3-9 Judgement Days

 海外からの渡航者には、ミストサウナと例えるのが適切な日本の夏。その暑苦しさに拍車を掛けるのが、7月に解散した衆議院の総選挙だ。

 その投票日前日、選挙一色に染まったニュース番組で発表された直前の世論調査では、支持率ベースで与野党が稀に見る接戦を展開していた。

 どの結果になっても、次の政権も与党は単独過半数には至らず、連立体制になると云うのは有識者の共通認識だったが、大体結託する政党は判っていて、それも鑑みた数字でも少ししか変わらない。それだけに

「君の正しい1票が日本の希望。社会のゲームチェンジャーは君だ」

と投票を呼び掛ける発言がテレビでもネットでも相次ぐ。

 朝から雨が降る山梨県東部の都市、河月に住む高校生は、その選挙戦にうんざりしていた。ただ、騒音でしかない街宣車からの呼び掛けも今日で終わるし、月曜までニュースは選挙の話題に終始されるが、それまでの辛抱だ。

 ペンションの手伝いが一旦落ち着くと、流雫はアイスコーヒーを淹れ、夏休みの宿題に手を付けることにした。先ずは問題集を片付けることに集中しようと、ノートを開く。

 すると、スマートフォンのニュース速報が鳴った。流雫は端末を手にする。

「東京同時多発テロ容疑でOFA施設強制捜査」

少し長めの見出しに、流雫は背筋が軽く凍った。

 ポップアップの通知バナーをタップすると同時に着信音が鳴った。サバトラ柄の猫のアイコンが表示されている。澪だ。流雫は通話ボタンを押す。

 「流雫!?速報、見た!?」

東京の自分の部屋から流雫を呼び出した彼女の第一声は、流雫が一瞬思った通りだった。

 「通知だけは。しかしトーキョーアタック容疑って……」

と答えた流雫に澪は

「これ、どうなってるの!?」

と問う。流雫は答えた。

「僕が知りたいよ!」

その口調で、2人がややヒートアップしているのが声で判る。予想外の事態に、互いに少し冷静さを失っていた。

 流雫に至っては、渋谷で美桜を殺され、自分も東京中央国際空港で遭遇し、九死に一生を得た。それだけに、冷静であれと云う方が無理な話だ。

 「あの連中が、あのテロを起こした……?」

何度か深呼吸した流雫が言うと、澪は

「警察はそう見てるって、ことだよね……」

と返した。

 澪の父は刑事だが、その仕事の中身については話されないし、彼女も詮索しない。ニュースを踏まえた憶測でしか語れない。

「じゃあ、まさかあの政治家が全ての黒幕……」

流雫は言った。そして、怒りより先に恐怖が湧いてきた。


 難民排斥と外国人の制限によって、日本人ファーストの国家を再建する。それはOFAと関係が有る政治家、伊万里雅治にとって最大の公約だ。それは4月に偶然居合わせた演説で判った。

 しかし、秋葉原のOFA本部襲撃事件のニュースを知り、彼なりに不可解なことを整理してみた結果、伊万里のマッチポンプ説が浮上した。

 難民排斥の目的を掲げ、そのためにOFAを経由して確保した難民を駒としてテロを起こさせ、テロを起こす難民は危険だから排除すべき、との世論を味方にその公約実現を目指す。

 そして、澪の同級生だった大町が河月のショッピングモールで、OFA本部の件で父親を伊万里に殺されたと、伊万里本人に噛み付いた。それが、マッチポンプ説が単なる妄想話で終わらないことを、流雫に思い知らせていた。

 「流雫の推理が当たってきてる……」

「外れてほしいけどね……」

澪の言葉に流雫は返す。

 同時に、これで終わらない覚悟も求められている気がした。何らかの小さくない騒動が起きる予感がする。


 OFAへの強制捜査は、秋葉原の本部と白水の後援会事務所を兼ねた河月の山梨支部に留まらず、佐賀の伊万里の後援会事務所、そして大町家が営んでいた帝都通商にも及んだ。

 2人の政治家に対する投票日前日の強制捜査は、本人と支持者にとっては選挙妨害でしかなく、挙ってSNSに警察による選挙妨害を糾弾する投稿が上がった。

 そして、2人は同じ文面を読み上げる形で各々の後援会事務所から、持論と共にショート動画で投稿した。

 ……自分のような正義の論客を潰そうとする日本社会が、如何に反日売国奴のサイレントインベージョンに蝕まれているか、如何にそれに対して弱腰か。今は政府も警察も日本の敵で、この国の正義は既に死に体に陥っている。

 だからこそ、自分は日本を正しい方向に導く先導者として、このような卑怯な陰謀に屈することなく、日本人ファーストの公約実現に向けて日々邁進しなければならない。

 投稿時間から、スマートフォンで録画し、そのまま投稿したと思えるが、事態が事態だけに、何よりも即時性を優先したことが伺えた。それだけ、連中にとっては非常事態だったことが判る。

「……何も起きないといいけど……」

流雫は言う。

 澪はスマートフォン越しに頷いた。しかし、2人の答えは同じだった。それは何度言っても変わらない。

「起きないワケがない」

だった。


 昨夜の熱帯夜を引き摺るように朝から蒸し暑い日曜日、ついに総選挙は投票日当日を迎えた。投票日の選挙運動は全面禁止されているから、昨日までと打って変わって静かで、ようやく平穏な日々が戻ってきた、と流雫は思った。

