第 2 章 小さな修道院

第7話 母から継いだ仕事

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 エレーヌの母の故郷であるトリアノン領は綿と絹の産地だ。最高品質のものは一級品として王族や貴族の衣を誂える高級仕立て屋に卸している。

 それより劣る品を、エレーヌは王妹としての公金で買って、各地の修道院に寄付している。ファンデール修道女たちの編む壁掛けタペストリーや飾り襟は評判が良く、庶民から中流階級までが買い求める。その収入で、修道院は預かる孤児や病人を養い、日々の糧を得ているのだ。

 特に、ファンデール王女と縁が深いモントルイユに赴いて修道院や孤児院に絹や綿を寄付するのは、亡き母から継いだ大事な仕事であった。

 そのモントルイユ行きに、イシュルバートの大公が同行すると聞いて、マノンは怪訝そうに首を傾げた。


「大公閣下はじゃがいもの花を見て、どうするおつもりなんでしょう」

「花というよりは実の部分に用事があるのですって。あと、土の品質を調べるとおっしゃってたわ。改良すれば、ファンデールでも食べられるように……」

「食べる? あの凶悪なモノを?」

「確かに見た目は悪いけれど、食べてみたら美味しいかもしれないわ」


 マノンの手元からぐしゃりと音が鳴った。エレーヌは農地改革の論文から視線を上げた。マノンは羊皮紙を握り込み、筆記机を勢いよく叩いて立ち上がった。


「姫さまは人を疑わなすぎです。アレを悪魔の作物と呼ぶ地域だってあるんですよ!」

「でも、ファンデールは小麦の生産量がどんどん少なくなっているでしょう? わたし、小麦に代わる作物があれば良いなと思うの」

「……じゃがいも以外じゃだめなんですか」

「寒さに強い野菜だと、蕪も良いとおっしゃってたわ」

「蕪……」


 マノンの顔が引き攣る。エレーヌは思い切って尋ねて見ることにした。


「マノン、どうしたの? 急に野菜ぎらいになったみたい」


 寝椅子ディヴァンに腰掛けていたエレーヌは自身の隣をぽんぽん叩く。マノンは少し躊躇ってからそこに腰を下ろした。エレーヌは乳姉妹が口を開くのを待った。


「……実は、先日、馬車が壊れた際に変な男に絡まれまして」


 エレーヌは瞬きをした。それは、マクシムと初めて会った日のことだ。そういえば、帰りの馬車でマノンもエレーヌと同じく黙りこくっていた。


「その男、いきなりあたしの手を握って『毎日君とじゃがいもを食べたい。冬になったらオレが蕪のスープを作るから付き合って欲しい』と言ってきたんです」

「……マノン、告白されたの?」

「姫さま、今の話で突っ込むところがそこだけですか。もっとあるでしょう」


 マノンが目を剥いてエレーヌの肩を掴む。エレーヌは、斬新な告白文句について感想を述べることにした。


「独創的な台詞ね。新スロイス派の新作みたい。あ、レニラードの新進気鋭の作家なのだけれど」

「……姫さまはどんな言葉にも教養を見出せてすごいですね。とにかく、しばらく野菜から距離を置きたくなったという話です」


 がっくりとマノンが肩を落とす。エレーヌは乳姉妹の耳が真っ赤になっているのに気づいて、


「お名前を聞けばよかったのに」


 と言った。しかし、マノンは耳を真っ赤にしたまま「あんな男、二度と会いたくありません」ときっぱり返す。エレーヌは取り敢えず引き下がることを選んだ。


「……そうしたら、マノンはモントルイユにはついてきてくれないのね」


 しゅんとエレーヌが俯くと、マノンは慌ててエレーヌの手を握る。


「行くに決まっています。あたしではなく、誰が姫さまのお世話をするんですか」

「ありがとう、マノン!」


 エレーヌは嬉しくなって、小さな頃のようにマノンに抱きついた。すると、マノンがくすくすと肩を揺らす。


「まったく大公閣下はどんな魔法を使ったんです?」

「え?」

「離宮から宮殿に上がって、姫さまは笑い方を忘れてしまったのかと心配したんですよ」

「わたし、笑ってなかった……?」

「空気に溶けて消えてしまいそうな笑みばかり。大公閣下は素敵な殿方なんでしょうね」

「え、と……それは、ツークフォーゲルの王子さまですもの。高雅な佇まいをお持ちよ」

「あらまあ姫さま、頬が真っ赤ですわ。林檎のよう」


 エレーヌは気恥ずかしくて、慌てて話題を変えた。


「それでね、次に行くときはアレスを連れて行きたいの」

「馬で向かわれるんですか?」

「ええ。冬の間、アレスを思い切り走らせてあげられなかったし……」


 エレーヌは反対を覚悟していたが、マノンはあっさり了承した。


「あたしは馬で駆けられませんので、後から荷馬車で向かいます。大公閣下がご一緒なら大丈夫でしょう」

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