3-4 Exclusion Factors

 澪との通話を切った流雫は、反対の手に持っていた銃を隠すことなく、その場に立ち尽くしていた。

 ……ジャンボメッセで、流雫がフランス人とのハーフ故に真っ当な日本人ではない、として揶揄い、罵ってきた大町。愛国心の塊を暴走させたような、言ってみれば愛国オタクか。澪のあの一生相容れないような敵視は、流雫も忘れないだろう。

 しかし、愛国心ではそれ以上と言える伊万里を、しかも選挙の応援演説と云う衆人環視の中心で堂々と殺人鬼呼ばわりし、OFA前理事の父親を殺されたと言っていた。そして、フードデリバリーを装った自爆テロに襲われた。

 敵ではないが、味方でもない。一言で言えば、単に生理的に受け付けないだけ。それが流雫にとっての大町誠児だった。

 それでも、伊万里への罵声が気になったことより、ただ今にも死にそうで苦しんでいるのを見捨てられなかった。尤も、流雫本人にその自覚は全く無いが。

 一方で大町は、自分が助からないことを覚悟していた。それでも、どうにか一矢報いたい。それは大町自身の、最後のプライドだったのだろう。そして、流雫に何か言いたかった。

 背後から流雫に銃を突き付けた男は、あの連中の支持者だったことは会話の中で判る。だから、あの秋葉原の襲撃事件は伊万里が黒幕だと確信した。そして、流雫が言った無差別テロはトーキョーアタックを指していたが、その真偽までは判らない。

 ……男が先に撃ったのは大町だった。手の動きから、撃たれると思ったからだろう。しかし、流雫がショルダーバッグに銃を隠していることには気付いていなかった。

 ……先に流雫の頭を撃っても、瀕死で動きが鈍い大町を射殺できることに変わりは無かった。直接の敵だからと、大町を先に殺そうとしたのは、男にとって最大の誤算だった。

 一瞬の隙を突いた流雫の「反撃」があまりにも痛快だったからか、大町は口角を上げた。流雫は安堵混じりに微笑を交わした。しかし、それは大町への六文銭代わりにはなってほしくなかった。


 「心肺停止!」

大町に駆け寄った救急隊員の声が聞こえた。事実上の死亡宣告……その言葉に、流雫は心臓が止まるような感覚を覚える。そして、警察官が駆け寄ってくる。

「……宇奈月流雫さん、ですね?警視庁の室堂刑事から話は聞いています。こっちへ」

その言葉に頷く流雫は、動かない大町に背を向ける。……生理的に受け付けない相手でも、可能性はゼロに限りなく近くても、何だかんだで生きてほしいと思うのは我が侭なのだろうか、と思いながら。


 高速道路を飛ばすセダンの窓から、澪は外をただ見つめていた。ナビシートに座る父、常願は腕を組んだまま黙っている。

「流雫……」

澪は思わず呟く。

 ……あれだけ取り乱したような流雫の声を、澪は聞いた記憶が無い。正当防衛にならないと判っていても、東京へ逃げ出したいほど、澪に会いたがっていた。それは父の説得で辛うじて防げたが。

 そして彼が何を言っても、ただ受け止めるしかない。その覚悟を求められている気がした。

 河月インターチェンジを指す、緑に白字の看板が見えた。しかし、この前もそうだったが一般道が長い。澪は目を閉じた。彼に何と言えばいいのか、悩んでも仕方ない、と開き直りながら。


 映画を最初のクライマックスで打ち切られ、そのまま外に避難することになった親戚にメッセンジャーアプリで連絡した流雫は、朝通った道を逆向きに走る警察車両に揺られながら、外を眺めていた。エアコンが効いているのに、暑く感じる。

 何度目かの河月署。テロ絡みで警察署に行くこと自体、もう何度目かも忘れた。相変わらず、無機質な建物だ。

 取調室に通されると、中年の警察官に冷たい緑茶を出された。一息に飲み干したものの、流雫の表情は明るくならない。アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳は光を失い、澪が苦手な靄を宿していた。

