2-7 Believe With Teardrop

 あの災難から一夜明け、澪は普段通りに学校へ向かった。ホームルームの10分前に着くと、結奈と彩花が声を掛けてくる。

 昨日あの後、2人は池袋のファストフードの店でフライドポテトとコーラをつまみながら、2時間ぐらい喋っていたらしい。高校生の夜の出歩きは褒められたことではないが、かく言う自分も、流雫と会うと夜までいることが多い。昨日もそうだった。

 ただ、その災難を全て吹き飛ばすだけの幸せが、半日以上経つ今でも、唇に淡く余韻として残っていた。だから、最悪の1日だったとは言わない。

 あの男子生徒は、まだ来ていなかった。普段は30分前には着いているらしいが、珍しい。澪は2人に問う。

「……来てないの?」

「昨日元気だったのにね」

そう言った彩花に結奈が

「寝坊でもしてるんじゃない?」

と続く。尤も、朝から昨日の話題で付き纏われなくて済むのは好都合だったが。

 チャイムが鳴る前に、担任の男教師が教室に入ってくる。学級委員長が主導した朝の挨拶の後に、担任は言った。

「大町は怪我で数日休むと、先刻連絡が有った」

大町誠児。あの生理的に受け付けない男子生徒の名前だ。そして

「それと立山、黒部、室堂。今から職員室へ。後は自習な」

と告げ、3人を連れ出した。1時間目がこの担任の世界史の授業だったが、今日ばりは眠気とや月曜の朝特有の憂鬱と戦わなくて済むのは好都合だった。

 ……しかし、昨日のことで何か有った。澪はそう直感した。ただ、あの生徒についてあの場で何も触れていないと云うのは、それはつまり死んだりしてはいないと云うことだ。

 どんなに生理的に受け付けないと云っても、流石に同じクラス、同じ学校から死者が出ると云うのは居たたまれない。


 担任教師、天狗平勝利の後をついて職員室までついていく3人は、その入口で1分待たされ、隣の応接室へ通される。

 「他の部屋じゃアレだからな……」

そう天狗平は前置きして切り出した。

「……大町とは昨日会ったのか?」

 「え?……ジャンボメッセのイベントで、ランチに割り込んできて……」

「私たち3人と、あと澪の知り合いと4人でいたところに入ってきて……」

結奈と彩花が続ける。彩花が流雫を知り合いと呼んだのは、流雫と澪の関係は担任にとってはどうでもよいことだった。

 「その後は?」

と天狗平は更に問う。彩花が

「ケータリングワゴンが爆発して、皆逃げるのに必死で……」

と答えると、結奈が担任に問い返す。

「まさか、大町が何か……?」

「屋外階段で将棋倒しの被害に遭ったらしくてな、集中治療室にいる」

担任の返答に、3人は目を見開く。

 ……あの時、流雫も含めた4人は、屋上からエントランスに逃げようとした。その屋外階段で、将棋倒しが起きた。避難しようにも行く手を阻まれ、なかなか進めないことによる怒号と混乱ぶりは、或る意味凄まじいものだった。

 思えば、それが澪と流雫がテロ集団と対峙する引き金になった。エスカレーターで一度アトリウムまで出るのではなく、なかなか動かない屋外階段を選んでいれば、対峙することは無かった。結果論でしかないが、自らテロの餌食になろうとした、と思われても仕方ない。

 「避難中は走るなと言っているが、守らないとこうなるんだ。それで、お前らは怪我してないだろうな?」

と担任は3人に問う。

「私たちは、見ての通りですが……」

彩花が答えると、今度は結奈が問う。

 「そもそも、どうしてボクたちが昨日会ったと……」

「金曜の放課後、教室で日曜にゲームフェスに行くと3人で話していただろ。それが聞こえていてな。大町は大町で、目当てのゲームが有るとか言っていたし。それで、本当に行っているなら、偶然にしろ大町と会っているんじゃないか、と思っただけだ。……何が有った?」

