祖母との日々


私服に着替え、薄く化粧をし直して、琴はバイト先へ向かった。

臨時を含めなければ今は四つ掛け持ちをしている。ピザの配達、ファストフードの店員、日雇いでケーキ屋と引っ越し業者。

 別に金に困っている程、生活が困窮しているわけではないが、何かしていないと毎日が暇で仕方なかった、というのが本当のところだった。

 琴としてはピザの配達は、気が楽で一番長く続いているバイトだった。

 スクーターを飛ばして、ナビを見なくても分かるくらい馴染んだ場所へ配達する。顔見知りがほとんどで多少遅れても怒られることはなかったし、寧ろお土産をもらうこともあり、行きよりも荷物が多くなることの方が多くて、それが楽しかった。

高校を卒業してから三年。

 琴は生まれ故郷を離れることなく、この釜業町で祖母、信恵と二人暮らしを続けていた。

 アルバイト生活で生計を立て、夜には祖母と食卓を囲んでお酒を飲んで、休みの日には温泉に浸かる。これが今の琴の生活だ。

琴は最後の家へピザ配達を終え、店に戻った。

「お疲れ様です」

「おう、お疲れ様」

 店を閉める作業をしていた店長と挨拶を交わして、琴は自分のスクーターに乗り換えて、帰路についた。

 時刻は夜八時を回っている。


 昼間は焦げた醤油のいい匂いがする朱火堂だが、今は祖母が作った料理の匂いが漂ってきた。

「ただいま」

「おかえり。先に風呂に入って来な」

「うん、そうする。汗すごいわ」

 釜業町の温泉街「桃源街」沿いに構える「朱火堂」を切り盛りする祖母は、琴が知る限り、仕事も家事もサボることは一度もない真面目を絵に描いたような人だった。

祖父が亡くなっても店を畳むなんてこともしなかったし、行事や季節のもの、近所付き合い、面倒なことを面倒くさがらない人で、もちろん琴を厳しく躾けたのも祖母だった。

祖母は主菜に加えて副菜を小鉢に入れてあり、まるで定食屋のようなバランスの取れた食事だ。

冷奴に枝豆、肉巻き。炊立ての白米。

こうして風呂上りには暑い夏の夜でも喉を通りやすい夕食を用意してくれている。

「おいしそう。ビールが合うだろうなあ」

「明日は久々の休みなんだろ? 飲みすぎるんじゃないよ」

「わかってまーす」

 何だかんだ、孫娘を甘やかしてくれる祖母を琴は大好きだった。

「いただきます」

 缶ビールをプシュっと開けて祖母をちらりと見たら、一杯だけ、とお酒に付き合ってくれるのも祖母の優しさだった。

「このオクラの豚肉巻、美味しい!」

「夏だからって冷たいものばかり食べると体調崩すからね。それより、あんたもいい加減料理も覚えな」

「やだ」

 琴はバクバクと口の中に白米をかきこみ、ビールを飲みきった。

「うん、おいしい!」

 働いた後の祖母の食事とお酒はたまらない。

「じゃあ、私は寝るからね。食器は自分で洗うんだよ」

 祖母は毎日九時には床に就く。そして食卓に自家製の梅酒を置いてくれた。

「はーい。おやすみなさい」

 玄関の戸締りを確認し、祖母は朝食の準備を軽く済ませてから二階に上がった。

 この日常は琴の大事なものだ。


 私、柳琴は鬼である。

 酒と温泉とこの町が好きなのは、きっと母と同じ鬼の血を引いているからだろう。

 この釜業には多くの鬼が人として暮らし生きていて、琴もその一人だった。祖母は琴が鬼であることを知らない。

 人に成りすましてこの町に生きることは、鬼同士の秘密で、皆慎ましく暮らしている。人と大差はなく、鬼の姿になれるか否かの違いだった。鬼同士で家族になったり、人間と暮らしたり様々だ。

 鬼に必要なのはその血と、鬼面だ。

 琴も鬼の力を思うままに使い、遊び、夜は鬼同士の喧嘩を楽しんでいたものだ。

 しかし十五歳の夏の夜。

 琴はとある鬼に敗北してから鬼の姿になっていない。その鬼に、鬼の力の源である鬼面を割られてしまったのである。

 鬼であることを辞めてから、もう六年の月日が流れていた。


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