 「室堂さんとは、親戚か何かかい?」 

「……まあ……」

中年の警察官の問いに一言だけ答える。彼女の父親、それが正解だが、わざわざ正直に答えるまでもない。

「しかしこんな山梨でもテロだとか怖いなあ」

警察官は言う。

 流雫は、河月市内だけで既に3度目の遭遇だ。そしてその都度、銃を握ってきた。怖くない、と云えばウソだが、それより生き延びたいと思う方が断然強い。

「テロなんて……」

流雫は一言だけ言う。そして2人は同じことを思っていた。室堂と云う東京からの刑事に、早く来てほしいと。

 警察官にとって、流雫はあまりにも黙り過ぎている。そして流雫にとって、この白髪混じりの警察官は場違いだと思っていた。今の時間だけは、何も話す気にならない。

 ……それから1時間が経ったか。取調室のドアが叩かれ、開けられる。

「流雫!」

自分の名を呼ぶ声と共に、最初に見えたのは澪だった。

「澪……っ!」

反射的に彼女の名を呼び、立ち上がる流雫は、ようやく安堵の表情を見せた。しかし、次の瞬間に瞳を滲ませ、頬に冷たい線が走る。

「っ……流雫……何を見たの……?」

急に泣き始めた恋人に一瞬固まりながらも、その隣に駆け寄った澪に、流雫は思わず抱きついて

「澪……っ……」

とだけ微かな声を上げ、意を決したように詰まる声で言った。

 「大町が……殺された……」


 流雫が洩らした一言に、澪は脳を掻き回されるような眩暈を覚える。彼がそう云う嘘を吐くとは思わないが、流石に耳を疑わざるを得なかった。

「え……っ……?」

澪は言葉を失う。そして、流雫の脳にあの光景が自然と蘇る。逃れられない。流雫は一呼吸置いて、心臓の鼓動が早まるのを感じながら言う。

 「目の前で……撃たれて……」

「撃たれてって……」

と思わず声に出したセミロングヘアの少女は、

「どうして、その名前を……?」

と問う。

「河月のモールで……伊万里の、演説に……殺人鬼だと噛み付いて……」

と答えた流雫に、澪は

「……いたの……?」

問う。

 まさか河月にいて、そして殺されたとは。そして伊万里もいたとは。

 澪の脳は、流雫の話を信じざるを得ないことは判っていたものの、何処かで悪質な嘘であってほしいと思っていた。尤もそれは、流雫も同じだったし、看取っている彼の方がそう思いたかったが。

 流雫は頷く。その遣り取りを聞いていた澪の父、常願が

「此処からは俺が話を聞く。澪もいてやれ」

と言った。

 澪は本来部外者だが、流雫は澪がいれば落ち着くことを、常願は知っていた。特に、2時間前……事件が起きてばかりの頃、澪と通話していた時に聞こえてきたの声から、その動揺ぶりが窺い知れた。そして今は、特に娘が必要なのだと思っていた。

「……少しだけ、落ち着いた……」

小声で言う流雫の頭を澪は優しく叩いた。

 自分も動揺を禁じ得ない、しかし何が起きたか全てを見ている流雫は、その何倍も動揺している。澪の同級生にどんな印象を抱いていたのかは知らないが、目の前で撃たれて殺された。それは、第三者だろうと動揺しないワケがない。


 室堂父娘と流雫だけの取調室。弥陀ヶ原は河月署の警察官たちと、モールでの件で話している。

 流雫は澪の隣で、出されたアイスコーヒーを口にすると語り始めた。

 ……伊万里の演説が始まって10分近くが経っていたか、伊万里が自分に悪態をついてきたこと。何処からか突然現れた大町が、伊万里に向かって

「黙れ殺人鬼!」

と叫んだこと。大町が、父親のOFA前理事を伊万里に殺されたことを示唆したこと。法的措置をちらつかせる伊万里に、大町は一歩も引き下がらなかったこと。

 そのタイミングで、フードデリバリーを装った男が走ってきたこと。そして、伊万里やその応援を受けようとしていた候補者、支持者たちが逃げ始めると、その男が爆発したこと。

 その時、澪は

「うっ……っ……」

と呻き、取調室のドアを開けた。近くの女子トイレの個室に飛び込み、朝口にした厚切りトーストとコーヒーだったものを盛大に吐く。自爆、その瞬間の様子を想像したのがマズかった。