天狗平は問い返す。結奈は答える。

「……今話したことと、後はニュースの通りで……」

 結奈と彩花は、自分が知っている限りのことを全て話した。しかしその隣の澪は、終始唇を噛んだまま黙っていた。


 昨日、澪はニュースを見ていない。それどころではなかった。家に帰り着くと、家庭にに仕事を極力持ち込まない主義の父親と昨日の件で話していた。なまじ娘が現場に居合わせただけに、仕方ないことなのだろう。

 その後は部屋で、流雫と軽くメッセージを遣り取りしていた。おやすみ、と送った直後に意識を失い、気付けば朝方だった。夢も見ていない。それだけ、脳が疲れていたのか。

 それ以前に、澪は昨日あの屋上で別れた後、再会するまでの間に何を見たか2人にも言っていない。いや、言えるワケがない。

 警察署での事情聴取も、最初の爆発を流雫が見ていたし、そして澪の父常願が刑事で現場にいて、自分を見掛けたからだと説明している。主題がアトリウムでの出来事だとは2人は知らないし、話すにはセンシティブ過ぎる。

 「そうか。在り来たりな言葉だが、災難だったな。だが、無事だったのは幸いだ」

天狗平は言った。そして

「……話はそれだけだ。まあ、怪我だけで済んでよかった」

と言い、30分に及ぶ応接室での話は終わった。

「……澪?」

彩花が呼ぶ。その声に、軽く俯いていた澪は我に返り

「えっ?」

と声を上げる。

「教室に戻らないと」

「あ、うん……」

眼鏡を掛けた同級生の声に、澪は答える。

 ……2人には知って欲しくない。どんなに仲がよくても、流石にあの時のことだけは、どう話せばよいかも判らないし、無事だったからよかったものの、余計な心配をさせるだけだ。

 幸い、昨日も銃こそ握ったが、引き金を引くことは無かった。……それでも、あの冷たいグリップと重みは、手の感覚として強烈に残っている。

 2人には、銃を持つことそのものが、有り得ないことであってほしい……、澪はそう思っていた。それは綺麗事、理想論でしかないのは知っているが。


 その日の放課後、澪を中心とする3人組は、少し寄り道することにした。昼休み、結奈から

「ラテでも奢るから、話を聞きたい」

と言われた。

 アメリカ北西部の都市シアトルを発祥とする、シアトルスタイルと云われるタイプカフェの代名詞、スターダストコーヒー。その新作のアイスラテをエサに釣られた……と思われても否定しない。

 ただ、なまじ一緒にイベントに行った当事者でもある2人に詰め寄られては、隠し通すことはできない。

 ……午後の授業中、どうにかして逃げる理由を探そうと思ったが、その最適解は手元に残されてはいなかった。そもそも、逃げ切れるとは思っていなかった。

 「……昨日、あの後何が有ったの?」

「ボクたちと逸れた後、戻るまで時間が掛かってたけど……」

「まさか、中から聞こえた爆発と何か関係してるの?」

恋人同士の2人は、端のテーブル席に並んで座ると同時に、見事な連携プレイで向かい側に座る澪に畳み掛ける。あの最後の自爆は、外にも十分聞こえていたようだ。

 「……アトリウムからエントランスに回ろうとして、テロに捕まっちゃって……」

澪は白状した。

 2人は互いの顔を見合わせ、眉間に皺を寄せて澪に向く。

「……色々有って、少し怖かったけどね。機関銃とか持ってたし、他にも人質がかなりいたし」

そう言って澪は、氷が浮かぶアイスラテの紙コップに目線を落とす。

 流雫の捨て身や、犯人の膝の皿を銃身で殴って割ったことは流石に割愛していた。武勇伝にしたいワケではなく、そして何より語るにはあまりにも生々しい。

 「……最後は爆発も起きたけど、流雫もあたしもどうにか助かった。でも、それも流雫がいたから……」

と言った澪は、何時だって流雫の存在が、自分を生かしているのだと思っている。今までの……何故か臨海副都心に集中している……テロとの対峙を思い返すと、そうとしか思えなくなる。