 今日は、ホールセールストアにペンションで必要な物資の買い出しに行くことになっていた。無論、流雫もついていく。

 ユノディエールと云うペンションを営む親戚の鐘釣夫妻は、近くの中学校に立ち寄った。その体育館が総選挙の投票所になっている。2人は流雫をワンボックスの車内に残して体育館に消え、数分後に戻ってくると、改めてホールセールストアに向かった。


 半年前、河月市南部のこの大型店で流雫はテロに遭遇した。突然、銃を持った数人の男が立て籠もったのだ。親戚は多数の客に混ざって逃げていて無事だったが、流雫は少数の客や店員と共に逃げ遅れ、人質になった。

 2時間以上の膠着状態の果てに、発狂した人質の発砲を機に特殊武装隊が突入して犯人は全員射殺と云う形で解決した。しかし、流雫はその人質に撃ち殺されそうになり、咄嗟にその足を撃った。

 あの時、確かに流雫の額に銃口が向けられていた。そして

「お前が殺していれば!!」

と男は叫んでいたが、流雫が銃を持っていたことは知らなかっただろう。ただ、犯人集団のリーダー格の男の隣にいたから、そう言っただけだと思った。

 ……だが、犯人の盾にされ、銃を出そうとしていることがバレれば撃ち殺される危険が有った。だから、どっちにせよ動けなかった。

 銃をショルダーバッグから取り出す準備はしていたが、まさか犯人ではなく自分を撃とうとした人質に……護身のためとは云え……銃口を向けることになるとは、全くの予想外だった。

 大型のショッピングカートのハンドルバーを握り、混雑するセルフレジに並ぶ流雫は、その時のことを思い出していた。


 あれからも毎月買い出しで訪れてはいるのだが、その度に思い出す。そして、あれから半年が経とうとしている。もう半年なのか、未だ半年なのか。

 思えば、この襲撃事件を機に澪……ミオと急接近することになった。そして顔を合わせる約束もしたが、今思えば事実上の初デートだった。尤も、その当日に待ち合わせ場所の近くで銃声が鳴り響き、その避難の最中に顔を合わせることになるとは思っていなかったが。

 そして、2週間後にはトーキョーアタックから1年だ。……もう1年なのか。

 そう思っていると、ようやくレジが空いた。流雫はカートを押した。


 その夜、今日の日課を終えた流雫は猫柄のエプロンを外す。それと同時に20時を迎えた。共用スペースのテレビは選挙特番を映していたが、ついに投票が終わり、同時に開票作業が始まることをアナウンサーが説明する。ただ、どう云う絡繰りなのかすぐに当確が出る選挙区も有る。

 選挙は判らないことだらけだ、と思いながら流雫は自分の部屋に戻り、タブレットPCの電源を入れる。

 デスクトップが表示されると、早速ニュースサイトを開く。各テレビ局の特別番組が配信されていて、画面に並ぶサムネイルを適当にスタイラスで小突いた。

 アナウンサーが各地の結果を読み上げ、それに対してコメンテーターとして招かれた政治評論家がコメントし、時には候補者の事務所で中継していた。

 衆議院の選挙は小選挙区と比例代表で行われるが、前者は1区あたり1人だけが当選できる。後者は時々滑り止めとして使われているようにも見えるが、与野党問わず何処かの政党に属していることが条件で、無所属のあの2人にとっては無関係の話だ。つまり、小選挙区で勝たなければ国会議員のバッジを手にすることはできない。

 その上で流雫は、山梨と佐賀の結果だけが気になる。そう、あの2人だ。

 1時間後、佐賀県の選挙区の結果が報じられたが、赤枠で囲まれた当確欄に伊万里雅治の名前は無かった。その2分後に報じられた山梨県のそれでも、白水大和の名前は一番下だった。

 「2人揃って落選らしい」

と流雫は澪にメッセージを送る。ただ、ざまあみろ、とは思わない。

 返事が届いたのは数分後だった。

「どっちかは受かると思ってたけど……」

それは流雫も同じだった。

 白水は当選するとは思っていなかったが、伊万里は場合よっては有り得ると思っていた。あの公約でも一定数の支持は有り、一部は熱狂的だ。

 しかし、それが外れた。

「昨日のアレがトドメだったのかな」

と、流雫は強制捜査に触れた。

「……そうかもね。でも、このまま終わるとは思わないわ」

と返してきた澪に流雫は

「僕もそう思う」

と打ち返す。

 当選すれば、自分の政策が支持された、だから間違っていないことを強調できる。しかし落選しても、自分の政策が正しい、それ故不都合で排除したいとする輩の圧力に社会が屈して同調した、として、間違っていないことを強調する材料にする。

 どっちに転んでも、自分の政策は正しいと云う結論に至らせることができるだけに、何も起きないとは思えない。

 流雫と澪は、この夜の遣り取りを互いに画面に表示させたまま、山梨と東京でシンクロするように溜め息をつく。明日からの数日間、何も起きないことを願っていた。

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