 3月に、地下鉄の車内で爆発事件に遭遇した。その光景を目の当たりにした時より、精神的に参りそうだ。

 洗面台で口を濯ぎ、少し滲んだ目を閉じて目蓋をハンカチで押さえながら

「はぁ……はぁ……」

と肩で息をする。

 あまりに生々しい話に、少しだけ顔が青ざめていた。しかし、まだ途中だ。澪は深呼吸をして、取調室に戻る。流雫と父は澪を心配したが、少女は寧ろ話を再開してほしかった。

 やがて話は再開する。

 ……店内へ一度避難し、すぐに外に出たこと。瀕死の大町を見掛けて近寄り、声を掛けると、背後から何者かに頭に銃を突き付けられたこと。怒声の応酬の直後に大町が撃たれ、自分が次は狙われると思って撃ったこと。

 そして、大町と一瞬だけ微笑を交わした後、意識を失うのを見届けたこと。先刻澪には殺された、とは言ったが、それは間違いだと思いたかったし、そう言ってほしかった。

「……澪に会えれば、少しは落ち着けると思ったから……東京に行きたかった……」

流雫は最後にそう言った。

 父は流雫の向かい側で、険しい表情をしながら調書を書いていく。一通りボールペンを走らせた後で、父は流雫に言う。

「俺が澪と代わらなければ、今頃東京まで出てきていただろう?全く、危なっかしい……。俺でもフォローできないからな」

その苦言は、尤もだと澪は思った。しかし裏を返せば、流雫が頼れる人が澪しかいない、地元河月には誰一人としていないと云う現実に辿り着く。

「……しかし、その銃を突き付けてきた支持者の発言も気になる」

父は言った。

 「先生」の当選を邪魔する、偉大なる日本を取り戻すための闘争、そして

「仲よく死ね、テロ犯として」

の言葉。

 大町と流雫を葬り、自爆テロ犯とグルに仕立て上げようとした。特に流雫は見た目が日本人らしくないだけに、これも外国人の仕業として、難民排斥と外国人制限を推し進めることができる。伊万里の「一味」がそこまで計算していても、不思議ではない。

「……大町は、確かに伊万里が父親を殺した主旨の発言をしたんだな?」

「……証拠は、残せてないけど、でもヘイト反対で集まっていた連中が、動画でも録画してアップしていれば……」

流雫は頷き、言う。……それは彼の願いだった。

 伊万里やその支持者に「ざまあ見ろ」と言いたいのではなく、ただ大町の死を無駄にしないためだった。そしてそれが、今この日本で起きているテロの一部を解決する糸口になるハズ……彼はそう確信していた。


 流雫にとって、澪の同級生大町とは接点など無いに等しい。寧ろ、初対面は澪とのそれより最悪だったと思う。

 3月、流雫と澪は臨海副都心の商業施設アフロディーテキャッスルでテロに遭遇し、その避難の真っ最中に顔を合わせた。それも、半ば偶然の形で。ただ、それまではメッセンジャーアプリで遣り取りしていて、仲はよかった。

 しかし、流雫と大町との初対面は5月のジャンボメッセだったが、流雫を見た目からして日本人らしくない、などと揶揄ってきた。第一印象が完全にマイナスに振り切れるほどの悪態だった。寧ろ、あれでプラスに傾く人などいるのか。

 ……その澪の同級生のために、流雫が泣いた。それは、相容れないながらも「共通の敵」を前にした結果、一瞬だけでも結託し、そして互いに認め合った結果なのかもしれない。それは、男同士の性なのか、流雫の性格なのか。多分、澪には判らない。


 ドアを叩く音が取調室に響き、

「室堂さん」

と男がベテラン刑事の名を呼びドアを開ける。弥陀ヶ原だった。彼は取調室のドアを閉め、ゼムクリップで留められたA4のコピー用紙数枚を父に渡す。

 「伊万里は白水大和と云う男の応援演説で、今朝から河月入りしています。2日前の夜から、SNSで告知していました。それによると、今日はあの事件の後、モールで予定していた残りの演説を全て取り止め、中央空港から夜の便で地元佐賀に入るようです」