 見ず知らずの他人によってもたらされようとする、死と隣り合わせの恐怖を押し殺し、流雫は自分と澪のために戦っていた。オッドアイの瞳で、常に一欠片の希望を探しながら。

 ……流雫に救われているばかりで、彼の支えになっているのだろうか。澪は自問自答していた。もし流雫が耳にすれば、彼は呆れながら言うだろう、

「寧ろ、支えられてるのは僕だよ」

と。

 それでも彼の支えになっている、確かな感覚が欲しい。言葉だけじゃ物足りない。

 ……あの日抱きしめた体と重ねた唇から、伝わってくる儚い温もり。今も余韻として残るそれは、澪が求める、彼が生きている証そのものだった。


 「そう云うことが……」

彩花は言う。結奈は黙ったまま、唇を噛んでいる。

「流雫が、あのケータリングワゴンの異変にも気付いてたから、あの時も無事だったと思ってる。……助けられてばかりだ、あたし」

澪は自分を嘲笑うような、寂しい微笑みを浮かべる。

「澪……」

2人は、向かい側に座るダークブラウンの瞳の少女の名を呟く。それ以外、掛けてやれる言葉も見つからない。

 途中端折っているようだが、恐らく言葉にするのも憚られるようなことが起きた。そこまで聞き出そうとは思わなかった。後味が悪い結末なのは、自分たちが居合わせた光景だけでも容易に想像できる。そして、想像を絶するのは間違いない。

 「……あたしにはよく判らない。どうして、テロに走らないといけないのか。多分、あたしたちが知らない理念が有って、それは絶対相容れなくて……」

「相容れる気は無いな……」

結奈は言い、空になった紙コップをテーブルに置く。

 「池袋で彩花が言ってたように、あたしたちはただのとばっちりでしかないの。何も悪くないのに殺されようとするなんて、冗談じゃないわ。だから、何としてでも生き延びないと……、と思ってる」

澪は言った。

 ……新作のラテは、希少価値が高めの豆を使った、ちょっと強めの苦味とミルクのコクが絶妙なバランスで、時間帯を問わず愉しめるオールマイティーな1杯。そうメニュー表には書かれてあった。それは間違っていなかったが、今の澪を癒やすには役不足だった。


 その日の夜、臨海署から帰ってきた父、常願が言った。

「……あの少年、流雫と言ったっけか。今週の何処かで空いてるか訊ねてみてほしい。平日でも休日でもいいが」

「どうしたの?」

澪は問う。

「少し話をしたい。……あくまでも仕事としてだ」

その父の答えに、澪は更に問うた。

「……その時は、あたしもついていっていい?」

「構わないが、デートやら遊びやらじゃないからな?」

父は答える。

 警察の仕事として、そして一度だけ面識が有るとは云っても、いきなり彼女の父が2人きりで会うと云うのは、彼も驚く。自分が仲介役として行けば、少しは流雫の気も楽になると思っていた。それに、こんな形でもまた流雫に会える。

