を逸らした。
モリアは髪が長く細身。顔立ちもまだまだ幼い。身長はこの歳では平均的だが、大人たちに比べれば小さい。
ようするに彼らは、モリアを一瞬女の子かと誤解したのだ。
住んでいる街では顔を知られているし、外では本物の女の子に比べれば際立つほどの外見でもない。
しかし、この男臭い空間では異様であろう。
一応、女性の開拓者もいるらしいが少数である。
――まあ、最初のうちだけかな。
悪目立ちするということは、すぐに顔を覚えられるということでもある。
そのうち誰も気にしなくなるだろう。
モリアはここを職場とするわけではないが、これから行く場所もどうせ同じようなものだ。
奥にあるカウンターが受付であろう。
組合の職員と思しき人たちが座って――
そのうちのひとりと目が合った。
いや、正確にはモリアのような珍しい客は職員たち全員の注目を集めていたのだが、モリアから見て場違いな職員がひとり居る。そこに視線が固定されてしまった。
屈強な開拓者たちをも軽々と上回る、筋骨隆々、禿頭の大男がそこに座っていたのだ。
髭の生えたアゴに皺の寄った眉間。人間を射殺せそうな眼光。
職業を間違えたのでは?
と、モリアが思うのも無理からぬことである。
だがよく考えてみれば、開拓者とは荒くれ者の集まりであり、ごろつきと大差ないような者も多くいるという。
ならば、それらに睨みを利かせる者も当然必要であろう。
「ここ、いいですか?」
モリアはその大男の前に立った。
背後から小さなどよめきが聞こえる。「なんでわざわざその受付を選んだ?」とでも言いたげだ。
「なんの用だ。ここはガキが来るところじゃねえぞ」
「おお……」
思わず声が出てしまった。
まるで物語に出てくる定番の登場人物のような言い回し。
完全に外見の印象通りだ。そこに捻りは無かった。
開拓者組合の受付とは一応接客業である気もするのだが、目の前の男にそういう素養を期待してはいけない、ということは分かった。
コホン、と咳払いしてモリアは続ける。
「開拓者になりに来ました」
「歳はいくつだ」
「十四です」
「出直し――」
バン!という音とともに、モリアはカウンターの上に領主の書状を置く。
「隣街の領主様の推薦状です。これをもって、特例開拓者に志願します」
別に領主は特例開拓者にさせるために推薦状を書いたわけではないのだが、多少はハッタリも必要であろう。
今度こそ背後がざわついた。
「え? 特例? 志願って言ったのか?」
「領主の推薦って……何モンだあのガキ」
「いや特例に推薦とかおかしいだろ」
「特例なら牢屋のほうがマシって言われてるからなあ……」
特例開拓者は主に犯罪者や、借金のカタに強制労働させられる者たちが就く職だ。
やはり領主推薦で特例は無理があったかと、若干作戦の失敗を認めざるを得ないモリアだった。
どうしたものかと考えていると――
「確かに領主殿のサインだ。それに狩人ならガキで有能な奴がいてもおかしくはない。働き口が他に無いのなら仕方が無い。ただし向こうで音を上げても、すぐに帰れるわけじゃないぞ」
「覚悟の上です」
他の職員たちの顔をチラリと見回すと、皆一様に「えぇ?」という感じの疑問と困惑の表情を浮かべていた。
やはりこの大男の対応は少しおかしいようである。
この受付を選んで正解だったなと、モリアは内心ほくそ笑んだ。
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