初めて聞く名前に、父は誰かと問うた。

「その白水と云うのは誰だ?」

「OFA山梨支部の支部長です。OFA創設時のメンバーの1人ですね」

そう答えた後輩刑事は、次のページをめくった紙に目を通しながら続ける。

 「そしてこれは非公式ですが、……伊万里はOFA創設の主導者で、今も相談役のポジションにいます。あの現場の事情聴取で、スタッフをしていた支援者がそう答えています」

その言葉に、俯いていた流雫と澪が顔を上げる。

 「……どうしたんだい?」

弥陀ヶ原が2人を見ながら問う。澪は言った。

「相談役が前理事を、手駒を使って殺して、支部長を応援する……?」

「内部で揉め事でも有ったのか……」

常願は呟き、2人に目を向けて言った。

「……一度休憩にするか。俺らは下のフロアに行ってくるが、トイレ以外部屋から出るなよ?」


 殺風景な部屋に2人きりになる。2人はひとまず、トイレに行くことにした。先に用を済ませた流雫はトイレ前の自販機で缶コーヒーを手にし、次に選んだ紅茶入りのペットボトルを後から出てきた澪に差し出す。

 澪は礼を言って受け取ると、2人で取調室に戻る。脇の下に手を入れる、独特の腕の組み方をする流雫は言った。

「何か、何と言えばいいのか……」

「何が?」

澪は首を傾げる。

「衆人環視で父親殺しに一矢報いる、それには最高のチャンスだと思ったんだろうな……」

そう言った流雫は、大町の怒声と今にも飛び掛かりそうな剣幕を思い出し、遠い目をして続ける。

 「……僕は美桜を殺された。でも、大町の場合は父親を殺されてる。僕の両親はレンヌで健在だから、親を失った悲しみなんて判らない。多分……僕の何倍も辛かったんだろうな。僕は、未だ甘いと云うか弱いんだと思ったよ」

その最後に溜め息をついた流雫に、澪は

「やっぱり……」

とだけ言って、寂しそうな、自分自身を嘲笑うかのような微笑を浮かべた流雫の目を優しく見据える。

 「……他の誰かは自分よりも辛い、だから自分はこれぐらいのことで……なんて思ってる。でも、辛いことや悲しいことで、他の誰かより大きい小さい、多い少ないなんて比べちゃダメだよ。他の人とは比べられないんだから」

と言った澪は、紅茶を一口だけ飲んで続けた。

 「……あたしは、未だそう云うのを経験したことが無いから、あたしが言える立場じゃないのは判ってる」

その言葉に流雫は何も言わず、ただ腕を組んだままコーヒーの缶を見つめている。

 ……今日もそうだった。彼はテロから生き延びるために、引き金を引いた。生き延びるためなら、ジャンボメッセの時のように見ている方が心臓に悪いことすら、躊躇っていられない。

 しかし、流雫の場合は必ず念頭に「澪を殺されないために」が有る。自分が死なないために、殺されないために、それも大事だが、「澪を殺されないために」を無意識に強調していた。

 流雫が美桜を失うことは、どうしても避けられないことだった。その現実が、彼の原動力になっている。自分と、何より澪を殺されないために。

 しかし同時に、それが無意識のうちに大きなプレッシャーと化しているように、澪には見えた。このままでは、何時か流雫の理性と云う名の糸が切れる……それが澪は気懸かりだった。

 「……流雫には、あたしがついてる。弱くても、あたしが力になる」

澪はそう言い、流雫を見つめる。

 アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳に映る、澪の綺麗なダークブラウンの瞳に宿る意志に、流雫は息が止まった。


 無防備な背中を預けられる、唯一の存在。その少女、澪の言葉に、流雫は少しだけ表情を緩ませた。殺風景な部屋に一瞬だけ、穏やかな時間が流れる。

 「警察署はリア充の場じゃないぞ」

そう言って取調室に入ってきた弥陀ヶ原に、澪は邪魔者が入ってきたことへの苛立ちの表情を浮かべた。

「ところで、君が見たのはこれだよね?」

弥陀ヶ原は澪には目を向けず、スマートフォンの画面を流雫に見せて言う。澪も腰を上げて机の角に手を突き、画面を覗く。

 モールでの演説の様子の静止画が、サムネイルになっていた。弥陀ヶ原はその中心に浮かぶ再生マークを押す。

 ……伊万里の演説から始まり、支持者とヘイト反対を掲げる左派集団の睨み合いに発展する中、大町が叫びながらパーティションまで近寄る。左派集団が大町を囲むと、支持者と抗議集団をギャラリー兼セコンドとした伊万里と大町の罵倒合戦が始まった。