「ちょっと話してみる」

澪は答えた。


 「今週、何処か空いてる?」

澪からのメッセージ、その一言目はそれだった。

「……週末、日曜なら。急だけど、どうしたの?」

と流雫は返すと、すぐその返事が来た。

「父が、河月でルナと会いたいって」

「僕と……?」

流雫は打ち返さず、ただ呟いた。

 澪の父とは、臨海署の最上階で一度話しただけだ、それも昨日。しかし、何を話す気だろうか。

「あくまでも仕事として、と言ってた。多分、昨日のことじゃないかな……」

澪は続けて打つ。

 澪も、何を話す気なのか知らされていない。ただ時系列からすれば、それが一番自然だと思える。

「……あたしも行くから。ルナには、あたしがいなきゃね」

そのメッセージに、流雫は苦笑を浮かべた。

 ……流雫は、澪に救われてきた。初めて銃を握った日も、額に銃を向けられた日も、澪の言葉に助けられた。その時のログは、今も残してある。

 流雫は、澪がいないと笑うことさえできない。それは自分がよく知っていた。

 ……そのメッセージが嬉しかった。この感情は、恋人になっても変わらない。


 「ルナには、あたしがいなきゃね」

と澪は送ったが、多分流雫も判っている。本当は「ルナ」と「あたし」が逆なのだと。……あたしには、流雫がいなきゃ。

 ……父の仕事のためについていく、それが理由とは云え、澪は流雫と会えることが楽しみだった。欲を言えば、その後少し2人きりになる時間が有れば。後で、そう話してみようと思った。

「ミオもいるなら、緊張しない……かな……」

流雫の返事に澪は微笑む。そう言うと思っていた。


 常願は、澪の要望に二つ返事で答えた。あくまでもデートや遊びではなく、この前のように遅くまでいることは難しいだろう。しかし、形はどうであれ流雫に会える。そう思えば、父がいることを差し引いても、予想外のチャンスは澪にとって美味い。

 しかし、父が流雫と何を話そうとしているのか、それが気になる。昨日のことだろうとは読めても、何だろう?

「流雫と何を?」

「今年に入って関東で起きたテロや発砲事件を調べていたが、河月の2件、そして臨海の2件。この3ヶ月だけで、彼は4回も遭遇している。何故こんなにも遭遇する?」

澪の問いに、父は問い返す。それに対して澪は

「運が無いだけじゃない?それならあたしだって同じよ?」

と答えた。

 3月からの2ヶ月で……池袋の2件を別個にカウントすれば……5回だ。流雫がトーキョーアタックに遭遇したのを含めれば、数は同じだ。喜ばしいことではないが。

 そして、ふと生まれた疑問をぶつけた。

「もしかして……、流雫が何か裏で噛んでるとか、そう疑ってるの?」

澪の声色が無意識ながら変わっていた。もしそうなら、父親相手だろうと噛み付く。

 「何事も最初は疑う。それが警察の仕事だ。どんなに相手が娘の恋人だとしても、私情を挟むワケにはいかん」

「流雫くんが無実だと証明するためにも、一度は疑わないといけないの」

母の室堂美雪は、父をフォローするように澪に向かって言う。元々警視庁の警察官だったから、警察の仕事と云うものが判る。そして、それは娘も薄々感じてはいた。それでも。

 「それぐらい判ってる!でも流雫は……!」

思わずヒートアップする澪の瞳を見据えた父は言った。

「お前の目は節穴じゃない。それは俺がよく知ってる。……証明してみせる、だから信じてやれ」

「……っ……」

父の言葉に、澪は何も言えなかった。

 かつての恋人、美桜と云う少女を殺したトーキョーアタックを、そしてテロルそのものを美化するようなことを、流雫がするとは思えない。それは、好きだった人を自ら冒涜することと同じだから。

 あれだけ彼女のことで、今も苦しんでいるのに、できるとは思えない。想像もしていなかった。

「あたしには、流雫しかいないから……」

澪は言い、自分の部屋に戻った。

 娘が去ったリビングで、美雪は言った。

「……今の澪には、残酷かしら」

「ただ、これが俺の仕事だからな。だが、あの彼の目は確かだ。もし警察に入ってみろ、俺なんかより立派な刑事になる」

と常願は言う。彼と話すのが、少し楽しみではあった。


 「あたしには、流雫しかいないから……」

そう言って部屋に閉じこもった澪は、唇を噛む。思わず泣きそうになりながらも、冷静さを取り戻そうと深呼吸した。

 スマートフォンのホーム画面の写真は、昨日のセルフィーだった。ファーストキスの後、帰り間際に撮った1枚。

「流雫……。……あたしは、流雫を信じる……」

そう呟いた澪は、舌で軽く濡らした唇を乾いた薬指で撫でる。しかし、切なさだけが募り、視界が滲んだ。

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