 そのタイミングで、フードデリバリーの男が走ってくる。所謂伊万里サイドが逃げ始めると、男が背負っていたピンクとブルーのバックパックが爆発した。撮影者は走って逃げながらも、録画を止めなかった。画面酔いを起こしそうなほどのブレの後、横転した街宣車と燃える備品と倒れた被害者……。

 そこで録画は終わっていた。

「う……」

と声を上げた澪は、顔を歪ませていた。再び襲ってくる吐き気を抑えようとしているように見える。やはり自爆の瞬間はメンタル的にやられる。

 流雫は彼女の背を擦りながら、弥陀ヶ原に問う。

「この動画は……?」

「あの左派集団が録画していたんだ。ヒューマニストインターナショナルとか云ったか。もうSNSにアップされていた。だからダウンロードしたんだ。伊万里の支持者サイドからの通報で、早いうちに削除されるのは目に見えてるからね」

と答える刑事の声に被せるように

「しかし、厄介なことになるぞ」

と言いながら、澪の父、常願は入ってくる。澪は問うた。

 「厄介?」

その言葉に、常願は娘にとって悪夢に近い一言を突き付ける。

「……恐らく、伊万里サイドは流雫くんを標的にする」

「……どう云うことなの?」

流雫が標的になる、そう聞こえた澪は反射的に父親に噛み付く。

 「大町と流雫くんが、自爆テロ犯と共謀して伊万里の演説を妨害したことにしたいんだろう。……マズいのは、流雫くんが支持者を撃ったのも、取り押さえられそうになったから銃で反撃したことにしたい場合だ」

と言った常願は流雫に目を向け、続けた。

「……もし、流雫くんがあのまま東京に出ていれば、誰も正当防衛を立証できなかった。よく踏み止まったよ」

 ……そうは言うものの、実際のところ他に生きている目撃者が見当たらない。ただそれでも、そう言って流雫を少しでも落ち着かせることができるなら、バチは当たらないだろう。そのうち立証できることは確信している。

 そう思う常願の向かい側で、流雫は腕を組んだまま、

「……多分、既にSNSあたりに投稿してると思う。そして、あの応援を受けるハズだった候補者も……街宣で盛大にネタにすると思ってる」

と言い、唇を噛む。

 澪はそれに被せるように言った。その口調は、3月に臨海副都心の商業施設、アフロディーテキャッスルで武装集団と対峙した時よりも、怒りを露わにしたように流雫には聞こえた。

「それ……、まるで流雫が犯罪者じゃない……!」

それに常願が答える。

「奴らから見れば犯罪者なんだよ。こう云う動画と云う証拠にも怯まないだろうし、陰謀説を唱え始めることさえ有り得る。センセイの正義で困る奴が、センセイを卑怯なやり方で貶めようとしている、警察もグルだと」

 「譲れない正義同士が衝突するから、争いが生まれる。あのトーキョーアタックも、犯人にとっては正義だったんだ。そして、僕や澪が今まで遭遇したテロも、全て……」

流雫は言う。それは、故郷フランスで毎年起きている宗教絡みのテロ事件を掘り下げてみて、判ったことだった。

 しかし、顔を下に向けた澪は恋人の声を遮る。

 「正義って、何なの……?それって、ただの信念の押し付けじゃない……。そう云うくだらないものに、流雫もあたしも、殺されそうになったの……!?それに、流雫が犯罪者扱いだなんて……」

 流雫が犯罪者扱いされる……それが引き金だった。澪は、自分が取り乱していることは自覚していた。しかし、机の端を掴む手に力が入っている。自分では、この怒り混じりの混乱を最早止められないことを意味していた。

 ……振り切りたい。澪は力いっぱい叫んだ。

「理不尽すぎるじゃないっ!」

「澪っ!」

流雫は椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、澪の肩を抱いた。完全に無意識だった。

「流雫っ……!」

その声は、泣き声に変わっていた。机の端に数滴落ちたのは、交錯した感情の残骸だった。

 「流雫はっ……!あたしのヒーローだもんっ……!犯罪者なんかじゃないっ……!」

泣きながら叫ぶ澪の頭を撫でる流雫は、何も言えなかった。


 流雫はヒーローだと言われることを、よく思っていなかった。しかし、澪にとってはヒーローそのものだった。彼の捨て身の反撃に助けられ、生き延びてきた。だから澪は今、この場所にいる。

 その流雫が、不可解で相容れない正義によって犯罪者呼ばわりされる。それは澪にとって、あまりにも理不尽で残酷だった。

 澪は左隣の流雫の肩に顔を埋める。彼の熱を確かめるように、彼の生を感じるように。少年の肩を力強く掴む少女は、声を震わせ、詰まらせ、自分自身に言い聞かせるように続ける。

「流雫はテロと戦ってるんだもん……!あたしのためにっ……!流雫は……あたしの……っ!」

「澪……」

流雫はただ、狂ったように泣き叫ぶ彼女の名を呼ぶことしかできなかった。

 その様子を見ていた常願は、弥陀ヶ原に指で部屋を出るよう指示をし、後輩はそれに頷いた。そして取調室には、2人だけが残された。閉まるドアの音さえも、澪には聞こえていなかった。


 泣き声が響く取調室のドアを閉め、弥陀ヶ原は言った。

「いい娘さんじゃないですか、あそこまで流雫くんを信じてるなんて」

「そうだろう?」

そう言って、常願は口角を上げる。多少我が侭な時も有るが、自慢の一人娘だ。

 しかし、すぐ普段の表情に戻った。

「だが、それが弱さでもある。あの取り乱しようは判らなくもないが、紙一重だ」

常願はそう言って数秒の沈黙を挟み、続けた。

 「……しかし、本当に厄介だ。流雫くんは奴らにとって、排除すべき危険因子だからな」

「危険因子……」

弥陀ヶ原は呟く。

 伊万里が蔑む、あの日本人らしからぬ見た目の少年と常願は、澪を通じて見知ったようなものだ。話したのはこれで4度目、しかも全て常願の仕事としてだが、その鋭さに常に驚かされる。ただそれ故に、命知らずの一面は不安になるが。

 先輩刑事は話題を変えた。

 「……伊万里の今日の予定、夜の便で佐賀入りだったな」

「下でそう聞きました。19時発の全日エアウェイズ便に乗るようです、佐賀行きはそれが最終ですからね」

と弥陀ヶ原が答えると、常願は腕を組む。

「その前に手を打てればよいが……。……演説の予定は潰れたんだろ?それならOFAの支部で作戦を練って、それから空港へ向かっている可能性も有るか……」

 「その線で、県警が支部へ向かっているようです。伊万里はいなくても、せめて白水に接触できれば。……その上で空港で伊万里を……」

そう言う弥陀ヶ原には疑問が残り、先輩にぶつける。

「しかし、飛行機の時間が有るだけに任意なら拒否する、と言い出しませんかね?」

「逆だな。流雫くんや大町……と言ったか、あの殺された少年を妨害テロ犯扱いしたいのなら、任意同行は寧ろ願ったり叶ったりだ。被害者の上級国民だとして、ネタにするぞ」

常願は皮肉混じりに言った。少し口角を上げた弥陀ヶ原は

 「ちょっと下に行ってきます」

と言い、階段を下りていく。その背中を見ながら、常願は踵を返してドアノブに手を触れた。


 「流雫……、死なないよね……?殺されないよね……?」

澪は震える声で怯えながら問う。流雫は囁くように言った。

「僕は死なないし、殺されない。ミオのためにも……」

 今自分が抱きしめる室堂澪と、トーキョーアタックで命を落としたかつての彼女、欅平美桜。2人のミオのために、自分はテロなんかで死ぬワケにはいかない。

 ……澪と一緒にいる今この瞬間は、美桜の死の上に成り立っている。彼女が引き寄せた澪を失わないこと、澪が泣かないために生き延びること、それがせめてもの美桜への弔いになる、流雫はそう信じていた。

 「流雫……」

澪は囁くような声で彼の名を呼び、顔を上げる。そのダークブラウンの瞳は、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳を捉える。滲む視界でも判る彼の表情に、何度目かの時が止まるような音がした。

 泣き叫んで息が切れたのか、澪の吐息が少し大きくなる。流雫はダークブラウンのセミロングヘアを撫でて、優しく微笑む。愛しい少女の顔に、漸く安寧が戻ってきた。

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